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三十 裏切り者(2)

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三十 裏切り者(2)


 魁地の脳内をフラッシュバックする。それはエンバッシュが伝えた無機質な情報というだけでなく、有機的に絡みつく自分のトラウマでもある。今まではそれをひた隠しにしてきたが、今は違う。
「……俺の両親が死んだ事件、だよな?」
 その言葉は彼の忌々しい過去を引き連れてくる。しかし、彼はそれを頭の中で一掃した。

「そうです」
 信司は、ふぅ、と一息入れて少し安心したような表情を見せた。
 自分のことを案じ、この件に触れることに躊躇があったのかもしれないと、魁地は思った。だからこそ余計に、いつも通りの平静を保つことを心掛けた。

「未だに原因は不明ですが、多綱さんが持つ何らかの能力の影響で発生した次元歪によって、時間パラメーターの誤差が生じました。それによって次元崩壊を引き起こす可能性もありましたが、運よく回避されました。ただし、その影響は宿儺の結界に生じました。強固に閉じていた結界に揺らぎが発生したんです。私はそのとき、たまたま次元デブリの改修処理をしていました。そこで、これまで未検知だったアドレス異常を僕のデバッガーが拾い上げ、彼の結界に気付いたんです。調べると、過去にアウラがマルチバグの才覚を持っていた宿儺と連携して、戦闘活動を行っていたことが判明しました。アウラのアバターが宿儺の手足となることで、彼らは強大な戦闘力を持ち、伝説のマルチバグとなりました。しかし、それでも最強と謳われたフェルベアードを殲滅することはできなかったようです。宿儺は苦肉の策として、結界でフェルベアードを凍結し、自らを生き仏と化して永久的に封印する手段をとったんです。僕は早急に結界の改修作業に入りました。幸い、結界は無事に安定化状態に戻り、フェルベアードの再稼働を防ぐことはできました。でも、その間に聖域のセキュリティーが解放され、その存在がジャヒに漏洩してしまったようです」

「あの時に、そんなことが……」
 魁地の脳裏には、かつて自分が人に厄災を及ぼすと思い込んでいた負の存念が息を吹き返しつつあった。今、自分には守りたい人がいる。そして守る力もある。だが、自分がいることでその全てを掻き消すリスクがある。

 魁地は揺らいだ。自分が生み出すものの正体が見えない。白か、黒か。いくら白を期待しても、いつか突然、裏返る可能性を秘めている。

 ――すると、突然、魁地と信司の間に真理望が割り込んできた。

「ちょっと、今信司があんたの能力で世界が崩壊するとかなんとか言ってたわよ。魁地、どういうことよ。私聞いてない」
「……えっ?」
 真理望は、感傷に浸る魁地の心情を無視するかのように、ずけずけと入り込んでくる。

「ねぇ、霧生さん知ってた? ひょっとして知らないの私だけとかないよね?」
「あの、大丈夫です。私も知りませんでした……」

 霧生は、「なんで私に絡んでくるの」と言いた気に眉間を寄せているが、真理望はそんな彼女の空気を読むこともなくお構いなしだ。
「ほんと? あぁ~よかった。また出し抜かれたかと思ったわよ。ったく、私たちにも秘密にするなんて、魁地マジむかつくんですけど」

 ……何だよ、こんな時に。相変わらず面倒な女だな。
 こいつは俺に、悩む間も与えてくれないのかよ。
 魁地は「言ってないんだからあたりまえだろ」と喉を鳴らさず愚痴を飲み込みつつ、「いや、真理望の能力ならそういう事情も演算でパパッと察しちゃうのかなと思って」と苦し紛れの言い訳を声に乗せた。

「いくら私でもそれは無理。例えば、誰が何をするとか、人間の心情が影響を与える事象は推測できないわ。やっても、あくまで可能性を上げるというレベルでしかないわ。予知じゃないのよ。それを期待するならあんたの能力があるでしょ」
「そ、そうか。ははは……」

 魁地は笑う気分じゃないことを一旦飲み込み、なんとかここで収束させようととりあえず笑ってごました。

 ――それにしても、こいつの言動は予測できない。彼女と話していると、独特のペースに巻き込まれて直前まで悩んでいたことなどうっかり忘れそうになる。魁地はそう思い、息をするように出ていた溜息がなくなっていることに気付いた。
 善くも悪くも、これはある種こいつのアビリティーかもしれん。魁地はそう思い、もう一度ハハハと笑った。

 そして、「あの……僕の話がまだ終わってないのですが……」と、痺れを切らした信司が割って入った。
「それから五年間、見かけ上はジャヒの活動も沈静化していました。どうやら奴は、フェルベアードの詳細アドレスまでは入手できなかったようです。ですが、彼の計画は着々と進行していました。そして今になり、アーティファクト内にエンバッシュを送り込んできました。目的はまさしくフェルベアードです。そんな折、封印した両面窟の壁が地震で崩れ、開放される事態が発生したんです。あの聖域は、ジャヒだけでなく、人間に見つかっても危険です。焦った私は早急に現地に向かい、応急処置をしました。しかし、完全に復旧するにはバグズの協力が必要でした。そこで、草野原さんと水元さんによる秘密裏の作戦が実行されたのですが、エンバッシュにそれを嗅ぎ付けられてしまいました。そして敢え無く結界を解かれ、二人が犠牲になってしまったんです」

 信司の表情には、悲しみと怒りが混在する複雑な感情が渦巻いていた。それは信司にはあまりに似合わないものであったが、魁地はどこかで見たような気がした。そう、それは毎朝自分が寝起きに見る鏡の向こう。自分の顔だ。

「エンバッシュは端末のネットワークを利用してコマンドラインインターフェースを仮想構築し、フェルベアードのIOにアクセスしているようです。当時のバスターウェアは外部制御ができないため、予め活動範囲を制限して行動原理を単一化することでセルフアライメントを掛け、一定の停止条件を設定していました。エンバッシュは彼を多目的化するためにプログラムを改変し、自分のコントロール下に置こうとしています。それが実現されると、世界は危機的状況を迎えることになります。それを阻止するため、私は自分の端末からスクランブル信号を発信したりもしましたが、残念ながらほとんど効果はありませんでした」
「そうか、それでさっきの通信記録や、山田と華凛が見た監視カメラの映像に信司の姿があったってわけか」
「確かに、それなら辻褄が合います」

 魁地は胸を撫で下ろした。信司の正体がアーティファクトの設計責任者というぶっ飛んだ事実さえ飲み込めば、魁地の期待通り彼の無実を証明できたわけだ。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、信司は設計者の顔でプレゼンするかのように説明を続ける。

「ただし、僕には大きな疑問がありました」
「疑問? な、なんだよ、それ」魁地は、次々と信司の口から流れ出る情報に、頭が滅入りつつある。
「最近、バグズの活動はジャヒに先手を取られ、常に出し抜かれていました。両面窟の落盤、改修の件も、慎重を期してアメリカ支部の協力を得て秘密裏に行動していました。それでも、先を越されました。ソラシマ三高での異端審問官襲撃事件も、奴が関与しているという情報があります。全てにおいて、タイミングが良過ぎる。それは何故か、その答えはひとつ」

「ひ、ひとつ? って、まさか」魁地は、それ以上の言葉が出なかった。誰もが容易に想像できたが、誰もがそれを口にできなかった。

 信司は、皆の顔を見ると、こくりと頷いた。
「お察しの通り……内部にスパイがいるということです」
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