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泥濘
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それは薄暗い最中。
あれは過去の泥濘。
泥濘が踏み固まって雨が降りまた泥濘して凝固していく。
そんな感覚。
あの日見た陽の光は朧気だった。
晴れていたのか、だけどそういえば鉄を打ち付けるようなけたたましい音は心のどこか、意識のどこかで鼓膜の先に届いていたような気がする。
水滴は打ち付けられては散っていく。運転席に乗った過去の、薄い色の髪は振り返ることなく煙管の煙と共に告げた。
「疲れたね」
そうか。
そうなのか。
「裕次郎さん、最後に言うけど」
掠れたような、濡れた声が聞こえる。
自分は多分、このままこうして、意識を戻していないことにしていた方がいいのだろう。
「あんたは最後まで最低だった」
「そうだね」
あぁそうか。
ついにこの二人。
自分も含めて人生が、
自分なんてたった17年、いい加減大学だとか、未来の話を昨日までは友人と話していた、それがもう。
「何も蛍まで…」
「それの方が最低じゃないか」
雨の中の湿った車内。
灰色の窓の外と、水滴、熱さと。
眼が覚めて手を伸ばした窓の水滴に濡れた手は乾いていた。見て取れない前の運転席では気配のない母親と、助手席から覗く紺色の着流し一枚に覗いた手首。その先にある安い、コンビニかなんかで買ってきたのだろう日本酒の瓶。
動かないその手首を眺めて、視界が微睡んでいく。車内は息苦しく暑い。どういう事情なのか理解しようにも体が自由に利かない。脳も酸素を欲して麻痺しているようだ。
この体の昏睡、脳の麻痺。意識と理性と、たった一つの感情だけが、少年の中に電機信号のような鮮やかさで駆け巡る。
悲しい。
最後に思うのはこれなのかと、ぼんやりとした頭で少年は眼を閉じた。
それから、少しの苦しいワンクッションあったが、あとはただ、眠るように意識は掠れ、そのうち泥濘した。
夢を観たような、それとも記憶をまざまざと視せつけられたかのような、深く沈んでしまったかのような時間が過ぎ。
どれだけ少年はそうしていたのか。次に起きたら見慣れない、けど見慣れているような、生活感がなく清潔感のある天井が視界を占め、端には点滴が、呼吸をするように液体を落としていた。状況把握に時間を要する。
自分が今どうしているのか全くわからない。
そもそもが昨日だかどうだかも定かではないが普通の日常を送っていたはずだった。いつも通りに少年は朝起きていつも通り学校から帰りいつも通り、家で。
泥沼のような微睡みで目が覚めた。
視界はブレたが一瞬の事情、顔をあげれば文机に、どうやら突っ伏していたようだった。急に頭を上げたせいか耳鳴りのような、針の痛さが頭のどこかに突き刺さる。そこからどっと体内に血液を感じて頭を咄嗟に押さえようとするも、先程までそれに体重を少しばかり乗せていたせいか、腕は痺れて動かなかった。特に右の利き手。
ぱさっと肩から落ちた毛布に、そうだ今は客人がいると思い出し、後ろを振り返るも友人は自分に背を向け襖の方を向いていた。
原稿は自分が眠っていた位置よりも左側に寄せて丁寧に重ねられていた。仕方なく蛍は、麻痺した自分の利き腕を、弄ぶように左手で摘まんでは持ち上げ落とし、それを繰り返してやり過ごす。
「起きたのか」
友人が体ごと振り返った。顔の様子から、実は一睡もしていないだろうと読み解ける。
「…寝れないの?」
「まぁ」
漸く感覚を戻した利き手で、側にあったケータイの画面に触れる。
時刻は深夜2時38分。秋の夜更けには大分深い。寧ろ、浅くなり始める手前である。
「悪い夢でも見た?」
毛布を手探る手を一瞬止めて、友人の何気ない一言に神経を使う。
対して友人は、気にしたような声色でも目付きでもない。自分もそれに努めようと気のない素振りで「忘れた」と言い、友人が掛けてくれたのであろう毛布を手にして肩に掛ける。
「そうか」
「空太も寝たら?寝てないんでしょ」
「まぁね。でもなんだか寝れなくてな」
「そう」
あれは過去の泥濘。
泥濘が踏み固まって雨が降りまた泥濘して凝固していく。
そんな感覚。
あの日見た陽の光は朧気だった。
晴れていたのか、だけどそういえば鉄を打ち付けるようなけたたましい音は心のどこか、意識のどこかで鼓膜の先に届いていたような気がする。
水滴は打ち付けられては散っていく。運転席に乗った過去の、薄い色の髪は振り返ることなく煙管の煙と共に告げた。
「疲れたね」
そうか。
そうなのか。
「裕次郎さん、最後に言うけど」
掠れたような、濡れた声が聞こえる。
自分は多分、このままこうして、意識を戻していないことにしていた方がいいのだろう。
「あんたは最後まで最低だった」
「そうだね」
あぁそうか。
ついにこの二人。
自分も含めて人生が、
自分なんてたった17年、いい加減大学だとか、未来の話を昨日までは友人と話していた、それがもう。
「何も蛍まで…」
「それの方が最低じゃないか」
雨の中の湿った車内。
灰色の窓の外と、水滴、熱さと。
眼が覚めて手を伸ばした窓の水滴に濡れた手は乾いていた。見て取れない前の運転席では気配のない母親と、助手席から覗く紺色の着流し一枚に覗いた手首。その先にある安い、コンビニかなんかで買ってきたのだろう日本酒の瓶。
動かないその手首を眺めて、視界が微睡んでいく。車内は息苦しく暑い。どういう事情なのか理解しようにも体が自由に利かない。脳も酸素を欲して麻痺しているようだ。
この体の昏睡、脳の麻痺。意識と理性と、たった一つの感情だけが、少年の中に電機信号のような鮮やかさで駆け巡る。
悲しい。
最後に思うのはこれなのかと、ぼんやりとした頭で少年は眼を閉じた。
それから、少しの苦しいワンクッションあったが、あとはただ、眠るように意識は掠れ、そのうち泥濘した。
夢を観たような、それとも記憶をまざまざと視せつけられたかのような、深く沈んでしまったかのような時間が過ぎ。
どれだけ少年はそうしていたのか。次に起きたら見慣れない、けど見慣れているような、生活感がなく清潔感のある天井が視界を占め、端には点滴が、呼吸をするように液体を落としていた。状況把握に時間を要する。
自分が今どうしているのか全くわからない。
そもそもが昨日だかどうだかも定かではないが普通の日常を送っていたはずだった。いつも通りに少年は朝起きていつも通り学校から帰りいつも通り、家で。
泥沼のような微睡みで目が覚めた。
視界はブレたが一瞬の事情、顔をあげれば文机に、どうやら突っ伏していたようだった。急に頭を上げたせいか耳鳴りのような、針の痛さが頭のどこかに突き刺さる。そこからどっと体内に血液を感じて頭を咄嗟に押さえようとするも、先程までそれに体重を少しばかり乗せていたせいか、腕は痺れて動かなかった。特に右の利き手。
ぱさっと肩から落ちた毛布に、そうだ今は客人がいると思い出し、後ろを振り返るも友人は自分に背を向け襖の方を向いていた。
原稿は自分が眠っていた位置よりも左側に寄せて丁寧に重ねられていた。仕方なく蛍は、麻痺した自分の利き腕を、弄ぶように左手で摘まんでは持ち上げ落とし、それを繰り返してやり過ごす。
「起きたのか」
友人が体ごと振り返った。顔の様子から、実は一睡もしていないだろうと読み解ける。
「…寝れないの?」
「まぁ」
漸く感覚を戻した利き手で、側にあったケータイの画面に触れる。
時刻は深夜2時38分。秋の夜更けには大分深い。寧ろ、浅くなり始める手前である。
「悪い夢でも見た?」
毛布を手探る手を一瞬止めて、友人の何気ない一言に神経を使う。
対して友人は、気にしたような声色でも目付きでもない。自分もそれに努めようと気のない素振りで「忘れた」と言い、友人が掛けてくれたのであろう毛布を手にして肩に掛ける。
「そうか」
「空太も寝たら?寝てないんでしょ」
「まぁね。でもなんだか寝れなくてな」
「そう」
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