2 / 13
ファソラシ
1
しおりを挟む
…意識はいつだって遠かったような気がする。
薄汚い灰色の壁から檻のような窓と暗い外、今は夜で、俺を見下ろす大人は黄ばんだ歯を見せて笑っている、
「…っ、」
右腕の関節が身体の底まで響くように、ひっそりと声なき悲鳴を聞く。
意識はいつだって遠かったような気がする。
腕の関節は革靴に踏みつけられていた。
声を出そう、けれど側にいる少し歳上だろう女の子が俺の口に手を噛ませるように突っ込んで馬乗りになり、残った左腕の自由を奪い、けれど泣いているのだから仕方がない。
…仕方がない。
「夜は死神がやって来るから、」
彼女の名前を、俺は知らない。
踏みつけた足は角度を変え、揉み消すように関節を痛め付ける。
「部屋にいなきゃいけないんだよ、オルフェ」
ジリジリと痛む腕に自然と歯に力が入るけれども、「うっ…、」と女の子も泣いて痛がるのが意識を掠める、けれど大人は「犬のようだなっ、」と更に足に力を加えるのだから焦燥恐怖罪悪が一気に押し寄せて鼓動が、早くなっていく。
唸るように泣く女の子に男は「食いちぎられなきゃ良いけどな、」と、最早右腕に感覚はない、けれど力が入るのだからきっともう、この口は彼女の手を離すことはないと思った。
初めてそこで、鉄の味、これはこの子を駆け巡る血液の味だと知った。
それが覚醒で気道は酸欠のまま嘔吐き、押し出そうと咳き込んで視界も、思考も狭くなる、俺はただただ少し、何故だか部屋から出て外の空気を吸いたいと思っただけだったのに。
すると大人が「おら、」と女の子を俺から引き剥がし、投げ捨てるようだった。
息は吸いやすくなったが血の味に、這うようにして体制を変え、それから嘔吐は止まらなかった。
最早、右腕に感覚などなくなっていた。
身体は軽くなったけど、視界の端にはジリジリと逃げる女の子。
女の子を殴り、馬乗りになった大人が彼女の口を塞いで、薄汚れてしまったワンピースに手を這わせて足を露にしている現状。
俺はただただ、襲われる吐き気と、腹から溢れる不快感でどうしようもなかった。
男は犬のような息使いで獣のように彼女を襲っていた。何もかも、食い散らかすように見えるそれに、俺は悶えることしか出来ないまま、気が遠くなるのを感じる。
それから起きたときには真っ白な部屋にいた。
左手にはシーツの感触がして、ベッドに寝かされていると気付いた。
何回あれから、夜は来たのだろうか。
そう過ってはとっさに起き上がったが、右腕に違和感を覚えた瞬間に、競り上がる目眩や悪寒にぞわぞわした。
…そう言えば、右腕。
途端に吐き気が襲い、嘔吐いたのだがその右腕には包帯が巻かれ、点滴が刺されていた。
「起きたの、オルフェ!」
中年で小太りの大人の女が、慌てたようにそう言い、俺の口元に器をあてがい、「まだ起きちゃダメよ」と、俺の背を擦る。
身体が波打つように胃の内容物を出そうとしている、しかしそもそもそんなものは胃液しかないようだった。
一通り吐けずと吐いて息を整える頃、救護の女はコップの水を手に用意してくれていたけど。
「あっ、」
掠れて声が出ず、結局咳き込む。
「落ち着いてね」だなんて、落ち着いていても身体が着いていかないんだよと言いたかった。
しかし、右手を握ってくれていた彼女の暖かさに、少しずつ安心していくのがわかった。
呼吸を整えるまで、彼女は「よしよし」とひたすら俺に言い聞かせていた。
「…右手はもう、痛くないかしら」
彼女は笑ってそう言った。
「きっともう大丈夫だと思うけど、力を入れたから薬が回っちゃったのよ。もう少しだから寝ていてね」
「あ……の、」
「明日にはちゃんと動かせるから」
「…女の…子は…?」
絞り出した声に女は「なぁに?」と、にたにたと笑っているのを、初めて不自然だと感じた。
「女の子、部屋…に、」
「女の子?」
頷けば「部屋?」と彼女は惚けたように言った。
「部屋に、いた」
「どこの?」
「……廊下、出て……奥の、広い部屋」
「奥の部屋?講堂のことかしら?」
「違くて、」
「貴方は言いつけを守らなかったのよ、オルフェ」
彼女は嬉しそうに、「悪魔がやってきたのよ」と言った。
「…違う、あれは、大人の」
…いつも、昼の散歩の時にニコニコしている…。
「大人は言いつけを守るもの」
「違くて、」
「違わないの」
彼女はいままでとは違う、重い物言いで動かない。
…そうか。
何一つ通じない。
「…俺はただ、夜が見たかっただけなんだ」
「…いけない子ね。
あんた、次は腕、なくなるかもよ」
「でも」
何がいけないんだろう。
昼に見たものと、色を変えただけの景色の、何がいけなかったんだろう。
「まったく、」と彼女は溜め息を吐いて点滴を弄る。
…途端に視界が狭くなるような、ぼやけるような感覚に襲われた。
まだ寝ていなさいねと言った声も遠く、また暗い眠りにつく。
その時みた夢は酷く鮮やかで、綺麗なステンドグラスのような、場所だった。
