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番外編
3 息子の名はキトリー
しおりを挟む―――――庭での誕生日パーティーが終わった後。
エヴァンスはベッドの上でうつ伏せで寝転がっていた。そしてその傍にはキトリーが。
「き、キトリー? 一体、何をするんだ?」
「はいはい、おきゃくしゃんはしずかにしててくだしゃいね~」
キトリーは何やら腕を捲って小さな紅葉手をにぎにぎっと握ってニヤリと笑う。
……恐ろしすぎる。
エヴァンスは背後から迫るキトリーに内心不安に思いながらじっとする。
そうしながらエヴァンスは小一時間前の事を思い出した。それは食事を終えて、ローズやロディオンから誕生日プレゼントを貰った後の事――――。
『とーしゃま、これ、おりぇからの誕プレ!』
まさかキトリーからも貰えると思っていなかったエヴァンスは驚いたのだが、受け取ったのは長い綴り紙。しかも手作りで、そこにはなにやら何とか見えるぐらいの拙い字で『かたたたきけん』と書かれている。
『かたたたきけん? これはどういう意味なんだい?』
そう尋ねればキトリーはニヤリと笑った。
『ンフ、あとでのお楽しみよん』
それだけを言って。そして今に至るわけだが――――。
……私は何をされるのだろうか。痛い事じゃなければいいが。
「じゃ。とりあえず、一枚いただきまぁしゅ」
そう言うとキトリーは『かたたたきけん』の綴り紙からぺりぺりぺりっと一枚切り取った。でも、これから何をするのかまだわからないエヴァンス。そんな父を他所にキトリーは首を左右に振ってやる気満々だ。
「しゃぁーて、やりますかねぇ」
キトリーはそう言うとエヴァンスの背中にのしっと乗っかってきた。
エヴァンスは『ああ神よ』と心の中で祈るが、キトリーはエヴァンスの肩に両手を置くと声をかけてきた。
「じゃあ、りらぁーっくしゅしてくだしぁい」
……リラックスできないんだが。
なんて思っている内にキトリーは肩、背中を優しくトントンしてきた。しかもなかなかにいい力加減で。
……お。これは、なかなか気持ちいいな。……ん? もしかして『かたたたきけん』と言うのは『肩叩き券』という意味か?
エヴァンスは今更ながらにその意味を知る。
前世日本人であったキトリーは『子供が親に贈ると言えば、やっぱこれっしょ!』というノリで渡したものだったが、この世界ではそう言う文化はなく、ましてや貴族の家長である父親にマッサージを、わざわざ子供がするという発想はなかった。なのでエヴァンスが『肩叩き券』の意味に気が付くわけもなかった訳である。
「うーん、おきゃくしゃん、こってますねぇ~」
キトリーはさながらベテランの按摩師のように、今度は肩をもみもみしながら言った。そして的確なポイントを突いてくるキトリーのマッサージに、不本意ながらもエヴァンスはくつろぎ始める。
「キトリー、そこ、もっと」
「ここでしゅね~。うーん、こってましゅねぇ~。事務しごとのししゅぎでしゅね~」
そう言いつつキトリーは手を休めずにもみもみしてくれる。
……恐れていたが、結構いいなぁ。
今までマッサージというものをされた事がないエヴァンスは体を解される心地よさを初めて知る。しかも最近は仕事詰めだったので、少々疲れていた。なおかつ食事を少し前にし終えたばかりで、程よいマッサージを受けながらエヴァンスは段々と眠くなってくる。ましてや、春の暖かな光がぽかぽかとして、余計に睡魔を誘う。
なので、エヴァンスはうとうととしてきたのだが、あるひとつの疑問だけが気になった。
「キトリー」
「んー? なんでしゅかー?」
「一体、このやり方をどこで学んだんだ?」
エヴァンスは眠気に抗いながら尋ねた。そうすればキトリーは何気なく答えた。
「んー? どこってそりゃねーちゃんにいっぱいさせられ」
「……ねーちゃん?」
「あ、えっと、そーじゃなくって!! ほ、絵本でよんだの! それでとーしゃまにしようとおもって!! だからけっちて、まなんだとかじゃなくって!! それにもみもみしたら誰だってきもちーでしょ!? だから」
そこまで言ったところでキトリーは手を止めて、ハタッとある事に気がついた。
エヴァンスがいつの間にかすっかり寝息を立てている事に。なのでキトリーは額を拭って、ふーっと息を吐いた。
「はひー、やばかったぁ。ちゅい、ぺろっと前世のこちょ言っちゃうところだったぁ。……でもまぁ、前世のきおくがあるっていっちぇも信じられないかー」
キトリーはそう一人でぼやいて、すやすやと眠る父親の顔を眺める。
……おちゅかれですなぁ。
そう思いつつ、その寝息と春のぽかぽか陽気にキトリーもなんだか眠くなってくる。
なので気を失う前に乗っていたエヴァンスの背中からゆっくりと下りて、その隣にコロンと寝っ転がった。
三歳児に眠気に抗う術などないからだ。
そして寝転がった瞬間、キトリーもすぴぴーっと早々に眠ってしまったのだった。
――――それはレノが迎えに来るまで。
◇◇◇◇
――――一時間後。
エヴァンスは昼寝から目が覚めた。
しかし目を開ければ、隣には幸せそうによだれを垂らしながら眠っているキトリーがいる。
……キトリー? ああ、そうか。マッサージをされながら眠ってしまったのか。でもなんでキトリーも? 眠くなって隣で寝たのだろうか?
