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泉水に映る東雲
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しかし、ちょっとこっちがイライラすれば「あそっ、」と言って勇咲は立ち上がった。
「…嘘吐き。いまあんたとやりたくねぇ。雀三借りてくる」
「え、」
勇咲くん、と咄嗟に引き止めるのも聞いてくれず、本当に出て行ってしまい。
「…」
稽古場は静かになってしまった。
「『仕方ないなぁ…』」
あの日に聞いた最期の言葉をなぞってみて、また溜め息が出た。
あれから極力、わりと夢中で、だけど明るく居ようとやって来たんだけど。どうにも、今は一人だ。憂鬱になりそうで仕方ないから一人、三味線を構えて弾いてみる。
拘ってるのかな、まだ、俺は。
激しくも不思議な重い旋律に思い出すのは、だだっ広いこの床と、空間と。あの時と変わらない、窓から見える、視界を覆う草。
「アゝ翅が欲しい、羽が欲しい、飛んで行きたい、知らせたい、逢ひたい見たい」
この一説がどうにもやっぱり弾けなくて。
『俺がこいつの面倒を見ましょう、鵜志師匠』
『…雀次師匠、なかなかこってり絞っちゃいましたね』
雀四郎時代、あの人はとても穏やかだった。いつだって笑顔で、何があっても笑顔で。焦ったあの頃の俺は恐らく、少しの反抗心があって。
『あんさん、どうしてそんなに笑っていられるんや』
皮肉を言ったつもりだった。多分実際自分はイライラしていた。余裕も自信もなくて、だから当たれる年上だったのかもしれないと、いまなら振り返れるけど。
『そーんな急いても誰も得しないよ、雀四郎。胸を張って、仲良くやれなきゃ。泣いても笑っても演目は哀愁なんだから』
あれは確か、そう。曽根崎心中だったかな。
「珍しいですね雀次兄さん」
「ん、」
弟弟子、雀三の一声で、
いつの間にか奥火から、曽根崎の天神森を弾いていることに気が付いた。
ありゃありゃ。
どこへ行ったか八重垣姫。
…て言うか。
「雀三?」
襖へ振り向けば雀三が、三味線を持って立っていた。
「あれ、勇咲くんは?」
「来ましたよ。というかお連れしましたよ」
「は?」
「いやだってここで踞ってましたから」
「え、なんで!?」
具合が悪かったのか、勇咲。
「知りませんけどなんか、唸って一人で独り言のように語ってましたよ、廿四孝」
「えなにそれ」
気持ち悪っ。
「流石に気持ち悪かったんで「どうしました?」って聞けば、兄さんと喧嘩した言うから穂咲兄さんのとこに持っていきました」
「マジかなにそれ」
「なので兄さん暇かなぁと、戻って参りました。稽古してくれますか?」
「まぁ、ええけど…」
そう言えば漸く前に座り、三味線を持つが、どうにも、俯くばかりで手元を見つめて弾き始めない雀三。
なんかあったんだろうか。
「…いま、菅原伝授か雀三」
「それなんですがね…」
なんだろ。やっぱ兄さんと上手くいかなかったか。
「なかなか、穂咲兄さんと師匠に合わないんですよ、俺」
「あぁ、そうか」
「兄さんは、穂咲兄さんにどう向き合ってたのかなって」
「ん?」
「…やっぱ、言われちゃいましてね。「雀次ならここで入る」とか、「雀次ならそこは走る」とか」
「うわぁ…なんか悪いな…」
「謝らんでくださいよ。情けなくなるやないですか」
「んーそうだな。
じゃぁさぁ。
奥火、ちょっと聴いてくれん?勇咲くんならどう入るか、ちょっと参考にしたい」
「嫌です」
はっきり断られた。
なんだ、どうした雀三。
「…あんたは、誰とでも合わせられるやないですか。ちゃんと腕があるのに、なんで弟弟子に聞くんですか」
「だって、お前のが勇咲くんと組んでるやん」
「そうですけど!」
「なかなか合わないんやで、勇咲くん」
「だから」
「まぁ俺のせいやけどねぇ。俺芸道の浮気者やから」
至極明るく努めて言ってみるが、
「それ、勇咲兄さんに言われたんですか?」
と雀三に真面目に返されてしまった。
根が真面目すぎる弟弟子、忘れていたぞ。なんだか非常に心配そうに見られてしまっているが、俺。
「いや、言われてないけど」
「なら、なんでそんなこと」
「えっ、いや俺がそう思ったから」
「あんさん勇咲兄さんのことわかってないですね」
ぐさっ。
痛烈なんすけど、弟弟子雀三。
「でも自分のこともわかってない」
ぐさっ、2回目。
何故、何故こんなになじられてるの俺。
「全く…、菅原伝授弾いて頂けないですか兄さん」
「あ、はい」
なんだろう。
雀三、物凄く勇咲と気が合うだろうなぁ。いやどうなんだ、どちらも気が強いなぁ。そりゃぁ、あの嫌味ったらしい穂咲兄さんとは合わせずらいかも。
けど…。
「穂咲兄さんは、わりと芸に関して寛容な方やで」
「え、はぁ…」
「その中にもあの人独自の拘りがあって、そこをこっちが引っ張り出さんと確かに、なかなか心は開いてくれんな。
最初の頃やったかなぁ、あの人、わざと入りだし全部ずらしてきたことがあって」
「あ!」
覚えがあるらしい。
やはりな。
「何故なんですかと聞いたことがある。したらあの人言ったわ、「自分だけの音が欲しい」とな」
「自分だけの音…」
「せやからぜーんぶずらしに乗っけたことがある。
そしたらなんや芸を、明け渡してくれたよ。次からばっちり決まった」
「はぁ…」
「言われてみれば俺はあの頃、わりと無難に弾いていた。仕方ないよな、駆け出しだし。それじゃ嫌なんやて」
「…なるほど…」
「兄さんな、ちょっと声が高いのが実は嫌なんやて、後になって言われた。だからなんとなく、実は所々高い弦で弾いてるんよ。2弦で12弾くか3弦で2弾くかの違いやけど」
「ははぁ…なるほど」
「同じ音は出るが、気持ち高いやろ?」
「あぁなるほど、ピンと来た」
「じゃ、んなんで俺の菅原伝授、聴かせよか」
「…嘘吐き。いまあんたとやりたくねぇ。雀三借りてくる」
「え、」
勇咲くん、と咄嗟に引き止めるのも聞いてくれず、本当に出て行ってしまい。
「…」
稽古場は静かになってしまった。
「『仕方ないなぁ…』」
あの日に聞いた最期の言葉をなぞってみて、また溜め息が出た。
あれから極力、わりと夢中で、だけど明るく居ようとやって来たんだけど。どうにも、今は一人だ。憂鬱になりそうで仕方ないから一人、三味線を構えて弾いてみる。
拘ってるのかな、まだ、俺は。
激しくも不思議な重い旋律に思い出すのは、だだっ広いこの床と、空間と。あの時と変わらない、窓から見える、視界を覆う草。
「アゝ翅が欲しい、羽が欲しい、飛んで行きたい、知らせたい、逢ひたい見たい」
この一説がどうにもやっぱり弾けなくて。
『俺がこいつの面倒を見ましょう、鵜志師匠』
『…雀次師匠、なかなかこってり絞っちゃいましたね』
雀四郎時代、あの人はとても穏やかだった。いつだって笑顔で、何があっても笑顔で。焦ったあの頃の俺は恐らく、少しの反抗心があって。
『あんさん、どうしてそんなに笑っていられるんや』
皮肉を言ったつもりだった。多分実際自分はイライラしていた。余裕も自信もなくて、だから当たれる年上だったのかもしれないと、いまなら振り返れるけど。
『そーんな急いても誰も得しないよ、雀四郎。胸を張って、仲良くやれなきゃ。泣いても笑っても演目は哀愁なんだから』
あれは確か、そう。曽根崎心中だったかな。
「珍しいですね雀次兄さん」
「ん、」
弟弟子、雀三の一声で、
いつの間にか奥火から、曽根崎の天神森を弾いていることに気が付いた。
ありゃありゃ。
どこへ行ったか八重垣姫。
…て言うか。
「雀三?」
襖へ振り向けば雀三が、三味線を持って立っていた。
