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9.レオナルド視点とカズハ視点
しおりを挟む夜八時を過ぎてもカズハは降りてくる様子がなく、ヨアンによって取り分けられた料理を持って二階へと上がっていく。
「ああ、まだ鼻に臭いが残っている…」
先程まで騒いでいた女の香水は鼻腔を刺激し、未だに不快感が残る。この店は隠れ家のように利用している客も多いというのに、あの女を連れてきた『友達』とやらは常連とはいえもう顔を出すことは無いだろう。出禁のようなものだ。
他人に名前を呼ばれてここまで不愉快だと感じたのは久しぶりだった。生理的に受け付けないタイプなのだと理解する。だらしなく伸ばした語尾も頭の弱そうな発言も打算的な上目遣いも夢に出てきそうだ。今夜は眠れるだろうか。
階段を上がりすぐの部屋が今カズハが使っている部屋になる。ドアの前に立ちノックをするが返事がない。二回ほど繰り返し、声を掛けた。
「カズハ、夕飯を持ってきましたよ」
案の定返事が返ってこない。まさかとは思うが最悪の事態を想像し、ドアを開けた。子供といえど十代ともなると立派な淑女の矜持のようなものが育ち始める時期だ。だから勝手に部屋に入るというのは嫌がられる。自分の姉がそうだったからだ。抵抗はあるが仕方がない。
部屋は真っ暗で、廊下から差し込む明かりで入り口付近が僅かに見える程度。肝心のカズハが見えない。それでも少しずつ暗闇に目が慣れ、机の所に人影が確認出来た。
(寝息が聞こえる…眠ってしまいましたか。もう少し早く持ってきてあげれば良かったですね)
料理を乗せたトレーを静かにテーブルに置き、ゆっくりとカズハに近付くと、何かを書いている途中のようだった。暗くて何を書いているかまではわからない。
それよりもベッドに運ばないといけない。
夏前の今の時期は日中は暖かくとも夕方からは一気に冷える。寒暖の差が激しいのだ。見たところきちんと袖の長い服を着ているようだがこのままでは風邪をひいてしまうだろう。
そういえば、湖に落ちてきた時の服装には驚いた。薄着の上に上半身は二の腕の半分まで出ているし、足に至っては太腿が露になっていた。
この国では、いや、自分の知る周辺諸国も基本的に女性は足首ですら見せることはしない。子供でもワンピースを着る時ふくらはぎの中程から足首程度出るくらいだ。真夏の暑い時期で半袖を着ることはあるが平民の話であって、貴族女性は通気性の良いレースの長いグローブをつける。
彼女は平民だと言っていたし、文化の違いもあるのだろう。
薄着の服装ということは『ニホン』は今は真夏ということだろうか。そこから調べるとだいたいの位置に見当がつきそうだ。
「カズハ、少し失礼しますよ」
机に突っ伏した状態からゆっくりと体を起こし椅子をずらしてから両膝の裏と背中に腕をまわし持ち上げる。それでもカズハは起きる様子がない。
起こさないようベッドに向かおうとした時、仄かに香る何かに気付いた。それはカズハからしてくる。さっきの女とは明らかに違う種類の香り。ほんのりと柔らかく心地の良い初めての香りだった。嫌悪は無くむしろ好感が持てる。数秒その香りを堪能するように動きが止まってしまった。
カズハは本当に不思議な子供だなと思う。きっと両親と離れ離れになって寂しいと思うのに涙一つ流さない。いや、実は我々が見ていない所では泣いていたのかもしれない。
(心が壊れてしまわないように気にかけなくては…)
ゆっくりとベッドに下ろし体を離す。
「おやすみ、カズハ。良い夢を」
ドアに向かって歩き出そうとした時上着の裾を掴まれた。
(おや、起こしてしまったか…)
「どうしました、カズハ?」
すぅすぅと寝息をたてていることからまだ眠っているようだった。無意識のうちの行動のようだが、やはり不安なのだろうか。小さな手がしっかりと掴んで離れない。ベッドサイドに腰を下ろし、優しくカズハの頬を両手で包む。すると涙が一筋流れたのがわかった。包み込んだ指を涙が濡らす。
「うっ…やだ…会いたいよぉ……ううっ…ぐすっ…」
「カズハ…」
発した寝言に心が痛んだ。両親の夢でも見ているのだろうか。まだ親の庇護下にいるような子供まで拐い、挙げ句に空から投げ捨てる(真相はまだわからないが)など人間のすることではない。
集団の全容はつかめていないため、今届いている被害報告などは氷山の一角なのだろう。カズハよりも更に幼い子供もいるのかもしれない。
「…大丈夫ですよ。必ずご両親の元へ帰してあげますから」
涙を流しながらもすやすやと眠るカズハをあやすように額に触れる程度のキスをして部屋を出た。
*****************
ブルッ…寒…
…あれ?わたし何してたっけ?
あ、そっか、日記書きながら寝ちゃったんだっけ。今何時かな。すっかり部屋の中も暗くなってるし、結構寝ちゃってたのかもしれない。照明は…えーと…ん?
キョロキョロと部屋を見渡すと、何故かテレビや漫画本の並んだ本棚、天井近くにはエアコンまである。
ちょっと待って…ここって、
「実家のわたしの部屋?!」
えぇぇ…どういうこと?
夢?今日あったことって全部夢…だった?
でも何でアパートじゃなく実家?
何処からが夢?
ダメだ、混乱してきた
『万葉~!ご飯よ~降りてらっしゃい!』
「はーい!今行くー!」
お母さんの声だ。…やっぱり実家なんだ。
ああ、いい匂い!お腹すいたし喉も渇いた。とりあえず今は細かいことを考えるよりお腹を満たしたい!
部屋を出て階段を降りるとリビングから益々美味しそうな香りが漂ってくる。食事が並んでいるであろうテーブルに向かうが、お母さんもいなければご飯も無い。え?何で?
漂っていたご飯の匂いすら消えた。
「ちょっと、お母さん何処よ?ご飯は?お腹すいたんだけどー!」
返事は返ってこない。それどころか部屋は徐々に暗くなっていき暗転する。
停電?暗くなっちゃったよ!
『…は、…ず…は、万葉ってば!!』
「わっ?!びっくりした!…深雪?」
『どうしたのよ、ぼおっとして。講義終わったよ?』
「あ、うん、え?教室?いつの間に?」
『うわ…ガチで寝ぼけてるよこの子…』
今度は大学?ものすごーく呆れた顔で親友の深雪が見てくる。いやだって、さっきまで実家にいたよ?また寝てた?わたし知らないうちに気絶でもしてんのかな。色々と場面が繋がらない。
机に突っ伏して記憶を辿ろうとがんばってみた。でもどうしても実家のリビングで暗転してからの後が思い出せない。
夢遊病とかだったりして…怖っ!自分怖っ!
『こらっ!起きろ!』
「へっ?」
『女が屁とか言うな』
「いやいや、その『へ』じゃなくて…って今度は春斗?!」
授業を受けていた教室からまたもや場面が切り替わっていた。今度は外にあるベンチに座り、隣にいた筈の親友は消え、替わりに男の人が目の前に立っている。
もうね、ポッカーンだよ…。
また気絶した?夢遊病発症したの?!
えぇぇ…ほんと意味わかんない。何で元カレが目の前にいるのよ。
うん、元カレ…元…元だよね?ちょっと前に別れた…よね?
「えーと、ごめん、わたし達ってまだ付き合ってたっけ?」
『…今その話をしてたんだろ…。ほんとごめん。別れて欲しい…』
「あ…うん、わかった。っていうかわかってる」
むむ…やっぱりおかしい。わたしこの場面知ってるもの。デジャブというより、はっきりと既に経験済みだ。つまりは今が夢の中なんだきっと。ううん、実家で目を覚ましたところから夢だったんだ。何か変な日本語になったけど。
まぁそれはいい、夢はいつかは覚めるから。いいんだけどね!何でよりによって現実と夢とで二回もフラれなきゃなんないの!何の嫌がらせ?!
『そうか…やっぱりわかってたか、他に好きな人が出来たこと…』
え?あ、そうなの?ごめん、それは初耳です。確か仕事に集中したいとか言ってませんでした?…嘘ついたなコノヤロー!
一つ年上の元カレは先に就職して遠距離恋愛になったんだよね。それで最近研究職の仕事が楽しいから仕事に時間を費やしたいとか何とかそんな感じで言ってませんでしたっけ?
…いいけどね!別にいいけどねー!
『じゃあな…』
「あっ!ちょっと待って!」
思わず春斗の服を掴んでしまった。いや、別れたくないとか引き留めてるわけじゃないからね?憐れんだ目で見るんじゃない。お前に未練は無いが、諦めきれないことが一つある!
「今週末にあるコンサートのチケット!春斗が買って持ったままでしょ?!お金払うからあたしに頂戴!一人でも行くんだから!」
めっちゃくちゃ大ファンの二人組ロックバンドのチケット!待ちに待ってやっとあと数日で当日って時にチケットが無いことに気付いたのよね。現実では別れてすぐ連絡取れなくなってコンサートは結局諦める形になったけど、せめて夢の中ではコンサート行ってキャーキャー叫んでヘドバンしてハッスルしながら目覚めたい!
『あー…あのチケットはキャンセルしたよ。別れたら一緒に行くこともないと思って』
「は?…はあああぁぁぁぁぁああ?!」
お…おまえーッ!何勝手なことしてんのよーっ!!
あまりの衝撃にわたしはその場で膝から崩れ落ちた…。
えぇ、えぇ、そりゃあファンなのはわたしだけだよ?あんたはわたしに付き合っただけかもしれないよ?でもさ、でもさ、ファンだって知ってるんだかさ、一言さ、このチケットどうする?ってさ、聞いてくれても良くない?
あぁ…切なすぎて泣けてきた。
あと数日で生の本人に会えたのに(夢だけど!)!
生歌聞けたのに(夢だけど!)!
声にならない声が、ぐぅっ…と喉の奥で唸る。
『え…おい…何もそこまで…』
涙を流しながら床に丸まってギリギリと拳を握るわたしを見て、あまりの悔しがり方に春斗はドン引きしていた。
ふんっ!どうとでも思えばいいさ!なかなか手に入らないチケットなんだよ!実際発売開始と同時に二人でスマホ使って繋がるまで何回も何回も電話してやっと繋がった時には狂喜乱舞したじゃないか。繋がったのがわたしではなく春斗の方だった時は少し殺意が湧いたが。その殺意が今また湧いてきそうだ。
あぁ、愛しのロックバンド様…やっとやっと会えると思ったのに…
「うっ…やだ…会いたいよぉ…うう…ぐすっ…」
地べたにキス状態で、嗚咽混じりにひたすら呪いのごとく会いたいを繰り返した。
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