余寒

二色燕𠀋

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 それから三日は平和だった。
 しかし、どこか隠れる負があるような気がするのも事実だった。

 開拓には主に、元は反乱と成り下がった旧幕府側の士族や、「お抱え外国人」と呼ばれる偉人も存在するようだった。

 問題は経費で、しかし黒田は案外開放的な人間だった。予算の関係で捨てた官吏ですら、ならばと別に職は与える。広大な土地ゆえ、確かに貧困ゆえに旧幕側の人間が多くつくがどこの藩でもやってくれと、悪く言えば手を挙げている状態なのかもしれないが、それは確かにいまなら軌道に乗れそうな事業だった。この点が井上に確かに、似ている。

 なるほど、まぁ感覚は博打にも近いのだ。
 黒田の人柄故に今後、紆余曲折が予想出来た。しかし、ある意味それを処理するのが榎本の仕事で、一度は確かに蝦夷で信頼もされた人物だ。

 蝦夷の地は確かに、穏やか。
 あの件から心配だったアリシアも、次の日にはふと、「稲刈りをしてみたいです」と進言して来て、柊造と二人で少しだけやってみたりした。

 黒田はそれにも驚いていた。
 帰る頃にはどうやら、柊造とアリシアは黒田に大変気に入られたようだった。
 井上が戻るまでは黒田の報告により、柊造は休暇を過ごすことになった。
 その休暇をゆったり、北海道で過ごしてはどうだとまで言われたが、「ならば仕事を忘れ自宅で過ごしたい」と、東京に帰ることにしたのだった。

「青い洞窟、いつか行きたいですね」

 あまりアリシアには今回の小樽の滞在については触れなかった柊造だが、自宅に戻った際にアリシアがそう言ったことに驚いた。

「…そうだな」

 いつかが来るか、正直微妙だがと柊造は心に留める。
 アリシアの方が恐らく、稲刈りや環境への順応が得意なのだと、意外な一面を知った。

 これを最後にしようかと蝦夷の、青く見える海を思い出しながら柊造は井上に全てを報告しようと、井上の帰還の知らせを聞いてすぐに外務卿へ赴いた。

「北海道はどうだった」

 自分が報告するより先に井上は柊造にそう告げる。

「…大方は伊藤くんから聞いた。留守をありがとう」
「…いえ」
「君の倅には非礼を詫びねばなるまいな」
「はい、まぁ…。しかし、思ったよりもあの地は気に入ったみたいですが」
「あぁ、そうだったの?」
「…もしや最初から計らいましたか井上さん」
「…いや、遅かれ早かれと言うやつで、まぁ伊藤くんが勝手にやったようだけど、私も同じ考えだったんだ。やはり黒田のこともあり、先伸ばしにしようとしていたのだが、伊藤くんも気が急いているようだね。いまは一番不向きだったかと、心配になった。黒田は、あぁだが激務だからね」
「…はぁ」
「聞いただろう、西南戦争の話を。西郷隆盛は自害だったようだよ」

 …そうだったのか。
 そんな話は一切聞かなかった。

「彼としては降伏させたかっただろうけど、西郷は手が届かなかったようだね。西郷はね、士族の廃止に反発したんだ。だが、今更身分など、なんだと言うのかねぇ」
「…それは国民への借金はなくなる、と言う考えでしょうか」
「頭が良いねぇ、しかし、自然にそうなるものかもしれないと、どうして誰も思わなかったんだろうか。拘りを捨てた我々からすれば、時代遅れだ」

 …人の腹は計り知れぬものだと柊造はこのときにも感じた。
 かつて、藩主の小姓から養子となったこの男は、どちらかと言えば一貫して武家である伊藤よりも感覚は市民に近いかもしれない。しかし、やはり遠いものかと柊造には思えた。
 だがなるほど、捨てたものはどうでも良いのだ、皆。 

 捨てたものを振り返ろうとすら思わないのも、いつからかはわからないが、普通のものだけ持ち歩くと柊造は決めた。

「さて、それで黒田はどうだった」

 と聞く井上に対して柊造は一切の気持ちを拝し全ての「報告」とした。そこまでの見立てに井上は「なるほど」と呟いては「君の気持ちは?」と、聞いてくる。

「それが全てでもあるまい」

 なるほど。
 だから自分は拾われた身なのかと、「気持ちと申しますと?」と、敢えて聞いてみることにした。
 井上は笑い、「わかっているだろうよ、」と、改めて言うのだった。

「そうですね。
 捨てたものにも価値があると私は考えます。捨てたと言うことには、人の感情があるものですから」
「なるほどな、うん、わかったよ」

 井上はそう言っては何かを考え、「思いもしなかったな」と、ポツリと言う。

「だがまぁ私は金に汚く愛想もない強引な男だ。君は綺麗なものが好きなようだな。
 奪うとゴミが出るものだが、手に入れると言うのはまた違うものだな。君、前よりも憑き物が落ちたようだよ。なぁ、これは伊藤くんにはない腹だったと私は思うよ。君は面白い男だ。
 …癪だと言うなら私から君へひとつお願いしようかと思っていた。だが、どうする?君はどうやら私利私欲がなく正直だ。自由にやると良い。ここからは雑談の域で構わない」
「…私の話ではありませんが、倅は、青い洞窟が見たいのだそうです。3日では行けませんでした。しかし、私はこの職を辞そうかとすら、考えてました」
「そうかい。まぁ好きにするといいよ。青い洞窟とは、なんだ?」
「小樽にあるそうです。ふと、何かの拍子に誰かから聞きました。洞窟の中の海水が、青く綺麗に見えるそうです」
「そうか…」
「私も守られてばかりいるとは思いませんよ。けれど、巡り合わせがよかったのです」
「ははっ、そうだな」

 その場でその話は終わってしまった。
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