2 / 52
春塵
1
しおりを挟む
ただぼんやり、ぼやけたような日常を見つめている。
目の前の、白い壁、人工的な花畑、真ん中にポツンと置かれた位牌と柔らかい笑顔。真っ白な、大きい箱。
線香の煙が真っ直ぐ細く昇って逝く。この火は今夜、絶やしてはいけないのだという。
ぼんやりとした灰色の日常。鮮明な記憶は、三日前の事件だった。
いつも通り、本当にいつも通り、一緒に学校に行ったはずだった。
春前の移ろいやすい気候の中で、やっと晴れた日だったのに。
そろそろ線香が尽きてしまう。次の線香に火を点けよう。
ふと、さっきまで線香番をしていた父親が置いていった紺色のタバコが目に入る。非日常の中の然り気無い日常。
棺桶の中をそっと覗いてみる。痣だらけで酷く傷付き、水を吸って膨れてしまった顔。遺影の笑顔が嘘のようだった。
背後が、なにやらどたばたと音を立て、荒々しく障子が開かれた。
「歩!」
振り向くと、肩を怒らせ泣きそうになった幼馴染みの椎名一喜と、慌ててそれを追いかけてきた岸本隆平がいた。
一目散に一喜は弟の澄の側まで寄り、俺を押し退けてその棺桶を覗き込んだ。息を呑んで震える手で、澄の頬を両手で包み込み、項垂れてしゃくり上げた。
「澄っ…!」
誰も何も言わない。一喜の啜り泣く声だけが聞こえる。
「歩、お前っ…!」
やっと捻り出したような声。一喜はそれから馬乗りになって俺に掴み掛かり、俺を押し倒した。
「一喜!」
隆平が一喜を俺から引き剥がそうとする。
線香の煙が、細いなぁ。
「ここまで、ここまですることなかっただろう…っ!」
「やめろよ一喜!」
漸く軽くなって俺は起き上がり、マッチで線香とタバコに火を点ける。
タバコを吸ったのはこれが初めてだった。初めてにしては、多分ちゃんと吸えた。何故なら火が消えずについたから。
「最低だな、お前…!
てめぇが…てめぇが死んじまえばよかったんだ!」
そのまま一喜は、それを言い残して部屋を出て行った。
「…理穂が…今朝、誰かに襲われたって。制服がもうずたぼろで帰ってきたって」
「え?」
「誰にやられたかは言わないそうだ…。
下着が…、学校の…プールの更衣室で見つかって」
「なにそれ」
「…お前、澄を見つけたとき、誰もいなかった?」
そうか、そーゆーことか。
「…俺だよ。
全部、俺がやったんだ」
「そんなわけない、歩、」
「りゅうちゃん」
隆平は黙った。隆平は、多分何かを知っている。昔から隆平は、わかりやすい奴なんだ。
「恨んだ方が、楽なこともあるだろうからね」
「何言ってんだよ、歩、」
「そうそう。俺、理穂が好きだったんだよ。だから理穂に最低なことをした澄が憎たらしくて、ぶん殴ってたら死んだんだよ。
たまたまその時ね、理穂と会う約束をしててさ、それ見られたから、メチャクチャにしてやったの。
もう最高だったよ。泣き叫ぶわ、だけどあいつも何?後半ノってきちゃってさ。けど泣いてた。マジ最高。
悪かったな澄。お前のマドンナは俺が穢したよ。恨むなら、呪い殺せよ。恨むなら、もう遅いけどな」
「もうやめてくれ歩。そんな、そんな…!」
「岸本」
ごめんな、こんな兄貴で。
だから、優しく微笑まないでくれ。
「は…?」
「お前、リーダーシップ、ある方だよな?」
「え?」
「任せたよ、生徒会長」
ごめんな、こんな友達で。
タバコの火が昇る。
灰と共に消えた真実。
それでいい。
どうせこんなもの、嗜好品でしかないんだから。
次の日の葬式で髪を明るくした俺を見て、一喜も岸本も驚いてた。
「歩くん…どうしちゃったのよ」
そう言って、もう一人の幼馴染みの佐々木深景も、大号泣して何度も弱々しく俺の背中を叩いた。
父親も母親も呆れていた。不謹慎だと俺を捻って、火葬場からの帰宅を命じられた。
最後に澄を見たのは、肉もなく、真っ白になった姿だった。
帰りながら、火葬場の煙をぼんやりと眺めてタバコを吸った。
雨が嫌いな澄。不思議だ。火葬が済んだ頃を見計らったかのように雨が降りだして。
どうしてこうなってしまったんだろうかと思い返してみたら、間違いなくあのとき、俺がもう少しお前の話を聞いてやったら気付けたんだ。
「お兄ちゃんは、いつも凄いや」
無邪気に言う澄の笑顔が遠く浮かぶ。
「僕には出来ないことが出来るんだから」
そのために俺がした努力も、お前は見ていて、いつでもそう言ってくれた。俺を良い気にさせてくれた。
でもそれはどうやら理想だったようだ。
俺はお前を全然見てやれてなかったんだ。
どこかで、お前なんかにわかるかと思っていたのもあるかもしれない。
お前の兄貴はこんなに自分勝手だ。だから頼むから、恨んでくれ。
雨粒が当たる。
あの水の感触。
重かった。信じられないほど、ひ弱なお前が重くて、凄くひんやりしていた。いくら抱き締めても伝わるのは、水っ気と止まった身体の低体温だった。
