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詠み曇
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「いいのですよ嫌いでも。少し寂しいですけれどね」
「……寂しい……?」
「私も頑張って作ってますからねぇ、朝ご飯」
「……そうか…」
「ほら、坊っちゃんは素直に悪いことをお認めになれる。それは難しいことですよ。
しかし、認めるのは自分なので、相手には伝わらないかもしれませんね」
「うん、」
「だから相手に言うことも必要です。そして相手も、同じように怒っているのかもしれない。
それをこちらがわかってあげようとしても、私には何故わざわざ今回、坊っちゃんにお相手がお母様のことを言ったのかはわかりません」
「…いや、」
途端に口を濁した。
当たり前に、わかるというのは怒るよりも時間が掛かるのだ。
「どうしました?」
「……いや、ううん。なんでも」
「お母様のことではなかったんですか?」
「うん。けど、そう」
…確かに。
奥様はあまり、そうして学校に赴くことを“出来ない”でいたはずで。
「…もしかして、私ですか?」
旦那様は非常に気まずそうに俯いたがすぐ、「でも、だから、」と過呼吸気味になっていく。
「おれが頼んでるんだって、」
「なるほど」
そういう時は、落ち着いて手を握ればなんとか…息子はそれでもたまに手をあげてしまうことがあったけれど、坊っちゃんはなんとか抑えてくれるから。
「言い返しちゃったんですか」
「う、だって」
「坊っちゃんはお母様も私もお守りになってくれたんですね」
彼は小さな目でポカンと私を見上げた。とても綺麗で泣きそうな黒目。
「かっこいいですよ、坊っちゃん。ありがとう」
「……え?」
「しかし、そうですね、怒鳴るとなかなか良いことがありません。怒る前は……難しいですがなんとか、……そうだ、深呼吸しましょう。手が出る前にぐっと拳を握りましょうかね」
でも本当は不謹慎にも、それでいいのではないか、なんて、世間知らずの私には思えて仕方がなかった。
「例えば…幼稚園の時のように。好きな子を怖がらせないように…ですかね」
これが一番それっぽいのかなと言ってみると、坊っちゃんは「いや昔の話だろ!」と早口で照れた。
本当にとても難しい問題で、すぐに解決するわけでもなく、その度に私は坊っちゃんと共に謝り続けた。
「最近はどうかな」
旦那様はよく、私にそう聞いた。それはいつでも達観しているような素振りでいたが、「何分構ってやれていない気がするんだ」と、まるで悩み相談にも取れるし、全てに気を遣っているようにも取れた。
「先日紀子から聞いたよ。後ろの席の子の手に鉛筆を刺したと」
「あぁ、そうですね。一緒に謝りに行きました」
「すまない、紀子が行けば良いんだけど、」
「はい。お聞きしましたら坊っちゃんが来るなと頑ななそうですね」
「流石に…と思ったんだが」
「いや、坊っちゃんは確かに始めは頑なで謝りませんでしたが、却って、私が他人なのが良いのかもしれません。私が平謝りすればちゃんと相手の子に謝ってくれましたよ。
先生方も生徒さんたちも……その、坊っちゃんの色弱についてなかなか理解が…しろと言うのも難しいのですがね」
「なるほどな…。そればかりは何とも言えないけれども…」
「真相は奥さまに、実は伝えておりません」
「んー確かに。それじゃないかと気に病んでいたよ」
旦那様は「悪かった」と謝るのだが、「いえ」と意見する。誰が謝るという問題じゃないと捉えたからだ。
「…私は、ですけれど、」
「うん」
「坊っちゃん、悪いのかなぁ…と毎度思っていたりして。勿論手を出す時点で悪くなってしまうんですから、坊っちゃんにはおまじないを教えました、差し出がましくも」
「ほうほう、おまじない?」
「はい。手が出る前に拳を握りましょうと」
しかし、それは後に仇となってしまった。
坊っちゃんは毎日のように掌を傷付けて帰ってくるようになった。
毎日、そんなに我慢をしているのかと改めて知り、爪を切るように促すしかなく。私は常々やはり間違っていたのかもしれないと思わされていた。
「……旦那様、」
私は久々にそれを思い出し、縁側で共に話した。
旦那様が息子に対峙し、始終手を握っていたのは隣で見てわかったのだ。
「はい」
平然そうに庭を眺める旦那様の緩んだ手を取り、そうすれば34年で込み上げてくるものすらある。
いまなら思いたい。
「………私との言い付けを守ってくださったのですね」
旦那様はやはり平然と「癖ですよ」と笑った。
実はあんな小さな頃の話など、覚えていないのかもしれないけれども。
「癖というのは染み付いて離れない。自分の一部となるものですね。中川さん、覚えていたんですか」
「そりゃぁもう……」
漸く私を眺めては優しい顔で、いや、治ってからはずっとそうだった。仄かに柔らかい表情。
ただそれは本当に優しいというのか、それとも少しだけ……そう、少しだけ怯えたような、そんなものかもしれなくて。
「……寂しい……?」
「私も頑張って作ってますからねぇ、朝ご飯」
「……そうか…」
「ほら、坊っちゃんは素直に悪いことをお認めになれる。それは難しいことですよ。
しかし、認めるのは自分なので、相手には伝わらないかもしれませんね」
「うん、」
「だから相手に言うことも必要です。そして相手も、同じように怒っているのかもしれない。
それをこちらがわかってあげようとしても、私には何故わざわざ今回、坊っちゃんにお相手がお母様のことを言ったのかはわかりません」
「…いや、」
途端に口を濁した。
当たり前に、わかるというのは怒るよりも時間が掛かるのだ。
「どうしました?」
「……いや、ううん。なんでも」
「お母様のことではなかったんですか?」
「うん。けど、そう」
…確かに。
奥様はあまり、そうして学校に赴くことを“出来ない”でいたはずで。
「…もしかして、私ですか?」
旦那様は非常に気まずそうに俯いたがすぐ、「でも、だから、」と過呼吸気味になっていく。
「おれが頼んでるんだって、」
「なるほど」
そういう時は、落ち着いて手を握ればなんとか…息子はそれでもたまに手をあげてしまうことがあったけれど、坊っちゃんはなんとか抑えてくれるから。
「言い返しちゃったんですか」
「う、だって」
「坊っちゃんはお母様も私もお守りになってくれたんですね」
彼は小さな目でポカンと私を見上げた。とても綺麗で泣きそうな黒目。
「かっこいいですよ、坊っちゃん。ありがとう」
「……え?」
「しかし、そうですね、怒鳴るとなかなか良いことがありません。怒る前は……難しいですがなんとか、……そうだ、深呼吸しましょう。手が出る前にぐっと拳を握りましょうかね」
でも本当は不謹慎にも、それでいいのではないか、なんて、世間知らずの私には思えて仕方がなかった。
「例えば…幼稚園の時のように。好きな子を怖がらせないように…ですかね」
これが一番それっぽいのかなと言ってみると、坊っちゃんは「いや昔の話だろ!」と早口で照れた。
本当にとても難しい問題で、すぐに解決するわけでもなく、その度に私は坊っちゃんと共に謝り続けた。
「最近はどうかな」
旦那様はよく、私にそう聞いた。それはいつでも達観しているような素振りでいたが、「何分構ってやれていない気がするんだ」と、まるで悩み相談にも取れるし、全てに気を遣っているようにも取れた。
「先日紀子から聞いたよ。後ろの席の子の手に鉛筆を刺したと」
「あぁ、そうですね。一緒に謝りに行きました」
「すまない、紀子が行けば良いんだけど、」
「はい。お聞きしましたら坊っちゃんが来るなと頑ななそうですね」
「流石に…と思ったんだが」
「いや、坊っちゃんは確かに始めは頑なで謝りませんでしたが、却って、私が他人なのが良いのかもしれません。私が平謝りすればちゃんと相手の子に謝ってくれましたよ。
先生方も生徒さんたちも……その、坊っちゃんの色弱についてなかなか理解が…しろと言うのも難しいのですがね」
「なるほどな…。そればかりは何とも言えないけれども…」
「真相は奥さまに、実は伝えておりません」
「んー確かに。それじゃないかと気に病んでいたよ」
旦那様は「悪かった」と謝るのだが、「いえ」と意見する。誰が謝るという問題じゃないと捉えたからだ。
「…私は、ですけれど、」
「うん」
「坊っちゃん、悪いのかなぁ…と毎度思っていたりして。勿論手を出す時点で悪くなってしまうんですから、坊っちゃんにはおまじないを教えました、差し出がましくも」
「ほうほう、おまじない?」
「はい。手が出る前に拳を握りましょうと」
しかし、それは後に仇となってしまった。
坊っちゃんは毎日のように掌を傷付けて帰ってくるようになった。
毎日、そんなに我慢をしているのかと改めて知り、爪を切るように促すしかなく。私は常々やはり間違っていたのかもしれないと思わされていた。
「……旦那様、」
私は久々にそれを思い出し、縁側で共に話した。
旦那様が息子に対峙し、始終手を握っていたのは隣で見てわかったのだ。
「はい」
平然そうに庭を眺める旦那様の緩んだ手を取り、そうすれば34年で込み上げてくるものすらある。
いまなら思いたい。
「………私との言い付けを守ってくださったのですね」
旦那様はやはり平然と「癖ですよ」と笑った。
実はあんな小さな頃の話など、覚えていないのかもしれないけれども。
「癖というのは染み付いて離れない。自分の一部となるものですね。中川さん、覚えていたんですか」
「そりゃぁもう……」
漸く私を眺めては優しい顔で、いや、治ってからはずっとそうだった。仄かに柔らかい表情。
ただそれは本当に優しいというのか、それとも少しだけ……そう、少しだけ怯えたような、そんなものかもしれなくて。
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