儚く遠く、近いところから

くるっ🐤ぽ

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祐志

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「祐志くん、もしも、死んでしまった人が、自分の全然知らない姿で生き返ったら、どうする?」
 深澄からそう質問されたので、祐志ゆうじは、カノンのことを思い出した。

 そこは、地元でも比較的大きな本屋だった。看板には動物の擬人化されたキャラクターたちが描かれていて、張り切って「ようこそ!」というように両手を上げている。
 祐志は小さい頃、この看板に描かれている、可愛らしいはずのキャラクターたちの、ペロンと平面的な笑顔が怖くて、母にギュッと手を繋いでもらわないと店に入ることもできなかった。当時、祐志が夢の中で二本足で真っ直ぐに走ってくる動物たちの悪夢に苦しめられていた、という理由も大きいだろう。この看板のせいで、たまたまそういうイメージが祐志の幼い脳に刷り込まれて、夢に見てしまったのか、夢に見たから怖かったのか、それは定かではないのだが。
 とにかく、怖かったという記憶は残っている。それなのに、祐志はしょっちゅう、この本屋に行きたがった。看板さえ通り抜けてしまえば、この本屋は祐志にとって楽しい場所だったのだ。絵本の種類は豊富で、併設された小さなカフェには美味しいバニラのアイスクリームが売っている。
 だから祐志は、日曜日に母から、どこにお出かけしたい?と訊かれたとき、大抵の場合において、本屋さん、と小さな声で答えた。母は不思議だっただろう。祐志が本屋の看板に怯えていたことを、母は知っていたはずなのだから。祐志も、本屋さん、と答えた後、看板を思い出して泣きそうになった幼い自分を覚えている。もちろん、多少の記憶の誇張はあるだろうが。ペロンとした、平面的な笑顔。グリグリとした目。目に痛いほどカラフルな洋服を着た、キャラクターたち。
 高校生になった今となっては、もう本屋の看板に怯えてなどいない。中学生になった頃から祐志の身長はメキメキと伸びて、既に百八十センチを越している。どちらかと言えば痩せ型だが、竹刀を振るう腕は筋肉質だ。そんな息子に、本屋に入るたびにいちいち手を握られていれば、母は困るだろうし、精神的にも何かしらの苦痛を与えてしまうだろう。また、その必要がないことを、祐志は既に分かっている。
 もう、高校生なのだ。
 ただ、看板が怖かった、という感情を覚えているだけだ。看板など、怯えることはない。そんなものは、ただの目印だ。看板は、年月と共に段々と古くなっていくようだ。グリグリと迫ってくるようだったキャラクターたちの目の色は、今は寧ろ、くすんで、どこか優しげだった。
 看板に描かれた絵など、怖がるものではないのだ。
 だから祐志は、看板を殆ど無視して、本屋に入った。
 どんよりと曇り模様だった外から入ると、店内はじんわりと温かい。祐志は手袋を外して、コートのポケットに突っ込んだ。
 好きな小説家の新刊が、今日発売されるというので、買いに来たのだった。店内に入ってすぐのところに、本日発売の新刊が並べられている。祐志は早速、目当ての小説家の新刊を手に取った。ついでに、店内をグルリと見て回ろうかと思って、絵本コーナーから順に、店内を歩いて回った。
 文庫本コーナーで、深澄を見つけた。俯き加減の横顔と、小柄な背丈が儚げだった。大きな鞄を背負った、中学生らしき集団が深澄のすぐ後ろにいるのを見て、ぶつかる、と咄嗟に思った。
 危ない、と声を上げる前に、深澄が中学生の集団の脇を、危なげなく横切って、祐志の方に近づいてきた。小柄な上に、俯き加減だから、小さな体が更に小さく見える。ひょっとしたら、祐志がいることに気がついていないのかもしれないが、祐志の方に真っ直ぐに進んできていた。
「祐志くん」
 声をかけたのは、深澄の方だった。声をかけるときは、さすがに顔を上げている。俯いていながら、祐志の存在に気づいていたのだろう。眼鏡の奥に大切に守られているような目に、不思議な吸引力があるようだ。
「こんにちは。部活をしていたんだね」
「ああ、うん」
 祐志が背中に背負っている剣道の竹刀袋や防具を見ながら、深澄は言った。
「深澄ちゃんは?」
 深澄は数冊の本を抱えていた。無言で一冊ずつ、顔の前に掲げて祐志に見せる。小説が二冊と、漫画が一冊のようだった。三冊とも、タイトルも作者も知らないものだった。祐志が分からない風な顔をしていることに、深澄はどこか満足そうだった。
「祐志くんも、何か小説、買うの?」
「うん。これ」
 祐志は、先ほど手に取ったばかりの小説の表紙を深澄に見せた。天に向かって祈るように手を合わせる女性の彫像が、表紙に使われている。
「どんな話なの?」
「さぁ、それはまだ何とも……」
 祐志は、本の帯に書かれたあらすじを読みながら言った。
「落ちぶれた小説家の元に、夜毎、亡くなった人たちが現れる……若くして死んだ友人、昔の恋人、厳格だった父、それから妻……」
「怖い話なの?ホラーみたいな?」
「愛と祈りの物語って、紹介されているけれど……これから読むから、分からないな」
 もちろん、フィクションなのだから、書く内容は自由だろう。フィクションの中で人を殺そうが、死んだ人が生き返ろうが、魔法と呼ばれるものが登場しようが、自由だ。現実ではあり得ないことを、いかに現実で起こっていることのように書くのは、作者の一定以上の力量はもちろん必要とされるし、祐志は、その力量がこの作者にあると信頼している。
「祐志くんは、他にも何か買うの?」
「いや」
「私も、そろそろ帰るよ」
 その後、二人でレジに並んで、本を買って店を出た。
 帰り際、レジ袋を提げた深澄が祐志を振り返って言った。
「祐志くん、もしも、死んでしまった人が、自分の全然知らない姿で生き返ったら、どうする?」
「えっ?」
 祐志が買ったばかりの、小説の話だろうか、と思った。祐志は、首を捻った。自分の知っている人が死んでしまって、ただ生き返ってくる、というのなら、何となく想像できるような気がする。それを題材にしたフィクションなら、いくらでもあるだろう。
 しかし、自分の全然知らない姿とは、どういうことだろうか?死んでしまった人が生まれ変わって、目の前に現れたらどう思うか?ということだろうか?
「うーん……少し想像し難いことだけど、死んだ人にもう一度会いたいって、思う気持ちは分かる気がする。少しだけ、だけど」
 もちろんその言葉には、自分にとって重要な意味を持つ存在がいなくなってしまったなら、という言葉を付け加える必要があるだろう。
「少しだけ?」
「例えば、うちの犬」
 祐志は言った。
「犬飼ってたって、言ったっけ?」
 深澄は、首を左右に振った。
「寿命だったんだ。小学生の時に死んだ」
「悲しかったろうね」
「そうでもないさ。兄貴の腕に抱かれているうちに、眠るように死んだんだ。大往生だよ」
「そう」
「その犬には、もう一度くらい、会いたいかな。生まれ変わりというものを信じるなら、今頃、人間にでも生まれ変わっているかもしれないけど」
 じゃあね、と言い合って、祐志は深澄と別れた。

