『狂人には恋の味が解らない』 -A madman doesn't understand love-

odo

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2.Born to sin.

第十七話

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 やっと傍に行けた。
 ずっと傍にいると思っていた。雪が溶けて、春がやってきて、新芽が青々とする夏がきて、雪が降って。
 また雪が溶けたら、彼にもう一度婚約を持ちかけようと思った。幼い頃からの夢だった。彼が何度も男だぞと言う姿を思い出す。
 けれども、決して彼は批判の言葉を口にすることは無かった。
 彼が突然いなくなり、居ても経ってもいられなかった。
 本当は傍にいてずっと仕えていたかった。できれば、彼の隣で過ごしていたかった。
 あわよくば、彼を腕に抱いてみたいとも思っていた。

 実際、キスをしてみても嫌がる様子も恥ずかしがる様子もなく、ただただ反応がない。
 けれども、飴玉の味を少し理解してくれるようになってきてから、彼の様子は変わっていった。ほんの少し触れただけで赤らめる頬を眺め、もしかしたら好いてくれたのではと期待していたアレクセイがいた。
 けれども、そんな事はなかった。

 アリアが泣きながら全てを話してくれた。
 元々、告白しにやってきたアレクセイをここの領主として目をつけていたこと。アレクセイが冗談でユリウスのことを好いていると思っていたこと。一年経って逃げればそれまでと考えていたらしい。そのことにアレクセイは憤怒するが、対象の人物はもう傍にいなかった。

 彼は不治の病を持っていて、領地を全てアレクセイに渡そうとしていたらしい。そして、本人が失踪し、悪い領主だったと噂を広めて、アレクセイの地位を確固たるものにしようとしたこと。
 そこまで聞けばある意味、彼自身の人生を棒に振る詐欺だと思っていただろうが、アレクセイは青いノートを見て、酷く心をかき乱した。

 それからは業務をアルに全て押し付けて、アレクセイは白髪の男性の情報をギルド中心に聞いて探した。
 なかなか見かけない風貌のせいか、グスタン国で見かけたと武器商人から聞いた時には頭が鈍器で殴られたようだった。
 その後、アレクセイはアレクセイ・メーガンと名乗ってグスタンに入国する。元々、メーガンは母親の性で本当の名前だった。

 内戦で状態の酷いグスタン国を転々とし、北部で最後に見たと言われ思われた土地。激戦地からは離れてはいるが、治安はそこそこ悪い。アレクセイは何度か剣を抜いて、黙らせてきた。


 もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。
 そんな面持ちで目的地へ着いたアレクセイ。しかし、医師に白髪の男性を紹介され茫然としていた。
 戦争の被害者たち、もしくは兵隊たちを治療する診療所。いや、死を待つだけの人を看取るための場所。
 そんな場所に、ずっと傍に居たいと思い続け、焦がれた人がいたのだから。
 その男性を隠していた顔の布が外された。

「ユリウスさん……!」

 思わず駆け出し、患者を踏まないようにと前へ進んだ。
 周りの患者には目も向けずに。そこには見慣れたはずの姿がいた。つやのあった髪は見る影もなくぼろぼろになり、元々やせていた頬も今では骨のようにかくばって、ぐったりとして動かない体は人形のよう。まるで捨てられたごみのように、人々の中にぽつんと埋もれていた。
 彼の体が五体満足で無事な事を確認し、そこから抱き上げた。周りの人に見られないように、白い髪にぼろぼろのフードをかぶせた。あまりに状態が酷かった。血が腐ったような臭いもするし、彼が数か月前まで笑っていた面影もなかった。
 アレクセイは彼の口元についた血を拭き取る。吐血したばかりだったのだろう。血は乾いていなかった。

「激戦地の北部の方で戦っていたそうだ」
「なんで」
「さあ、他国の者の考えなどはわからんよ。戦況がひっくり返ったあたりで、魔力の壊死を起こしたそうでな。不治の病だ。魔力が体を内部から壊死させていく。元々、魔力壊死の症状を持っていたのかもしれんが、死に急ぐ奴のことはわかりはせん。まあ、彼らのおかげでこの内戦もそろそろ終わるだろう」

 老人が眺めたのは戦争が作り出す地獄絵図だった。アスファルトの裂け目から冷たい風が入り込み、怪我した人々を冷やし苦しめる。まれに聞こえる呻き声。
 視界の中で小さな子供が大きく息を吸い込んで、こと切れたように動かなくなった。
 ぐっと唇を噛み締めたアレクセイは、ただ目の前の老人に頭を下げただけだった。

 アレクセイは自分のコートを彼にかけて抱えたまま馬車に戻っていた。老人の管理する書類の引き取り人にサインするだけで、ユリウスはアレクセイの元に帰ってきた。
 何も言わずにいてくれた運転手に高額な金額を払った。所詮、賄賂だった。彼にお願いしたのは秘密にしてもらうこと、そして、何も言わないでほしいと依頼していた。

「すみません。ナンブールへお願いします」
「わかったよ。ここらは少し道が悪いから揺れるぞ。中の羽毛布団と炎の魔石を使いな」
「ありがとうございます」

 全く動かない白い人。吹雪は相変わらず視界を遮る。持ってきていた毛布にユリウスを包み、アレクセイは自分の頬を殴った。そっと抱き寄せ、彼をただ無言で抱きしめた。

「ユリウスさん……どうして、相談してくれなかったのですが」

 返事はなかった。ただ、彼が生きている証拠の呼吸だけが響き渡り、アレクセイはまだ彼が生きていると小さく息をついた。
 アレクセイの瞑った目から涙がこぼれて、頬を伝い落ちた。それがユリウスの頬の上で弾ける。


 グスタン国の馬車は良く揺れた。品質の良くない道路がガタガタと荷台を揺らす。凍った路面でまれに馬車が滑る。
 それでも、腕の中で動いている心臓の音にアレクセイは酷く安心した。
 アレクセイがユリウスを探し終えた日、グスタン国で長く続いていた内戦が終わりを告げた。
 運転席に置いてあった風の魔石から、ゲリラをしていた国民の勝利を告げる。嬉しそうに語る国民の防衛軍が語っていた。

 アレクセイは全く動かないユリウスを抱きしめていた。
 白い雪が積もっていく。馬車はそれをなんとか乗り上げたり、踏みつけたりして雪を越えて進む。冷たい身体を暖めていれば、少しずつぬくもりが生まれてくる。馬車の内部が炎の魔石のおかげか暖かくなってきた。
 あそこにいるよりはマシだろうとアレクセイは思った。

「俺じゃやっぱりだめでしたか。俺には貴方を痛めつけて殺せないから」

 小さな呟きに答える者はいない。そっと頭に頬を寄せるが、反応はなかった。アレクセイの小さく吐き出した息が白くもやのように散っていった。
 アレクセイは騎士コートのポケットを漁り、そこから青いノートを取り出した。アレクセイが好きな物探しに悩むユリウスにあげたもの。
 最初こそは身の回りの好きなものが書かれていた。

 けれども、後半になるにつれて、それは特殊染みてくる。
 好きと書かれた項目はアレクセイのことばかりだった。まるで、小さなノートに書き記された愛の告白だ。
 最後に書かれていた、『頬にキスをすると慌てるアレクセイ』の文字。
 それを眺め小さく息をついて、アレクセイは更に抱きしめる力を込めた。

「寒いですね……貴方をこんなところにずっと一人置き去りにした。貴方の騎士なのに」

 その時だった。小さくかすれた声にアレクセイははっとして腕の中を見つめる。
 フード越しでも分かるうっすらと開いた赤い瞳。アレクセイはあっと驚いた顔を向けた。しっかりとこちらを見る視線。ただ、声はかすれて聞くことはできない。

「ユリウスさん、俺の声が聞こえますか」

 頷くこともなく、けれども、じっと見つめる赤い視線にアレクセイは泣きそうな顔で笑った。

「これから、ナンブールに向かいます。戦争は終わりましたよ」

 そう伝えれば、腕の中の人物は目を瞑って、体の力を抜いた。思わず名を呼んで声をかけたが、彼の心臓が動いていると気が付き、アレクセイは酷く安心した。
 アレクセイは腕の中に彼を抱いたまま、冒険を続けた。
 ベリーを口の中にいれようとしても、それはぽろっと口から出て、床に落ちてしまう。
 アレクセイはベリーを咀嚼し、彼の口に流し込んだ。水も同じように与えれば、生きる意思はあるのか、こくんと喉が動く。飲み込んだ姿にアレクセイは酷く安心した。
 冬は終わりを迎えている。雪深い道はいつしか泥にまみれ、ぬかるんだ道。馬車はゆっくり進む。

「見てください。雪解けが近いです。約束覚えていますか」

 返事はない。
 ただ、アレクセイは語りかける。

「一年間守ったら、婚約してくれると言いましたよね。もうすぐで一年です」

 楽しみですとアレクセイは笑った。
 ベリーやお粥だったり、栄養のあるものを咀嚼してどろどろな物を少しずつ口から彼の口へ流し込んだ。唇で触れれば、多少なりとも魔力をあげられるのをアレクセイは知っている。
 それが何日も続いた。
 いつしか、雪の横道は水が流れ、横道に小さな茶色い川を作りあげている。レンガの路面が顔を覗かせていた。そんな雪解けの近い道。白いうさぎが馬車に驚いて、雪原の中に消えていった。

「ユリウスさん。見てください。白うさぎです。目が赤くてユリウスさんみたいですよ」

 ぐったりとして動かないユリウスに今日もアレクセイは語り掛ける。
 時折、体に触れて体を動かしたり、マッサージを繰り返すが、彼が話したりすることはない。
 たまに気だるげな視線を寄越すことはあるが、それは本当にまれだった。昏々と眠り続けるのが主だ。
 けれども、アレクセイは必死に看病した。

「ユリウスさん、好きです。本当に好きなんです。自分の国がめちゃくちゃになっていても、俺は貴方の傍にいたかったんです。だから必死で貴方を追って、あの国に入ったんです。それなのに、貴方って人は」

 腕の中のぬくもりを抱きしめて、アレクセイは必死で伝えた。
 
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