蜉蝣

二色燕𠀋

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紫煙

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 あまりに突然の珍事と変動に、蛍と野山さんはただ、黙って若者を見守り次の手を待つことにした。吐かれる紫煙は場には不相応にゆったりと、木造を浮遊しては消え失せる。

 空太も空太でこの激情はどうしようもないほどに鮮やかながら、持ち場がない。やりきれない。

 だが自分はとにかく今は、目の前で落ち着きながらも心配の色を見せる友人にやり場を与えなければならないと、改めて、ハイライトを取り込んだ。灰がぱさりと指を掠めて地面に落ちる。

 嫌な予感しかしない。その予感は多分確実だから阻止したい。

 だがなんと言おうか空太が考えあぐねている隙に、「まぁ、」と口を開いたのは野山さんだった。

「今回の企画は実は、週刊の方なんですけどね。たまたまこの前林先生がお見えになりまして。直木候補の方のお話になって、それからインタビューを書いたんです。
 話していて、上柴さんとプロットスタイルや作品スタイルが似ていると思いまして」
「はぁ…」
「しかしまぁ、上柴先生はインタビューとか、少々苦手ですね」
「まぁ、そうですね」

 だからきっと謎作家なのだろうけど。

「でもなんとなく、良い刺激になりそうかな、と思って、軽く林先生にはお話ししたんですよ」
「えっ、」

 驚いたのは空太だった。
 そして。

「なんで、」

 かなり動揺し始めた。
 どうしたと言うんだろう。

「いやまぁ、直木に似たようなスタイルの作家さんがいますよって話で。なのにこれほどまでに作品が違うというのは、面白いですねって雑談をしていたら、興味を持ってくださって、上柴先生の本を一冊買っていかれました」
「はぁ…」
「次の日には連絡がありまして、その対談、是非ともやりたい、お会いしたいとお返事がありまして」
「ふ、なんだそりゃ」

 明らかなる敵意。空太は煙草をもう一本出して火をつけた。

「あんな作家に蛍の何がわかる。高々一冊読んだだけで偉そうに。俺はあんな人間味のない奴、蛍とは合わないと思いますよ野山さん。
 大体なんだってその人今更、」
「今更って何?」

 流石に蛍は口を出さずにはいられなくなった。

 そもそもこの男、気付いてないだろうが先程から上柴楓の仕事の口出しを、蛍と、つまりは自分を指してして話している。これには個人的な、私的な感情が含まれていそうな気がする。
 それを言及しなければこの場は収まらない。この男が不機嫌なだけで担当を困らせて終わってしまう。

「は、」
「今更、と言うのは何?昔ならよかったのそれ。さっきから君は何にそんな腹を立てているのかよくわからないんだけど」

 尤もな意見に空太は黙り込んでしまった。非常に居心地が悪そうに見えた。

「…まぁ、いいです今回は。私も急に持ちかけた企画ですし。
 空太さんがそれほど言うならきっと、そうなんでしょう。貴方を、誰よりも彼は見てきています」
「いや、それは」
「では、その代わり、もう一人候補がいるのですが、その方と3人で対談して頂けませんか?」

 急な担当の振りに、思わず空太も蛍も「は?」「へ?」とハモる。しかしながら今回の野山さんは揺るぎなく、二人の若者を順々に捉えた。

「その方、表紙から文からすべて自分であげてくる、あなた方と同世代くらいの男性です。クリエイターとして、作家として、良いインスピレーションになると思いますよ。本、置いていくんで是非とも読んでくださいな」

 担当の笑顔の底にはなんだか、腹黒いような感情を読み解くことが出来た。

 忘れていた。この担当、上柴楓を担当するだけあって実は相当なやり手で人の使い方がこうして、上手いのだった。今だって二人とも、断る術を失くしてしまい、ただただ黙って、彼女がちゃぶ台に置いた『夕感鉄橋ゆうかんてっきょう』なる、よくわからないタイトルの、ノスタルジー溢れる鉄橋が描かれた300ページくらいの単行本を眺めるしかなくなってしまっている。

 それの作者は、確かに最近、所謂売れている現代ファンタジー?作家の“北條ほうじょう凛李りんり”。

 マジかこれが男性かと、唖然としてしまった。世の中最早なにがなんだかわからない、というか絶対にタイプが違う。最早こちらの方が自分の中で未知数だしなんとなく対処がわからない。

 本格的に面倒な仕事になったなと、恨めしい思いで蛍が空太を見れば、空太は興味ともつかない淡々とした動作で本を手にして、「やっぱすげぇなライトノベル」とぼやくだけだった。
 なんなんだこれは一体。

「では、引き続きよろしくお願い致します。また決まり次第ご連絡差し上げますので」

 しとやかに微笑んで野山さんは立ち上がった。今日の用事は済んだらしい。
 取り敢えず二人で店先まで野山さんを見送り、背中が遠くなってから空太と蛍は顔を見合わせてどちらともなく溜め息を吐いた。

「さぁて、飯食おうか」
「そうだね。何にしようか」
「たまには外にでも行くか?」
「まぁそれでもいいよ」

 確かに少し陰気臭くなってしまっている。このままではあまりよくない。たまには気分転換も、必要ではある。

「けど…」

 だったら。

「たまには俺が作ろうか」
「えっ、」

 なんだその反応は。なんだか驚愕といった反応なんだが。

「なんだよ」
「いや、蛍ちゃん、そんな事出来た?」
「物は試しだよ。それに空太がいないときは自分でやってるし」
「あぁ、そうね、はい」
「何、」
「いやぁ…」

 とても器用に思えない。しかしまたそれを言えば彼は、いじけてしまうだろうか。
 でもまぁいいか、たまには。

「わかった。今日は凄いや、愛妻弁当的な、なんか」
「言葉は間違ってるけど色々。けどまぁ、」

 そんなことでこの幼馴染みは。
 こんなに無邪気に喜ぶのか。

「はい、はい!戻ろう!」

 促され、店の方に向く。
 単純に、なんとなくな蛍の不器用な気遣いが少し、こそばゆいような嬉しさが空太のなかでは勝ってしまって。友人の横顔は、夕陽の横日に照されて哀愁と風情があって美しい。

 あぁ残念だ。カメラがない。
 だけどまぁいい。案外こういった情景の懐古は、自分のフィルムにはっきり残るものだ。

 夕日は何故かこうも切迫する。哀愁がある。懐古、ノスタルジーの残映だと勝手に解釈した。蛍の向こう側の鰯雲いわしぐもが、鮮やかで。

「蛍、見ろよ」

 指を差した先。眺めて瞳を細めた蛍が、「あぁ、」と漏らした。

鱗雲うろこぐも

 そうか、鱗雲か。

「さて」

 冷えるから中に、そう促して然り気無く蛍の髪に指を滑らせる。

 懐古はそう、明日にはない情景だ。それは確かな事情。それに怯えるのは、変わらない日常が懐古も未来も途方もなく広がっているからだと、自分の小ささを垣間見る。
 結局壊すのは人であり現象でも自然でもない、だからそう、今は、まず出来ることから始めようと、空太は強く思うのだった。
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