四季、折々、戀

くるっ🐤ぽ

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 佳恵を嫁にもらいたいと言ったのは、藤村という、兄の勇より年下で、樹生より一つ年上の男だった。大学を卒業した後、貿易会社に勤めている。
 最初は家族で父の懇意にしている料亭で食事をした。父と母と佳恵と、それから藤村父子おやこと、藤村との縁談を斡旋あっせんした父の会社に出入りする清水しみずという男とが向かい合って席に座った。樹生はその場にいなかったので何とも言えないが、母によると、藤村の息子というのはパッと見は美男子とは言えないけれど、爽やかで嫌味のない物腰だったということである。ただ、初めての見合いだからか、佳恵が恥じらってニコニコ笑うばかりなのは良くない、次はもっとハキハキと喋ってもらわないと、と佳恵に対する愚痴を樹生に話した。
 二度目は是非そちらのご自宅で、二人のお兄さまもご一緒に、とのことだった。樹生は、僕は邪魔になると悪いからと散々捏ねたが、結局は窮屈な紋付と袴を着せられて、共に昼食を取ることになった。樹生は兄の勇から、分かっていると思うがお前が相手に悪印象を与えて、縁談を壊さないようにと注意を受けた。樹生は軽く、はいはいと返事をしておいた。
 会ってみると、確かに藤村という男は爽やかで嫌味のない、おおむね好印象を抱ける人物だった。美術、骨董こっとうたぐいにも造詣ぞうけいが深いらしく、父が客人がやって来ると必ず見せる、祖父の代から大事にしているという書も興味深そうに見ていた。
 三度目のときは自宅に電話がかかってきて、たまたま家にいた樹生が電話を受け取った。それは藤村の息子からの電話で、お嬢さんと映画を観に行きたいのだが、ご都合はよろしいでしょうか、とのことだったが、あいにく、その日は佳恵が風邪気味で寝込んでいたので断った。そのことを佳恵に伝えると、佳恵は、「そう」と答えただけだったが、父の方は何故次の約束を取り付けなかったのか、そのような電話がかかってきたからには向こうが佳恵に気があるのは明白だろうに、と撫然ぶぜんとした様子だった。樹生も、なるほど、そうだったかもしれない、と思った。しかし佳恵の具合が悪いところを無理に電話口に引っ張り出すのも可哀想かわいそうじゃないですか、と反論すると、誰がそんなことをさせろというのだ、お前も佳恵の兄ならば、お前が代わりに約束を取り付けるべきだろうに、と樹生を叱りつけた。まぁ、兄の勇ならまずそうするだろうと思って、樹生も今度は「はぁ……」と頷いた。
 そこで日を改めて、佳恵の調子が良いときに佳恵に電話をさせて、また新しく散歩に行く約束をさせた。するとその日のうちに清水から連絡が来て、藤村さんの父親が、息子が佳恵さんとの約束を大変喜んでいる。今からどこそこに連れて行ってあげたい、あれこれを見せてやりたい、などと子どものようにはしゃいでいらっしゃるようだと言う。樹生は、その話を聞いて、あの爽やかな好男子が両手を上げてはしゃいでいるところを想像して、ついニヤニヤした。
 約束の日は暑く日差しの照りつける良い天気だった。佳恵は淡い紫の涼しげな柄の着物を着て、青い帯を締めていた。鏡台の前に座って白粉おしろいはたく佳恵を眺めながら、樹生は綺麗に化粧をするようになったものだと感心していた。佳恵は困った顔をして、樹生お兄さま、そんなにご覧になられては手が滑ってしまいます、と鏡の中で綺麗な弧を描く眉を吊り上げながら、口紅を塗った。
 藤村は約束の時間より少し早く来た。そのときは両親も兄の勇も用事があっていなかったので、まだ準備の済まない佳恵に代わって、樹生が藤村を応接間に通した。藤村はいつもは車で来るところを歩いて来たらしく、顔を火照ほてらせて、汗を拭っていた。以前、家族と共に会ったときは着物姿だったが、その日は洒落しゃれぼたんつきのシャツにサスペンダーのついたズボンを履いていて、帽子まで被っていた。樹生も派手な格好をすることが多いが、藤村もなかなかのおしゃれと見えた。