そう思いつつもキトリーを見つめていれば未だ夢の中にいるようで、急に寝言を言い始めた。
「んふっ、くろかみ年下受けしか勝たん!」
……どういう意味だろうか。
そう思うが、ぐふふっと寝ながら笑う息子にエヴァンスは再び一抹の不安を覚える。
しかしキトリーを眺めていれば、もっちりとしたほっぺがあんまりに丸々としていて、エヴァンスは思わず手を伸ばしてみる。すると触れればすべすべモチモチ、ぷにぷにのお肌にうっかり癒されてしまう。
……なんという触り心地。これは確かに、触らずにいたら後悔するところだったな。
フニフニと頬を触りながらエヴァンスはキトリーの寝顔を眺める。でもそうしていれば、大きくなったな、と不意にキトリーの成長に感心した。
……木に頭をぶつけてしまって意識を失った時はどうなるかと思ったが、こうして元気に育ってくれてよかった。
エヴァンスは心からそう思う。ちょっとばかり元気が良すぎる時もあるが、それでもこうして笑顔でいてくれればなによりだった。しかしエヴァンスが息子のほっぺを堪能していると、コンコンッとドアが控えめにノックされた。
「旦那様、レノです」
子供ながら凛々しさを感じる声がドアの向こうから聞こえ、エヴァンスは「どうぞ」と声をかけた。そうすればドアがゆっくりと開き、銀髪の美しい少年が部屋の中に入ってきた。
キトリーのお世話係兼子守役で爺やが連れてきた、美少年・レノだ。
どうやら学園での授業が終わってすぐ、ここに来たようだ。
「レノ、どうしたんだい?」
「坊ちゃんを引き取りに来ました」
「キトリーを?」
「はい。もしかしたら旦那様の寝室で寝てしまうかもしれないから、部屋に戻っていなかったら引き取りに来てほしいと言われていましたので」
その言葉を聞いて、キトリーはここで寝てしまう事も読んでいたのだとエヴァンスは驚く。
「そうか」
「はい。なので、少し失礼いたします。……坊ちゃん、迎えに来ましたよ」
レノが声をかければ、眠っていたキトリーはわずかに眉間に皺を寄せて、うっすらと目を開けた。
「んー、れのぉー?」
「迎えに来ましたよ」
レノはそう声をかけるがキトリーはまだまだ眠いのか寝転がったまま「んー」としか返事をしない。全くもって起きる気配はない。
「坊ちゃん、おんぶして連れてってあげますから、背中に乗って下さい」
「んんー」
レノは背中を見せて言い、その言葉にキトリーは目を瞑ったままもぞもぞと芋虫のように動き、ぺちょりとレノの背中にくっついた。そんなキトリーをレノはしっかりと抱え、エヴァンスに視線を向ける。
「では旦那様、お休みのところ失礼しました。私は坊ちゃんを連れて失礼させていただきます」
レノは子供らしからぬしっかりとした口調で言い、エヴァンスに一礼して部屋を出て行こうとした。しかしそんなレノをエヴァンスは呼び止めた。
「レノ」
「……なんでしょうか?」
呼び止められたレノはキトリーを抱えたまま振り返る。するとエヴァンスはこう尋ねた。
「キトリーの世話は大変ではないかい?」
「坊ちゃんのお世話ですか?」
問いかけられたレノはどう答えようか少し考えた後、ハッキリと告げた。
「……その、正直に言えば大変です。気が付けばすぐにどこかに行ってしまいますし。私の言う事は聞いてくれません。それに時々、いえ常に反抗的ですし。……でも坊ちゃんの傍は大変ですが、とても楽しいです」
レノはそこで初めて子供らしく微笑んだ。そしてそれは嘘ではない言葉だとエヴァンスにもわかった。
「そうか。キトリーの世話は私の目から見ても大変だと思うが、これからもよろしくお願いするよ。レノ」
エヴァンスがにこやかに言えば、レノは「はい」と素直に答えた。
そして部屋を出て行こうとする。だが、部屋を出る前にレノは少し躊躇った後にエヴァンスに告げた。
「あの、旦那様。お誕生日おめでとうございます」
控えめなお祝いの言葉にエヴァンスは思わず微笑み「ありがとう」と素直にお礼を告げた。そしてレノは「では」と頭を下げて部屋を出て行ったのだが。
……レノは本当にいい子だな。……それに爺やの話では物覚えが良く、もう屋敷の事を大抵は覚えてしまったとか。学園でも成績優秀のようだし、最近ではフェルナンドやヒューゴに空いた時間は剣術や武術を教えてもらっていると聞く。うーん、実に将来有望だ。ローズもロディオンもレノの事を気に入っているし。……キトリーはあの感じだからレノぐらいしっかりしている子が婿に来てくれたらちょうどいいな。レノもキトリーを気に入ってくれているようだし。…………ふむ。
エヴァンスは顎に手を当てて、大人の二人をイメージして何となくそう思う。
そして、何となくそう思った事は大体勘が当たるエヴァンスは楽し気に一人笑った。
「まあ、それはそれで楽しみにしておこう」
……キトリーの前世の話も気になるところだが。それはまだ先の話かな、ふふっ。
エヴァンスは寝ている間に聞こえたキトリーの独り言をしっかりと覚えていた。だが、それについては口にすることはなく、エヴァンスはぐっと背伸びをするように手を上に伸ばした。そうすれば肩回りが解れている。
そしてサイドテーブルにはキトリーがくれた『肩叩き券』の綴り紙。
「さて、今度はいつ使おうかな」
エヴァンスは目を細めて呟いた。———————それが十数年前の事だった。
◇◇◇◇
――――現在。
……あれから二回ぐらい使ったが、なんだかもったいなくてそのままにしていたな。
エヴァンスは当時と同じように優しく目を細めて、拙い字で書かれている『肩叩き券』を見つめる。
しかしエヴァンスが眺めているとドアがノックされた。
「旦那様、よろしいでしょうか?」
声の主は現執事長のセリーナだ。なのでエヴァンスは勿論「どうぞ」と声をかけた。
そうすれば「失礼します」という声掛けと共にセリーナがお茶セットを乗せたカートを押して入ってきた。
「そろそろご休憩されてはいかがですか?」
セリーナに言われ、時計を見ればちょうどおやつ時。
「ああ、そうするよ」とエヴァンスは素直に申し出を受け、セリーナはすぐにお茶を淹れ始める。その間にエヴァンスは机の上に広げていた書類を片付け、セリーナに話しかけた。
「いつもすまないね。セリーナ」
「いえ、これも執事の仕事ですから。それにキトリー様から旦那様はすぐに仕事に没頭するよく注意して見ておいて欲しいと頼まれておりますからね」
「キトリーが」
呟きながら先程思い出した幼い頃のキトリーが頭に浮かぶ。
『とーしゃまはお仕事のししゅぎです! わーかーほりっくでかろー死しちゃいましゅ!!』
そんなプリプリと怒る声まで聞こえてきそうだ。
「キトリー様は旦那様思い、いえ、家族思いの優しい方ですから」
ふふっと笑いながらセリーナは淹れたての薫り高い紅茶と共に焼き菓子を添えて、エヴァンスの座る机に置いた。
そして一通の手紙をエヴァンスに差し出す。
「そのキトリー様からお手紙です」
「キトリーから?」
「はい、先程届きました。それとこちらも」
セリーナは手紙を渡した後、カートに乗せていた木箱を机の上に置いた。
「一体これは?」
「手紙に書いてあるのではないでしょうか」
セリーナに言われ、確かに、と思ったエヴァンスは受け取った手紙をペーパーナイフで封を切る。中身を取り出してみれば、何枚かの便箋が入っていた。そしてざっと中を見れば、キトリーの文字が綴られていた。
『仕事中毒なパピーへ。
こんにちは、お元気にしてますか? こちらは元気にしてます。もう元気モリモリマッチョになりそうです(嘘です)ところで、来週リトロール王国へ行くことになりました。レノは勿論、フェルナンドとヒューゴも一緒に同行する予定です。多分、この手紙が届く頃には俺達はもう向かっている最中かと思います。
