26 / 46
26
しおりを挟む
「ダヴィド、君は事情をよく理解しているようだな」
シルヴァンの穏やかな声を、アレクサンドラが流れを変えるように口を挟んだ。
「ダヴィ、それより慌てていたようだったけれど、何かあったの?」
「あぁ、そうだった。屋敷の前に大量の物資が届いてるんだ。それに兵士たちも」
その言葉に、シルヴァンが静かに振り返る。
「それは僕が手配したものだ。物資も人員も」
そしてアレクサンドラの方へ向き直り、やわらかな口調で続けた。
「勝手に準備を進めてしまったけど、怒らないでくれよ? ここでの総指揮は君だ、レックス。僕はその立場を奪うつもりはない。人も物も、君の判断で好きに使ってくれて構わない」
アレクサンドラは一瞬だけ彼の意図を測りかねた。だが、この非常時に裏をもって動くはずがないと思い直し、静かに頷いた。
「殿下、ありがとうございます」
「君こそ、僕を信じてくれてありがとう」
二人はしばらく見つめ合うと、微笑んだ。
こうしてシルヴァンの援助を得たアレクサンドラは、資金も人員も不足なく整い、徹底した対策を取ることができた。
エミリが火傷を負ってから一週間が過ぎ、感染の兆候もなく順調な経過を見せていた。
火災が起きたのは祭りの最中だったが、現場は会場から離れていたため、幸いにも怪我人は少なかった。重度の火傷を負った者もおらず、アレクサンドラの冷静な判断と的確な処置が功を奏し、人々の傷は癒えていった。
残念ながら、エミリの火傷は痕が残るかもしれないが、それ以外の後遺症はないだろう。
火災の原因は不明のままだが、かまどの周囲が激しく燃えていたことから、残り火による出火だと考えられた。
さらに二週間後、アレクサンドラの献身的な治療とシルヴァンの支援により、村は少しずつ日常を取り戻していった。
三人で村を歩いていたとき、アレクサンドラは改めて口を開いた。
「こんなに早く復興できたのも、殿下のおかげですわ。皆、とても感謝していました」
「違うだろう、レックス。僕は人と物を用意しただけだ。それをどう生かしたかは君の知識と判断だ」
そう言ってシルヴァンは少し言葉を切り、まっすぐアレクサンドラを見つめた。
「殿下? どうかなさいましたの?」
「君は、その知識を一体どこで得た? この国の賢人でも、そこまで具体的な治療法を知る者はいない。君は一体……」
アレクサンドラは焦って答えた。
「本ですわ! 本で読んだのです!」
「本? そんな書物があるのか? それはどんな本だ?」
「いえ……どこで読んだのかは忘れましたわ」
シルヴァンは小さく笑った。
「君は嘘が下手だな。だがいい。秘密があるのだろう。君が何者であれ、僕は構わない。君は君だ。それだけで十分だ」
その優しい言葉は、アレクサンドラの胸に響いた。
「それにしても、今回の君の功績は本当に大きい。父上は、なおさら君を手放さないだろうな」
その言葉に驚き、慌てて質問する。
「殿下、それはどういう意味ですの?」
「言葉どおりの意味だ。そろそろモイズ村に戻ろう。ダヴィド、君の家族も心配しているだろう」
呼びかけられたダヴィドは、何か考え込んでいたようで返事が遅れた。
「ダヴィ? どうしましたの?」
アレクサンドラの声に、ダヴィドははっとして顔を上げる。
「あ、あぁ……すまない。少しぼんやりしていた」
「らしくないわね。色々手伝ってくれたものね、疲れたのでしょう? モイズに戻ったらゆっくり休んで」
「そうだな、そうさせてもらうよ」
ダヴィドはそう言って小さく笑った。
アレクサンドラは少し気になったが、彼が話したいときに話してくれるだろうと、それ以上は問わなかった。
ブラウリーツ村に長く滞在したせいで、モイズ村でのダム建設がどう進んでいるのかも分からない。ダヴィドもそのことで思い悩んでいるのかもしれない。
そう考えながら、三人は帰路を急いだ。
モイズ村への帰還は、三週間ぶりだった。
朝早くに出発し、夕暮れにようやく屋敷が見えてくる。玄関前にはアリスとイライザが並んで立っていた。
その光景を見た瞬間、アレクサンドラは胸の奥がざわついた。アリスがイライザに何かされていないか、心配でならなかった。
「ご無事でよかったですわ!」
馬車を降りた途端、アリスが涙を滲ませて駆け寄ってきた。だが、その前にイライザが一歩進み出て、彼女を押しのけるように立ちはだかる。
「アレクサンドラ、無事に戻ってきたのね。しかも殿下までご一緒とは」
押されたアリスはよろめき、地面に膝をついた。そして、驚きの表情でイライザを見上げるが、イライザは彼女を一瞥もしない。
アレクサンドラはため息を飲み込み、笑顔をつくった。
「ごきげんよう、イライザ。ええ、おかげさまで無事に戻れましたわ」
そう言ってアリスに手を差し伸べる。
「アリス、大丈夫? 怪我はないかしら?」
「は、はい。大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
