名前を持たない君へ

くるっ🐤ぽ

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いぶし銀の章

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 勘定してみると、シロツメクサがクロのところに来て、二十五年が経っていた。おめでとう、とクロに言ってやったが、クロは何が、おめでとう、ということなのか分からない表情だった。言ってやった、とはいうものの、俺も、何が、おめでとう、なのか、実はよく分かっていなかった。とりあえず、知ったばかりのことを言った。
 銀婚式のことである。
「二十五年、という歳月を経て、銀のように磨けば磨くほど美しくなる夫婦、という意味があるらしい。お互いに、常からありがとうと言って、相手を敬い、いつまでも仲の良い夫婦でいましょう、ということだな」
「ふむ……」
 クロは、自分自身が銀のように輝いてはいないだろうかということを確かめようとするように、青い腕を出して、つねった。着物の袖の中に隠されていた腕は、他の場所と比べると、ゾッとするような青さだった。クロは、自分の腕を回し、手首を裏返して、その下の細い血管を辿るような目つきをした。
「シロ」
 クロが軽く投げかけるような調子で呼びかけると、シロツメクサが、前掛けで濡れた手を拭きながら、やってきた。俺たちは少し前まで、シロツメクサが台所でザブザブと野菜を洗う音を聞いていた。
「夫婦は、二十五年も経てば銀のように美しくなるそうです」
 クロは、かなり詰めた説明をした。すると、シロツメクサも、袖を上げた着物から覗く腕の色を確かめるように首を捻って見ようとするから、おかしかった。
「……銀のようには、光らないのね」
 シロツメクサは朗らかに笑ったが、クロは生真面目に、シロツメクサの手首を軽く取って、回して観察した。
「……光りません」
「銀っていうのは、例えだよ」
 俺は、笑いを堪えようとして、堪えきれずに肩を震わせながら言った。
「磨けば磨くほど、美しくなるという銀のように、仲の良い夫婦でいましょう、と、こういうことだ」
「なるほど」
 クロは、漸く納得したように、明るい表情をした。
「本当の銀のように光り輝く夫婦がいたら、眩しくて困りますね」
 声は軽やかだったが、クロは存外、真面目に言っているらしかったのが、またおかしかった。
「あなたたちは、本物の銀を見たことがあるの?」
 シロツメクサが言った。俺とクロの間にしゃがみ込んで、クロによく似た生真面目な表情だった。
「シロはないのですか?」
 俺よりも、寧ろクロの方が、驚いたように言った。
「ないわ……でも、光るのでしょう?」
「光ります。磨けば磨くほど」
 クロは言った。
「昔の言葉では、白銀、ともいいます。銀で作られた細工は、とても綺麗です。もっと珍しい、金……黄金というものもありますが、私は銀の方が綺麗だと思いました」
 クロは、言葉を続けた。
「昔、一人のお爺さんに会いました。ボロボロの家に一人で暮らしていましたが、寂しそうな姿が、なんとなく気になって見ていたら、向こうから声をかけてくれたのです。そこで雨水を溜めた水を湯のみに注いでもらって、飲んでいると、お爺さんが、箱を持ってきて、中身を見せてくれたのです。とても綺麗な、大きな箱だったので、どんな綺麗なものがどれほど入っているのだろうと、楽しみでしたが、中に入っていたのは、小さな簪が二本だけでした。それが、金の簪と銀の簪だったのです」
 クロの話を、シロツメクサは、物静かな表情で聞き入っていた。俺も、無意識に身を前に乗り出すようにして、聞いていた。俺はどうでもいいようなことを短い言葉でちょくちょく話すが、クロは、自分から語ろうとすることは、あまりない。そして、一度話し始めると、長くなってしまうので、聞いている方は疲れてしまうことがあったが、今回は、何だか、興味を引かれる話だと思われた。
「そのお爺さんは」
 クロの話は続く。
「震える手で、金の簪と銀の簪を一本ずつ、私によく見せるようにしながら、これは夫婦簪なのだと説明してくれました。金と銀、どちらかが、お爺さんの簪で、どちらかが、その奥さんの簪なのだということです。どちらがどちらの簪なのだという説明も受けましたが、それは忘れてしまいました」
 クロはそう言って、話を続けることに少し疲れた様子で、深く息を吐いたが、俺たちがまだ、クロの話に耳を傾けているのを見ると、ほんの少しは億劫そうに、けれど、懐かしむように話を続けた。
「奥さんは、海の底に棲む、身分の高い方のお姫様だったそうです。当時、まだ働き者も若者だったおじいさんは、その、お姫様の従者を、何かのきっかけで助けて、そのことに大変感銘なさったお姫様が、その若者を、海の底にある自分のお城に招き入れたそうなのです。その場所は、どんな一流の絵師も、筆を持ったままポカンとしてしまうような、美しい場所だったそうです」
 俺もシロツメクサも、黙って、クロの話を聞いていた。
「若者とお姫様は、海の底のお城で夫婦となりました。魚が踊り、珊瑚が輝き、美味しい料理が出され、どこかから、美しい歌声が聞こえてきます。楽しくないことはなかったと、おじいさんになった若者は言いました。けれど、三日もそこにいるうちに、帰りたくなってきました。家に一人残してきた、お母さんが、急に心配になったのです。パチンと、心地いい夢から覚めるように。そこで、帰らせてくれないか、とお姫様に言うと、お姫様は、泣いて引き留めました。ずっとここにいて欲しい、と乞います。私が嫌いになったのかと詰ります。あなたを愛しているのです、と訴えます。けれど、若者が熱心に頼むと、最後には折れてくれました。萎れた花のような表情で、自分を忘れないようにと、あの綺麗な箱を若者に渡してくれたのです。ただし、決して開けないように、と約束させました。そして、若者はお姫様の従者の背中に乗って、陸にある自分の家へ帰っていきました」
 クロはここで、再び言葉を切った。
「しかし、若者の家のあった場所には、古ぼけた、家とも呼べないような腐りかけた建物があるだけでした。それだけではありません。お母さんが、いないのです。近所の人も、友達も、皆いないのです。周りにあるのは、知らない土地と、知らない人々だけでした。使われていた言葉すら、違うようでした」
 クロは瞬きをして、滲むような微笑をした。
「若者が海の底で、美しいお城で美しいお姫様たちと美しい日々を送っていた間に、陸では何年も、何十年も経っていたのです」
 シロツメクサは、苦しそうな呼吸をした。
「それから……?」
 シロツメクサは、言った。
「それから、どうなったの?」
「それから……」
 クロは、一瞬、笑みを深くして、それから、少しずつ、無表情になっていった。穏やかな、無表情だった。
「お母さんがいません。近所の人がいません。友達がいません。知らない人、知らない土地ばかりです。そして、その知らない人たち皆が、自分に冷たいような気がするのです。寂しくなったのだと、若者だったおじいさんは言っていました。寂しくなって、奥さんになったお姫様との約束を破って、つい、渡された箱を開けてしまったのです。そうしたら、もう、と白い煙が立ち上って、若者は、おじいさんになっていました」
「それから……?」
 シロツメクサが、何か必死らしく、問うた。
「それから、おじいさんになった若者は、ずっと、自分の家だった場所で暮らしています」
 クロの話は、それで終わった。
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