 藤村は、下女が持ってきた麦茶を美味そうに飲み干した。すると、顔色も少し戻ったようだった。
 佳恵はまだ支度をしていることを樹生が言うと、藤村は、いやこちらこそ、早く来過ぎてしまったようで申し訳ないです、と頭を下げた。
「さっき、佳恵がお化粧をしているところを見たんですがね」
 客人の前では、さすがに「よしちゃん」とは言えなかった。
「綺麗なものだと感心していたのですが、手が滑ると叱られてしまいまして」
「はは、恥ずかしいのでしょう」
「佳恵も、お化粧を覚えたばかりの頃はあまり上手じゃなくて、白粉を塗りすぎてお化けのようになったりしましたが、上手になりました。綺麗ですよ」
「そうですね。本当にお綺麗な方で……」
「綺麗というより清い子かもしれませんね。愛されて育ったから……」
 ふと樹生は、藤村は佳恵の生まれを知っているのだろうか、と思った。佳恵が、養女であることは無論知っているだろう。しかし、樹生の父の、昔の恋人の娘だということは知っているのだろうか。
「愛されて育つと、綺麗な子が育ちますか」
 藤村は言った。
「清い子になるんですよ。例え不器量であっても、輝くような子に育ちます」
「輝くような子、ですか」
「佳恵を見ていれば、そう思われます……それにしても、少し時間がかかっているようですね」
 佳恵は応接間の扉の前に立っていた。先ほどは背中に流していた黒髪を、キッチリと纏めて白い首がよく見えた。
「何だ、もう支度が済んでいたの」
 樹生が言うと、佳恵は何故だか悲しそうな笑みを浮かべた。昔の佳恵を見たような笑い方だった。
 佳恵は日傘を持って、藤村と出かけて行った。
 樹生は佳恵を見送ると、大学時代からの友だちに電話をかけて友だちの家に遊びに行った。その友だちは結婚したと同時に家を出て、街外れの人通りの少ない場所に質素な家を構えていた。まだ子どもはいなかった。小さな家で、通いの婆さんを一人雇っていた。友だちは長男だったが、病がちだった為、家督かとくは弟に譲られることになっている。樹生とは学科が違ったが、学業はかなり優秀だったという。彼が街外れで隠居生活のような日々を送っているのを、惜しむ声も聞く。夏場にはよく体調を崩すという友だちは、藤村とは対照的に青い顔をして樹生を出迎えた。友だちの妻は貰い物だという梨を樹生の為に剥いてくれた。君は結婚しないのか、と友だちは問うた。結婚してもいいが良い相手がいないからね、と樹生は答えた。妹はどうだ、と問われたとき、引く手数多あまただと樹生は言った。それから、君の奥さんは綺麗だね、と樹生は言った。友だちは照れたような表情をし、君の妹だって綺麗じゃないか、と言った。友だちの妻は夫の後ろで奥ゆかしく控えていて、ニコニコとしていた。この人も愛されている人なのだ、と樹生は思った。頰が輝いていた。
 それから、日が暮れる前に友だちの家を出て、家に帰った。玄関の水盆に、鈴蘭すずらんの束が生けられていた。母に訊く前に、佳恵が藤村さんから頂いたんですよ、と向こうから言った。よしちゃんは、と問うとお部屋で休んでいるようです、今日は暑い日だったから、疲れたのでしょう、とのことだった。
 その後、普段着に着替えて二階の部屋から下りてきた佳恵に、藤村と出かけたときのことを訊ねると、珍しいものを見たり、聞いたりして、楽しかった、とのことだった。鈴蘭のことを訊くと、花屋で綺麗な花ですね、と言ったら買ってもらったのだと言う。
 化粧を落とした佳恵の顔は、あどけなく、淡く光るように見えた。
 これが本当の佳恵の美しさだ、と思った。
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