スカートについた埃を払って立ち上がると、アリスはそっとアレクサンドラの手を握り返した。
イライザは鼻で笑い、芝居がかった口調で言う。
「あら、アリス。いたのね。気づかなかったわ。ごめんあそばせ」
そして今度はシルヴァンへと向き直り、優雅に裾をつまんでカーテシーをした。
「デュバル公爵令嬢、堅苦しい挨拶はいい。久しいな」
「はい。お久しゅうございます、殿下」
イライザはゆっくり顔を上げ、完璧な笑みを浮かべた。
シルヴァンの穏やかな声を、アレクサンドラが流れを変えるように口を挟んだ。
「ダヴィ、それより慌てていたようだったけれど、何かあったの?」
「あぁ、そうだった。屋敷の前に大量の物資が届いてるんだ。それに兵士たちも」
その言葉に、シルヴァンが静かに振り返る。
「それは僕が手配したものだ。物資も人員も」
そしてアレクサンドラの方へ向き直り、やわらかな口調で続けた。
「勝手に準備を進めてしまったけど、怒らないでくれよ? ここでの総指揮は君だ、レックス。僕はその立場を奪うつもりはない。人も物も、君の判断で好きに使ってくれて構わない」
アレクサンドラは一瞬だけ彼の意図を測りかねた。だが、この非常時に裏をもって動くはずがないと思い直し、静かに頷いた。
「殿下、ありがとうございます」
「君こそ、僕を信じてくれてありがとう」
二人はしばらく見つめ合うと、微笑んだ。
こうしてシルヴァンの援助を得たアレクサンドラは、資金も人員も不足なく整い、徹底した対策を取ることができた。
エミリが火傷を負ってから一週間が過ぎ、感染の兆候もなく順調な経過を見せていた。
火災が起きたのは祭りの最中だったが、現場は会場から離れていたため、幸いにも怪我人は少なかった。重度の火傷を負った者もおらず、アレクサンドラの冷静な判断と的確な処置が功を奏し、人々の傷は癒えていった。
残念ながら、エミリの火傷は痕が残るかもしれないが、それ以外の後遺症はないだろう。
火災の原因は不明のままだが、かまどの周囲が激しく燃えていたことから、残り火による出火だと考えられた。
さらに二週間後、アレクサンドラの献身的な治療とシルヴァンの支援により、村は少しずつ日常を取り戻していった。
三人で村を歩いていたとき、アレクサンドラは改めて口を開いた。
「こんなに早く復興できたのも、殿下のおかげですわ。皆、とても感謝していました」
「違うだろう、レックス。僕は人と物を用意しただけだ。それをどう生かしたかは君の知識と判断だ」
そう言ってシルヴァンは少し言葉を切り、まっすぐアレクサンドラを見つめた。
「殿下? どうかなさいましたの?」
「君は、その知識を一体どこで得た? この国の賢人でも、そこまで具体的な治療法を知る者はいない。君は一体……」
アレクサンドラは焦って答えた。
「本ですわ! 本で読んだのです!」
「本? そんな書物があるのか? それはどんな本だ?」
「いえ……どこで読んだのかは忘れましたわ」
シルヴァンは小さく笑った。
「君は嘘が下手だな。だがいい。秘密があるのだろう。君が何者であれ、僕は構わない。君は君だ。それだけで十分だ」
その優しい言葉は、アレクサンドラの胸に響いた。
「それにしても、今回の君の功績は本当に大きい。父上は、なおさら君を手放さないだろうな」
その言葉に驚き、慌てて質問する。
「殿下、それはどういう意味ですの?」
「言葉どおりの意味だ。そろそろモイズ村に戻ろう。ダヴィド、君の家族も心配しているだろう」
呼びかけられたダヴィドは、何か考え込んでいたようで返事が遅れた。
「ダヴィ? どうしましたの?」
アレクサンドラの声に、ダヴィドははっとして顔を上げる。
「あ、あぁ……すまない。少しぼんやりしていた」
「らしくないわね。色々手伝ってくれたものね、疲れたのでしょう? モイズに戻ったらゆっくり休んで」
「そうだな、そうさせてもらうよ」
ダヴィドはそう言って小さく笑った。
アレクサンドラは少し気になったが、彼が話したいときに話してくれるだろうと、それ以上は問わなかった。
ブラウリーツ村に長く滞在したせいで、モイズ村でのダム建設がどう進んでいるのかも分からない。ダヴィドもそのことで思い悩んでいるのかもしれない。
そう考えながら、三人は帰路を急いだ。
モイズ村への帰還は、三週間ぶりだった。
朝早くに出発し、夕暮れにようやく屋敷が見えてくる。玄関前にはアリスとイライザが並んで立っていた。
その光景を見た瞬間、アレクサンドラは胸の奥がざわついた。アリスがイライザに何かされていないか、心配でならなかった。
「ご無事でよかったですわ!」
馬車を降りた途端、アリスが涙を滲ませて駆け寄ってきた。だが、その前にイライザが一歩進み出て、彼女を押しのけるように立ちはだかる。
「アレクサンドラ、無事に戻ってきたのね。しかも殿下までご一緒とは」
