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クロの花の章
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通りがかりの鹿に根から食われたと思っていた「シロの花」は再び咲くようになった。しかしそれが、娘が見つけた「シロの花」だとは分からない。どこかからやってきて咲いた、「誰かの花」ということもあるだろう。
最初、一晩の宿のお礼にと、娘の着物を一式くれた蜘蛛の女からは、それからも、毎年のように、新しい着物が一式、届けられた。娘の為の着物だけではなく、男の為の着物も包みの中にあった。
今年届いた娘の着物は、七宝の柄の、渋みのある桃色の着物と、紫色の帯だった。どちらも派手ではないが、美しい着物だった。七宝の柄は、すぐにそうとは気づかれないほど、巧みに意匠にされていた。毎年、代金も支払わずにこのような立派な着物を頂いて良いものかと、娘と話し合ったこともあったが、今はありがたく頂くことにしている。お宅のお嬢さんが私の作った着物を着ていらっしゃる姿を想像するのが、今年も幸せ、という内容の手紙が届いたからだった。
娘は、届けられたばかりの男の着物を広げて、男の胸に当てた。娘の着物を引き立たせる為に作られたと思われる男の着物からは、新しい匂いがした。
梅の花の季節に、煙管を持った客人が、今年は来ないだろうかと緩く待っていたが、今年も来る様子はなかったので、娘に届いたばかりの着物を着せて、花見に出ることにした。男も、新しい着物を着て、硬い帯を、締めた。
「クロは、どうして梅が好きなの?」
梅の木の下で、持ってきた弁当の蓋を開けながら、娘は言った。長い髪を綺麗な形に結っている。
「私は、桜も好きですよ」
「でも、梅の方が好きでしょう」
娘は、花のように笑っていた。
「主人の元へ飛んで行った梅の話を、シロはご存じでしょうか?」
男も、軽く笑みを浮かべながら言った。
「昔、あるお役人が優秀だったために偉い人からの妬みを買って、地方に飛ばされることになってしまったそうです。そのときそのお役人は、自分が愛した庭の木や、花々に、今までの感謝と、お別れの挨拶をしました。梅は、松とともに、大好きな主人の後を慕って追いかけました。その途中、松は力尽きてしまいましたが、梅は無事に、主人の元へたどり着きました。旅の途中、色々なことがあったでしょう。松が力尽きてしまったときは、悲しかったかもしれません。それでも、主人の後を懸命に追いかけた梅の話を聞いて、私は梅が大好きになりました」
男はそこまで説明して、軽く唇を閉ざした。
「もっとも、梅の花は、元々好きだったのです……小さくて、可愛らしくて、でも強くて」
「桜は?」
「桜も、綺麗なので、もちろん好きなのですが……」
男は、頭上の梅の花を見上げた。
「さっき言った話で、梅と松は主人の後を追いかけましたが、桜は主人を失った悲しみのあまり、枯れてしまいました」
「幻滅ね」
「はい。ガッカリしてしまいました」
主人の後を、追いかけようと思えば、追いかけられたのに、と思う。実際、梅と松は、そうしたのだ。松は途中で力尽きてしまったが、主人との別れを、ただ悲しんで、枯れてしまった桜に比べたら、よほどの忠義者だろう。しかし桜の弱さは、桜の美しさかもしれない。
娘が死んだとき、自分はその体を、優しい桜に受け入れてもらおうとするのか。強い梅か松に守ってもらおうとするのか。
煙管の客人は、自分の妻と呼ばれた女の体を埋めた場所を、男に教えていなかった。
最初、一晩の宿のお礼にと、娘の着物を一式くれた蜘蛛の女からは、それからも、毎年のように、新しい着物が一式、届けられた。娘の為の着物だけではなく、男の為の着物も包みの中にあった。
今年届いた娘の着物は、七宝の柄の、渋みのある桃色の着物と、紫色の帯だった。どちらも派手ではないが、美しい着物だった。七宝の柄は、すぐにそうとは気づかれないほど、巧みに意匠にされていた。毎年、代金も支払わずにこのような立派な着物を頂いて良いものかと、娘と話し合ったこともあったが、今はありがたく頂くことにしている。お宅のお嬢さんが私の作った着物を着ていらっしゃる姿を想像するのが、今年も幸せ、という内容の手紙が届いたからだった。
娘は、届けられたばかりの男の着物を広げて、男の胸に当てた。娘の着物を引き立たせる為に作られたと思われる男の着物からは、新しい匂いがした。
梅の花の季節に、煙管を持った客人が、今年は来ないだろうかと緩く待っていたが、今年も来る様子はなかったので、娘に届いたばかりの着物を着せて、花見に出ることにした。男も、新しい着物を着て、硬い帯を、締めた。
「クロは、どうして梅が好きなの?」
梅の木の下で、持ってきた弁当の蓋を開けながら、娘は言った。長い髪を綺麗な形に結っている。
「私は、桜も好きですよ」
「でも、梅の方が好きでしょう」
娘は、花のように笑っていた。
「主人の元へ飛んで行った梅の話を、シロはご存じでしょうか?」
男も、軽く笑みを浮かべながら言った。
「昔、あるお役人が優秀だったために偉い人からの妬みを買って、地方に飛ばされることになってしまったそうです。そのときそのお役人は、自分が愛した庭の木や、花々に、今までの感謝と、お別れの挨拶をしました。梅は、松とともに、大好きな主人の後を慕って追いかけました。その途中、松は力尽きてしまいましたが、梅は無事に、主人の元へたどり着きました。旅の途中、色々なことがあったでしょう。松が力尽きてしまったときは、悲しかったかもしれません。それでも、主人の後を懸命に追いかけた梅の話を聞いて、私は梅が大好きになりました」
男はそこまで説明して、軽く唇を閉ざした。
「もっとも、梅の花は、元々好きだったのです……小さくて、可愛らしくて、でも強くて」
「桜は?」
「桜も、綺麗なので、もちろん好きなのですが……」
男は、頭上の梅の花を見上げた。
「さっき言った話で、梅と松は主人の後を追いかけましたが、桜は主人を失った悲しみのあまり、枯れてしまいました」
「幻滅ね」
「はい。ガッカリしてしまいました」
主人の後を、追いかけようと思えば、追いかけられたのに、と思う。実際、梅と松は、そうしたのだ。松は途中で力尽きてしまったが、主人との別れを、ただ悲しんで、枯れてしまった桜に比べたら、よほどの忠義者だろう。しかし桜の弱さは、桜の美しさかもしれない。
娘が死んだとき、自分はその体を、優しい桜に受け入れてもらおうとするのか。強い梅か松に守ってもらおうとするのか。
煙管の客人は、自分の妻と呼ばれた女の体を埋めた場所を、男に教えていなかった。
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