『狂人には恋の味が解らない』 -A madman doesn't understand love-

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1.I want you to notice.

第九話

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 ユリウスはドンと前に出されたお粥に言葉を無くしていた。目の前にはアレクセイがスプーンにすくった熱いお粥に息を吹きかけ、まるで子供に行うかのように口の前まで持ってくる。

「ここ数日こればっかりじゃねぇか。要らねぇって」
「アリアさんが朝早くから起きて作ってくれたんですよ。心無いことを言わないでください」

 そう言われてしまえば、仕方ないと言わんばかりにユリウスは口を開けて食べ始めた。難しい顔をしているユリウスに、アレクセイは美味しいですかと尋ねてくる。

「普通」
「美味しいくせに」

 そう言ったのはこのお粥を作ったアリアだ。ドヤァと言わんばかりに胸を張り、ふふんと得意げに口元を釣り上げた。

「私のとっておきの秘伝味」
「普通のお粥だろうが」
「ほうほう、ミルク粥が普通のお粥と言うのかのぅ? 肉だと嫌がるし、魚でも嫌がる。何を出せというんじゃ。このバカ舌……猫が味音痴な時は何ていうんじゃろうか」
「知るか」

 ジト目でユリウスを見るのはマリア。アリアが腑に落ちないと言わんばかりにユリウスを見ている。二つの視線に射抜かれ、ユリウスはため息を零した。

「わかったって。美味しいって」
「この言わされてる感が腹立つのぅ」
「むかつく。やっぱり川の字の刑」
「うっ」

 ユリウスが逃げようとするが、アレクセイが押さえつけた。
 このクソ野郎共と毒づいたユリウス。その様子を見た三人はとても満足そうに笑っていた。
 ユリウスがお粥を全て平らげたのは昼下がりだ。アレクセイが食べ終えた鍋を回収していき、部屋には一人となる。脱走する気力はもうなかった。
 部屋から出してもらえないユリウスが何気なく外の景色を見ていれば、制服を泥だらけにした騎士の男性が逃げるように走っていく姿を見つける。

「あー」

 ユリウスが心当たりのある人物だった。泣きそうな顔になりながら、彼は森の中へ駆けて行った。
 いきなり専任騎士になったアレクセイに不満を持っていたやつだ、と。

「あいつ、竹刀でコテンパンにされたな。堅物に手を出すから……」
「目には目を歯には歯をですかね。貰った制服を汚された分は仕返ししたかったので」

 突然聞こえたアレクセイの声。ユリウスはびくりと大きく体を震わせた。

「お前、いつから!?」
「あなたがぼーっとしていたので、こっそり入ったんです。うん、熱も下がりましたね」

 さも当たり前のようにユリウスの額に触れて、彼は優しい笑みを携えた。

「俺を子供扱いしてねぇか?」
「そりゃそうでしょう。発熱してるのに川の中を歩くのもどうかと思いますが、夜間逃げ出そうとしたり。終いにはトイレに行く振りをして、窓から逃げようとしたのは誰ですか」
「うっ」

 全て心当たりがあり、ユリウスは思わず視線を逸らした。

「風邪の治りも遅かったですし、意外と体が弱いのですから。本当に気をつけてください」
「俺だって、こんな体質になりたかったわけじゃねぇよ」

 ユリウスは拗ねたように呟けば、アレクセイは上着を一枚着せてきた。

「無茶はしないでください。心配しますから」
「ふん」

 小さく息を着くユリウス。無理やり休まされた体は確かに調子が良い。再びベッドに転がるユリウスを見て、アレクセイは安心したように笑った。

「そういえば、アリアさんたちが明日城へ行く準備をしなくてはと言っていましたが」
「あー……」

 忘れてたとユリウスが呟く。

「明日は豊穣祭があって、領主として呼ばれてる。お前に言うの忘れてた。すまない」
「いえ、発熱していた貴方を閉じ込めていたのは俺たちですから。豊穣祭ですか?」
「ああ。まあ、貴族のパーティだな。食事も大しておいしくねぇし」
「毎日ベリー系ばっかり食べている人に調理人も言われたくないと思いますが」

 アレクセイの言葉にユリウスは、「お前、本当にアリアたちに似て来た」と眉をひそめた。

「俺は心配して言っているんですから、少しは色んなものを食べてください」
「どれ食べても同じだろ」

 ユリウスの言葉にアレクセイは眉間にしわを寄せた。

「食生活の問題というよりも、貴方の場合はもっと食を楽しみましょう」
「そんなもん、腹に入れば同じだろ」
「前に肉を食べていた時に顔をしかめていたのは、苦手だからですか?」
「それがなんだっていうんだよ」