目の前の、白い壁、人工的な花畑、真ん中にポツンと置かれた位牌と柔らかい笑顔。真っ白な、大きい箱。
線香の煙が真っ直ぐ細く昇って逝く。この火は今夜、絶やしてはいけないのだという。
ぼんやりとした灰色の日常。鮮明な記憶は、三日前の事件だった。
いつも通り、本当にいつも通り、一緒に学校に行ったはずだった。
春前の移ろいやすい気候の中で、やっと晴れた日だったのに。
そろそろ線香が尽きてしまう。次の線香に火を点けよう。
ふと、さっきまで線香番をしていた父親が置いていった紺色のタバコが目に入る。非日常の中の然り気無い日常。
棺桶の中をそっと覗いてみる。痣だらけで酷く傷付き、水を吸って膨れてしまった顔。遺影の笑顔が嘘のようだった。
背後が、なにやらどたばたと音を立て、荒々しく障子が開かれた。
「歩!」
振り向くと、肩を怒らせ泣きそうになった幼馴染みの椎名一喜と、慌ててそれを追いかけてきた岸本隆平がいた。
一目散に一喜は弟の澄の側まで寄り、俺を押し退けてその棺桶を覗き込んだ。息を呑んで震える手で、澄の頬を両手で包み込み、項垂れてしゃくり上げた。
「澄っ…!」
誰も何も言わない。一喜の啜り泣く声だけが聞こえる。
「歩、お前っ…!」
やっと捻り出したような声。一喜はそれから馬乗りになって俺に掴み掛かり、俺を押し倒した。
「一喜!」
隆平が一喜を俺から引き剥がそうとする。
線香の煙が、細いなぁ。
「ここまで、ここまですることなかっただろう…っ!」
「やめろよ一喜!」
漸く軽くなって俺は起き上がり、マッチで線香とタバコに火を点ける。
タバコを吸ったのはこれが初めてだった。初めてにしては、多分ちゃんと吸えた。何故なら火が消えずについたから。
「最低だな、お前…!
てめぇが…てめぇが死んじまえばよかったんだ!」
そのまま一喜は、それを言い残して部屋を出て行った。
「…理穂が…今朝、誰かに襲われたって。制服がもうずたぼろで帰ってきたって」
「え?」
「誰にやられたかは言わないそうだ…。
下着が…、学校の…プールの更衣室で見つかって」
「なにそれ」
「…お前、澄を見つけたとき、誰もいなかった?」
そうか、そーゆーことか。
「…俺だよ。
全部、俺がやったんだ」
「そんなわけない、歩、」
「りゅうちゃん」
隆平は黙った。隆平は、多分何かを知っている。昔から隆平は、わかりやすい奴なんだ。
「恨んだ方が、楽なこともあるだろうからね」
「何言ってんだよ、歩、」
「そうそう。俺、理穂が好きだったんだよ。だから理穂に最低なことをした澄が憎たらしくて、ぶん殴ってたら死んだんだよ。
たまたまその時ね、理穂と会う約束をしててさ、それ見られたから、メチャクチャにしてやったの。
もう最高だったよ。泣き叫ぶわ、だけどあいつも何?後半ノってきちゃってさ。けど泣いてた。マジ最高。
悪かったな澄。お前のマドンナは俺が穢したよ。恨むなら、呪い殺せよ。恨むなら、もう遅いけどな」
「もうやめてくれ歩。そんな、そんな…!」
「岸本」
ごめんな、こんな兄貴で。
だから、優しく微笑まないでくれ。
「は…?」
「お前、リーダーシップ、ある方だよな?」
「え?」
「任せたよ、生徒会長」
ごめんな、こんな友達で。
タバコの火が昇る。
灰と共に消えた真実。
それでいい。
どうせこんなもの、嗜好品でしかないんだから。
次の日の葬式で髪を明るくした俺を見て、一喜も岸本も驚いてた。
「歩くん…どうしちゃったのよ」
そう言って、もう一人の幼馴染みの佐々木深景も、大号泣して何度も弱々しく俺の背中を叩いた。
父親も母親も呆れていた。不謹慎だと俺を捻って、火葬場からの帰宅を命じられた。
最後に澄を見たのは、肉もなく、真っ白になった姿だった。
帰りながら、火葬場の煙をぼんやりと眺めてタバコを吸った。
雨が嫌いな澄。不思議だ。火葬が済んだ頃を見計らったかのように雨が降りだして。
どうしてこうなってしまったんだろうかと思い返してみたら、間違いなくあのとき、俺がもう少しお前の話を聞いてやったら気付けたんだ。
「お兄ちゃんは、いつも凄いや」
無邪気に言う澄の笑顔が遠く浮かぶ。
「僕には出来ないことが出来るんだから」
そのために俺がした努力も、お前は見ていて、いつでもそう言ってくれた。俺を良い気にさせてくれた。
でもそれはどうやら理想だったようだ。
俺はお前を全然見てやれてなかったんだ。
どこかで、お前なんかにわかるかと思っていたのもあるかもしれない。
お前の兄貴はこんなに自分勝手だ。だから頼むから、恨んでくれ。
雨粒が当たる。
あの水の感触。
重かった。信じられないほど、ひ弱なお前が重くて、凄くひんやりしていた。いくら抱き締めても伝わるのは、水っ気と止まった身体の低体温だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる