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蜻蛉
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「この不安はなんだろうって考えてみるんだけど、わからない。なんだか不安」
「昔住んでたときは、君から家を出ちゃったんだっけ」
「うんそう。息が詰まったんだ。
奥さんが同性愛者で、ハトコもそうだって、言われたからかもしれない」
「なるほどねぇ。君としては複雑なわけか」
車は停まる、カレー屋の前で。
「君はハトコ夫婦の事情は知らなかったの?」
「まぁ…」
二人で車を出て、先生はぴっと、鍵についたスイッチで施錠をして言った。
「自分らしく生きたくなったんだね、きっと」
それは。
正直。
「わからない」
「そうかい。まぁ、それも飢えの一つだ。
俺は何故君のハトコが君を欲する…うーん、君の側にいようとするのかわかる気がする」
そうなのか。
「多分だけどね」
それからしばらく、ランチ中はその会話はなかった。基本的には先生の話を聞いた。
「理事長が気難しい」
「そろそろ婚カツしなきゃいけないかもしれない」
とか、そんな話だ。
「でも婚カツなんてしたくないなぁ。俺別にさ、生涯一人でも全然良い」
そう先生は言った。
「先生、モテそうじゃん」
「まぁね。でもね、医者に寄って集ってくる人は案外ろくでもないから。
俺ピュアに生きたいもん」
帰りの車で先生はそう話した。
なにそれ。凄い。
でもどう凄いかわからない。
「いっそ転職、それもなんかさ、違う気がするし。結局大人になればそう。だらだらと日が過ぎてもう俺38だよ」
そうだったんだ。
だいぶだらだらしている。
「あ、今君、だらけた大人だなって思ったでしょ」
「いや、」
しかし楽しそうに話している先生に、思わず笑ってしまった。
「だって…」
「君はだからさぁ、俺から見たら自由だなぁって、良い意味で思ってね」
「なにそれわかんない」
「だろうねぇ。
あ、蜻蛉だ」
信号待ちで先生は窓の外を眺めた。
夕方近い。なんせ、午前診察とはいえクリニックを出たのは14時くらいだった。
日が短くなったようだ、最近。
「君はさ、どうして身寄りがないの?」
「え?」
「いやあるにはあるけどハトコでしょ。
母親の実家とかさ、どうだったんだろって。ほら、俺はよくそんなのに苛まれるから」
信号が青に変わる。
なんとなく見慣れた景色のような気がする。自宅付近かもしれない。
「あぁ…うん。
どこかの集落?村?らしいんだけど、俺が実家、母の家を出たときはもう、そんなところはなかった」
「集落あるあるだね」
「なんか、山火事で全部なくなっちゃって、今やもう誰もいないんだってハトコが言ってた」
「君は行ったことないの?」
そういえば。
「ないね」
「あそう。じゃぁ本当に自由だ」
しかし道は、少し遠回りするかのように小道に入る。
先生を見つめると、「ちょっと寄り道」と白状した。
「散歩したい」
「別に良いけど」
「引きこもりにはいいでしょ」
ちょっとムッとしたが言い返せない。
確かに散歩なんてしなくなった。
「たまにふらっとどっか行きたくなるんだよね。ほら、医者って低酸素だから」
「どゆこと?」
「息が詰まるってこと。毎日、患者の甘ったれた話を聞くからさ」
「はは、すんませんね」
「君のも確かに息は詰まるなぁ、断然重いからね」
あぁもう。
「…悪かったな」
「あら、不機嫌になっちゃった?」
車は走る。
どこへ向かうのか。
その沈黙に、なかなか耐え難いがこうなれば仕方がない。
「俺はねぇ、君のその純粋さは尊敬するよ」
「…は?何が」
「君は悩む。人に対して、自分よりも遥かに。だから人に従う。
俺は少し違う。何も考えてない、考えないようにしたんだ」
「…何を?」
「俺には唯一愛する人がいる。しかしそれは結婚とか出来なくて、その人、結婚しちゃってさ」
「…なんの話よ」
「俺は裏切られたと思ったの。そんな、生まれてから唯一の存在だった俺より良い奴なんて、いないだろって。
結婚式に気持ちを打ち明けた。そしたら彼女は自殺した」
それって…。
「…家族だったの?」
「うん、そゆこと。
君には重い話かな」
「いや、」
まぁ。
「そうだね」
「だよね。
俺だからね、内緒にしてるけど実は童貞なんだよ」
「へっ!?」
どう繋がるか全然わからないんだけど。何故、そうなった?
