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ファソラシ
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…意識はいつだって遠かったような気がする。
薄汚い灰色の壁から檻のような窓と暗い外、今は夜で、俺を見下ろす大人は黄ばんだ歯を見せて笑っている、
「…っ、」
右腕の関節が身体の底まで響くように、ひっそりと声なき悲鳴を聞く。
意識はいつだって遠かったような気がする。
腕の関節は革靴に踏みつけられていた。
声を出そう、けれど側にいる少し歳上だろう女の子が俺の口に手を噛ませるように突っ込んで馬乗りになり、残った左腕の自由を奪い、けれど泣いているのだから仕方がない。
…仕方がない。
「夜は死神がやって来るから、」
彼女の名前を、俺は知らない。
踏みつけた足は角度を変え、揉み消すように関節を痛め付ける。
「部屋にいなきゃいけないんだよ、オルフェ」
ジリジリと痛む腕に自然と歯に力が入るけれども、「うっ…、」と女の子も泣いて痛がるのが意識を掠める、けれど大人は「犬のようだなっ、」と更に足に力を加えるのだから焦燥恐怖罪悪が一気に押し寄せて鼓動が、早くなっていく。
唸るように泣く女の子に男は「食いちぎられなきゃ良いけどな、」と、最早右腕に感覚はない、けれど力が入るのだからきっともう、この口は彼女の手を離すことはないと思った。
初めてそこで、鉄の味、これはこの子を駆け巡る血液の味だと知った。
それが覚醒で気道は酸欠のまま嘔吐き、押し出そうと咳き込んで視界も、思考も狭くなる、俺はただただ少し、何故だか部屋から出て外の空気を吸いたいと思っただけだったのに。
すると大人が「おら、」と女の子を俺から引き剥がし、投げ捨てるようだった。
息は吸いやすくなったが血の味に、這うようにして体制を変え、それから嘔吐は止まらなかった。
最早、右腕に感覚などなくなっていた。
身体は軽くなったけど、視界の端にはジリジリと逃げる女の子。
女の子を殴り、馬乗りになった大人が彼女の口を塞いで、薄汚れてしまったワンピースに手を這わせて足を露にしている現状。
俺はただただ、襲われる吐き気と、腹から溢れる不快感でどうしようもなかった。
男は犬のような息使いで獣のように彼女を襲っていた。何もかも、食い散らかすように見えるそれに、俺は悶えることしか出来ないまま、気が遠くなるのを感じる。
それから起きたときには真っ白な部屋にいた。
左手にはシーツの感触がして、ベッドに寝かされていると気付いた。
何回あれから、夜は来たのだろうか。
そう過ってはとっさに起き上がったが、右腕に違和感を覚えた瞬間に、競り上がる目眩や悪寒にぞわぞわした。
…そう言えば、右腕。
途端に吐き気が襲い、嘔吐いたのだがその右腕には包帯が巻かれ、点滴が刺されていた。
「起きたの、オルフェ!」
中年で小太りの大人の女が、慌てたようにそう言い、俺の口元に器をあてがい、「まだ起きちゃダメよ」と、俺の背を擦る。
身体が波打つように胃の内容物を出そうとしている、しかしそもそもそんなものは胃液しかないようだった。
一通り吐けずと吐いて息を整える頃、救護の女はコップの水を手に用意してくれていたけど。
「あっ、」
掠れて声が出ず、結局咳き込む。
「落ち着いてね」だなんて、落ち着いていても身体が着いていかないんだよと言いたかった。
しかし、右手を握ってくれていた彼女の暖かさに、少しずつ安心していくのがわかった。
呼吸を整えるまで、彼女は「よしよし」とひたすら俺に言い聞かせていた。
「…右手はもう、痛くないかしら」
彼女は笑ってそう言った。
「きっともう大丈夫だと思うけど、力を入れたから薬が回っちゃったのよ。もう少しだから寝ていてね」
「あ……の、」
「明日にはちゃんと動かせるから」
「…女の…子は…?」
絞り出した声に女は「なぁに?」と、にたにたと笑っているのを、初めて不自然だと感じた。
「女の子、部屋…に、」
「女の子?」
頷けば「部屋?」と彼女は惚けたように言った。
「部屋に、いた」
「どこの?」
「……廊下、出て……奥の、広い部屋」
「奥の部屋?講堂のことかしら?」
「違くて、」
「貴方は言いつけを守らなかったのよ、オルフェ」
彼女は嬉しそうに、「悪魔がやってきたのよ」と言った。
「…違う、あれは、大人の」
…いつも、昼の散歩の時にニコニコしている…。
「大人は言いつけを守るもの」
「違くて、」
「違わないの」
彼女はいままでとは違う、重い物言いで動かない。
…そうか。
何一つ通じない。
「…俺はただ、夜が見たかっただけなんだ」
「…いけない子ね。
あんた、次は腕、なくなるかもよ」
「でも」
何がいけないんだろう。
昼に見たものと、色を変えただけの景色の、何がいけなかったんだろう。
「まったく、」と彼女は溜め息を吐いて点滴を弄る。
…途端に視界が狭くなるような、ぼやけるような感覚に襲われた。
まだ寝ていなさいねと言った声も遠く、また暗い眠りにつく。
その時みた夢は酷く鮮やかで、綺麗なステンドグラスのような、場所だった。
薄汚い灰色の壁から檻のような窓と暗い外、今は夜で、俺を見下ろす大人は黄ばんだ歯を見せて笑っている、
「…っ、」
右腕の関節が身体の底まで響くように、ひっそりと声なき悲鳴を聞く。
意識はいつだって遠かったような気がする。
腕の関節は革靴に踏みつけられていた。
声を出そう、けれど側にいる少し歳上だろう女の子が俺の口に手を噛ませるように突っ込んで馬乗りになり、残った左腕の自由を奪い、けれど泣いているのだから仕方がない。
…仕方がない。
「夜は死神がやって来るから、」
彼女の名前を、俺は知らない。
踏みつけた足は角度を変え、揉み消すように関節を痛め付ける。
「部屋にいなきゃいけないんだよ、オルフェ」
ジリジリと痛む腕に自然と歯に力が入るけれども、「うっ…、」と女の子も泣いて痛がるのが意識を掠める、けれど大人は「犬のようだなっ、」と更に足に力を加えるのだから焦燥恐怖罪悪が一気に押し寄せて鼓動が、早くなっていく。
唸るように泣く女の子に男は「食いちぎられなきゃ良いけどな、」と、最早右腕に感覚はない、けれど力が入るのだからきっともう、この口は彼女の手を離すことはないと思った。
初めてそこで、鉄の味、これはこの子を駆け巡る血液の味だと知った。
それが覚醒で気道は酸欠のまま嘔吐き、押し出そうと咳き込んで視界も、思考も狭くなる、俺はただただ少し、何故だか部屋から出て外の空気を吸いたいと思っただけだったのに。
すると大人が「おら、」と女の子を俺から引き剥がし、投げ捨てるようだった。
息は吸いやすくなったが血の味に、這うようにして体制を変え、それから嘔吐は止まらなかった。
最早、右腕に感覚などなくなっていた。
身体は軽くなったけど、視界の端にはジリジリと逃げる女の子。
女の子を殴り、馬乗りになった大人が彼女の口を塞いで、薄汚れてしまったワンピースに手を這わせて足を露にしている現状。
俺はただただ、襲われる吐き気と、腹から溢れる不快感でどうしようもなかった。
男は犬のような息使いで獣のように彼女を襲っていた。何もかも、食い散らかすように見えるそれに、俺は悶えることしか出来ないまま、気が遠くなるのを感じる。
それから起きたときには真っ白な部屋にいた。
左手にはシーツの感触がして、ベッドに寝かされていると気付いた。
何回あれから、夜は来たのだろうか。
そう過ってはとっさに起き上がったが、右腕に違和感を覚えた瞬間に、競り上がる目眩や悪寒にぞわぞわした。
…そう言えば、右腕。
途端に吐き気が襲い、嘔吐いたのだがその右腕には包帯が巻かれ、点滴が刺されていた。
「起きたの、オルフェ!」
中年で小太りの大人の女が、慌てたようにそう言い、俺の口元に器をあてがい、「まだ起きちゃダメよ」と、俺の背を擦る。
身体が波打つように胃の内容物を出そうとしている、しかしそもそもそんなものは胃液しかないようだった。
一通り吐けずと吐いて息を整える頃、救護の女はコップの水を手に用意してくれていたけど。
「あっ、」
掠れて声が出ず、結局咳き込む。
「落ち着いてね」だなんて、落ち着いていても身体が着いていかないんだよと言いたかった。
しかし、右手を握ってくれていた彼女の暖かさに、少しずつ安心していくのがわかった。
呼吸を整えるまで、彼女は「よしよし」とひたすら俺に言い聞かせていた。
「…右手はもう、痛くないかしら」
彼女は笑ってそう言った。
「きっともう大丈夫だと思うけど、力を入れたから薬が回っちゃったのよ。もう少しだから寝ていてね」
「あ……の、」
「明日にはちゃんと動かせるから」
「…女の…子は…?」
絞り出した声に女は「なぁに?」と、にたにたと笑っているのを、初めて不自然だと感じた。
「女の子、部屋…に、」
「女の子?」
頷けば「部屋?」と彼女は惚けたように言った。
「部屋に、いた」
「どこの?」
「……廊下、出て……奥の、広い部屋」
「奥の部屋?講堂のことかしら?」
「違くて、」
「貴方は言いつけを守らなかったのよ、オルフェ」
彼女は嬉しそうに、「悪魔がやってきたのよ」と言った。
「…違う、あれは、大人の」
…いつも、昼の散歩の時にニコニコしている…。
「大人は言いつけを守るもの」
「違くて、」
「違わないの」
彼女はいままでとは違う、重い物言いで動かない。
…そうか。
何一つ通じない。
「…俺はただ、夜が見たかっただけなんだ」
「…いけない子ね。
あんた、次は腕、なくなるかもよ」
「でも」
何がいけないんだろう。
昼に見たものと、色を変えただけの景色の、何がいけなかったんだろう。
「まったく、」と彼女は溜め息を吐いて点滴を弄る。
…途端に視界が狭くなるような、ぼやけるような感覚に襲われた。
まだ寝ていなさいねと言った声も遠く、また暗い眠りにつく。
その時みた夢は酷く鮮やかで、綺麗なステンドグラスのような、場所だった。
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