「あれ、勇咲くんは?」
「来ましたよ。というかお連れしましたよ」
「は?」
「いやだってここで踞ってましたから」
「え、なんで!?」
具合が悪かったのか、勇咲。
「知りませんけどなんか、唸って一人で独り言のように語ってましたよ、廿四孝」
「えなにそれ」
気持ち悪っ。
「流石に気持ち悪かったんで「どうしました?」って聞けば、兄さんと喧嘩した言うから穂咲兄さんのとこに持っていきました」
「マジかなにそれ」
「なので兄さん暇かなぁと、戻って参りました。稽古してくれますか?」
「まぁ、ええけど…」
そう言えば漸く前に座り、三味線を持つが、どうにも、俯くばかりで手元を見つめて弾き始めない雀三。
なんかあったんだろうか。
「…いま、菅原伝授か雀三」
「それなんですがね…」
なんだろ。やっぱ兄さんと上手くいかなかったか。
「なかなか、穂咲兄さんと師匠に合わないんですよ、俺」
「あぁ、そうか」
「兄さんは、穂咲兄さんにどう向き合ってたのかなって」
「ん?」
「…やっぱ、言われちゃいましてね。「雀次ならここで入る」とか、「雀次ならそこは走る」とか」
「うわぁ…なんか悪いな…」
「謝らんでくださいよ。情けなくなるやないですか」
「んーそうだな。
じゃぁさぁ。
奥火、ちょっと聴いてくれん?勇咲くんならどう入るか、ちょっと参考にしたい」
「嫌です」
はっきり断られた。
なんだ、どうした雀三。
「…あんたは、誰とでも合わせられるやないですか。ちゃんと腕があるのに、なんで弟弟子に聞くんですか」
「だって、お前のが勇咲くんと組んでるやん」
「そうですけど!」
「なかなか合わないんやで、勇咲くん」
「だから」
「まぁ俺のせいやけどねぇ。俺芸道の浮気者やから」
至極明るく努めて言ってみるが、
「それ、勇咲兄さんに言われたんですか?」
と雀三に真面目に返されてしまった。
根が真面目すぎる弟弟子、忘れていたぞ。なんだか非常に心配そうに見られてしまっているが、俺。
「いや、言われてないけど」
「なら、なんでそんなこと」
「えっ、いや俺がそう思ったから」
「あんさん勇咲兄さんのことわかってないですね」
ぐさっ。
痛烈なんすけど、弟弟子雀三。
「でも自分のこともわかってない」
ぐさっ、2回目。
何故、何故こんなになじられてるの俺。
「全く…、菅原伝授弾いて頂けないですか兄さん」
「あ、はい」
なんだろう。
雀三、物凄く勇咲と気が合うだろうなぁ。いやどうなんだ、どちらも気が強いなぁ。そりゃぁ、あの嫌味ったらしい穂咲兄さんとは合わせずらいかも。
けど…。
「穂咲兄さんは、わりと芸に関して寛容な方やで」
「え、はぁ…」
「その中にもあの人独自の拘りがあって、そこをこっちが引っ張り出さんと確かに、なかなか心は開いてくれんな。
最初の頃やったかなぁ、あの人、わざと入りだし全部ずらしてきたことがあって」
「あ!」
覚えがあるらしい。
やはりな。
「何故なんですかと聞いたことがある。したらあの人言ったわ、「自分だけの音が欲しい」とな」
「自分だけの音…」
「せやからぜーんぶずらしに乗っけたことがある。
そしたらなんや芸を、明け渡してくれたよ。次からばっちり決まった」
「はぁ…」
「言われてみれば俺はあの頃、わりと無難に弾いていた。仕方ないよな、駆け出しだし。それじゃ嫌なんやて」
「…なるほど…」
「兄さんな、ちょっと声が高いのが実は嫌なんやて、後になって言われた。だからなんとなく、実は所々高い弦で弾いてるんよ。2弦で12弾くか3弦で2弾くかの違いやけど」
「ははぁ…なるほど」
「同じ音は出るが、気持ち高いやろ?」
「あぁなるほど、ピンと来た」
「じゃ、んなんで俺の菅原伝授、聴かせよか」
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