朝に愁いじ夢見るを

二色燕𠀋

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朝に愁いじ夢見るを

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 楼の裏手というのは、表のきらびやかさを引き立てる、いや、店の溢れ落ちる光を情緒的にするように見える。
 あの中を知るとまるで、幻想のような非現実な空間が広がっていると知っているからこその風情なのだ。

 例えば、裏口には薪の積まれた蔵がある。

 そもそもここは芝居小屋の裏手のようなものだ。芝居小屋の背中と書けばよいか。

 確かに、役者が、恐らく客と話している姿なんかも見渡せる。裏出入り口にはどうやら…奉納用の酒樽か何かも積まれているようだ。
 場所を隠す意図ならば、何かがあれば・・・・・・却ってわかりやすくなってしまっている。

 楼の裏手はそれに比べあっさりと…。

 私はふっと隠れてしまった。見た目は確かに一直線で裏手、というよりは調理場の出入り口まで見通せるのだが。
 酒樽はなんとなく、特に意味をなさないような場所に積まれているのがわかった。

「…兄さん、あの、」

 楼の下男、場所からして調理担当なのだろうとはわかる。
 楼の敷地の壁石にその若い男が手をついて話している。相手は酒樽に阻まれあまりわからなかったが…例えば遊郭の裏手もよく言う、あまり見るものではないと。

 ましてや若手の女は死角を出歩かないようにするのだと聞いたことがあった。

「料理長とは、その…」

 ちらっと眺める。この状況、遊郭であれば間違いなく、質の悪い客が女にちょっかいを掛けようとしている、そんな風景だが。

 また顔を引っ込める。
 やはり見なければよかった。さっきの段階での疑惑が晴れてしまった。

 長く折った黒髪、整った、女のように見える横顔。

 み空が若い衆に迫られている、多分。若者の声の温度が高い。
 が、「料理長とは」という単語がどうにも気になって仕方なくなってしまった。

 間ばかりが流れ急に、雑踏がここだけなくなり空間として切り取られたような感覚に陥る。
 若者の「…そういった関係なんですか」と、潜められた声に、一気に身体がぞわっとした。

「…違うんですその…脅そうと言うわけでは……っ、」

 青年が声を詰まらせたのについついまた見てしまう。

 都合良く…いや悪く、見えないが、青年が足をもじもじさせ、み空が目を細め青年の頭にふと触れ恐らく…肩か…乳首かもしれない、そのあたりに触れさせ…青年の息が少し荒くなったように聞こえる。
 あの、三味線を弾く指が彼の下あたりをじわじわと撫でているのが見え、自分の息まで荒くなってしまった。

 それに気付いた瞬間、ふっとみ空と眼が合った気がして慌てて顔を引っ込め、口に手を当て息を殺す。

 手が……震えている。

 私が紳士で相手が遊女ならば、この場合はもしかすると止めに…いや、み空はまるで彼を…。

「あっ、はぁ、あの、に、兄さん、よ、良くない…で、」

 あぁ、見なくても頭に浮かんでくる。み空がその手で若者に刺激を与えている景色が。
 それは間接的に、私のそれにも見事に刺激を与えているらしい。

「………っ、あの、ずっと…はぁ、」

 彼が、肌を吸うような音が響く。

「兄さんの、ことが、」

 ぺちゃぺちゃと、まるで響くこの音は多分、私にだけだ。ここには、芝居小屋の盛り上がりも楼の音も入り交じっている。

 はぁはぁ、と、まるで犬のように声も発さなくなった彼の息遣いが聞こえる。
 合間に混じる、微かな…間違いない、み空の小さな呼吸も。

 しかしそれも、奥から聞こえた一つの足音と、「てめぇら何してんだおい」という、少し年期の入った低い男の声にピタッと止み、その瞬間、まるで空気が凍りついた。

「あっ、りょ、料理長っ……!」

 青年の一言がまた引っ張り出される。…自分まで顔が真っ青になりそうだった。

 これは、かなりの修羅場なのではないか。

 顔を出さないように先程から気にはしている、が、より顔を出さないように状況をつい横目で見てしまった。

「…てめぇサキチ、そこで何してんだよ」
「いや、あの、」

 青年の顔はあまり見えないが多分青ざめていて、み空が少し、袖を正したのも見えた。

 み空の表情はもはや「無」だった。

「裏口で何やってんだよ、遅いと思えば…み空、音くらいだせよバカ野郎」
「いや、これは、」
「なんだっていいんだよてめぇな、そいつ一応太夫なんだよ。なんだ?俺には逆らわねぇ下っぱをいいように」

 ふっ、とみ空がしゃんと立ち、青年に「大丈夫」とでも言うように手で征し、手拭いで髪をきちんと抑えた料理長とやらに向かって行くのが見える。

 仁王立ちで構えた料理長の前へ見上げるように立ったみ空は、何か言を言おうとした彼の後頭部を掴み自分の丈に合わせ、口付けしたように見えたが。

「いっ……っ!」

 即座に顔を背けた料理長は手で口を押さえ、み空はまるで睨むようにこちらへ振り向いた。
 み空の口あたりに、血が付着している。
 酷く冷たい目をしていた。

「…ったく、」

 言うのも聞かずに着物で口元を拭い台所へ入っていくみ空に「機嫌悪ぃな」事実だろ、と後ろへ着いて行くように調理場に戻って行く。

 青年は俯き立ち尽くしていた。
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