そして、先日レノからプロポーズを受け、婚約する事になりました。ご報告まで。
あと、一緒に送った木箱は誕生日が近いパピーへのプレゼントです。ヒューゴおススメの領地産ワインなので、味は美味しいと思います。
恐らくこの手紙を読んでいるのも仕事の合間にだと思うけど、あんまり仕事詰めにならないように体に気を付けて過ごしてね。貴方の愛する息子・キトリーより☆』
公爵令息である手紙とは思えないほどの軽さだが、エヴァンスはそれでも息子からの手紙に微笑む。
……私へのプレゼント。そう言えば誕生日は来週だったか。ヒューゴの薦めなら間違いないだろう。しかし、マメな子だな。
ワイン好きであるエヴァンスはプレゼントの木箱を見て、それから手紙にもう一度視線を戻し、レノからのプロポーズを受けたと言う一文に再び笑みを零した。
……だいぶ遅かったが、ようやくくっついたか。
エヴァンスは息子の恋路に思わず目尻を下げるとセリーナも気になったのか尋ねてきた。
「エヴァンス様、キトリー様からは何と?」
「ああ、これは私への誕生日プレゼントで、これからリトロール王国へ行くと。それと、ようやくレノからのプロポーズを受けたらしい」
エヴァンスが教えるとセリーナはパッと笑顔を見せて、両手を合わせた。
「そうですか! これはみんなに伝えなくてはいけませんね!!」
「そうだな。屋敷の皆が気にしていたようだからな」
エヴァンスはセリーナの言葉に頷きながら答えた。
世間一般では『悪役令息』で名の通っているキトリーだが、この屋敷の中では使用人達の人気者だ。その上、屋敷に勤めている者のほとんどはキトリーが子供の頃から長く勤めている者ばかりで、彼らはキトリーとその従者であるレノの恋路を心配していた。
……ニブちんなキトリーはレノの気持ちに気が付いていなかったが。だが、これで屋敷の皆にもいい報告ができそうだ。ローズもロディオンも喜ぶだろう。まあ、それにキトリーに見合う相手はレノしかいないから丸く収まってくれてよかった。レノを焚きつける手紙を送った甲斐があったものだ。まあ、おおむね予定通りか。
秋にレノ宛に送った手紙を思い出し、エヴァンスはほくそ笑みながらセリーナの淹れてくれた紅茶を口に含む。
「ですが、キトリー様はリトロール王国へ行かれるのですか」
「ああ、女王陛下から来るように催促の手紙が届いていたからね」
「……何事もないといいですが」
セリーナは心配顔で呟いたが、エヴァンスはもう一口紅茶を口に含む。
……まあ、何事もない事はないだろうな。あの子だし。
もはやハプニングが起こるのは予定調和。キトリーあるところにハプニングあり。と認識しているエヴァンス。
だが、それほど心配はしていなかった。
「まあ、何かあってもレノも傍にいる。何とかなるだろう。あの子はそう言う子だ」
エヴァンスは笑ってそう答えた。実際、エヴァンスはキトリーが周りの協力を得て、問題を解決するところを何度も見てきた。だからこその信頼だった。
そして、そんなエヴァンスにセリーナは笑顔で頷いた。
「そうですね。……またお手紙が届くといいですね」
セリーナの言葉にエヴァンスは窓の外に視線を向けた。もう季節は冬を超えて春。新芽を出す木々を眺めて、エヴァンスはわんぱくな息子に想いを馳せた。
「そうだな。まあ幸せにしててくれればなんだっていいが……今からどんなことが起こるのか、楽しみだ」
――――そしてエヴァンスの言葉通り、リトロール王国でもキトリーはハプニングに巻き込まれるのだが。
それを知るのはまだもうちょっと先の事だった。
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