7 / 45
一
6
しおりを挟む
重々しい空気のまま、陽一は息を吸うように言う、「浩が出所したらしい」と。
まさかの話題に雪は一瞬、呼吸が止まってしまう思いだった。
「…この前」
「…えっ、」
組んだ両手に頭を乗せるように俯いた陽一に嘘はないのだろう。
浩は、雪の実の、半分だけ血が通る兄だ。
「…その様子だと、お前のとこには来てないようだな」
「え、は?」
「出所してから探してるんだが、どうにも見つからないらしくてな」
「それって、」
消されたわけではない、そう言うことなのか。
だとしたら自分の母親は。
「…全く掴めてないの?」
「あぁ。どうにも…わからない」
聞ける義理でもなかった。
陽一からすればいま、複雑だろう。これは組からの命令なのか、憎しみなのか…心配なのか、その切れ長の目が見る自分への感情が読み取れなかった。
自分の兄、森山浩は13年前。
目の前にいる義理の兄、川上陽一の姉、遥を殺した張本人だからだ。
「…あの、」
「雪」
だが陽一の雪を呼ぶ声はずっしり、透水した泥のような重さを持っている。
「…なにかあったら。お前の母親にも…。必ず言って欲しい」
強いこの意思だけははっきりと読み取ることが出来る。陽一は、雪の兄を憎んでいる。
「…わかったけど、」
それは本当にそうなってしまったとき。
この兄に伝えていいのか、雪にはこの吸収スペクトクルが見えなくなっている。
これは本当に陽一の為なのか、解らないだろうと頭が、寒くなっていく気がする。何もなければ幸いかもしれないが、現にもう、過去にことは起こってしまっている。
伝えるべきではなかったのかもしれないと雪のレイリー散乱のように霧散した意識の回折を読み解けない。水は何故青いのか。そんなことを本当に根拠を持って言えた学者など、存在しない。
だがこの錯乱は結局水を青くしている。空中で彷徨いチルアウトしようと無意識に震えた右手で鞄を漁り始めた雪へ「雪、」と、今度はコヒーレンスを表そうと陽一はしっかりと呼び掛けた。
「何も怖くないから」
…回折格子では、届かない。だが、細部の隠れた所は、互いに見れない方が、もしかしたら幸いなのかもしれないと、身勝手に感じながら雪は思い出す。
13年前のあの日も自分は正しいことなんて出来ていない。
1年前に再会したときもまたそれは胸に、ナイフを刺されたようであり、その血液の赤さと痙攣に息が止まってしまったというのに。
陽一は出会ったときからどこか、雪にはない強さを持っていた。
雪は出会ったときからどこか、陽一にはない優しさを持っていた。
互いにただ、勇気だけを持てていない。
それは水の青のような非科学的な物だが、説明するまでの単語や理論は沢山あるのだけど。
互いに黙ることしか出来なかった。
一歩間違えれば手首を切って浴槽に沈めるだろう。一歩間違えれば日の当たらない存在に成り下がるだろう。だが、互いにそれで命を取り止めている。この距離感は、空と、水の青に近い物かも、知れない。
この陶酔しきった執着は、屈折に歪んで見えるのだと、またひとつ酸素を吸ってしまったのだと知った、9月の湿った夜だった。
まさかの話題に雪は一瞬、呼吸が止まってしまう思いだった。
「…この前」
「…えっ、」
組んだ両手に頭を乗せるように俯いた陽一に嘘はないのだろう。
浩は、雪の実の、半分だけ血が通る兄だ。
「…その様子だと、お前のとこには来てないようだな」
「え、は?」
「出所してから探してるんだが、どうにも見つからないらしくてな」
「それって、」
消されたわけではない、そう言うことなのか。
だとしたら自分の母親は。
「…全く掴めてないの?」
「あぁ。どうにも…わからない」
聞ける義理でもなかった。
陽一からすればいま、複雑だろう。これは組からの命令なのか、憎しみなのか…心配なのか、その切れ長の目が見る自分への感情が読み取れなかった。
自分の兄、森山浩は13年前。
目の前にいる義理の兄、川上陽一の姉、遥を殺した張本人だからだ。
「…あの、」
「雪」
だが陽一の雪を呼ぶ声はずっしり、透水した泥のような重さを持っている。
「…なにかあったら。お前の母親にも…。必ず言って欲しい」
強いこの意思だけははっきりと読み取ることが出来る。陽一は、雪の兄を憎んでいる。
「…わかったけど、」
それは本当にそうなってしまったとき。
この兄に伝えていいのか、雪にはこの吸収スペクトクルが見えなくなっている。
これは本当に陽一の為なのか、解らないだろうと頭が、寒くなっていく気がする。何もなければ幸いかもしれないが、現にもう、過去にことは起こってしまっている。
伝えるべきではなかったのかもしれないと雪のレイリー散乱のように霧散した意識の回折を読み解けない。水は何故青いのか。そんなことを本当に根拠を持って言えた学者など、存在しない。
だがこの錯乱は結局水を青くしている。空中で彷徨いチルアウトしようと無意識に震えた右手で鞄を漁り始めた雪へ「雪、」と、今度はコヒーレンスを表そうと陽一はしっかりと呼び掛けた。
「何も怖くないから」
…回折格子では、届かない。だが、細部の隠れた所は、互いに見れない方が、もしかしたら幸いなのかもしれないと、身勝手に感じながら雪は思い出す。
13年前のあの日も自分は正しいことなんて出来ていない。
1年前に再会したときもまたそれは胸に、ナイフを刺されたようであり、その血液の赤さと痙攣に息が止まってしまったというのに。
陽一は出会ったときからどこか、雪にはない強さを持っていた。
雪は出会ったときからどこか、陽一にはない優しさを持っていた。
互いにただ、勇気だけを持てていない。
それは水の青のような非科学的な物だが、説明するまでの単語や理論は沢山あるのだけど。
互いに黙ることしか出来なかった。
一歩間違えれば手首を切って浴槽に沈めるだろう。一歩間違えれば日の当たらない存在に成り下がるだろう。だが、互いにそれで命を取り止めている。この距離感は、空と、水の青に近い物かも、知れない。
この陶酔しきった執着は、屈折に歪んで見えるのだと、またひとつ酸素を吸ってしまったのだと知った、9月の湿った夜だった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~
秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。
五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。
都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。
見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――!
久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――?
謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。
※カクヨムにも先行で投稿しています
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる