猫と珈琲と死神

コネリー

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受難のTVディレクター

唯一の目撃者

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六月十日 木曜日 午前九時

 殺害現場となったマンションを管轄する警察署の大会議室には、大規模な捜査本部が設置されていた。
 事件から二日が経ち、多数の捜査員が聞き込みや情報収集に当たっているものの、有力な目撃証言や手がかりが得られず、未だ犯人の目星はついていなかった。
 猫矢の死因は当初の見立て通り、腹部を鋭利な刃物で刺されたことによる出血性ショック死で、薬物や病気の反応は見られなかった。



 捜査員のほとんどが聞き込みへ出かけ閑散とした本部内には、黙々とメモの整理を行う志摩の姿があった。
 その隣に、早朝から聞き込みへ出ていた富澤が腰かける。

「おはようさん、何か動きはあったか?」

「あっ、富澤さん、お疲れ様です。先ほど入った情報ですが、防犯カメラの映像を解析した結果、犯人らしき人物はエントランスを通過した形跡が無いことが分かりました。マンション住人への聞き込みはすでに完了していますが、猫矢ノアと関わりのあった人物が居ないか、改めて聴取を行うとの事です」

「そうか……携帯の解析はどうなっている?」

「先ほど、スマホのロック解除に成功したという連絡がありました。通話履歴を遡って、猫矢と電話した者の事情聴取が手配できるかもしれません」

「よし、アポイントが取れたら連絡してくれ。聴取は俺がやる」

「わかりました」

 手短に情報共有を済ませると、富澤は聞き込みへと戻っていった。
 足早に捜査本部から出ていくその後ろ姿を見送り、志摩は再び手帳へ目を落とす。
 その脳裏には、昨日連れ帰った黒猫の事が浮かんでいた。



 猫矢ノアの飼い猫はよく躾けられていて、無駄に鳴き声を上げることもなく、志摩の両親にもすぐに懐いた。
 いつまでも黒猫と呼ぶ訳にもいかず、ひとまずクロという名前を付けた。
 クロは、志摩の自室に居候させているのだが、変な猫と称した通りに色々と珍しい行動をとって見せた。

 まず、一番驚いたのは人間のトイレで用を足すことだ。
 志摩がトイレを済ませて扉を閉めようとしたとき、クロがするっと入り込み器用に便座へ腰かけ用を足すと、「流せ」と言わんばかりに「ニャオ」と鳴いた。
 そんな訳で、わざわざ猫用のトイレをホームセンターで買って来たのだが、使う事なく新品のままだ。

 また、クロはコーヒーの香りが好きなようで、特に用のない時は近寄って来ないのだが、志摩がインスタントコーヒーを淹れるとそばにやってきて、うっとりとした表情で鼻をヒクヒクさせる。
 さらに、ふとした瞬間に志摩の顔をじっと見つめる事があり、その瞳は何かを訴えかけているようであった。
 富澤の言っていた『事件の唯一の目撃者』というのはあながち冗談ではないのかも知れない。

「俺に猫の言葉が分かればなぁ……」

 そう呟くと、志摩は再び事件メモの整理へと取り掛かった。
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