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破壊衝動
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どうやら自分はわりと上の空、いや、浮かれているらしい。切れ長で、よく見ると右に凄く小さな黒子があるタレ目の顔が頭に浮かぶ。
早く来ないかな、とぼんやり窓を眺めた。
コーヒーは冷めてきている。より甘ったるい。今日は少し情緒が不安定なのかもしれないなと、ピルケースから薬を取り出し、迷って1錠を噛み砕きコーヒーで流す。
ふるっと、震える。
苦さには丁度良い甘さだった。
これが真っ直ぐだなんて、自分には思えない。
初めて会った時、彼は唯一最後まで曲を聴いてくれた人だった。
あれは、夜の雑踏と混沌が溶けあっていた日。
不穏だったのはゲネリハからずっとそうで、事務所の先輩バンドのギターが体調不良を訴え、姿すら現さなかったのだ。
しかし自分達は後輩だし、何かを物申すことはしなかった。
ぶっちゃけ、よく知りもしないバンドだったし、ただ自分達に演奏する場所をくれた、その程度のよくあることだと割り切ったのだ。
別に、彼らが転けたとしても当日を迎えてしまっている。どうにかするしかないのはお宅らじゃないか、という中途半端な若い気の強さがあったのかもしれない。
冷たいコンクリートの、錆び臭い階段。
本番前、コンビニに行こうとしただけだった。
一応の挨拶だってある。雑居ビルなのだし、騒がしい階は楽屋以外にだってあったのだけど。
何故そのとき、楽屋ではない、何も入っていないはずの階に行ってみたのかは自分でも不思議だが、先輩達はその場所で、完璧にラリってしまっていたのだ。
そこにはライブハウスのオーナーの声も混じっていた。
その奇声は最早、古臭いビルのどこにでも響いていたのではないかという程だった。
一緒に来ていたドラムの半井は「やべぇよなぁ、」と、興味なのか恐怖なのかわからないような声で呟いた。
二人で、見てはいないし、聞かなかったことにしようと瞬時に視線だけで決めた。
ここでもしこの扉を開けてしまうと、自分達は後輩だ、口封じにそこへ混ぜられるかもしれないと判断したのだ。
珍しいことかといえば、案外そうでもない。寧ろ、それほど珍しくもない事ではあった。
…楽しいという形は様々なんだと、自分は少し、幼かったのかもしれない。
皮肉もあった、そんなもので楽しいと思えるならと、虚勢を心に貼り付けていなければ手も足も震えそう、別の感情に犯されそうでやっていけなかったのかもしれない。
自分はそれらとは少し違う感情で生きていた、いまでもそう。自分は一度失敗している、何故か汚されたくないと思ったのだ。グランジロックを愛するくせに。
本番まで先輩たちと会うことはなかった、いや、正確には二度と会うことはなかった。
マトリのガサが入ったのは、前座である自分達の終盤だった。
ふと左耳から音が離れ、日常が身体に雪崩れ込んだ。
振り向けば背の高い、灰色スーツと黒シャツが目に入る。見上げればタレ目が笑い「何聴いてんだー?」と、低い声で言ってくる。
側には、スラッとしたすまし顔の運転手がいて、椅子を下げて江崎を促していた。
彼、江崎新は当時、あのビルの持ち主だった。
その後、先輩達が現行犯逮捕されたところまでが自分の知っている範囲だ。
「よう、待たせたな」
「…早めに着いたみたいです」
江崎はこちらへメニューを渡しながら店員を捕まえ「コーヒーと…」と、こちらと運転手を見てくる。
「俺もコーヒーで」「自分も…」というのに改めて「コーヒー3つで」と店員に注文をした。
また、さっとまわりを見ては「禁煙だったけ、ここ」と胸ポケットに手をやったまま。
「いえ、確か大丈夫です、変わっていなければ」
「吸っていいか?」
「どうぞ、大丈夫です」
江崎は更に、他の店員に「ごめんね何度も。灰皿頂戴」と頼んでいた。
残念ながら「すみません、全席禁煙なんです」と言われてしまい、素直にタバコはしまったままになってしまったようだった。
「…俺、嘘吐きましたね、ごめんなさい」
「いや、自分もリサーチ不足でした、申し訳ございません」
運転手が堅苦しく謝るが「いーって、別に」と、確かに気にした風でもない。
「最近どこもそうなんだ。しかし、丁度良いかもな。一杯飲んだら出よう」
「そうですね」
「そんで、だ。早速本題で悪いがアレはどこで手に入れたんだ?」
「シモキタの…東口です」
「東口……」
運転手がぼそっと疑問そうだ。
確かにそうだろう。あそこに東口という概念は今までなかった。
「あぁ、やっと出来たんか。へぇ、どうだった?」
「いや、そんなに変わりなかったですよ。要するに北口というか」
「北口は難しいからなぁ…東口になってから競争率高ぇし、あれ?中央口は?…まぁ、今多分、カオスなんだわ。
一歩踏み込むと面倒臭さそうだが…ウチはヤナセが一軒押さえてたか?」
「うーん、東口…」
「だからタマ、北口だってば。まぁ確かに呼び方で大分違うが」
そういうもんなのか。
夫婦漫才のようなやり取りの中、店員がコーヒーを運んでくる。
一度二人は一口コーヒーを飲み「うーん…」と、運転手のタマはまだ頭を捻った。
早く来ないかな、とぼんやり窓を眺めた。
コーヒーは冷めてきている。より甘ったるい。今日は少し情緒が不安定なのかもしれないなと、ピルケースから薬を取り出し、迷って1錠を噛み砕きコーヒーで流す。
ふるっと、震える。
苦さには丁度良い甘さだった。
これが真っ直ぐだなんて、自分には思えない。
初めて会った時、彼は唯一最後まで曲を聴いてくれた人だった。
あれは、夜の雑踏と混沌が溶けあっていた日。
不穏だったのはゲネリハからずっとそうで、事務所の先輩バンドのギターが体調不良を訴え、姿すら現さなかったのだ。
しかし自分達は後輩だし、何かを物申すことはしなかった。
ぶっちゃけ、よく知りもしないバンドだったし、ただ自分達に演奏する場所をくれた、その程度のよくあることだと割り切ったのだ。
別に、彼らが転けたとしても当日を迎えてしまっている。どうにかするしかないのはお宅らじゃないか、という中途半端な若い気の強さがあったのかもしれない。
冷たいコンクリートの、錆び臭い階段。
本番前、コンビニに行こうとしただけだった。
一応の挨拶だってある。雑居ビルなのだし、騒がしい階は楽屋以外にだってあったのだけど。
何故そのとき、楽屋ではない、何も入っていないはずの階に行ってみたのかは自分でも不思議だが、先輩達はその場所で、完璧にラリってしまっていたのだ。
そこにはライブハウスのオーナーの声も混じっていた。
その奇声は最早、古臭いビルのどこにでも響いていたのではないかという程だった。
一緒に来ていたドラムの半井は「やべぇよなぁ、」と、興味なのか恐怖なのかわからないような声で呟いた。
二人で、見てはいないし、聞かなかったことにしようと瞬時に視線だけで決めた。
ここでもしこの扉を開けてしまうと、自分達は後輩だ、口封じにそこへ混ぜられるかもしれないと判断したのだ。
珍しいことかといえば、案外そうでもない。寧ろ、それほど珍しくもない事ではあった。
…楽しいという形は様々なんだと、自分は少し、幼かったのかもしれない。
皮肉もあった、そんなもので楽しいと思えるならと、虚勢を心に貼り付けていなければ手も足も震えそう、別の感情に犯されそうでやっていけなかったのかもしれない。
自分はそれらとは少し違う感情で生きていた、いまでもそう。自分は一度失敗している、何故か汚されたくないと思ったのだ。グランジロックを愛するくせに。
本番まで先輩たちと会うことはなかった、いや、正確には二度と会うことはなかった。
マトリのガサが入ったのは、前座である自分達の終盤だった。
ふと左耳から音が離れ、日常が身体に雪崩れ込んだ。
振り向けば背の高い、灰色スーツと黒シャツが目に入る。見上げればタレ目が笑い「何聴いてんだー?」と、低い声で言ってくる。
側には、スラッとしたすまし顔の運転手がいて、椅子を下げて江崎を促していた。
彼、江崎新は当時、あのビルの持ち主だった。
その後、先輩達が現行犯逮捕されたところまでが自分の知っている範囲だ。
「よう、待たせたな」
「…早めに着いたみたいです」
江崎はこちらへメニューを渡しながら店員を捕まえ「コーヒーと…」と、こちらと運転手を見てくる。
「俺もコーヒーで」「自分も…」というのに改めて「コーヒー3つで」と店員に注文をした。
また、さっとまわりを見ては「禁煙だったけ、ここ」と胸ポケットに手をやったまま。
「いえ、確か大丈夫です、変わっていなければ」
「吸っていいか?」
「どうぞ、大丈夫です」
江崎は更に、他の店員に「ごめんね何度も。灰皿頂戴」と頼んでいた。
残念ながら「すみません、全席禁煙なんです」と言われてしまい、素直にタバコはしまったままになってしまったようだった。
「…俺、嘘吐きましたね、ごめんなさい」
「いや、自分もリサーチ不足でした、申し訳ございません」
運転手が堅苦しく謝るが「いーって、別に」と、確かに気にした風でもない。
「最近どこもそうなんだ。しかし、丁度良いかもな。一杯飲んだら出よう」
「そうですね」
「そんで、だ。早速本題で悪いがアレはどこで手に入れたんだ?」
「シモキタの…東口です」
「東口……」
運転手がぼそっと疑問そうだ。
確かにそうだろう。あそこに東口という概念は今までなかった。
「あぁ、やっと出来たんか。へぇ、どうだった?」
「いや、そんなに変わりなかったですよ。要するに北口というか」
「北口は難しいからなぁ…東口になってから競争率高ぇし、あれ?中央口は?…まぁ、今多分、カオスなんだわ。
一歩踏み込むと面倒臭さそうだが…ウチはヤナセが一軒押さえてたか?」
「うーん、東口…」
「だからタマ、北口だってば。まぁ確かに呼び方で大分違うが」
そういうもんなのか。
夫婦漫才のようなやり取りの中、店員がコーヒーを運んでくる。
一度二人は一口コーヒーを飲み「うーん…」と、運転手のタマはまだ頭を捻った。
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