猫と珈琲と死神

コネリー

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五里霧中の依頼人

玉城ゆきな③

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「噂というのは、祖父が遺産の分配について、遺言状を遺しているんじゃないかというものだったんです」

「なるほど……遺言状ですか」

 確かに、仮に玉城の祖父が莫大な遺産を抱えているとなれば、生前に遺言状を作成していてもおかしくはない。

「何も無いようでしたら、普通は孫にまで遺産が渡ることはないのですけど、もし祖父が遺言状を遺していて、そこに分配の方法が書いてあれば、自分たちにも分け前があるかも知れないですから」

 果たして玉城家の遺産が一体どれほどのものなのか、志摩には想像もつかなかったが、少なくとも自分の貯金などとは比べ物にならないだろうという事は分かる。

「わたしの父やその兄弟が家の中をひっくり返したのですが、結局遺言状は見つかりませんでした。そうしたら、元婚約者がどこからか猫矢先生の事を調べてきて『お祖父さんの霊を呼び出させて、遺言状の在処を聞き出して来い』と言ってきたんです」

「なるほど、猫矢さんは守護霊と交信をしてのカウンセリングをされるのでしたね」

「ええ。でもわたし、そんな事を言い出す彼が信じられなくなってしまって……結局わたしに近づいたのは祖父の遺産が目当てだったんじゃないかと……」

 玉城は伏目がちに語った。
 つらい思いをしたのだろうが、すでに吹っ切れているのか、その表情は穏やかなままだ。

「それで、遺産のことを聞きに行くふりをして、猫矢先生には婚約者と別れた方がいいかどうかを相談しに行ったんです。もし祖父の霊とお話ができるのなら、何か助言をくれるんじゃないかと思って」

 祖父に相談するまでもないとは思うのだが、父の知人の息子という事で踏ん切りが付かなかったのだろう。
 自分とは縁の無いない世界の話だと思って聞いている志摩にも、そのあたりの複雑な事情はなんとなく理解できた。

「そうだったんですね……それで、相談に行かれた猫矢さんとは、どんなお話をされたのですか?」

「わたしが相談内容をお話ししたら、先生は『今日は守護霊無しで私が答える』と言ってアドバイスをくださったんです」

「えっ、それじゃあ、玉城さんの相談の時には霊能力を使われなかったと言う事ですか」

「そうなんです。猫矢先生は自分の言葉でお話ししてくださいました。もちろん『そんな男とはさっさと別れてしまえ』って言われましたけどね」

 玉城は苦笑いを浮かべている。
 猫矢の言う事はもっともだ。
 仮に、志摩が相談を受けたとしてもそう言うだろう。

 それにしても、猫矢が霊能力を使わなかったという点が腑に落ちない。
 俳優の玉響伸也へ披露したように、まだ話していない事実を次々と言い当てれば、今後の優良顧客になり得ただろうに。

「そのあとも色々お話をして、美味しいコーヒーもご馳走になりました。実は相談よりも雑談の方が長かったくらいなんです。可愛い猫ちゃんとも遊ばせてもらったし……あっ! そういえば猫ちゃんは!? 猫矢先生の猫ちゃんはどうなったんですか?」

 重大な事を思い出したように、玉城が勢い込んで志摩へ問いただして来る。

「あ……ああ、猫矢さんの黒猫なら、ウチで預かっていますよ」

「そうなんですね……良かった。とてもいい子だったので、どうなったんだろうってずっと心配だったんです……」



 どうやらクロは玉城のお気に入りだったようだ。
 そんな事ならば、クロなんて安直な名前を付けるんじゃなかった。

「あっ、すみません……話が逸れてしまいましたね。それで、猫矢先生の相談から帰ってすぐ、わたしは彼に婚約の解消を申し出ました」

「その時、婚約者の方はかなり抵抗されたのではないですか……?」

「そうですね……すごく取り乱して、わたしを訴えるとまで言い出したのですけど、母に間に入ってもらって何とかお別れできました」

「そうなんですか……それは大変でしたね」

「母はわたしの唯一の理解者で、婚約のことについても色々相談に乗ってくれていましたから。父にも上手に説得してくれましたし。本当に、わたし一人ではどうしようもなかったと思います」



 玉城の婚約解消にホッとするのも束の間、本来の目的である猫矢ノアの情報がほとんど聞き出せていない。
 核心へと迫る前に、志摩は一つ咳払いをして質問を続けた。

「玉城さんが相談に行かれた後、猫矢さんから電話があったと思うのですが」

「ええ、わたしがお邪魔した数日後に、彼との話がどうなったのか、心配して掛けてきてくださったんです。無事にお別れできたことをお伝えしたら『安心した』と言っておられました」

「また相談しに来てくれ、とかそういう話は出ませんでしたか?」

「そういう話は無かったと思います。『またコーヒーを飲みに来てちょうだい』と仰られたのは、社交辞令だと思いますし……」



 猫矢が唯一電話で連絡を取ったのは玉城だけだ。
 ところが、彼女の話を聞く限りでは単純に気に掛けていたからだったように思える。
 それどころか、霊能力も使わず親身に相談に乗ってアドバイスを送る、優しい女性の印象しか浮かんでこない。

「なるほど、分かりました。それでは最後に、これは形式的な質問なのですが、六月八日の午後七時頃、どちらに居られたか聞いてもよろしいでしょうか」

「はい……えーっと。あ、その日は家に居ました。ずっと自分の部屋でちょっとした作業を」

「その時に誰かご家族の方は在宅されていましたか?」

「居たとは思うんですけど……ちょっと分からないです、ゴメンなさい」





 玉城と別れ、帰りの列車に揺られながら、志摩は考えを巡らせていた。
 これまでの証言から抱いていたイメージとは、全くと言っていいほどかけ離れている猫矢ノアの姿に、彼の頭は混乱するばかりだった。

「玉城さんはただの相談者でしたね」

「ああ、恨みを持つのならむしろ、元婚約者の方だろう。間接的にではあるが、猫矢に相談させた事によって婚約を破棄されたんだからな」

 玉城からは一応、その元婚約者の連絡先も聞いてある。
 念のため、猫矢ノア殺害当時の行動は確認しておくべきだろう。
 玉城の元へ向かう列車とは逆に、帰りの道中は二人とも言葉少なめに窓の外を眺めていた。

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