「言わないでよ」
「い、言わないっつーか」
言えねぇよ。大体話す相手いねぇよ。
「ずっとね、俺怖くてさ。
気付いてたんだどっかで。それって、なんでだろって。でもそっかって。
生命維持なんだ、互いにって。
気付いたら38。だらだらしてるでしょ」
「え、うん」
「妹の深い愛に気付いてから、俺は交際してもなんだか、そーゆー時さ、吐いちゃうようになった」
「あぁ、なるほどね」
「わかってくれる?」
車が停まった。
大きな森林公園の、駐車場だった。
街頭が点き始めて、虫が光に群がっている。
あれはきっと、死ぬ前の倒錯なんだろう。
「じゃぁもう一個。
だから俺、妹に似てない人を探すようにした。案外上手くいった。なんなら同性もいた。
けど、貞操はまだある」
「なに、それ」
「だって、結局生命保持が出来ない。そして俺はわりと束縛タイプらしい」
「えぇぇ、そうなの?」
「うん。
でもそれも倒錯なんだろうと気付いた。やっぱ38。どうしよう。もう案外恋愛とか、というか人は嫌いになった気がしてさ」
「なんか…」
ある意味似ている気がする。
俺と先生。
「昔住んでたときは、君から家を出ちゃったんだっけ」
「うんそう。息が詰まったんだ。
奥さんが同性愛者で、ハトコもそうだって、言われたからかもしれない」
「なるほどねぇ。君としては複雑なわけか」
車は停まる、カレー屋の前で。
「君はハトコ夫婦の事情は知らなかったの?」
「まぁ…」
二人で車を出て、先生はぴっと、鍵についたスイッチで施錠をして言った。
「自分らしく生きたくなったんだね、きっと」
それは。
正直。
「わからない」
「そうかい。まぁ、それも飢えの一つだ。
俺は何故君のハトコが君を欲する…うーん、君の側にいようとするのかわかる気がする」
そうなのか。
「多分だけどね」
それからしばらく、ランチ中はその会話はなかった。基本的には先生の話を聞いた。
「理事長が気難しい」
「そろそろ婚カツしなきゃいけないかもしれない」
とか、そんな話だ。
「でも婚カツなんてしたくないなぁ。俺別にさ、生涯一人でも全然良い」
そう先生は言った。
「先生、モテそうじゃん」
「まぁね。でもね、医者に寄って集ってくる人は案外ろくでもないから。
俺ピュアに生きたいもん」
帰りの車で先生はそう話した。
なにそれ。凄い。
でもどう凄いかわからない。
「いっそ転職、それもなんかさ、違う気がするし。結局大人になればそう。だらだらと日が過ぎてもう俺38だよ」
そうだったんだ。
だいぶだらだらしている。
「あ、今君、だらけた大人だなって思ったでしょ」
「いや、」
しかし楽しそうに話している先生に、思わず笑ってしまった。
「だって…」
「君はだからさぁ、俺から見たら自由だなぁって、良い意味で思ってね」
「なにそれわかんない」
「だろうねぇ。
あ、蜻蛉だ」
信号待ちで先生は窓の外を眺めた。
夕方近い。なんせ、午前診察とはいえクリニックを出たのは14時くらいだった。
日が短くなったようだ、最近。
「君はさ、どうして身寄りがないの?」
「え?」
「いやあるにはあるけどハトコでしょ。
母親の実家とかさ、どうだったんだろって。ほら、俺はよくそんなのに苛まれるから」
信号が青に変わる。
なんとなく見慣れた景色のような気がする。自宅付近かもしれない。
「あぁ…うん。
どこかの集落?村?らしいんだけど、俺が実家、母の家を出たときはもう、そんなところはなかった」
「集落あるあるだね」
「なんか、山火事で全部なくなっちゃって、今やもう誰もいないんだってハトコが言ってた」
「君は行ったことないの?」
そういえば。
「ないね」
「あそう。じゃぁ本当に自由だ」
しかし道は、少し遠回りするかのように小道に入る。
先生を見つめると、「ちょっと寄り道」と白状した。
「散歩したい」
「別に良いけど」
「引きこもりにはいいでしょ」
ちょっとムッとしたが言い返せない。
確かに散歩なんてしなくなった。
「たまにふらっとどっか行きたくなるんだよね。ほら、医者って低酸素だから」
「どゆこと?」
「息が詰まるってこと。毎日、患者の甘ったれた話を聞くからさ」
「はは、すんませんね」
「君のも確かに息は詰まるなぁ、断然重いからね」
あぁもう。
「…悪かったな」
「あら、不機嫌になっちゃった?」
車は走る。
どこへ向かうのか。
その沈黙に、なかなか耐え難いがこうなれば仕方がない。
「俺はねぇ、君のその純粋さは尊敬するよ」
「…は?何が」
「君は悩む。人に対して、自分よりも遥かに。だから人に従う。
俺は少し違う。何も考えてない、考えないようにしたんだ」
「…何を?」
「俺には唯一愛する人がいる。しかしそれは結婚とか出来なくて、その人、結婚しちゃってさ」
「…なんの話よ」
「俺は裏切られたと思ったの。そんな、生まれてから唯一の存在だった俺より良い奴なんて、いないだろって。
結婚式に気持ちを打ち明けた。そしたら彼女は自殺した」
それって…。
「…家族だったの?」
「うん、そゆこと。
君には重い話かな」
「いや、」
まぁ。
「そうだね」
「だよね。
俺だからね、内緒にしてるけど実は童貞なんだよ」
「へっ!?」
どう繋がるか全然わからないんだけど。何故、そうなった?
「言わないでよ」
「い、言わないっつーか」
言えねぇよ。大体話す相手いねぇよ。
「ずっとね、俺怖くてさ。
気付いてたんだどっかで。それって、なんでだろって。でもそっかって。
生命維持なんだ、互いにって。
気付いたら38。だらだらしてるでしょ」
「え、うん」
「妹の深い愛に気付いてから、俺は交際してもなんだか、そーゆー時さ、吐いちゃうようになった」
「あぁ、なるほどね」
「わかってくれる?」
車が停まった。
大きな森林公園の、駐車場だった。
街頭が点き始めて、虫が光に群がっている。
あれはきっと、死ぬ前の倒錯なんだろう。
「じゃぁもう一個。
だから俺、妹に似てない人を探すようにした。案外上手くいった。なんなら同性もいた。
けど、貞操はまだある」
「なに、それ」
「だって、結局生命保持が出来ない。そして俺はわりと束縛タイプらしい」
「えぇぇ、そうなの?」
「うん。
でもそれも倒錯なんだろうと気付いた。やっぱ38。どうしよう。もう案外恋愛とか、というか人は嫌いになった気がしてさ」
「なんか…」
ある意味似ている気がする。
俺と先生。
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