12 / 25
夏
五
しおりを挟む
チリーン……と耳を涼やかに打つような風鈴の音だった。民家の葦簀の前には朝顔が咲いている。紫、青、白、薄紅色の雫が落ちて、染みたような可憐な花だった。風鈴の音は、この朝顔の家から聞こえてくるらしい。
佳恵は朝顔の家の前で、ふと足を止めた。風鈴の音に耳を澄ましているのか、朝顔を見ているのか。樹生は佳恵のすぐ傍に立って、朝顔に触れようとする手つきをした。夕方には萎む花である。
「綺麗だね」
樹生は言った。
「お家の人に頼んで、一輪分けてもらえないかな。源氏物語の夕顔のように……すぐに萎んでしまうだろうけれど」
佳恵は日傘の下で微笑んだ。
「押し花にすれば、永遠ですわ」
「よし、それじゃあ一声おかけしよう。すみません」
「嫌ですわ、樹生お兄さま」
佳恵はパタパタと、朝顔と風鈴の家の前を通り過ぎた。樹生も、その後をついていく。たったの数歩で、追いついた。
「どうして嫌なの?」
樹生は笑いながら、佳恵の顔を覗き込んだ。佳恵は染まった頰を隠そうとするように、顔を背けた。
「朝顔が欲しかったんじゃありません」
「風鈴の音に聴き入っていたの?」
「いいえ、ただ……」
佳恵の言葉は半分で、半ば切れた。少し間を置いて、「ただ……」の後が続いた。
「懐かしかったのです。昔、ご奉公していたお家で、朝顔を育てていて」
ああ、と樹生は思った。佳恵が、父に連れられて家に来る前のことだ。
「その頃は、よしちゃんのお母さんもまだご健在だったんだね」
「はい。小さいからって、そこの女中さんが……お琴さんという方なんですけれど、その方が私を随分と可愛がって下さって、私が寂しがって泣いたりすると、一緒のお布団に入れて寝かせてくれたりして頂きました」
今では、そのお琴という女中とも、日傘を差す佳恵は身分違いなのである。
「よしちゃんは昔から可愛い子だったからね。ただ可愛いというだけではない、愛されて育った可愛らしさだったよ。僕は珠のように清らかな子が来たと思って、驚いた」
「まぁ、樹生お兄さま」
「本当さ」
佳恵は恥じらいながらもどこか素直に嬉しそうに、クスクスと笑った。樹生は佳恵の背中に触れようとしてやめた。嫁に行く身の妹である。
佳恵は朝顔の家の前で、ふと足を止めた。風鈴の音に耳を澄ましているのか、朝顔を見ているのか。樹生は佳恵のすぐ傍に立って、朝顔に触れようとする手つきをした。夕方には萎む花である。
「綺麗だね」
樹生は言った。
「お家の人に頼んで、一輪分けてもらえないかな。源氏物語の夕顔のように……すぐに萎んでしまうだろうけれど」
佳恵は日傘の下で微笑んだ。
「押し花にすれば、永遠ですわ」
「よし、それじゃあ一声おかけしよう。すみません」
「嫌ですわ、樹生お兄さま」
佳恵はパタパタと、朝顔と風鈴の家の前を通り過ぎた。樹生も、その後をついていく。たったの数歩で、追いついた。
「どうして嫌なの?」
樹生は笑いながら、佳恵の顔を覗き込んだ。佳恵は染まった頰を隠そうとするように、顔を背けた。
「朝顔が欲しかったんじゃありません」
「風鈴の音に聴き入っていたの?」
「いいえ、ただ……」
佳恵の言葉は半分で、半ば切れた。少し間を置いて、「ただ……」の後が続いた。
「懐かしかったのです。昔、ご奉公していたお家で、朝顔を育てていて」
ああ、と樹生は思った。佳恵が、父に連れられて家に来る前のことだ。
「その頃は、よしちゃんのお母さんもまだご健在だったんだね」
「はい。小さいからって、そこの女中さんが……お琴さんという方なんですけれど、その方が私を随分と可愛がって下さって、私が寂しがって泣いたりすると、一緒のお布団に入れて寝かせてくれたりして頂きました」
今では、そのお琴という女中とも、日傘を差す佳恵は身分違いなのである。
「よしちゃんは昔から可愛い子だったからね。ただ可愛いというだけではない、愛されて育った可愛らしさだったよ。僕は珠のように清らかな子が来たと思って、驚いた」
「まぁ、樹生お兄さま」
「本当さ」
佳恵は恥じらいながらもどこか素直に嬉しそうに、クスクスと笑った。樹生は佳恵の背中に触れようとしてやめた。嫁に行く身の妹である。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる