ゴーレム転生記

猫饅頭

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1章

ヒトカタ あてなき 旅へ

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 この日はどうやら学び舎は休みでアージェは部屋にこもって課題に取り組んでいた。どうやら宿題は真面目に取り組むタイプらしい。課題を終えて市場へ繰り出すと、当面の食物の買い足しをして出店で昼食を買っていた。当然。荷物持ちのために俺は同行させられた。
 アージェは野菜と肉を挟んだケバブのような食べ物を両手で持ち、小さな口で頬張っている。その所作は小動物のような愛くるしさがあり、こうしてみると本当に男なのか疑わしく思う。
 この安穏とした日常を打ち破るように、突如として鐘が鳴り響く。辺りは混乱の渦に叩き込まれ、人々は逃げ惑う。
「アッシュ。こっちに来て!」
 アージェと共に、俺達は逃走を開始する。逃げゆく人々の悲鳴が聞こえてくる。この混乱を作り出した原因が、近くにいる。
 それらは家の屋根を飛び越えて現れた。腐り果てた肉が残った四足獣の骨格に破れた外皮。それらはどれもがそんな外見をしていた。死の権化とも言うべき形相の怪物が人々を襲おうと、飛びかかったその時――
 何かが風より早く飛び込み、怪物を殴り飛ばした。
「みんな、無事か!?」
 駆けつけたのはゴーレムを従えたヘリオだった。彼女のゴーレムは両腕から刃を展開し、怪物を次々と切り伏せる。
「先生!」
「すまない。遅くなった。早く避難をしてくれ。ここは、私とエルムが引き受ける」
 エルムと呼ばれたゴーレムはこの怪物の群れを相手に互角以上に渡り合っている。だが、流石に多勢に無勢で状況は悪い。そこでヘリオは手にした杖で地面を突き、何か言葉を唱える。恐らくそれは〝力の言葉〟の1つなのだろう。それを合図に周囲のゴーレムが動き出す。
 命を吹き込まれたゴーレム達が怪物の群れへと突撃する。数の上では不利だが、優位に立つには十分だった。
 退路を確保した俺たちは町の中央へと避難を続けるが、その先にも怪物たちが待ち受けていた。
「嘘……なんでこんなに……?」
 怪物の襲来を前に蜘蛛の子を散らすように逃げていく中で、逃げ遅れた少年が1人。彼は確か、アージェの同級生の――
「ナット!」
 アージェが助けに行こうと怪物の方へと駆け寄るが既に遅く、少年の肉体は既に怪物共に食い荒らされた後であり、その凄惨な光景にショックを受けて固まってしまったアージェに怪物達が牙をむいた。
 考えるよりも早く、身体が強制的に救出のために動く。〝主を守る〟という最上位命令が、身体に刻まれた言葉の羅列が構築するプログラムが俺を突き動かす。
 アージェと怪物達の間に割り込み、救出には成功したが、それ以上は身体を動かすことができない。
(――おい。何をしている。動けよ俺の身体!)
 怪物達の注意がこちらへ向いた。逃げることも、反撃することもできないまま為す術もなく突き飛ばされる。身体全身に衝撃が走るが痛みはない。だが、立ち上がることができず、人波に向かう怪物達を見ていることしかできない。
(動けよ。このままじゃ、みんな死んでしまうぞ。ここで転がってる場合じゃない。ゴーレムだからどうした。法則がなんだ。俺は人間だ。そしてこの身体は――〝俺〟のものだ!)
 そのとき、魂が、俺の存在の根幹を成す何かに強い揺らぎが生じ、強く脈打つ。この身体を形作る法則を記した式が浮かび上がる。72の言葉。その意味。その配列。分かる。それらが何を意味するか分かる。配列の中心。この存在の根本を定義づける言葉――それを書き換える。俺自身の魂で、俺の名前で。
 その瞬間、意識が開けた。この身体の全てが自分のものになったような感覚。――やれる。アージェを救える。
 自由を手にした足で大地を駆ける。――速い。生前の俺とは比較にならないほど速い。身体も軽い。イメージしたとおりに身体が動いてくれる。一瞬にしてアージェの傍へと辿り着くと目の前に迫った怪物の顎を殴り、頭をかち上げてがら空きになった喉に正拳突きを叩き込む。
「アッシュ!? どうして……?」
「……」
 アージェの質問に答えようとするが、声は相変わらず出せない。そもそも口がなければ声帯もないのだから無理もない。それよりもまずは、目の前の脅威の排除だ。
 先程倒した1体はもう動く様子はない。残りはあと2体。素早く懐に飛び込み、その勢いのまま眉間を掌底で叩き、側頭部を全力で殴る。いくら怪物であっても不死身ではないはずだ。生物と同じ身体をしているなら、弱点もそう変わらないだろう。
 残る1体の怪物はその図体を活かして繰り出した突撃を軸をずらしていなし、その勢いを利用して一本背負いに近い形で投げ飛ばしてとどめの拳を振り下ろす。
 怪物がもう動かないことを確認すると、周囲の視線が刺さる。彼等の目に宿した感情。あれは――畏怖。或いは恐怖。俺に対する恐れだ。
「どうして……どうして動いているの?」
 俺の身体を作ったアージェでさえ、酷く怯えている。この状況で気が動転しているのは無理もない。待て。「どうして動いているか」だと? 俺が動いていることがそんなに恐ろしいのか……?
 敵意がないと示すために両手を挙げ、アージェに近づこうと歩み寄るが、アージェはへたり込んだまま後ずさりで距離をとる。
「化け物……」
 アージェ恐怖に揺れる目で俺を見つめ、潰れそうな声を絞り出した。それは明確な拒絶だった。かける言葉1つ浮かばない。俺はその場で立ち尽くした。

 事態が終息すると、村長の主導で弔いの儀が執り行われた。ここでは死者は火葬するのが習わしだ。天より降りてきた魂が、迷わず還れるように。魂を失った肉体が、魂を求めて彷徨わないように。煙を導に魂を天へと還し、肉体を灰として地に還す。天に還った魂は数多の世界を廻り、再びこの世界に降りる――一種の輪廻転生の宗教観になるが、俺の置かれた状況から言えば、的を射ているようにも思える。
 空へと昇る厳かな篝火を見て、俺が初めて死を目の当たりにしたときのことを思い出す。
 まだ片手で数えられるくらいの歳の幼かった俺は、〝死〟というものがどういうものか理解できていなかった。葬式が終わった翌日。お爺さんを探しに行こうとして――親に止められた。お爺さんと過ごした日々が、この先もずっと続くと漠然と思っていた日常がなくなってしまったことが嘘のように感じられた。悪い夢であって欲しいとさえ願った。時間が経ち、現実を認識できるようになってはじめて――どこにも居なくなってしまったのだと、その事実を直視した。
 アージェはどうだろうかと周囲を見渡すと、彼は俯いて小さな身体を震わせていた。彼に何かできないかと思案するが、今の俺が何かしようとしても、逆効果になるだろう。それに、彼の傍には今ヘリオが付いている。深く心配しなくても大丈夫だろう――そう思った矢先、雲行きが怪しくなった。
 弔いの儀の一連の儀式が終わると町長らがアージェと話しこんでいる。会話はよく聞き取れないが、その様子からして良い状況ではないのは明らかだ。
 話が終ったアージェ達がこちらへ来る。村長に促されて前にでると、俺の額に掌をかざし、何か言葉を唱え――そこで俺の意識が途切れた。
 
 電源を入れられたように意識を覚醒させられる。あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。そもそもここはどこなのだろうか。
 長机と座席。いくつかの壁掛け。それ以外に特筆するものがない広間。会議室のようなものだろうか。そこには村長と、エルムを連れたヘリオ。そしてアージェがいた。
「……このゴーレムが自ら動いたことに間違いはないな?」
 村長の問いにアージェは重々しく頷いた。
「ヘリオよ。教育の内容は?」
「いいえ。教材は以前ご覧に入れたとおりのものを使用しております」
「ふむ。アージェ。設計図を」
 アージェは何かの紙面を机に広げ、構造や刻印した〝力の言葉〟を解説した。
「――汎用型の一般的なゴーレムだな。この図面どおりであれば、あのようなイレギュラーは起きようがない筈だが。アージェ。本体を確認してくれ」
 アージェは俺の額に手をかざすと俺の中に入り込んできた。そして身体の隅々をチェックしていく。なんというか、健康診断を受けているような気分だ。
「嘘……なんで、どういうこと……? 僕はこんな式を組んでいない。こんな言葉――刻んでもいない」
「どういうことだ。私が見たときは、この設計図どおりだったはずだ。そもそも、こんな〝言葉〟は私も見たことがない」
 ヘリオは図面とアージェが出力した式を見比べながら相違点を抽出し、それを紙面へと記していく。
「確かにこの〝言葉〟は私も初めて見る。それに配列も大分洗練されている。これを組める者は天才と呼べるだろうな。これらの変化が何故起きたのか。そしてこの変化で得たゴーレムの性質について、説明を」
 村長はあくまで冷静に話を運び、アージェから必要な情報を的確に聞き出していく。
「――つまり骸魔の襲撃を受けて、襲われそうになったとき、ひとりでに動き出した。そこまでは防衛機能の一種だが、これは骸魔を攻撃した……と。設計図からして汎用型で戦闘などできそうもないが……ふむ。非常に興味深いが、これは……場合によっては破壊せざるをえないかもしれない」
 破壊だと? 冗談じゃない。こんな不条理な形で死ぬのは御免被る。抵抗しようかと一瞬よぎるがすぐにその考えを捨てた。そんなことをしては俺も、アージェも、かえって立場が悪くなるだけだ。それに、まだ確定したわけじゃない。今はまだ、耐え忍ぶときだ。
「村長。お言葉ですが――このゴーレムによって救われた者達は多いです。どうか、再考を」
「分かっている。その上貴重な存在なのは言うまでもない。破壊は不本意であるが……このゴーレムの戦闘能力は戦闘用ゴーレム以上だ。それ程の性能を持つゴーレムが、法則を無視して主の命なく動く。本来であれば機能するはずのセーフティが無効になっていることさえ考えられる。そのような不確定な存在は、あまりに危険だ。最悪、アージェに危害を加えかねない。それに加え骸魔の異常発生の件もあって民も不安を感じている……故に私は何らかの形で処分を下さねばならない。さて、どうしたものか……」
 村長はこめかみを押さえ、悩みを露わにする。この流れで行けば少なくとも、破壊される心配はないように思える。
「…………こうしよう。アージェ。今後一切のゴーレムの製造を禁ずる。そしてこのゴーレムと共に見聞の旅に出よ。お目付役には、ヘリオを付ける。なお、期限は定めないものとする」
「……お待ちください。それでは追放と変わりないではないですか。それに、アージェはまだ成人も迎えていない身。その決定はあまりにも――」
 処分の内容はヘリオが言ったとおり、ただの追放だった。確かに破壊されるよりは幾分マシではあるが、アージェとヘリオまで巻き込むことに憤りを感じた。当のアージェは、相当ショックを受けたのか放心状態になっている。
「――すまない。これが最大限の譲歩だ。このゴーレムに対する恐怖は村人の総意。私はそれを覆せなかった……恨め。この不甲斐ない老人を」
 村長は深々と頭を垂れる。破壊されるという最悪の事態は避けられたが、こうなると問題はおれよりもアージェのほうだ。いくら同行者を付けるとは言え、年端のいかない少年にあてのない旅をさせるのは、あまりにも酷ではないか。
 結局、追放という処分はヘリオが何度掛け合ったところで覆すことはできなかった。それでも村長は最後まで気にかけ、2人分の路銀まで用意してくれた。
「……ごめんなさい先生。僕のせいでこんなことに」
「気に病むな。決定を覆せなかった、私の力不足だ」
 ヘリオとしては励ますつもりだったのだが、逆効果だったようでアージェは益々申し訳なさそうにする。

 旅立ちの日になって、2人は村を出る前に村の外れにある塔へと向かう。
 壁沿いに設けられた棚に飾られた数々の小物類。ステンドグラスで彩られた天蓋。厳かな雰囲気を漂わせた場所で、2人はその小物の1つに正対し、手を合わせた。
 その小物にはタグが付いており、そこには『ナット』と刻まれていた。2人の所作でここが何かを察した俺は2人に倣い、手を合わせる。
 魂は天に、肉体は地に還る。ならば天地が交わる場に人は何を遺すだろう。ここは、その答えの1つなのだろう。
「……驚いたな。まさか、ゴーレムも死者に祈るとは」
 ゴーレムとしては確かに異端ではあろうが、人としては当然であると思う。当然、彼女にそのことを伝える術などないが。
「さて、これは君の旅だ。だから行き先は君自身が決めるべきだが……候補は?」
「ごめんなさい先生。まだ、決めてなくて……」
「気持ちを整理するまもなく出発になったのだから、無理もないか。1つは南方に向かって港街セルリアを中継して海路で旅をする。もう一つはここから西方に向かい、陸路で学究都市プルースから首都のセレストスを目指すか。ここからなら、大きく分けてその2つのルートがある」
「行ってみたいのは……学究都市プルースかな。大きい図書館があるって聞いたから」
「分かった。それじゃあ西へ向かおう」
 方針が決まると、澄み渡る空の青さに見守られた俺達はまだ見ぬ景色へと歩み出した。
 
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