私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー

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「ん? どうした」

 シルヴァンが不意にこちらを見て微笑んだので、アレクサンドラは動揺を悟られまいと、慌てて顔を背けた。

「な、なんでもありませんわ」

 そんなアレクサンドラをシルヴァンは優しい眼差しで見つめた。

 そんな甘い雰囲気を壊すようにエクトルが口を開く。

「それよりお姉様、あの『ヴォー男爵』殿が叙爵式じょしゃくしきで王都に行くのなら、お姉様も王都に戻らないといけないんじゃないですか?」

「確かにそうね。本当はモイズ村から離れたくないけれど、噂話のこともあるし、一度は戻らないといけないわねぇ」

 それを受けて、シルヴァンは言った。

「いや、ダムの建設もあとはギルドの連中に任せれば問題ないだろう。レックスが王都に戻るなら、僕も戻ろう」

「はいぃ?」

 エクトルが素っ頓狂な声を出した。

「なんだエクトル、なにか不都合でも?」

「えっ、いえそういう訳ではありませんが……まさか殿下までお戻りになるとは思っていませんでしたので」

「当然だろう、ダヴィドの叙爵式じょしゃくしきに僕も出たいからな」

 エクトルはあからさまにがっかりした顔をした。

「はぁ……」

 だが、そのシルヴァンの意見にアレクサンドラも驚いていた。

「あの、殿下? 本当に一緒に王都へお戻りになるのですか?」

「うん、それに僕の婚約者が変な噂を立てられているんだ。それについて一緒に調べるのは当然のことだろう」

 そこでエクトルがもう一度素っ頓狂な声を出した。

「こ、婚約者?!」

 アレクサンドラは慌てて答える。

「殿下?! その件はお断りしたはずですわ!」

「そうだったかな? だがそれを了承した記憶はない。さて、ダムの建設がもう少し落ち着いたら王都に戻る準備をしなければな」

 そう言うと、シルヴァンは歌を口ずさみながら楽しそうに自室へ戻っていった。

 エクトルは不貞腐れた顔で呟く。

「やっぱり、こんなことじゃないかと思ったんです……」

「エクトル、大丈夫よ。あれは殿下の冗談よ。婚約の約束を本当にしたわけではないですわ」

「本当にそうですか? 僕には冗談に聞こえませんでしたけど。それに、いつから殿下と冗談を言い合える間柄になったんですか?」

 そう言われ、アレクサンドラは確かにそうだわ、いつからかしら? と思い首を傾げる。

 そんなアレクサンドラを見て、エクトルは深いため息をついた。




 次の日の午後、イライザが訪ねてくるとムッとしたように開口一番こう言った。

「あなた、王都へ戻るんですって?! しかも殿下もご一緒なさるって本当なの?!」

「え? えぇ、そうですわ。でも、どなたから聞きましたの?」

「そ、そんなことどうでもいいじゃない。それではわたくしの計画が……」

「計画? 計画ってなんですの?」

「な、なんでもありませんわ」

 そのとき、エクトルが駆けつけるとアレクサンドラとイライザの間に入り笑顔で言った。

「やぁ、デュバル公爵令嬢。こんにちは。今日はなにをしにこちらまで?」

 イライザは一瞬怯んだように一歩後ろへ下がると、エクトルを見上げいつもの調子を取り戻したように落ち着いた様子で答える。

「あ、あら、ごきげんよう。それはもちろん、殿下に会いに来たに決まってますわ。一応この屋敷の住人に挨拶を、と思って立ち寄っただけですの」

 エクトルはイライザを怪しむように見つめる。

「『一応、挨拶』ねぇ。では今は僕がここに滞在していますから、今後は姉ではなく僕に挨拶をしてください」

 するとイライザは不満そうな顔をしたが、気を取り直すとにっこりと微笑む。

「いいえ、今後はその必要はなさそうですわ。だって殿下は王都へ戻られるのでしょう? アレクサンドラも。なら、わたくし、もうこちらに来ることはありませんわ」

 そう言ってドレスの裾を翻して部屋を出ていった。

 その背中を見つめ、エクトルが呟く。

「……やっぱり、あの人も諦めないんですね」

「それはそうよ、彼女だって真剣なんですもの」

 そう答えるアレクサンドラの顔を見て、エクトルは苦笑した。

 こうしてアレクサンドラたちは一度王都へ戻ることになり、その準備に追われた。

 ダヴィドは最後の最後まで叙爵式じょしゃくしきよりもダム建設のほうが気になると、王都行きを渋った。だが、そんなことが許されるはずもなく、シルヴァンに強制的にでも連れて行くと言われ観念したようだった。

 アリスにも王都へ戻ることを話すと、実はアリスも父親に冬のシーズンには王都へ戻るよう言われたそうで、トゥルーシュタットで夏を過ごしたのち王都に戻ってくるとのことだった。

 そうして王都で会う約束を交わすと、アリスはトゥルーシュタットへ発っていった。

 アレクサンドラにはモイズ村を発つにあたって一つ不安なことがあった。それはダヴィドの母親、エレーヌのことだ。

 荷積みを終えたと報告を受けたアレクサンドラは、ダヴィドにエレーヌはどうするのか確認することにした。

 一緒に王都へ連れて行くにしても、エレーヌにそんな体力があるか不安があったからだ。

「エレーヌは大丈夫なの?」

 馬車に乗り込む前にダヴィドにそう声をかけると、ダヴィドは苦笑しながら答える。

「それが、おふくろは残していくことにしたんだ。少し恥ずかしい話なんだけど、おふくろのことを支えてくれる人物が現れたんだ」

「あら、素敵じゃない!」

「おふくろの幼馴染みのカジムってやつなんだけど、ずっと昔から一途におふくろのことを思ってたみたいで、結婚したあとも諦めなくて……」

「ダヴィド!」

 その声にダヴィドは振り向くと、少し困った顔をする。

「おふくろ、見送りはいいって言ったのに」

 エレーヌはダヴィドに駆け寄り、ダヴィドの頬を両手で挟み撫でた。

「これからしばらく会えないんですもの、見送りぐらいさせなさい」

 そう言うと、改めてアレクサンドラの方へ向き直った。

「お嬢様、うちの息子がここまで立派に成長できたのはお嬢様のおかげです。それに私の命も救ってくださって、本当にありがとうございます」

 そうして深々と頭を下げた。

「そんなことありませんわ。ダヴィは才能がありますもの。それに命を救ったなんて大げさですわ」

 そのとき、エレーヌの背後に一人の男性が立っていることに気づいた。

 その男性の顔を見て、アレクサンドラは息を呑む。それは、かつてアレクサンドラを殺そうとしたあの『カジム』だったからだ。

「あなた、カジム……」

 するとカジムは不思議そうにアレクサンドラを見つめた。

「あの……お嬢様にお会いしたのは、初めてだと思ったのですが?」

 その声を聞いた瞬間、アレクサンドラは確信した。目の前にいるのは、間違いなく『あのカジム』だと。

 だが、その瞳にはあの夜のような憎悪はなかった。

 代わりに、静かな光と長い年月を経てようやく得たかのような穏やかさが宿っていた。

「レックス、カジムを知っているのか?」
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