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須尚正(2)
しおりを挟む2年生になって、やっと学校封鎖が解けた。
講義も再開され、大学に活気が戻ってきた。
それは自分にとっても同じだった。
作詞作曲編曲研究会に入会したものの部室に行けない状態が続いていたが、やっと練習らしい練習ができるようになったのだ。
それだけでなく、正式にバンドに加入することになった。
メンバーはあの3人、スキンヘッドと茶髪長髪と黒髪長髪。彼らは全員一年先輩だった。
スキンヘッドの名前は田滝太湖で、愛称はタッキー。
茶髪長髪は部素弦太で、愛称はベス。
黒髪長髪は木暮戸弾で、愛称はキーボー。
それぞれの音楽志向はバラバラだった。
タッキーとベスはジャズ志向が強く、キーボーはバラードが好きだった。
そして、自分はハードロック。
6月の大学祭まで時間がなかったが、なんとか形にしようと練習を繰り返した。
その日も大学の近くにある貸しスタジオでたっぷり2時間練習を行い、その後、決起会という名目で飲み会をすることになった。
*
安さが売り物の焼鳥屋に行って、すぐに串の盛り合わせとビールを注文した。
乾杯すると一気飲みのような感じになり、2杯目を注文すると、すぐに盛り合わせが運ばれてきた。
全員の目が皿に集中すると、遠慮合戦のようになったが、「お先」と言ってタッキーがキモを取ると、ベスの手が伸びて皮を、キーボーがつくねを取った。
残ったのはネギマだったが、これは大好物だったので「残り物に福あり」とほくそ笑んだ。
しかし、和気藹々はそこまでだった。
ジョッキを持ったタッキーが「もっとビシッとしたインパクトのある曲をやりたいな」と不満げな声を出したのだ。
するとベスが同調した。
「バラードばっかりだと、カッタルイしな」
しかし、同調しないのが一人いた。
キーボーだった。
「そんなこと言うなら、お前らが曲作れよ」
ふて腐れたような表情になると、一転してタッキーとベスが肩をすくめた。
それは無理だというように顔をしかめた。
作詞作曲ができるのはキーボーだけなのだ。
だから彼が作るバラードタイプの曲をタッキーとベスがジャズ風にアレンジして演奏していた。
そこにハードロック志向の自分が加わって、更にアンバランスが加速した。
キーボーが歌う甘いバラードに、タッキーとベスのジャズ風アレンジ、そして自分の速弾き、誰もが違和感を覚えていた。
しかしキーボー以外に曲を作れる人はいないし、しかも本番までの時間は残り少なかった。
「とにかく今は大学祭までに演奏レベルを上げることが大事ですから」
説得するようにジョッキを上げると、苦笑いのような表情を浮かべて3人もジョッキを上げたが、グラスをカチンと合わせることはなかった。
そのせいか、一気に流し込んでもいつものようなおいしさは感じなかった。
それは、食道を通り抜けて胃袋に落ちていったものがビールだけではなかったからかもしれなかった。
タッキーとベスが溜め込んだ不満と、キーボーの不機嫌と、なんとなく感じ始めたバンド分裂の心配が混じっているような気がして仕方がなかった。
*
それでもバンドは分裂することなく、しかし危うい綱渡り状態でなんとか活動を続けていた。
そんな中で迎えた大学3年の春、幸運にも第一志望の『澤ノ上ゼミ』に入室することができた。
日本のマーケティング界で第一人者と言われている澤ノ上教授のゼミであり、あの憧れのプロデューサーが所属したゼミだった。
ゼミの初日、最先端のマーケティング研究から生み出された成果を学べることにワクワクしながら誰も座らない最前列の席で待ち構えていると、ドアが開き、教授が入ってきた。
その瞬間、背筋がピンと伸びた。
教授は中央の教壇に資料を置き、ゆっくりと室内を見回した。
そして短い挨拶のあと、背広の上着を脱ぎ、ネクタイを緩めて、咳払いを一つした。
さあ、いよいよ始まる。
固唾を飲んで教授の第一声を待った。
アメリカの超一流の学者と共同研究している彼の口から最先端のマーケティング用語が飛び出すものと思ってワクワクしながら待った。
しかし、耳に届いたのは予想外の言葉だった。
「三方よし!」
近江商人の経営哲学だという。
三方とは、『売り手』と『買い手』と『世間』のことだった。
「売り手と買い手が互いに利益を取るのは当たり前。しかし、それだけでは真っ当な商売とは言えない。そのことが世間、つまり社会に貢献してこそ真の商売である」
教授は違法な事例をいくつか挙げた。
「売り手と買い手だけを利するものは単なる取引である。商売ではない。そのことを頭に叩き込みなさい」
なるほど、社会に貢献し評価されてこそ真の商売か、
この言葉をしっかりと受け止めるためにノートに書き写し、三方よし、と心の中で呟いた。
*
その夜、居酒屋の2階を借り切ってゼミの歓迎会が行われた。
教授はテレビ出演のため不在だったが、先輩の4年生が全員でもてなしてくれた。
彼らは口々に「おめでとう」と言って次々にビールを注いでくれた。
それが嬉しいのと憧れのゼミに入れた喜びが重なって、その度にグラスを空けた。
宴が進み、かなり酔った同期生が話しかけてきた。
「教授は三方よしと言ってたけど、あれって三方一両得の間違いじゃないのか」
三方一両得という言葉に聞き覚えがあったので、そうかも知れないと思った時、彼は一段と大きな声を出した。
「日本の第一人者なんて言われているけど、教授もたいしたことないよな。大丈夫か、あの人」
すると、近くにいた先輩が怒ったような顔をして同期生の目の前に座った。
「君! 澤ノ上教授に対して失礼なことを言うんじゃない」
同期生は一瞬怯んだようだったが、「たいしたことないんだから、たいしたことないって言ったんですよ。どこがおかしいんですか」と口の端に泡を溜めて食ってかかった。
「君ね」
先輩の目が座っていた。
「三方一両損という言葉はあるけど、三方一両得なんていう言葉はないんだよ。大岡裁きのことをきちんと理解してから発言しなさい。教授のことをバカにしたら私が許さん!」
余りの剣幕に同期生は青ざめたようになったが、しどろもどろになりながらも言い訳を始めた。
自分が間違っていたことを認めようとせず、なんとかこの場を逃れようとしていた。
しかし先輩はそんな態度を許さなかった。
「明日からゼミに来なくていい」
冷たく突き刺すような声に場が凍った。
彼はゼミ長だった。
教授から最も信頼を得ているゼミ長の命令は教授の命令と同じだった。
ヤバイと思って同期生を見た。
謝ってこの場を収めるものとばかり思っていたが、彼の目には反省の色が見えなかった。
無礼を謝るような雰囲気は微塵もなかった。
「こっちがお断りだよ」
ゼミ長に対して悪態をつき、ふらつく足でその場を去っていった。
*
「スナッチ、お前が曲作ってくれよ」
ゼミの歓迎会が終わってすぐの頃、タッキーが突然言い出した。
「それ、いいな」
ベスが頷いた。
「えっ、僕? 僕が?」
戸惑っていると、ベスに肩を揉まれた。
「マンネリを打破しないとな」
キーボーはちょっと不満そうな表情を浮かべていたが、取り立てて何かを言うことはなかった。
突然のことだったので返事に困ってしまった。
今まで一度も曲を作ったことがないからだ。
しかし、バラードタイプの曲では速弾きが活かせないことも痛感していた。
だからロックとまではいわなくても、もっとリズム感のある曲をレパートリーに加えたいと常々思っていた。
しかしそう簡単に曲が作れるはずもないので、3人の視線を避けて部室の天井を見上げた。
すると「なんのためにここに入ってきたんだよ」という焦れたような声が聞こえた。
タッキーだった。
「作詞作曲がしたいから入部したんだろ」
ベスの声だった。
それはその通りだった。
いつかは自分で曲を作って、それを演奏したいと思っていた。
「ぐずぐずしていると、俺たち卒業しちゃうぜ」
ベスに肩を掴まれて大きく揺らされた。
確かに、最終学年になっていた彼らに時間は残っていなかった。
それに彼らが卒業したらバンドは解散することになる。
ここで断ったらなんのインパクトもないまま1年が終わってしまうだろう。
それでいいはずはない。
彼らをガッカリさせたくないし、自分も不完全燃焼で終わりたくなかった。
何も挑戦しないままバンドを終わらせるわけにはいかないのだ。
そう思うと高揚してしまったせいか、「自信はありませんが、やってみます」と口を滑らせてしまった。
しまった、と思った。
しかし、もう遅かった。
おっ、というような顔をしたあとすぐに相好を崩したタッキーとベスに手を握られてしまったのだ。
「でも、あまり期待しないでくださいね」
予防線を張るために呟いたが、彼らの耳には届いていなかった。
「楽しみだな~」
気楽な声が返ってきた。
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