 久しぶりに、カノンのことを思い出した。深澄の言葉がきっかけだったかもしれない。
 カノンは中くらいの大きさの犬だった。フリスビーを投げると、咥えて持ってきた。頭を撫でると、尻尾を振って喜んだ。父が新聞を読んでいると、父の脇の下から顔を覗かせて、新聞との間に割り込んだ。それが羨ましくて、祐志も父を真似て、新聞を読むふりをした。すると、やはりカノンは、祐志の脇の下にグイグイ鼻面を押し込もうとしてきた。尻尾を、千切れそうなくらいバタバタいわせながら。
 兄が物心ついた頃には、既にカノンは家にいたというから、祐志が生まれた頃には既にそれなりの歳になっていただろう。カノンという名前は、ピアノ教室で働いている母がつけた名前だという。
 小学生になると、祐志は毎朝、父や兄と共にカノンの散歩をした。カノンは道に鼻先を押し付けるようにしながら匂いを嗅いでいた。糞をする前はその場でグルグルと回った。兄は糞の入ったビニール袋を、祐志の顔の前でぶら下げてはからかった。家に帰ってリードを外すと、カノンはゲージに突進していき、ピチャピチャと音を立てて水を飲んだ。
 歳を重ねるにつれ、カノンは段々と元気がなくなってきた。病気にもなった。それでも、カノン、と呼んで太ももを叩くと、カノンはクッションからのそのそ立ち上がり、祐志の脚に頭を擦り付けた。
 兄に抱かれながら、眠るように、カノンは息を引き取った。祐志はカノンの頭を撫でながら、暫くそのことに気づかなかった。カノンを抱いていた兄はきっと、カノンの心臓が止まったことにも気がついただろう。それでも、祐志が気付くまで、何も言わなかったのだ。
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