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一 目的
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――――ピピピ、ピピピ、ピピピ
「ああ、うっさぁ~いっ!」
私は拳を突き出し、ノールックで音の元凶を叩く。すると、そいつは呆気なく騒ぐのをやめた。
――……そうすいぃ~……。
……。
……。
……総帥いぃぃ、一生ついていきます……ああぁ、マジかっけーっす……。
えっ、あっ、そんなっ。あぁぁ私、心の準備が……あっ、痛いっ。
悶え、体を動かすと、背中に痛みを感じた。何かの破片が当たっているようだ。
「……あれ?! ……えっと……なんだ。夢、か」
――なんだよ、気持ちよく総帥とのアバンチュールを楽しんでいたというのに。
痛みの現況を探るべく、体を持ち上げてベッドを見る。すると、無残にもいくつかの破片に分かれた目覚まし時計が転がっている。次いで、壁時計に目をやると七時半を示していた。
「え……これって、出る時間……やばい、遅刻よ! ギミュ、あんたなんで起こしてくんないのよっ!! ……って、あいつ今日は早朝から出掛けてんだったぁ~」
その場でパジャマを脱ぎ散らして、洗面所に駆け込む。
鏡に映る寝癖のついた髪をヘアコームで引き延ばす。まだそこかしこが跳ね上がっていて、まるでテレビCMでよく見るピンク色の毛玉クリーチャーのようだと思いつつも、直している時間などない。ちきしょう。
「なんだってんだよ、あの目覚まし時計ってやつは。たった一回で壊れるなんて、使い捨てならちゃんと書いとけってのよ……とにかく、急がないと」
顔に水を叩きつける。ヒヤリとした感覚が肌から染み込み、それがじわりと脳髄に到達すると、ようやく私の思考回路が復帰した。
「よしっ、今日から新しい高校生活が始まる。やっとあの人に、会えるかもしれないっ!」
私は真新しい制服に腕を通し、学校指定のバッグを掴み取る。それをブンと一振りして肩にかけると、ぶら下がるアクリルキーホルダーがカチリと音を鳴らした。
@地球/亀島高等学校
「名前は、ダービル・エトス・リリスよ。リリスって呼んでよね。あんたらの友達になってあげるから、私のことはよく覚えておきなさい。じつは日本に来てまだ一年程度なの。こっちのサイエンステクノロジーには馴染んでいないところが多々あるし、この国の文化も意味不明なものがたくさんあるから、色々と教えてよね。よろしく~!」
――よし、きまったわ、完璧ね。これで第一印象は悪くないでしょう。言葉に関しては、作戦訓練の教習と、こっちでの実践でほぼマスターしたし、あとは体面を良くして友達とやらを増やし、人脈を徐々に広げいくわ。
パチ、パチ……パチ。と、僅かに起こった拍手は、教室の静寂をさほども乱さない。
あれ? おかしいわね。称賛するときは立ち上がって盛大に拍手、が常識でしょ。この間もテレビに映ってたなんたらデミーショーとか言うので皆やってたわよ。こいつら、見たことないのかしら……無知な奴らね。それとも協調性の問題かしら。
一切同期することなくパラパラと発せられる手のひらの打音。こいつら、こんなんで戦時に、まともに戦えるのかよ。私ならともかく、弱者は寄り集まってなんぼの世界でしょ?
――と、軍の養成学校で散々協調性をどやされた私が言うのもなんだがと思いつつ、クラスメートらの行く末を案じてみる。
「……あ、えっと。リ、リリスさん、自己紹介ありがとう。みんな、リリスさんは海外に住んでいましたが、ご家族の都合で日本に移って、この亀島高等学校に編入することになったそうです。まだ、日本語も慣れていないようだから、みんな優しく教えてあげてね」
はっ? こいつ何言ってんのよ。私の日本語は完璧でしょが。
言ってることは承伏し兼ねるが、まぁそもそも低能な地球人のことだから良しとしよう。
で、そんなことを言いながら私の横でぎこちない笑顔を作っているこいつが、クラス担任の先生。鎌井希里(かまい・きり)というらしい。編入の面接や説明会の時に既に何回か会っているが、大学を出たばかりの新米教師らしく、職員室にいた他のくたびれた奴らと比べると、かなり若い女教師だ。
教師っつっても、所詮こいつらの知能レベルは、私の足元にも及ばないだろうけど――と思ってはいるが、事前調査の情報によると、ここ日本国でうまく生活するには、『空気を読む』という特殊スキルが必要とのこと。正直性分じゃないけど、当分はできる限り周囲のやり方に合わせて、取り繕っていこうと思っているわけよ。
そのためにも、不本意ながら、多少はこいつも敬っていかねば。まっ、私クラスの手練れともなると、その程度のスキルの体現は容易いだろうけどね。
「オッケー、先生も宜しくね。私に関して質問があれば、いつでも聞いていいわよ。で、私の席はどこなの?」
少しの沈黙の後、先生はオイルの抜けたようなきしんだ表情で言った。
「それじゃぁ……リリスさんの席は、窓際の中央になります。先月転校した子がいて、そこが空いているの」
「ふぅ~ん、わかったわ。悪くないわね」
沈黙の中、席に向かって歩みを進める。すると、周囲の生徒たちが私にちらちらと視線を投げかけてきた。口を開けたまま呆然とした表情が並んでいるが、どうせ格の違う私のオーラに臆しているのだろう。
「ヨロシクね~」
私は、一瞬目が合った後ろの席の男子に声をかけてみた。