薄汚い灰色の壁から檻のような窓と暗い外、今は夜で、俺を見下ろす大人は黄ばんだ歯を見せて笑っている、
「…っ、」
右腕の関節が身体の底まで響くように、ひっそりと声なき悲鳴を聞く。
意識はいつだって遠かったような気がする。
腕の関節は革靴に踏みつけられていた。
声を出そう、けれど側にいる少し歳上だろう女の子が俺の口に手を噛ませるように突っ込んで馬乗りになり、残った左腕の自由を奪い、けれど泣いているのだから仕方がない。
…仕方がない。
「夜は死神がやって来るから、」
彼女の名前を、俺は知らない。
踏みつけた足は角度を変え、揉み消すように関節を痛め付ける。
「部屋にいなきゃいけないんだよ、オルフェ」
ジリジリと痛む腕に自然と歯に力が入るけれども、「うっ…、」と女の子も泣いて痛がるのが意識を掠める、けれど大人は「犬のようだなっ、」と更に足に力を加えるのだから焦燥恐怖罪悪が一気に押し寄せて鼓動が、早くなっていく。
唸るように泣く女の子に男は「食いちぎられなきゃ良いけどな、」と、最早右腕に感覚はない、けれど力が入るのだからきっともう、この口は彼女の手を離すことはないと思った。
初めてそこで、鉄の味、これはこの子を駆け巡る血液の味だと知った。
それが覚醒で気道は酸欠のまま嘔吐き、押し出そうと咳き込んで視界も、思考も狭くなる、俺はただただ少し、何故だか部屋から出て外の空気を吸いたいと思っただけだったのに。
すると大人が「おら、」と女の子を俺から引き剥がし、投げ捨てるようだった。
息は吸いやすくなったが血の味に、這うようにして体制を変え、それから嘔吐は止まらなかった。
最早、右腕に感覚などなくなっていた。
身体は軽くなったけど、視界の端にはジリジリと逃げる女の子。
女の子を殴り、馬乗りになった大人が彼女の口を塞いで、薄汚れてしまったワンピースに手を這わせて足を露にしている現状。
俺はただただ、襲われる吐き気と、腹から溢れる不快感でどうしようもなかった。
男は犬のような息使いで獣のように彼女を襲っていた。何もかも、食い散らかすように見えるそれに、俺は悶えることしか出来ないまま、気が遠くなるのを感じる。
それから起きたときには真っ白な部屋にいた。
左手にはシーツの感触がして、ベッドに寝かされていると気付いた。
何回あれから、夜は来たのだろうか。
そう過ってはとっさに起き上がったが、右腕に違和感を覚えた瞬間に、競り上がる目眩や悪寒にぞわぞわした。
…そう言えば、右腕。
途端に吐き気が襲い、嘔吐いたのだがその右腕には包帯が巻かれ、点滴が刺されていた。
「起きたの、オルフェ!」
中年で小太りの大人の女が、慌てたようにそう言い、俺の口元に器をあてがい、「まだ起きちゃダメよ」と、俺の背を擦る。
身体が波打つように胃の内容物を出そうとしている、しかしそもそもそんなものは胃液しかないようだった。
一通り吐けずと吐いて息を整える頃、救護の女はコップの水を手に用意してくれていたけど。
「あっ、」
掠れて声が出ず、結局咳き込む。
「落ち着いてね」だなんて、落ち着いていても身体が着いていかないんだよと言いたかった。
しかし、右手を握ってくれていた彼女の暖かさに、少しずつ安心していくのがわかった。
呼吸を整えるまで、彼女は「よしよし」とひたすら俺に言い聞かせていた。
「…右手はもう、痛くないかしら」
彼女は笑ってそう言った。
「きっともう大丈夫だと思うけど、力を入れたから薬が回っちゃったのよ。もう少しだから寝ていてね」
「あ……の、」
「明日にはちゃんと動かせるから」
「…女の…子は…?」
絞り出した声に女は「なぁに?」と、にたにたと笑っているのを、初めて不自然だと感じた。
「女の子、部屋…に、」
「女の子?」
頷けば「部屋?」と彼女は惚けたように言った。
「部屋に、いた」
「どこの?」
「……廊下、出て……奥の、広い部屋」
「奥の部屋?講堂のことかしら?」
「違くて、」
「貴方は言いつけを守らなかったのよ、オルフェ」
彼女は嬉しそうに、「悪魔がやってきたのよ」と言った。
「…違う、あれは、大人の」
…いつも、昼の散歩の時にニコニコしている…。
「大人は言いつけを守るもの」
「違くて、」
「違わないの」
彼女はいままでとは違う、重い物言いで動かない。
…そうか。
何一つ通じない。
「…俺はただ、夜が見たかっただけなんだ」
「…いけない子ね。
あんた、次は腕、なくなるかもよ」
「でも」
何がいけないんだろう。
昼に見たものと、色を変えただけの景色の、何がいけなかったんだろう。
「まったく、」と彼女は溜め息を吐いて点滴を弄る。
…途端に視界が狭くなるような、ぼやけるような感覚に襲われた。
まだ寝ていなさいねと言った声も遠く、また暗い眠りにつく。
その時みた夢は酷く鮮やかで、綺麗なステンドグラスのような、場所だった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる