仄暗く愛おしい

零瑠~ぜる~

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泡沫の3

仄暗く愛おしい

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 生まれる前の、小さな命。それを、刈り取る為だけに組み込まれた術式。そんなモノを対象にした術など、通常は想定しない。まして、瑞樰の身に宿る命のことを知っているのはほんの一握りの者だけだ。
身内と呼ばれるもの以外、彼女のことを知らない。そして皆、瑞樰の幸せを願っている者ばかりだ。
だから、彼女の身に宿った小さな命を奪う者がいるなど想像もしていなかった。
 突然、下腹部に激痛が走った。余りの痛みに立っていることすらできずに、瑞樰はその場に蹲った。
冷たい汗がこめかみから流れ出る。痛みを堪えるために奥歯を噛み締め、息をつめる。
「瑞樰っ!!」
 蹲り、冷や汗を流す瑞樰に雹樹は悲鳴にも似た叫びをあげた。ほんの一瞬の間に、瑞樰の顔色は蒼白になり息をすることすらままならない状態になっている。
「とにかく、家に帰ろう。ここでは、何も出来ない。」
 慌てながらもクリスが瑞樰を支え、帰宅を提案した瞬間・・・・・・・・。
『ドロッ』
 そんな音が聞こえてきたように錯覚すら覚えた。
瑞樰の足元に大量の血だまりが出来ていた。いったい、彼女の体のどこにこれ程の血液があったのかというくらいに。赤黒い液体が彼女の下半身を不吉に染めていった。
「狙いは、これか!!!」
瑞樰の足元に広がる血だまりを見、雹樹は彼女に仕掛けられた術が何かを理解した。
赤い水たまりの中に、不完全な肉の塊が零れ落ちていた。歪で小さなそれは、いずれ月が満ちれば産声を上げてこの世に生まれるはずだったもの。命になり切る前の瑞樰の子供。
「ぁ・・・・」
呼吸すらままならない痛みの中で、自分の中から何かが失われたのを瑞樰は感じた。身動き一つとれない状況の中、どうにか視線を巡らせた。愕然とした表情でこちらを見ている鏡、泣きながら寄り添ってくれている尊。怒っているようにも見えるクリス、明らかにブチ切れている雹樹。
そして、自分の周りに広がっていく赤い水たまり。
 瑞樰が意識を保っていられたのは、そこまでだった。
痛みと出血で気を失ってしまった。むしろ、出血した瞬間に気を失わなかったのが不思議なくらいだ。
「瑞樰さん?」
意識を失った瑞樰にクリスは慌てて声を掛けるが、とにかく今は一刻も早く彼女の体を医者に見せなければいけない状況だと割り切ると岐路を急ぐよう皆をせかした。
 術者の一族が経営をしている病院に、急遽担ぎ込まれた瑞樰は緊急手術を余儀なくされた。
誰がどう見ても、一刻の猶予もないであろう大量の出血。意識の無い本人に代わって、付添人としてクリスが手術の同意書にサインをしていると処置室から悲鳴のような医師の声が聞こえてきた。
「馬鹿なっ、本当にこの人は妊娠していたのか?
レントゲンもエコーも、間違いなくちゃんと起動させたはずだな?」
「エコーもレントゲンも間違いなく操作しました。技師にも確認済みです、機材に問題はありません。」
看護師の声も悲鳴じみている。
「なら、どうしてあるべきものが移ってないんだ。いや、いい・・・・今はとにかく出血個所の特定と止血の為にオペ室に運ぼう。」
震えの雑じる声で医師がそう言うと、手短に指示を出した。
 漏れ聞こえてきた会話に、クリスは一気に血の気が引いた。ベテランの医師・看護師があれほど取り乱すとは、まして彼等は荒事になれた術者専属と言っても過言ではない人たちだ。言わば、悲惨な怪我や異常死のベテランなのだ。その彼等が近くに身内が待機している処置室で、あれほど声を荒げるほどの異常事態が瑞樰の身に起きてしまった。そのことに、クリスは震えを堪えるのが出来なかった。
 クリスも尊も初めから、通常の流産の手術で無い事は分かっていた。何らかの呪術による攻撃であるのは間違いない。それ以外、現時点では何もわかっていない。
「守るって、言ったのに・・・・・。」
消え入りそうな小さな声で、尊が後悔を口にした。何があっても、瑞樰を守ろうとクリス達と誓ったばかりだった。
なのに、自分達は取り返しのつかない失敗をしてしまった。

「結論から申し上げます、手術は成功です。患者さんは搬入時、相当量の出血と体内の欠損箇所が大きく一時は危ない状態でした。どういった状況で負った傷なのか分かりかねますが、彼女は子宮と腸の一部が抉り取られていたため損傷個所からの出血を止めることを・・・・・・・・・」
 尊もクリスも医師の説明は、途中から頭に入ってこなかった。医師は、専門的な用語を使っている訳でもなく素人でも分かりやすく説明をしてくれている。言葉の意味が分からないという訳では無い、意味を理解することを拒んでいるのだ。
「抉り取られて?」
クリスの唇から掠れた声が、零れた。その声が聞こえたのか、医師がクリスの顔を見直し再度同じ説明をした。
「はい、この方の体内からどういう方法化は分かりませんが子宮と腸の一部が抉り取られています。外傷が見当たらなかったことから、何らかの方法を用いて直接体内を傷つけたのだろうと思われますが。」
荒事に慣れている医師ですら、無意識に眉を顰めるほど瑞樰の状態は酷いものなのだと察せざるをえなかった。

 暫くの間は予断を許さない状態であることから、瑞樰はこのまま入院することになった。
尊もクリスも、初めは瑞樰を連れて帰ろうと考えていた。自宅でも、自分達の身内に瑞樰を治療させるつもりだった。それだけの設備も人も用意することなど、二人には容易い事だった。
「連れ帰ることは、医者として許可できません。現在、麻酔が切れているにも関わらずこの方の意識は戻ってません。また、術後の経過観察も当然のことながら必要です。まして、一時は命が危ない状態だったんですよ。
少なくとも、数日は絶対に動かすことは出来ません。」
クリスが退院の手続きを取ろうとしたのを聞きつけた医師に、猛烈に抗議された。クリスが何とか、家に連れ帰れないかとごねている間に尊と鏡が強引に瑞樰を連れ出そうとしているのを看護師が見つけさらに激しく注意を受けた。あげく、容態が安定するまでは何人たりとも面会謝絶を言い渡された。
「非常識にも程がある。私も、長い事この仕事をしていますが。この患者は、今下手に動かせば死んでしまうと言ってるでしょう。」
「でも、瑞樰さんの傍に居たいんです。」
医師の言葉にかぶせるように、尊が叫んだ。大人しい彼が人の言葉を遮って迄、自分の意見を通そうとするのは本当に珍しかった。医師も、三人も中で一番大人しそうな尊がこんなにも必死に言い募る姿に目を瞬かせた。
「それでも、患者さんを連れ帰るのを許可することは絶対にできません。」
突き放す等に事務的に告げると、尊が泣きそうな顔をした。
「ですが、貴方方がちゃんとこちらの指示に従うというのであれば面会と付き添いは許可します。」
深い溜息と共にあきらめに似た表情で、医師はそれだけ告げると後の事を傍に居た看護師に指示しその場から離れた。先程迄、烈火のごとく怒り面会も許さないと言っていた者が急に態度を軟化させたことにクリスも尊も驚きを隠せなかった。
「先生は、本当だったら面会謝絶にしたかったんですよ。だけど、貴方達が余りにも必死で。下手に面会謝絶を押し通したら今度は何するか分からないし。ここでこのまま、言い争っていても仕方が無いから妥協したんです。」
後を任された看護士が、溜息と共に辛辣な説明を告げたが三人にとってそんなことはどうでも良かった。誰に呆れられようが、大事なのは瑞樰の傍に居る事だから。
 瑞樰の意識が戻るまで、三人は片時も病室から離れようとしなかった。医師や看護師から邪魔だと言われようがテコでも動こうとしなかった。
「彼女の容体は、今のところ安定しているから。処置の邪魔になるので、出来れば待合室か談話ルームで待機していて欲しいんですけど。」
ベッドサイドに図体のでかい男が居座っていては、業務の妨げになる。点滴や心拍確認のために病室を行き来する看護師に何度も文句を言われながらも誰一人としてその場を動かなかった。

 激痛に襲われ、意識を手放した瑞樰はこのまま自分は死ぬのだろうと覚悟を決めていた。
能力者たちが見た夢は、きっとこの事なのだろうと。
『罰が当たったんだ・・・・自分だけ、幸せになろうとしたから。』
意識を失いながらも、瑞樰はコレで良いと思っていた。自分はもう十分、幸せを貰ったと。これ以上を望んだから、身の丈に合わない分は引き算されてしまったのだろうと。
『ごめんね。』
唯一、産んであげる事の出来なかった子供に対してだけは罪悪感を覚えた。
『尊さん、クリスさん、ごめんなさい。ありがとう、いっぱい、優しくしてくれて。』
『鏡さん・・・大好きだよ。』
一番、自分に近い愛しい人。鏡乃信以外に唯一、心を許せた存在。自分よりも大事な存在を心の奥底で思い続けているのに、その全てを諦めている人。
『幸せになって・・・・・・』
哀しいくらい孤独なのに、誰よりも強いから孤独なことに気が付かない寂しい人。だけど、誰よりも優しいから自分のような者にも手を差し伸べてくれた。
『雹樹・・・・・・・お願い・・・・・・』
酷い事を頼んでいると、死に際に願うには余りにも身勝手だろうと思いながらも瑞樰は願わずには居られなかった。
自分の寂しい心が呼んでしまった優しい神霊、尊達は神様だと言っていたが瑞樰にとっては優しく愛しい半身。
どれほど理不尽で、我儘な願いも彼ならば聞いてくれると無意識に信じている。
『鏡さん達を、守って・・・・・・』
「それが、望みならかなえよう。」
 静かな病室の中に、不意に雹樹の声が響いた。
それまで、姿を消していた彼が突然ベッドサイドに現れたかと思うと険しい表情で瑞樰を見つめていた。
「雹樹?」
普段ならば、瑞樰を見つめる彼の瞳は暖かな色をしているのに。
「どうして、これ程までに愚かなのだ・・・・」
誰よりも瑞樰を大事に思っているだろう雹樹が、怒りとも殺意ともとれる冷たい瞳で瑞樰を見つめていた。
彼の体から立ち上る気配は冷たく研ぎ澄まされ、迂闊に触れるものならば瞬時に切り刻まれてしまうのではと錯覚を起こすようで。
それだけに、クリスも尊も普段のように彼に話しかけることが出来なかった。
瑞樰がこんな状態のときに、今まで姿を消してどうしていたのか。さっきの言葉は、どういう意味なのか。
それ以上に、雹樹の力で瑞樰を治癒することは出来ないのか。神霊である彼ならば、奇跡のような力で瑞樰を助けることが出来るのではないか。
聞きたいことは、幾つも幾つも頭の中に湧いてきたが何一つ言葉にして発することは出来なかった。彼の許可なく一言でも喋れば、その瞬間に容赦なく消されてしまうと本能が告げていた。
「だから、人間は・・・・・」
泣きそうな声で、雹樹は小さく呟くと眠る瑞樰にそっと手を翳した。触れた瞬間に、壊れてしまうとでも思っている様なそんな仕草で。
「どんな願いも、叶えると・・・・望むのならば、同じだけの命を与えると言ったのに・・・・・・」
小さな声で呟きながら、雹樹は瑞樰の頬に口付けた。
「ひょ・う・・・じゅ?」
 消え入りそうなかすれた声で、瑞樰が小さく彼の名前を呼んだ。
「約束する。」
視点の合わない瑞樰の瞳を見ながら、雹樹は静かに誓いを告げる。
「あ・・・りがと・・・・」
『我儘なこと言って、ごめんね。』
掠れる声と、思念で想いを伝える。大切な自分の半身、誰よりも瑞樰を大切に思ってくれている優しい神様。
「本当に神ならば、人間の願いなど聞いたりしない。こんなにも、苦しいのに・・・・。
それでも、瑞樰の願いを叶えたい。瑞樰に少しでも喜んでもらいたい。」
泣いている様な怒っている様な声で、雹樹は瑞樰に語り続けた。
「ほんの瞬きの間だけの、主だと割り切っていた筈なのに。こんなにも、愛おしい。」
『私も、雹樹の事大好きだよ。私の我儘で、傍に居てくれたのにいつも私を守ってくれた。』
もはや、声を出す事さえ出来ないのか定まらない視線のまま瑞樰は思いを告げる。
『私、自分が死ぬのは仕方が無いって諦められるの。だけど、尊さんやクリスさん、鏡さん。それと雹樹も、私の大事な人が死んでしまうのは絶対に嫌だし寂しい思いも悲しい思いもしてほしくない。だから・・・』
「一緒に居れば、寂しい思いをしないだろうと?」
瑞樰の思いを読み雹樹が呟く、はたから見ていると彼が一人でぶつぶつと呟いているようにしか見えない。
 尊もクリスも、初めは雹樹が何を言っているのか理解できなかったが彼が何らかの方法で瑞樰と会話をしているのだと遅まきながら理解した。
「瑞樰が居ないのに、どうして寂しくないなんて思う?
こいつらと一緒に居ても、瑞樰は僕に微笑んでくれないじゃないか。」
そうっと、瑞樰の頬に触れながら雹樹は愚痴を零す。どれほど文句を言っても、もはや雹樹にはどうする事も出来ない。瑞樰の無意識の呪に縛られている。だから、これから先の数十年は尊達を守る為に彼等と共にあるのは決まっている。三人が天寿を全うするまでは、彼等と共にいる。
「こいつらが、さっさと逝ってくれれば・・・・・冗談だよ。」
本音八割で言えば、泣きそうな声で抗議され苦笑するしかなかった。
「瑞樰の願いだ、守るよ。」
 雹樹の言葉に、瑞樰はほっとしたように笑みを浮かべた。
『ありがとう、大好きだよ雹樹。』
それが、瑞樰の最後の言葉だった。
「安心して、ゆっくり眠るといい。」
思念が途絶えたのを感じ、雹樹は小さく呟くと瑞樰の頬を鞘しく撫でた。もう、彼女が目を覚ますことは無いと確信して。
「瑞樰さん、眠ったの?」
 それまで、声をかけるのを控えていた尊がたまらず問いかけた。二人の会話が余りにも別れを予感させて、確かめずにはいられなかった。
「瑞樰さんを、助けて・・・・・・」
震える声で必死に願った。こんなことを願う資格など無い事は重々承知している、それでも尊は願わずにはいられなかった。目の前に居る神にも等しい強大な力に縋る以外、今の自分には出来ることが無かった。
「僕が、お前達の願いを聞く理由はない。それに、瑞樰はもう・・・・・。
彼女の最後の願いは、お前達を守ることだ。だから、僕はお前達が天寿を全うするまで守る。」
雹樹は淡々とそう告げると、冷めた瞳で尊達を見つめた。
「なに、それ?
僕達が天寿を全うするまで、守る?」
 雹樹の言葉に、クリスは目の前が真っ赤になるほどの怒りを覚えた。
誰よりも、大切だと守りたいと思った人を守れずに逆に守られるなど。それも、彼女が居なくなってからもずっと。
そんな馬鹿な話があるかと、怒りに任せて怒鳴り散らしてしまいたかった。
「瑞樰の体はもう、治すことは出来ない。本人も、自分が死ぬのは仕方が無いって諦めている。それなのに、お前達の事だけは諦められないと言うんだ。悲しい思いも、寂しい思いもしてほしくないって。お前達をずっと、守ってほしいって無意識に呪を掛けるほど。」
「そんなのって、無い!!
瑞樰さんが居ないのに、どうして僕達が寂しくないって思うの?
僕達は、瑞樰んを守りたいのに。なんで・・・・・」
雹樹の言葉に、尊は泣きながら叫んだ。理不尽なほど悲しく優しい彼女の願い、それを聞き入れる優しい神様。
雹樹ほどの力があれば、どれほど瑞樰の願いが強かろうが彼女の死後に呪を破ることもできるだろうに。
彼は、甘んじてのそ呪を受け入れている。それが、自分と瑞樰を繋ぐ最後の縁だから。
「駄目だ・・・・・・」
 掠れて聴き取れぬほど小さな声で、鏡が呟いた。それまで、この場に居ながらも一言も発することも出来ずに棒立ちになっていたのに。
「傍に居ると、言っただろう?」
ふらりと一歩、前に進み出ると横たわる瑞樰に手を伸ばした。無意識に伸ばされたその手は、瑞樰に届く前に雹樹によって叩き落された。
「触れるな!!
瑞樰が、どれほど望んでもお前だけは触れる事を許さない。」
雹樹の余りの剣幕に、尊とクリスが目を見張った。もともと、雹樹は鏡の事を快く思ってはいない。それでも、瑞樰が大事に思っていることを知っているからここまで露骨に態度に出す事は無かった。
「瑞樰が、どれほどお前を大事に思っているかも。お前が、瑞樰を思っているかも分かっているが。それでも、僕はお前を許せない.............なぜ?」
雹樹の言葉に、鏡は目を見開いた。その瞬間に、『誰』が瑞樰をこんな目に合わせたのか彼には分かったのだ。
呪殺を生業とする忌まわしい一族、深く暗い業と共に生きることを運命づけられた呪わしい自分の一族。
「まさか、鏡の一族が?」
クリスもまた、二人のやり取りで瑞樰を害したのが誰かを悟った。と、同時に自分達の考えの甘さを痛感した。
瑞樰の実家だけを警戒していたが、同じように自分達の一族の事も警戒しなければならなかったと。鏡の一族のように極端に攻撃性は強くないとはいえ、自分達の一族も同じような行動を起こす危険性は十分にあった。
尊の一族も、自分の一族もどちらかといえば『守る』ことを生業としているが逆を返せばそれに当てはまらないモノは消してしまえと声が上がっても不思議ではない。瑞樰の持つ力が自分達と同じように『守る』ものとして使われれば、一族は彼女を仲間として大事にするだろうが。その、強大な力が少しでも自分達の意に添わなければ。
「瑞樰さんの力を、恐れた?
だから、殺したのか?」
クリスのその言葉に、尊はただでさえ青ざめている顔色が一層白くなり鏡は凍り付いたように動きを止めた。
「この子が、一体何をした?
ただ、お前の事を案じていただけだ。自分の身すら、満足に守ることも出来ない弱い生き物なのに。」
青ざめ、立ち尽くす鏡に雹樹は怒りをぶつける。
「無意識に、お前達を守るように願ってその思いが強すぎて呪となって僕を縛った。
こんな、呪なんて破ろうと思えば造作も無いのに。瑞樰が望んだというその事実だけで、忌まわしいのに何よりも愛おしい。」
優しく瑞樰の頬を撫でながら、雹樹は刺すような視線を鏡に送る。
「瑞樰・・・・」
鏡が、震える声で彼女の名前を呼んだ。雹樹に打たれた腕は痺れてうまく動かすことが出来ない。それでも、瑞樰を求めることは止められない。
「お前が、どれほど瑞樰を思っていてももう手遅れだ。この子の体は、壊れすぎて治すことが出来ない。
人として生きるために必要な機能が、損なわれてしまった。
瑞樰も、それを理解しているからさっき眠りについた。」
雹樹の言葉に、三人はひゅっと息を飲んだ。
それは、瑞樰が死を受け入れてしまったと言うことだと。
「もう、ダメなの?」
涙を流しながら、尊が問い掛ける。瑞樰を諦めたくない気持ちは尊もクリスも同じだ。
自分達にとって、初めての大切な人。
「瑞樰の体は、もう機能をはたしていない。魂も、眠りについている。後は、静かに輪廻の輪に戻るのを見守るだけだ。普通の人間ならば、体が死ねばすぐに魂は輪廻の輪に向かって登っていくのに。瑞樰の魂は、まだここに留まって眠っている。」
徐々に、体温を失っていく瑞樰の体を見つめながら雹樹が悲し気に呟く。
目の前に、瑞樰の魂が眠っているのに自分にはもう出来ることが無い。
「瑞樰さんの、体を治療することさえ出来れば。もしかしたら、瑞樰さん目を覚ましてくれるんじゃ?」
肉体の機能さえ回復すれば、眠っている魂が目を覚ましてくれるのではとクリスがわずかな希望を口にする。
普段の彼ならば、こんなことは間違っても口に出したりはしない。
「日本では無理でも、海外なら。」
震える声で希望を口にしながらも、彼も頭のどこかでは冷静に理解し始めていた。人間が考えつくような治療法で助けられるのなら、雹樹はもう瑞樰の傷を跡形もなく癒している。子供が諦め悪く駄々をこねているのと同じだと、分かっている。それでも、ほんのわずかでも希望は無いのかと言わずにはいられなかった。
「瑞樰さんを、諦めたくないんだ。」
絞り出すように吐き出された言葉に、雹樹が眉根を寄せる。
「・・・・お前達のその思いが、瑞樰の魂をここに留めているのだろうな。」
「え?」
雹樹の言葉の意味が理解できず、訝し気な視線を彼に向けた。
「そこそこの、力を持ったものが三人もいて。それぞれが、瑞樰を手放したくないと強烈に願っている。その無意識の呪力が瑞樰の魂が肉体から抜け出るのを防いでいるとしか思えない。そうでなければ、こんな風に魂が肉体に留まれるはずがない。」
雹樹の言葉に、クリスも尊も目を見開き眠る瑞樰を見つめた。
「まだ、ここにいるの?」 
 力なくぼんやりとした口調で、尊が瑞樰を見つめる。普段ならば、霊体など意識せずとも見えるのに。
「ぜんぜん、見えないよ。どうして?」
「尊も、俺も霊視能力はそれなりにあるはずなのに。瑞樰さんの事は、見えない。」
尊同様、クリスも瑞樰をじっと見つめたが望むものは何も見えなかった。肉体の中に宿る霊と呼ばれるエネルギー体、術者である自分達は常にそれらを見ている。
「どうして、瑞樰さんだけ見えないんだ・・・・・・・。」
後悔と悲しみと暗い感情の入り乱れた声に、クリスの心情が現れていた。
「瑞樰さんだけなんだ、俺達の事なにも色眼鏡で見ないでくれたのは。自分だって嫌なことたくさん経験しているのに、優しく笑ってくれて。」
生まれて初めて、普通の人間のように扱ってくれた。
「このままでは、肉体が滅んでも瑞樰の魂はここから離れられないだろうな。」
雹樹が放った言葉に、誰よりも強く反応したのは鏡だった。
それまで呆然と瑞樰を見つめていただけの彼が突然、瑞樰の体を抱き上げた。
鏡がそんな行動に出るとは予想だにしなかった雹樹の一瞬の隙をつき、腕に瑞樰を抱きしめ転送術を発動させた。
「許さない、そんなの・・・・・・」
姿が消える寸前に聞こえた鏡の声は、悲鳴にも思えた。
「なっ、鏡!!」
「馬鹿が、何を考えてるんだ。いったい、どこに飛んだ⁈」
 目の前で突然、瑞樰を攫い姿を眩ませた鏡に尊もクリスも悲鳴を上げた。声こそ発しないものの、雹樹も鏡の行動は理解できなかった。
「だいぶ、離れたところに移動しているようだな。」
鏡の使った術の痕跡を辿り、雹樹が眉間に深い皺を寄せた。ほんの一瞬とは言え、自分の隙をつき瑞樰を攫ってまで連れていく場所。
『おそらくは、霊山だろうな・・・・・・・。』
霊的力の強い場所、エネルギースポットとも呼ばれる力場。こんな時に、鏡が瑞樰の体をそこへ運んだということは
「蘇生術を使う気か・・・・・・・」
雹樹の言葉に、クリスも尊も目を見開いた。鏡の行動の意味が分からず、狼狽えていた二人は余りにもリスクの高い可能性に愕然とした。
「無理だ、それは禁じ手中の禁じ手だ。」
過去、どれほどの術者がその術に挑んだことか。そして、誰一人としてまともに成功したことが無い難易度の高い術。

 部屋を飛び出し、瑞樰の体を抱えながら鏡は必死に走った。転移術で目的の山の麓へはすぐに到達できた。
後は、一刻も早く術に適した清浄な力場へ行き瑞樰を起こさなければと思った。
「許さない、ずっと・・一緒だって・・・・一人にしない・・・・・
お前は、俺のものだ。誰にも渡すものか、土にすら返さない・・・・約束しただろう?」
走りながら、物言わぬ躯に語り掛ける。
山の中を全力で駆け抜けながら、鏡はこれから自分が行うことの重大性に恐怖を感じていた。術の実験としてなら修行と称してやったことはある。その全てにおいて、まともに蘇生できたことは一度もない。それでも、今の彼は僅かな希望に縋るしかなった。
瑞樰が唯の人ではないことと、自分達の執着による霊縛。イレギュラーなこれらの要素を合わせ、場所の力を借りればもしかすればと。確率が低い事は百も承知だ、それでも鏡は瑞樰を失いたくはない。
「瑞樰・・・・・」
腕の中意識の無い彼女を抱きしめ、名前を呼ぶ。返事を期待した訳ではないが、それでも彼女の声が聞こえないことが悲しかった。柔らかく、自分の名前を呼び微笑んでくれる瑞樰の姿が脳裏に焼き付いている。
「許してくれなくてもいい・・・・それでも、お前を離してやれない。」
自分勝手な願いに、苦い思いがこみ上げる。これでは、彼女を虐げていたあの養父と同じではないかと。
己の欲望のために、彼女を自分の元に繋いでいた獣と。いや、これから行うことはそれよりもなお悪い。
人として許されざる行いだ、失敗しようが成功しようが詰られることは間違いない。

 霊山の奥深く、万年雪に閉ざされた洞窟の中この山の中で最も力が集う場所。山中を駆けまわり、鏡が辿り着いたその場所は天然の氷穴だった。その中に、人ひとりどうにか横たえるだけのスペースを作りそっと瑞樰を寝かせる。
「こんな、固い岩の上では体を痛めてしまうな。」
出来るだけ優しく下したが、そもそも岩の上ではあまり意味が無い。
「もう少しだけ、辛抱してくれ。」
そっと瑞樰の頭を撫でると、手早く印を組んでいく。
『術に必要な道具も、呪力も全部足りない。それでも、この山の力で底上げしてそれでも足りない分は俺の命を使えばいい!!』
練り上げられた膨大な呪力が、瑞樰の体を包んでいく。幾重にも幾重にも彼女の体を包み、やがてそれは透明な繭のように彼女の体を取り巻いていった。この繭が、蘇生の為の術式そのものでこれが定着しゆっくりと溶ける様に瑞樰の中へ消えてゆけば術は成功だと言える。だが、それがどれくらいの時間を要するのか全く分からない。
一瞬だという説もあれば、数十年かかったという記録も残っている。そして、そのいずれも蘇生には至っていない。『そもそも、呪力が体に溶けるという表現自体曖昧なんだ。』
繭に向かい呪力を流し続ける。山の力も、繭に向かって流れこん行くのを見守りながら鏡は自分の中から力が急激に失われていくのを感じた。これ以上、呪力を放出し続けるのは危険だと本能が叫んでいる。
『ここからだっ!』
初めから自分の呪力では、足りないのは分かり切っていたことだ。そのために、山の力をつかっているのだ。
本来、霊山の力を使うのならそれ相応の供物を捧げ礼を尽くさなければならない。今回、それらの手順を全て無視して鏡は無理矢理に力を使っている。溢れんばかりに湧き出ている力の一部とはいえ、山は生き物だ。今は気付いていないのか、気まぐれに許してくれているのか分からないが何時機嫌を損ねるか。山の気が変わらないうちに、注げるだけ力を注いでおきたい。
『山の力が途切れるまでは・・・・・・その後は、俺の命を使えばいい・・・・・』
呪力がそこをつき、山の力に頼りそれすらも当てに出来なくなったら最終手段として命を呪力に変えて繭に流し込む。その果てに自分がどうなるかなど今は、どうでもいい。生きていられるかどうかすら分からない、それでも瑞樰を蘇らせたい。仄苦しいまでの思いに突き動かされてい、鏡はいま瑞樰の繭を作っている。









































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