無造作にだらりと垂らした前髪に、伸ばしたと言うより伸び切ってしまった後ろ髪をとりあえず結っただけの、ポニーテールを冒涜するような髪型。そして、安っぽい樹脂フレームの眼鏡を透かして、まるで生気の感じられない瞳を挙動不審に転がす切れ長の眼。私の故郷にも、気が触れてそんな表情を浮かべている人格崩壊者がよくいたものだが、こっちの学校で見るその様は、あまりに滑稽に感じる。
彼の机の横にはロフストランドクラッチの杖が立てかけてあり、机の下から覗いている左足には膝や足首を支えるための装具が見える。どうやら足に障害があるか、怪我をしているのだろう。ところが、風貌から伝わる負のオーラが強すぎて、全くと言っていいほど同情を誘わない。
正直、こんな小汚い奴には関わりたくないけど、とにかく今は情報網が必要だし、後ろの席とあらば無視するわけにもいかないわね。
何も発しようとしないこの男子の言葉を待たずして、私はもう一度言葉をかけてみた。
「私、リリス。あなたは?」
「……いで……くま……」
……なんだ、こいつ。声小さくて全然聞き取れない。
「わるい、よく聞き取れなかった。もう一回よろしく」
若干の間。
その間、こいつの目玉は何度も左右を行き来する。まるで別の球体型生物がその頭蓋骨に二つはまり込んでいるかのようで、気色悪い。
鎌井も朝会を終わらせたがっている空気を出しているし、私は、こいつを無視して席につこうとした。だが、突然彼の目が一点を見つめて止まった。
「……それ」
視線の先にあるのは、何の変哲もない私のバッグだ。
「えっ……なに?」
少しの沈黙の後、彼はようやく視線を私に戻し、口を開いた。
「少女戦記のユリミューであるな。もしやおぬし、アニメの嗜みが?」
は、アニメ?!
どうやら、こいつは私のバッグにぶら下がっているアクリルキーホルダーに食いついてきたようだ。
このキーホルダーは、駅前の街路を歩いているときにたまたま店先にあったもの。少女が着ている戦闘服が、以前私が着ていたものに似ていたから、少し気になって買っただけ。イラストの感じから言って、所謂アニメや漫画の類だろうということは分かっていたが、このキャラの謂れは正直知らない。
……そうか、なるほど。私は理解した。
こいつ、ひょっとしてアニメオタク――通称ヲタとか言う、あれか?
「アニメって、あの……そ、そう。絵が動いているやつでしょ?! まぁ、割と嫌いじゃないよ」
私はとりあえず話を取り繕おうと疎い知識を振り絞って乗っかってみた。
しかし、そもそもそれが間違いだったようだ。この挙動不審な男子は目を輝かせて食いついてきた。
「マジっ?! お前も同士か! 俺、二次元業界に関してはそこそこの手練れ、って、自分で言うとか自信過剰かっ! なんつってね。くふふっ」
しまった――情報収集のために人脈は広げたいけど、こいつはなんかヤバい気がする。
面倒なことになる前に、ここで話を断ち切った方がよさそうだ。
「あの……授業、始まりそうだから」
「うむ、休戦の申し入れ、致し方あるまい」
なに、こいつ。掴み切れない。まるで別の人格が付け焼刃的に詰め込まれたような印象を受ける。たった二言三言でそう思わせるわけだから、こいつは筋金入りの変人なのだろう。
そいつは私の想像に難くなく、まともに話せる輩ではないようだ。目線の先の机上には、露出の多い女の子や幼女と言ったアニメキャラと思わしきグッズが所狭しと置かれ、主役であるはずの教科書を差し置いてその場にのさばっている。
これが、ヲタか。テレビで見たことがあるけど、実際目の前にするとインパクト強いわね。戦時中はこんな異常者も多くいたけど、向こうは命を懸けている分、一定の理解もし得るというもの。
私は悩んだ。ヲタと言えば、自我を押し通すことに主眼を置くあまり、周囲を顧みず欲求を満たそうとする社会不適合者だという情報もあった。センスがずれた見た目の違和感だけでなく、コミュニケーションの成り立たない不愉快さと流動的で掴めないキャラが乗じて、コミュ障の代表格をほしいままにし、キモヲタとまで呼ばれる人種と聞く。
しかしながら、こと興味を持った専門分野となれば、限りあるインプットから練り出されるアウトプットの物量と精度は目覚ましいとも聞く。それを人脈に取り込む行為は、吉にも凶にも転じ得る、まさに諸刃の剣。
う~ん……。けど、背に腹は代えられない。時間も豊富にあるわけじゃない。そう、私は何としてでも探さねばならないのだ。
――あのお方を。
ようやくここまで辿り着いたのだ。
一年前に発生した『次元リーク』。テンプトアル星と地球が結ばれ、二人がここに転送された。一人は私、そしてもう一人は――。
あの日に起きた災害や事故を手当たり次第に調べた。そして、私はついにその情報を得た。
私が降り立ったあの日。同じ日に、ほど近くで見つかった身元不明の少年。意識不明で救急搬送された彼は、一命を取り留めて保護施設に入所し、最終的にこの学校の学長に引き取られたようだ。そして去年、彼はここに入学している。おそらく、その生徒があの方と見て間違いないだろう。
今現在、彼がどのクラスにいてどういう姿をしているかは分からない。だけど、早く見つけ出す必要がある。どんな手を使ってでも。
そして、私は後ろのヲタ野郎を杓子定規にかける。
――すると、結論が出るのに時間はかからなかった。リスクなくして、成果は得られない。今までも、私はそうやって乗り切ってきた。今のところ会話が成り立つ気配はないけど、情報源として確保しておいて損はないはずだ。
とにかくまた、あの頃を取り戻さなきゃ。まだ、彼の目的は達成されていないのだから……。
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