 しつこいぞとユリウスはベッドの上で転がる。アリアやマリアよりもこいつはたちが悪い。
 そっぽを向いて、これでもう何も言わずに下がるだろうと思っていたユリウス。すると、キングベッドがギシリと音をたてた。ふっと影が差し、そちらに視線を向ければ、ムスっとしたキングベッドに座ったアレクセイがユリウスを見下ろしていた。

「おい、ちけぇって。お前、一応は俺がここの領主だって知っているか?」
「俺はアリアさんたちや騎士団の一部の人に貴方の体調管理役を任されました。おいそれと命令を無視することはできません」
「堅物すぎるだろ」
「貴方は無頓着すぎるんです」

 小さくため息をついて、アレクセイはそっと手を伸ばしてくる。ゴツゴツとして指がユリウスの額に触れていく。ひんやりと冷たい手のひらを感じていれば、彼はくすりと笑う。

「額に触ると、前はとても怯えていたんですが……今はそれが無くなりましたね」
「うるせぇぞ。お前は何がしたいんだ」
「したいことはたくさんあります。けれど、今はこのままがいい」
「ふうん」

 そっと髪の毛をかき分けてくる手をぼんやりと眺め、その奥に見える青い瞳。

「ユリウスさんって意外とされるがままですよね。アリアさんとマリアさんにしても」
「あの二人は特別だからな。俺と同じだから」
「じゃあ、俺も特別ですか?」
「は?」
「俺が何をしても、貴方は何もしてこない」

 ユリウスは答えに詰まり、そっと目を逸らした。

「お前は違う。あの二人は俺と同じで、俺よりも酷い環境にいたからだ」
「酷い環境?」
「お前、最近やけに質問が多いぞ」
「俺は貴方のことをあまり知りませんから。たくさん知りたいと思っただけです。好きな色、好きな本……好きな天気は?」

 お前またそれかとユリウスは呟くが、アレクセイはやはり優しい表情でじっと見つめている。一瞬だけアレクセイを見たユリウスだったが、その視線が恥ずかしく感じ、思わず目を逸らした。暫くしてもその視線が変わらず、呆れながらもユリウスは小さな声で言う。

「多分、雪の日」
「どうしてです?」
「静かだから」

 天気のことなど考えたことなどなかった、とユリウスは思う。
 晴れの日も雨の日も。いつもどこかで大きな轟音と悲鳴を聞いた。雪の日は音が消えて、あたり一面は雪景色に変わる。雪が周りの音をかき消して、気が付けば静寂の中にいる。戦争中だというのに、あまりの静けさにほっとした自分自身がいたのを思い出す。

「真っ白な中にぽつんとユリウスさんがいると、雪ウサギみたいですね。可愛い想像になりましたかね」
「お前、ぶっ殺されたいのか」
「あはは!」

 アレクセイが面白おかしく笑っている。ここまで笑う姿はなかなか見たことがなく、どこが面白かったんだろうかとユリウスは思う。

「そういうお前はどの天気が好きなんだよ」
「俺は晴れの日ですね。俺は港町の出身で、晴れた日の海はとても綺麗でした」
「ふうん……」
「ユリウスさんは海を見たことはありますか?」
「俺は一度だけある。戦争で海岸を走ったぐらいだ」
「じゃあ、会っているかもしれませんね」
「そう、だな……」

 どうして、お前はそんなに楽しそうでいられるんだ、とユリウスは思う。目の前に国をめちゃくちゃにしたやつがいるのに、どうしてそんなに綺麗に笑えるのだろうと。今でもひもじい思いをしている人がいる。今でも戦火から逃れるために、必死に生き繋いでいる人がいるのに。
 アレクセイはそんなユリウスの視線に気が付いたのか、ふっと笑った。

「ユリウスさんは、戦争がはじまる前に故郷の港町の人間がどうやって生き延びていたと思いますか」
「藪から棒になんだよ」
「俺たちの国は度々増える税収で食べるのもやっとでした。上の人間が全部奪ってしまったんです。やっと手に入った手のひらぐらいの食料を一週間家族みんなで分けて食べるんです。そのせいで、亡くなった方も多かった」

 ユリウスは息を呑んだ。

「魚を釣り上げても国が持って行ってしまって、子供たちはこっそり船の上で食べたりしていました。海の資源も尽きてきて、取れるのは小魚ばっかりで」
「おい、それは……」
「大人たちは黙っていてくれたんです。政府に見つかれば、恐らくは罰則でした。けど、みんながこっそりと食べて生きて来た。ひもじい思いで、でも……」

 彼はふっと笑って、ユリウスへ手を伸ばした。そっと触れる額。そして、後ろに流れる様に頭を撫でられる。
 抵抗する気も起きず、ユリウスはされるがまま。怯えも、震えもなく、ただ、目の前のアレクセイを見つめているだけだった。
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