名前を持たない君へ

くるっ🐤ぽ

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桜の章

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 せっかく過去が遠ざかったのに、俺は、再びシロツメクサとクロの元を訪ねていた。何となく、思い出したから、訪ねてみようかと、思った。
 クロが言っていたように、わざわざ客が訪れるような場所でもない。二人しかいないから、呼びかけるときにも、おい、の一言で足りるだろう。互いにつけた名前を、忘れているのではないかと思われて、その名前を覚えている自分が、意外だった。
 斧を振って薪を割る、痩せて、背の高いクロがいた。
「シロツメクサは?」
 土産に持ってきた来た酒を揺らしながら、俺はクロに問うた。このときも、やはり、おい、と呼びかけていた。おい、と呼びかけられたクロは、ごく自然に、顔を上げた。
「シロですか?」
「犬か?」
「シロツメクサですか?」
 クロは、厚みのない笑みを浮かべた。
「村に帰ったのか?」
「そうしたら、村の人たちが困ります。山菜を採りに行ってくれています」
「一人か?」
「危ない場所には入らないように教えているので、大丈夫です」
 ゆったりと答えたクロは、長い首を伸ばした。
「ちょうど、帰ってきました」
 シロツメクサは、以前より長くなった髪を、背中で束ねていた。背も、大分伸びている。少し俯いていた顔を上げて、俺と、クロを交互に一回ずつ、丁寧に見た。丁寧に見るのだったが、その視線に意味があるようには思えなかった。俺の方は、小さいばかりだったシロツメクサの外見の変化に、驚かされた。
「子どもの成長は早いなぁ、……幾つだよ?」
 シロツメクサは、答えなかった。黙って、山菜の入った籠を、クロに見せていた。クロは、籠の中の山菜を確かめるような目をしながら、言った。
「シロ、私の知り合いです。名前をつけるときに、立会人になってくれました。挨拶してください」
 クロに窘められるように言われると、シロツメクサは、俺に向かって頷くだけのようなお辞儀をして、家の中に入った。俺のことを覚えているのか、忘れているのか、歓迎されているのか、いないのか、分からなかったが、とりあえず、その日の晩飯は出された。
 その日の夜、クロと、酒を飲んだ。酒は、特別美味くはなかったが、飲みたい分は飲むことにした。俺もクロも、酒に酔える性質ではなかった。
「もう少し、早くいらっしゃれば良かったですね。梅の花が盛りでした」
 クロは、笑いながら言った。昔から、この国では桜をありがたがる風習があるが、クロの方は梅の花の方に惹かれるらしかった。その昔、流刑に処された主人を慕って追いかけたという、梅の精の伝説が好きだからでもあるのだろう。
 俺の方はといえば、花より団子だった。
「盛りだったか」
「盛りでした。……桜は、まだです」
「そうか」
「桜が満開になるまで、いたらいいじゃないですか」
「そうだなぁ……」
 猪口の底に見える、花の模様を見た。
 花よりは、団子だ。けれど、花を見れば綺麗だと思う。ただ、実際に見る花よりも、誰かが描いた絵の中の花の方が綺麗だ、とも思う。枯れることも、散ることも、触れることもできない花は、平坦に綺麗だった。
 桜を見るまで、ここで暫く、のんびりしていても良いような気がした。
「良いかもなぁ……」
 つい、そう答えたら、クロが予期していなかったほど嬉しそうな顔をしたので、特に撤回するつもりもなかったが、今更撤回するのも、悪い気がした。
「ゆっくり、していってください」
 ゆっくり、の言葉を、ゆっくり、クロは言った。
 片頬が、少し引き攣るのをごまかすように、猪口の中の酒を、口に含んだ。すぐには、飲み込まず、温い液体を口の中で転がした。クロの言っていた通り、もっと、早く来てやれば良かったかな、と思った。
 シロツメクサはその間、繕い物をしていた。会話に口を挟むこともなく、振り返っても笑うことなく、ひっそりと、そこにいた。針の穴に糸を通して、布にくぐらせて、引く。丁寧な仕事だった。俺が見ているのに気づいたらしく、ちらりとこちらを見たと思ったが、特に何を言うわけでもなく、興味を持った様子を見せるわけでもなく、再び目を伏せて、黙々と針を動かす。
「シロの、仕事か」
 クロが、自分でつけた名前なのに、シロツメクサを、シロ、と縮めて呼びかけていたので、俺もつられたのだった。
 シロツメクサは、答えなかった。何を繕っているのかも言わない。
「シロの、仕事です」
 クロが、代わりに答えた。こちらも、特に大きな意味を持ったことを、答えたという表情でもなかった。
 目を覚ますと、クロもシロツメクサもいないと思ったら、台所で、朝食の支度をしていた。クロは夜明け前に起き出して近くの川から水を汲み、それを使ってシロツメクサと料理をしているのだという。おかずなども、結構気の利いたものが出た。野菜は、家の裏にある畑で育てたものらしい。以前、味付けもされていない山菜と水だけを出されたことに比べたら、驚くほどの進歩だった。
 朝食の後、クロが家の裏にある、小さな畑を案内してくれた。屈んで、土を摘まんで指の間で擦り合わせた。悪くない土のようだった。
「何を育てている?」
「野菜です」
 クロは、分かり切っているようなことを、真面目に言った。すぐに気が付いて、言い足した。
「葱とか、大根とか、人参とか、そういうものです」
 クロは、俺の隣に屈んだ。
「シロは、育ち盛りのようです」
 クロは、言った。声は落ち着いていたが、どこか張り切っているらしい顔だった。
「ああ……背が伸びていて、驚いた。あんなに、伸びるものなのか」
「もう、一人で布団で寝ます」
「そうか」
「シロに馴染みかけたかと思ったら、離れていきました」
「そうか」
 クロの言った、馴染む、という言葉の意味が、一瞬分からなかった。けれどすぐに、昔、そのようなことを言っていたかもしれないと、思い出した。
「シロには、栄養のあるものを食べさせなければなりません」
「俺の言ったことだな」
「あなたの言ったことです」
「それもそうだな」
 立ち上がって、腰を伸ばした。クロも、立ち上がって、腰に手を当てて伸ばした。
 畑の奥の方に、大きな木があった。妙なところでくねって、幹の表面が荒れている。近づいて触れることを、ためらわせるような存在感が、目についた。
「シロの花です」
 俺は木を見ていたのに、クロが花と言ったのが、妙だった。
 花、と言われると、木の根元に、小さな、紫の花が咲いていた。言われなければ、気づかない。大きな木の下に隠されて、青く透けているようにも見える。
「シロの……?」
 ためらわれたが、近づいてよく見た。
「これは菫だろう」
「菫です」
 クロは、あっさりとしたものだった。
「けれど、シロが見つけたので、シロの花です。私は、何年もここに暮らしていますが、気づきませんでした。毎年、咲くようです。同じ場所に」
 クロは、力の籠った声で言った。
「シロの花です」
「たまたまシロがここに来たのと同じくらいに、ここに根付いただけかもしれないだろう」
 それを、これまたたまたま、シロが見つけただけだ。クロは、大げさなことを言っているのだと、思われた。
「でも、シロに言われて見てみると、毎年咲いていたようです」
 クロは、この場所に幾年どころか、幾十年棲みつきながら、毎年同じ場所に咲く、菫に気づかなかったというのか。それとも、菫が見つけてもらうのを待っていて、ひっそりと隠れていた、とでもいうのか。それを、シロが見つけた。呑気な話だった。
「シロは、シロの花を、とても大事にしているようです」
「そうか」
「いじめないでください」
 ふん、と言った。
 「シロの花」があるのなら、「クロの花」も、どこかに咲いているのだろうか。
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