『狂人には恋の味が解らない』 -A madman doesn't understand love-

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3.It’s not the love you make. It’s the love you give.

第三十三話

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 夢の中だった。
 またこの夢だとユリウスは思う。

 狭い白い室内。やってきたのは五人ほどの男性たち。
 傍らには、つい先程までユリウスを助けようとしてくれていたグスタン国の兵士の亡骸が転がっていた。
 五人の男たちは亡骸を踏みつけて、こちらにやってくる。迎撃しようと炎の魔法を使おうとすれば、胸の激痛が走り、その場に蹲った。このままではいけないと思わず体を必死によじって壁の隅に逃げる。
 手は何本も何本も追いかけては掴もうと伸び、聞きたくもない笑い声が聞こえる。
 魔法で迎撃しようとしても、全ての魔法は発動しない。
 激しい肺の痛みが魔法を邪魔する。やがて、頭と肩を強い力で抑え込まれ、下駄な男の笑いと共に手は体の至るところに触れていく。
 やめろと叫んでも口を塞がれ。視たくないと目を閉じても、こじあけられて。
 叫ぶ声は漏れることない。相手の手を噛みちぎろうとしても、できるはずはなく。
 蹴りで抵抗しようにも、相手が体重を乗せれば、あっという間に身動きができなくなる。男たちが嗤う。聞きたくもない言葉。殴られて、蹴られて。痛みを全てシャットダウンした。
 助けてほしい、もう一度会いたいと浮かぶのは一人だけだった。
 逃げようと必死で手を伸ばす。けれども、すぐに力強く髪を引っ張られた。
 誰かがもう遊ぶのをやめようかなど、ごみを捨てると言わんばかりに簡単に言った。思い切り突き飛ばされ、仰向けで身体を叩きつけられる。
 誰かの手の一つが大きな剣を振り上げた時、ようやく魔法が発動できた。
 辺り一面は一瞬で氷結した。肺が激しく痛み、その場で吐血する。魔力の制御ができなかった。辺りを確認するために起き上がる。

「あ……」

 何本もの手が凍り付き、嗤った姿のまま男たちもまた凍り付いたまま。
 真っ白な部屋も氷漬けとなり、ぽつんと一人氷結した世界に取り残された。
 ユリウスを守ろうとしていたグスタン国の兵士たちも凍らせてしまっていた。その氷を溶かそうと魔法を使おうとする。しかし、肺が痛み、その場で咳き込む。

「楽になればよかったのにね」

 ふと聞こえたのは、本来ここにはいないはずの少女の声だった。
 振り返れば、見覚えのある少女の姿。長い白髪を揺らして、青い瞳はじっとこちらを見ている。アナスタシアだった。
 感情のない目は死んだように己を見ていた。

「兵器が感情を持つなんて、バカみたい。私たちは兵器だよ。人間にはなれない化け物なの。どうして、貴方は感情を持ってしまったの? とても辛いことなのに」

 そして、彼女は撃たれた。

「やめろ……」

 そのまま、彼女は暗闇の中に落ちていき、見えなくなった。
 代わりに青いノートがぽつんと残される。ユリウスが感情を、味を、好きを知ることになったきっかけ。それを拾いあげたのは夢で投影された己自身だった。彼は感情のない目で、それを何の躊躇もなく破り捨てた。

「もうやめてくれ!」

 叫ぶと同時に――
 世界が切り替わった。白い室内から、見慣れた船の天井。波の音に窓から射し込む青白い月明り。海の揺れ。
 そして、心配そうな顔をしたアレクセイがユリウスの顔を覗き込んでいる。ユリウスは呼吸を整え、ゆっくりと起き上がった。
 部屋は月明りだけが反射しており、彼の青い瞳が月の明かりに照らされて、美しく輝いていた。

「アレク、セイ」
「デッキにでましょうか」

 返事もなく、アレクセイが壊れ物を扱うように腕を掴んできた。酷い動悸のせいで返事ができない。
 彼はまるで子供を抱きかかるように軽々と俺を抱き上げる。驚くことはもうやめた。体格差が違いすぎる。
 そのままデッキの方に向かえば、月明りが海を反射していた。雲ひとつ無い空には数多の星は瞬く。

「よいしょ」

 そっとデッキに座らされ、毛布をかけられる。茫然としていれば、彼が当たり前のように傍らに座り、そっと肩を抱き寄せて来た。
 聞こえるのは波の音だけ。船を叩く波の音。風の音が時折帆を揺らし、ユリウスの髪を撫でていった。
 そして、傍らの存在が安心させるように、ぬくもりを与えて来ていた。何も言わずに月だけを見つめている彼。
 先ほどまでは息が詰まりそうだったのに、今は傍らの存在で安心してしまっていた。思わず頭を傍らに預けてしまえば、彼がくすっと笑う。
 何とか会話をしようと、ユリウスは小さな声で言う。

「神聖兵器の件、驚いたか?」
「それはまあ……ですが、納得したのも事実です」
「そうか」

 ロンが明かしたこと。誰にも伝えていないアルター国の王族だけが知る事実。
 けれども、アレクセイの「ユリウスさんが兵器だとしても、俺にとってのユリウスさんはユリウスさんなので」と言ってくれた。
 その言葉でどれだけ救われたか。

「明日、ヘーゼルに到着するそうです。そこで国境を通過するために情報を得てから、次の都市に移動します。やっと、アルター国に入れますよ」
「なあ、アレクセイ」
「はい?」
「今日も一緒に寝てくれるか?」

 彼の顔がみるみるうちに赤くなる。その様子に思わず笑ってしまった。

「いいですよ。でも、変な事はしないでくださいよ」
「変な事? くすぐったりすることか。それなら、大丈夫だ」

 アレクセイは両手で顔を抑え、「ああもう」と呟く。
 意味が分からない。そっと彼の顔を覗き込めば、青い瞳がまじまじとこちらを見つめている。

「おい?」
「まあいいです。ユリウスさんはそのままでいてください」
「は?」

 本当に意味がわからない。
 彼は手を伸ばしてきた。そして、まるで子供を相手するように頭を撫でてくる。その意図がわからず、じっと睨みつければ、彼は小さく笑っただけだった。

「今日は寝ましょうか」
「ああ。ありがとう。アレクセイ」

 アルター国へ戻る。戻って、公爵に戻るのか。それとも、このまま誰かに地位を渡して、静かにこっそりと暮らすのか。
 どちらにせよ、無断で消えたことに関して、兄から苦言を言い渡される恐れがある。
 そう考えれば、憂鬱な気持ちが強まる。いっそのこと、アレクセイと婚約した事をはっきり言ってしまい、本当に彼を公爵にしてしまった方がいいのではないかと考える。その前に男同士で婚約はできるのか。考えればキリがなかった。
 立ち上がったアレクセイが手を差し伸べてくる。その手を掴めば、彼はいとも簡単に引き起こしてくれた。

「なあ、アレクセイ」
「はい」

 けれども、まだ言うには早いかと、ユリウスは言葉を飲み込んだ。
 アレクセイは何か言いたそうにしたが、「早く眠りましょう」とだけ言う。彼らしい不器用な優しさにユリウスは小さく笑った。




 次の日になり、船は大きく揺れていた。
 雨が降り、強い風によって船の上は慌ただしい。いつもなら、メアリの手伝いをしているアレクセイもロンに引っ張り出され、船の帆を張りに呼び出されていた。メアリの傍にはユリウスだけがぽつんと居る。
 今日は魔力の測定日だった。

「うん。魔力も安定してきてるね。もう病は治ったよ」
「ありがとうございました」
「おうよ。でも、お礼なら、アルター国から迎えに来たアレクセイに言ってやりな。そういや、ナンブールから出る前にセツブにいた医者の爺さんからあんたのカルテを貰ったんだ。あんた、夜寝れてるかい? ずっとアレクセイが傍にいて、聞けなかったんだが」

 ユリウスは突然の言葉に詰まる。メアリはすぐにそれを理解して、小さく息をついた。

「睡眠薬も出しておこうかと思ったんだが、私も今のまま離れるのは不安でね。ヘーデルからアルター国へ入るんだろ?」

 メアリの言葉にユリウスは小さく頷く。

「私の息子もアルター国にいるみたいでね。ちょっと探してから、目的地へ行こうかなって思ったんだ」
「メアリさんもアルター国へ?」
「そうだよ。ちょっと安心するだろう? ロンも初めて行くから、見てみたいってさ。軽い旅行のようなものさ。船旅の移動ではなくなるけども」
「俺のせいですみません」

 小さく頭を下げれば、メアリは「大袈裟だね」と苦笑した。

「私は息子の顔を見るために行くんだよ。あんたはその次。あんたは一番自分自身に気を使いなさい。アレクセイがいるから大丈夫だとは思うけれどね。あんまり皮膚を太陽に当てたりするんじゃないよ。あんたの場合、炎症するかもしれない」
「大袈裟ですよ」
「大袈裟ってわけじゃない。あんたはもうちょっと自分を労わりな」

 髪の毛を整えられながら、ユリウスは呆気に取られる。やがて、メアリの手がぴたりと止まり、頬に触れた。

「ほら、ここ皮膚炎になってる。ちょっと帽子が短いのかねぇ。もう少しつばの大きい帽子探してみようか」
「あ、の……」
「ああ、すまないね。あんまり触られるのは苦手だったか。我慢しておくれよ」

 そうこう言っている内にクリームを塗られ、ユリウスはそうじゃないと首を振る。

「メアリさんは、どうして俺みたいなやつにもそうやって治療できるんだ」
「ん? ユリウスは自分をどういう奴だと思ってるのさ」
「それは……」
「ロンを見習いなよ。周りに何を言われたのかわからないけれど、あんたはあんただ。それを忘れちゃいけないよ。ほら、一応クリームつけたから。太陽に当てるんじゃないよ。アレクセイにも言っておくから」

 メアリはそういって、帽子を被せて来た。ユリウスは何も言えなくなり、小さく頷くだけだった。

「あんたが神聖兵器にしろ、私は目の前の人を治療するだけだからね。あんたは私の航海仲間。同じチームだ。私たちはチームだろう?」

 そうほほ笑むメアリに、ユリウスは俯いて、「はい」と小さな声で返事をする。声が震えないか不安だった。メアリはぽんっとユリウスの帽子に触れ、「書類整理、得意だろ? 手伝っておくれよ」と言う。
 ユリウスは泣きそうな顔で小さく頷いた。
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