私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー

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 そこへフレックがワックスクロスと軟膏を手に、浴室へ駆け込む。  

「お嬢様、言われた物を持ってきました!」  

「ありがとう」  

 それを受け取ったアレクサンドラは、ワックスクロスに軟膏を薄く塗り、患部を覆ってから布で固定した。  

 それからエミリを客間へ運び、ベッドに寝かせた。  

 その間にも、何人かの怪我人が屋敷へ運ばれてくる。  

「リンダ、エミリに声をかけて安心させてあげて。わたくしは他の人も診なければならないから」  

「わかりました。お嬢様、ありがとうございます」  

 リンダはアレクサンドラに深々と頭を下げた。  

 アレクサンドラはリンダをそっと抱きしめ、背をさすって落ち着かせると、再び浴室へ向かった。  

 浴室ではセバスチャンが対応していた。彼はアレクサンドラの姿を見つけると、慌てて駆け寄る。  

「お嬢様、ご指示をください。私の手には余る事態でございます」  

 アレクサンドラはセバスチャンを落ち着かせ、火傷の処置について一つひとつ指示を出した。  
 次いで蒸留酒を持ってくるよう命じる。  

「蒸留酒? 負傷者に?」  

「違うわ。手指を清めるためよ。処置の前に必ず手を浸して」  

「わかりました。お嬢様がそう仰るなら、そのようにいたします」  

 セバスチャンは他のメイドたちにも同じように指示を伝え、作業に取りかかった。  

 その日、アレクサンドラは夜通し、負傷者の対応にあたった。  

 火事の様子も気になったが、次々に運ばれてくる怪我人を前に、それどころではなかった。  

 翌朝。客間のソファでうたた寝していたアレクサンドラは、目が覚めるとすぐに負傷者の様子を見て回った。  

 その中には、メイドのクレールもいた。  

「クレール! 大丈夫なの?」  

「はい、お嬢様。腕に少し火傷を負っただけです。私なんかよりひどい村人がたくさんいます」  

「それでも、あなただって怪我をしているんだもの。大丈夫なんかじゃないわ」  

 クレールは唇を震わせ、目に涙を浮かべた。  

「私、助けたくて叫んだんです。でも火の回りが早くて……」  

「大丈夫よ。あなたはよくやったわ。とにかく休みましょう、ね? ロザリーの休暇が明けるころだもの。ロザリーと交代でしばらく休むといいわ」  

 クレールは瞳を潤ませながら深々と頭を下げた。  

「お嬢様、ありがとうございます」  

「いいのよ」  

 そう言ってアレクサンドラは外へ出た。  

 火はすでに鎮まっていたが、焼け跡が広がり、あたり一面に砂が散っていた。  
 焼け落ちた家々の前で途方に暮れる人々を目にしたアレクサンドラは、モイズに戻ることなどできないと悟った。  

 シルヴァンとアリスにこの件を伝えるよう命じると、アレクサンドラはテオドール宛に書簡をしたため、物資の送付を依頼した。  
 それをセバスチャンに託し、使者の帰りを待つ間もエミリとリンダの容態を見守り、次々に必要な対策を打った。  

 家を失った村人たちの仮設の家も建てなければならない。  
 人員も物資も、そして資金も必要だった。  

 そこへ、アリスがモイズ村へ戻るという連絡が届いた。  
 別れの挨拶もできなかったことを詫びる手紙も添えられていた。  

 アレクサンドラは、逆にこんなことになってしまったことを申し訳なく思いながら、丁寧に返事を書いた。  

 しばらくして、セバスチャンが慌ただしく駆け込んできた。  

「お嬢様、殿下が……!」  

 アレクサンドラは机の上の請求書に視線を落としたまま答える。  

「わかりました。殿下もモイズ村にお戻りになったのね」  

「いや、僕は残る」  

 その声にアレクサンドラは顔を上げ、部屋の入口を見た。  
 壁にもたれ、腕を組んだシルヴァンが不機嫌そうに立っている。  

「殿下?!」  

「君は、この大事に僕が逃げ帰ると思ったのか?」  

「そんな……殿下は尊きお方ですもの。逃げ帰ったなんて考える者はいませんわ」  

 シルヴァンは優しく微笑んだ。  

「みながみな、君のように考えるならいいのだが。それに、君が一人で頑張っているのを置いて戻れるわけがないだろう」  

「ですが殿下、これはわたくしの、デュカス公爵領で起きた大事ですもの。わたくしが対処するのは当然ですわ」  

「違う。僕らは仲間だろう? 仲間が困っていたら助けるものだ。それに……今回の件で、かなり資金を使ったのではないか?」  

 アレクサンドラが言葉を詰まらせると、シルヴァンは彼女の横に歩み寄り、机の上の請求書を手に取った。  

「このお金はどうやって捻出するつもりだったんだ?」  

「それは、お父様にお願いして……」  

「だが。この酒代は払ってくれるかな?」  

 シルヴァンがそう言って蒸留酒の請求書を掲げる。  

 アレクサンドラは、非常時にお酒を買ったと咎められるのだと思い、身構えた。  

「それは必要なものだったと説明すれば、わかってもらえますわ」  

「そうかな? 時間をかければ公爵も理解するかもしれない。だが、追加で支援を求めたとき、すぐに払ってくれるとは限らない」  

 アレクサンドラはむっとして言い返した。  

「でしたら、わたくしのドレスでもアクセサリーでも、なんでも売って払いますわ」  

「そうじゃないだろう? そんなときのために僕がいるんじゃないか。僕ならこれぐらい払える」  

「どういうことですの?」  

 アレクサンドラが不思議そうに見上げると、シルヴァンは悲しそうに微笑んだ。  

「僕はただ、君が困っているときに頼りにしてもらいたいだけなんだがな」  

「なぜですの? わたくしは殿下にそこまでしてもらうわけにはいきませんわ」  

「だから言っただろう? 僕らは仲間なんだって。それに僕は君のことが――」  

「レックス!! 大丈夫か?!」  

 大声で飛び込んできたのはダヴィドだった。  

「ダヴィ?! あなたにはモイズ村に戻るよう馬車を手配したはずなのに、どうしてここに?」  

「こんなときに一人で戻るなんてできるかよ。って、王子?! なんでここに?!」  

 シルヴァンは振り返らず、横目でダヴィドを見ただけで前を向いたまま答える。  

「お前と同じ理由でここにいるんだが?」  

「そ、そうですか……さすがです! 愛する女性のために残られたんですね。レックス、よかったな!」  

「ダ、ダヴィったらなに言ってるのよ! 変なこと言わないで、殿下にも失礼だわ!」  

 アレクサンドラは顔を赤らめ、視線を逸らした。  

 シルヴァンはそんな彼女を見て、わずかに笑みを浮かべた。
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