『星の旅』

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『星の旅』

『星の旅』

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 ――ある日、ある男の友が、男の身代わりになって死んだ。

 神は死ねない掟があるから、お前は死ぬべきではないと誰しもが口を揃えて言った。
「こんな物などいらない!」
 男は人間たちの前で『神』として必要な仮面を投げ捨てた。
 人間たちは誰もが驚いた。
 神だったものが『神』を捨てた瞬間だった。
 そして、男の眠れない日々が続いた。
 友が枕元で「お前のせいで! 俺は死んだのだ! お前と出会ったせいで!」と責めてくるのだ。
 その度に男ははっと夜中に飛び起きる事となる。
 星々は瞬き、死から逃げた男を嘲笑っているようだった。





「旅に出たい」
 男は祖父に伝えた。
 眠れずに夜を過ごした男は隈を作り、今にでも死んでしまいそうだった。
 男の父親は、男が生まれてすぐに亡くなり、彼にとっては祖父だけだ。
 祖父は何度もダメだと伝えた。
 しかし、日が何度も上がっては沈みを繰り返し、数か月後とその変わらない男は願い出てきた。
「お前の望む物は旅では手に入らない。それでも行くのか」
 男はすっかりやせ細り、神ですらなくなっていた。
 仮面がなくなった男は、神の名を持っていたとしても、もう人間そのものだ。
 祖父は思った。きっと、生きている内に二度と会う事はないだろうと。
 死んでも良いと願うのならば、自由に星の様に世界を見て回るといいだろう。
 そう思った祖父は彼を行かせる事にした。
 神の名を持つ祖父の唯一の優しさだった。
 男はまるで解放された鳥のように生まれ出た故郷を去っていく。
 夕焼けの中、太陽の行く道を共に歩いていく彼は、故郷を二度と振り返ることはなかった。




 男は過去を思い出していた。
 友との初めての出会いは、面白おかしかったものだと。
 彼は無知な自分に様々な事を教えてくれた。
 野生動物との戦い方に守り方、自然の中の話、野生動物の仕留め方。
 二人でデーツの実を木から取って食べたり、酒を片手に笑ったこともある。
 楽器をひけば、友は音痴な声で笑う。その時間はとても幸せなものだ。
 けれども、幸せとは幸福とはなんと儚いものかと男は思う。
 頼りがいのある友は、いつも先生として兄として自分の先頭を歩いていたのだ。
 兄弟や家族のように彼は親切だった。
 けれども、怒りっぽい彼は理屈っぽい私とは違うのだと良く知っている。
「日中は暑い。太陽が沈んでから移動する。ただ、夜は獅子が徘徊している。ここらは獅子がいない」
 そう教えてくれたのは彼だ。
 けれども、彼が教えてくれたのは人間が死ぬという事だけ。
 橙色と紺色を身にまとった焦がれた太陽は先に進んでいく。
 風神がまるで線をつけるように靡く葦の原はさぁさぁと男を先へ進ませる。





 男は太陽の行く道をさ迷い歩いた。

 ある時はさ迷える獅子に震え怖がり。
 ある時は金星が星の道を進むのを見て故郷を思う。
 ある時は太陽が東に沈む様子を見て足が早いと文句を言った。
 ある時は宙に浮かぶ神々の星の道に焦がれた。
 ある時は孤独に一人叫んだ。

 ある時、男は海岸で立ち尽くした。
 道がもうなかったのだ。
 海で絶たれた道は太陽だけが進んでいく。
 東に消えていく太陽に男は脱力したように座り込んでしまった。




 男は海岸でどれだけ過ごしていただろうか。
 彼がふと我に返ったのは波の音を聞いていた時だ。
 波が満ちてはひいてを繰り返し、月がゆっくりと神の道を進んでいく。

 やがて、男の元に祖父の使いがやってきた。
 使いは神であった祖父の『死』を男に知らせた。
 男は酷く後悔し、忘れていた涙を流した。
 その様子を見ていた使いは、祖父の手紙を男に渡した。
「神が言い残したことがある。この者に会ってほしいとの事だ」
 男は祖父の言う人物に会う事にした。





 出会ったのは面をつけた男性だった。
 何年何百年も面を子供たちに託して、その名を守っているらしい。
 こうすれば、お前の求めるモノは手に入ると彼はそう言った。
 本来、その神の名前を持つ男はすでにミイラとなっていた。
 そして、神と崇められていた。
 男は嗤うしかなかった。
 男はこんなものが欲しいのではないと首を振った。
 面をつけた男性は海藻で体を塗るといいとアドバイスをくれる。
「そうすれば、お前という存在は永久に守られるだろう」
 そう教えられ、言葉に釣られるように男は海に向かう。
 話していた海藻は海岸で思ったよりも簡単に入手してしまった。




 男は故郷の帰路についていた。
 海藻を手に入れて、自分が死んだら、これを体にたくさん塗ってもらう。
 そして、完全な不死となる。
 やがて、名を永久に守る。
 そう考えれば考えるほど、名とは何だろうかと男は思った。
 友が死んだ時に、己の神の仮面は捨ててしまった。
 では、誰が自分の名を継ぐのだろうかと。
 不思議でたまらなかった。
 では、死んだ友や亡くなった祖父とは人間や神とは何だったのだろうか。





 帰り道は道中に気が付かないものがたくさんあった。
 自然あふれる世の中はとても美しい世界だった。
 行く時とは地形が変わってしまった場所。
 自然ですら、変わってしまうのだ。

 やがて、たどり着いたのは大きな泉だった。
 太陽の光が水面に反射して輝く。
 あまりの美しさに少し泳ごうと男は水の中にいた。
 泥を落としていれば、海藻を水の中で無くし、するりとした手から抜けて消えていった間隔に笑う。
 流れていく海藻を手で救えば、ぬっと顔を出した蛇が海藻を飲み込んでしまった。
 あっという間の出来事に、思わず男が蛇を掴めば、蛇はぬるっと抜け殻を残して消えた。

 呆気のない、これまでかけて得た旅路の代物だった。
 哂ってしまうほど、愚かな自分や全てに対してすべてが馬鹿らしく思ってしまった。
 けれども、この水面の何と美しいことか。
 男は全ての生が美しく感じた。

 だったら、全てが成すがままで良いのではないか。





 男は故郷に戻り、男にできる事をなるべくやった。
 祖父のため、友のためと切磋琢磨に働く彼を誰もが崇めた。

 故郷はいつしか小麦が黄金の穂を風で揺らして、川のせせらぎもあの時のまま。
 星は今でも宙を旅する光たち。
 たくさんの人たちの旅の軌跡を辿る。

 男は人間らしく、この世を去った。
 とある残っていた神が男が死ねば、死んだ友らに会えるだろうと伝えた。
 けれども、男は二度と死んだ者たちに会うことはなかった。
 人はそして今日も日々を生きていく。

 やがて、秋の実りが終わり、真の神たちが宙を覆う。
 変わらないのは星か、人々か、景色か。
 この世界は、素晴らしい生命でいつまでも回り続けるだろう。
 そう願わずにはいられない、素晴らしい世界。




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