押されたアリスはよろめき、地面に膝をついた。そして、驚きの表情でイライザを見上げるが、イライザは彼女を一瞥もしない。
アレクサンドラはため息を飲み込み、笑顔をつくった。
「ごきげんよう、イライザ。ええ、おかげさまで無事に戻れましたわ」
そう言ってアリスに手を差し伸べる。
「アリス、大丈夫? 怪我はないかしら?」
「は、はい。大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
スカートについた埃を払って立ち上がると、アリスはそっとアレクサンドラの手を握り返した。
イライザは鼻で笑い、芝居がかった口調で言う。
「あら、アリス。いたのね。気づかなかったわ。ごめんあそばせ」
そして今度はシルヴァンへと向き直り、優雅に裾をつまんでカーテシーをした。
「デュバル公爵令嬢、堅苦しい挨拶はいい。久しいな」
「はい。お久しゅうございます、殿下」
イライザはゆっくり顔を上げ、完璧な笑みを浮かべた。
136
あなたにおすすめの小説
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
殺された伯爵夫人の六年と七時間のやりなおし
さき
恋愛
愛のない結婚と冷遇生活の末、六年目の結婚記念日に夫に殺されたプリシラ。
だが目を覚ました彼女は結婚した日の夜に戻っていた。
魔女が行った『六年間の時戻し』、それに巻き込まれたプリシラは、同じ人生は歩まないと決めて再び六年間に挑む。
変わらず横暴な夫、今度の人生では慕ってくれる継子。前回の人生では得られなかった味方。
二度目の人生を少しずつ変えていく中、プリシラは前回の人生では現れなかった青年オリバーと出会い……。
本日、貴方を愛するのをやめます~王妃と不倫した貴方が悪いのですよ?~
なか
恋愛
私は本日、貴方と離婚します。
愛するのは、終わりだ。
◇◇◇
アーシアの夫––レジェスは王妃の護衛騎士の任についた途端、妻である彼女を冷遇する。
初めは優しくしてくれていた彼の変貌ぶりに、アーシアは戸惑いつつも、再び振り向いてもらうため献身的に尽くした。
しかし、玄関先に置かれていた見知らぬ本に、謎の日本語が書かれているのを見つける。
それを読んだ瞬間、前世の記憶を思い出し……彼女は知った。
この世界が、前世の記憶で読んだ小説であること。
レジェスとの結婚は、彼が愛する王妃と密通を交わすためのものであり……アーシアは王妃暗殺を目論んだ悪女というキャラで、このままでは断罪される宿命にあると。
全てを思い出したアーシアは覚悟を決める。
彼と離婚するため三年間の準備を整えて、断罪の未来から逃れてみせると……
この物語は、彼女の決意から三年が経ち。
離婚する日から始まっていく
戻ってこいと言われても、彼女に戻る気はなかった。
◇◇◇
設定は甘めです。
読んでくださると嬉しいです。
戦場から帰らぬ夫は、隣国の姫君に恋文を送っていました
Mag_Mel
恋愛
しばらく床に臥せていたエルマが久方ぶりに参加した祝宴で、隣国の姫君ルーシアは戦地にいるはずの夫ジェイミーの名を口にした。
「彼から恋文をもらっていますの」。
二年もの間、自分には便りひとつ届かなかったのに?
真実を確かめるため、エルマは姫君の茶会へと足を運ぶ。
そこで待っていたのは「身を引いて欲しい」と別れを迫る、ルーシアの取り巻きたちだった。
※小説家になろう様にも投稿しています
貴方なんて大嫌い
ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と
いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている
それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い
ご安心を、2度とその手を求める事はありません
ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・
それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望
クズ男と決別した私の未来は輝いている。
カシスサワー
恋愛
五年間、幸は彼を信じ、支え続けてきた。
「会社が成功したら、祖父に紹介するつもりだ。それまで俺を支えて待っていてほしい。必ず幸と結婚するから」
そう、圭吾は約束した。
けれど――すべてが順調に進んでいるはずの今、幸が目にしたのは、圭吾の婚約の報せ。
問い詰めた幸に、圭吾は冷たく言い放つ。
「結婚相手は、それなりの家柄じゃないと祖父が納得しない。だから幸とは結婚できない。でも……愛人としてなら、そばに置いてやってもいい」
その瞬間、幸の中で、なにかがプチッと切れた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる