君が笑うから僕も笑う

神谷レイン

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第一章「親友と俺」

1「帰ってきたあいつ」

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 まだ風が冷たい三月の初旬頃。
 暗い高速道路を走る一台の夜行バス。

 乗っている人数は数えるほどだが、こそこそと話す小うるさい若いカップルに、すでに眠っているよれたスーツを着たおじさん。太った兄ちゃんと連れ添いのガラの悪そうな男。
 友人同士で乗っている四人組の女の子達。そこには俺達も乗っていて……。
 バスの運転手は顔色の悪い親父だった。
 乗る時に一瞬、大丈夫かな? と俺は思った。その勘を信じて乗るのを止めればよかったのに。

 あの時、あんな事が起こるなんてあの時乗っていた人達の中で一体誰が予想できただろう?
 速まるバスのスピード、背後から鳴らされたトラックのクラクション音。
 交錯する人の悲鳴とその後に襲ってきた大きな衝撃と血の匂い。
 俺は、未だにあの時の事を忘れられないーーーー。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ーー一年後。
 三月の初め、桜の木がまだ花の蕾さえ付けていない早春。
 朝日と鳥の鳴き声に俺は目を覚した。
 いつもと変わらない天井と現実が、目覚めたばかりの俺に容赦なくのしかかる。
 眩しいぐらいの太陽がカーテンの隙間から入り、俺はそれを遮るように両腕を眼前で交差させ、同時に肺から空気を抜いた。

「はぁ」

 ため息をついても、俺の心の中はどんよりとした雲に覆われている。
 サイドテーブルに置かれているデジタル時計に目を向ければ、そこには時刻と日付が表示されていた。
 三月八日。
 俺はその日にちを見て、心の奥に巨大な鉛玉が落ちた。
 その理由はわかっている。一年前にあったあの事故のせいだ。あの日から俺の心は晴れない。どんなに悔やんでも、どんなに願っても、元には戻らないあの日。
 あの事故でジュンが死んでから、今日で一年。何度もあの日の事を思い返す。
 運転手の突然死によって引き起こされた夜行バスの衝突事故というテレビのニュースで見るようなありきたりな、でも実際に起こってしまった事故でジュンが死んでしまったことをーー。

「ジュン……」

 俺は寝転がりながら、一粒の涙を零した。
 ジュンは赤ん坊の時からの俺の幼馴染で親友だった。
 幼稚園・小・中・高と同じ学校に通い、俺はあいつの初恋も知っているし、あいつは俺が名前の書き忘れで算数のテストで0点を取った事も知っている。
 家も近かった俺達はお互いの家をよく行き来し、何でも語り合えた、本当に何でも知っている間柄だった。ジュンが今も生きていたら、俺と同じ十九歳になっていただろう。でも……ジュンは死んだ。
 ニ泊三日の卒業旅行中での事故だった。
 学生だった俺達は安いツアー会社の卒業旅行プランを探して、温泉街に遊びに行く予定だった。温泉好きな俺に合わせた旅行で、違う大学に行く俺達は最後の思い出を作る為に。
 それが最後の最悪最低な思い出になるなんて……どんなに悔やんでも悔やみきれない。

 あの時、俺が温泉街に行きたいなんて言わなければ。もっと違う旅行プランで行けば。あの日に決めなければ。あの時、あの席に座っていなければ。
 どんなに悔やんでも後悔ばかりが次から次へと波のように押し寄せる。苦しい、苦しいと胸が叫んでも、そこに救いはない。毎日が残酷に訪れて去っていくだけ。
 だから俺は俺の中の時を止め、自分の殻に閉じこもった。自分だけが助かってしまったという罪悪感と共に。

 スピードを上げたバスが壁に激突し、その衝撃で夜行バスは横転。窓側に座っていたジュンは頭を強く打って即死だった。
 同乗していた俺も勿論怪我を負った。だけど、俺は幸いにも前頭部に小さな切り傷と右足を骨折するだけで一か月後には病院を退院していた。俺が病院から出た頃には、もうすでにジュンの葬式も終わり、墓地に埋葬済。

 正直、信じられなかった。ジュンが死んでしまった事に。
 だから俺は退院して真っ先にジュンの家に向かった。徒歩三分もかからないあいつの家。でも、そこに当然のようにジュンはいなかった。代わりにあいつの笑った顔が仏壇に飾られ、花が添えられているだけで。
 そして昔から知るジュンの親父さんは複雑そうな顔で、俺だけでも助かって良かったと言ってくれた。けれど、それは上辺だけの言葉だとすぐに察した。親父さんは笑いながらも俺と目を合わそうとしなかったし、おばさんは家にいる筈なのに、俺と会おうともしなかった。それが彼らの本当の答えだった。

 俺はその場の空気でその答えに辿り着き、俺一人生き残ってしまった事を本当は二人とも納得していないんだと、わかってしまった。いや、むしろ二人は俺を憎んでいるのかもしれない。
 ジュンを誘ってしまった俺を。
 そう思うと俺は居た堪れなくて逃げるようにジュンの家から帰った。そして俺はハッキリと自覚した。俺はあの優しい親父さんとおばさんから、大事なものを奪ってしまったんだと。
 それ以来、俺はこの自分の家から出ていない。
 家族や友人は俺のせいじゃないと言ってくれた。俺が家から出てこない事を聞いたジュンの親父さんも、わざわざ部屋の前まで来て「気にしないでくれていいから」と。

 けれど、どんな言葉もどんな優しさも俺の心には届かなかった。どれもこれも上辺だけの言葉に聞こえたし、俺はジュンの親父さんにまで気を遣わせることしかできない俺自身が許せなかった。
 何より、大事な友人を旅行に誘ってしまった俺自身、許すことができなかったんだ。
 大勢の人の優さに触れる度、自分が生きている事に息苦しさを感じ、自分が死ねばよかったんじゃないのか? と思えた。けれど小心者の俺には死ぬ勇気もない。
 毎日毎日、ただ砂漠を彷徨い、見えない出口を探しているような気分。最低の気分だ。

「はぁ」

 俺はもう一度ため息をつき、仰向けの体を横に向けた。現実から逃げ、夢を見る為に。 

 けれど、今日はいつもと違った。
 ドタドタドタッ! と慌てて階段を駆け上がる母さんの足音が聞こえたかと思うと、ノックもなしに母さんが俺の部屋のドアを開けた。

「た、拓真! 早く起きなさいッ!」

 母さんは焦った様子で俺に言い、いつもと様子の違う母さんに俺はベッドから身を起こした。

「いきなり何?」
「拓真、ジュン君が帰ってきたわ!」

 母さんの言葉に俺は眉間に皺を寄せ、怪訝な顔を傾けた。

「ジュンが、帰ってきた?」
「そうよ! ジュン君が帰ってきたの! だから、起きなさい!」
「何言ってるんだよ、母さん。あいつが帰ってくるわけ……」

 そこまで言った後、誰かが階段をゆっくりした足取りで上がってくる音が聞こえた。
 今日は平日で妹は学校、父は会社に行っている。今、家にいるのは引きこもりの俺と専業主婦の母さんだけだ。
 ……なら、この足音は誰だ?

「おばさん、俺から説明しますよ」

 聞き鳴れた声、でも久しく聞いていなかった声が聞こえて俺は思わず息を止めた。
 そして開かれたドアにあいつは姿を現した。
 あの日と同じ服を着て。

「よぅ、元気にしてたか? 久しぶりだな、拓真。帰ってきたぞ」

 そうふてぶてしいまでの態度を見せ、ジュンは笑った。

 一年前と全く変わらない笑顔で。

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