紫陽花

二色燕𠀋

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For Someone

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 お互いがお互いを認識し合うと、先に昨日の先輩が、とても冷めたように笑い、「久しぶりだな、あゆむ」と言って浦賀先輩を睨み付けた。

「うん…久しぶり」
「まだ居たんだな、お前」
「まぁね…」

 なんだろう。

「よりによって、こんな時に会うなんてな」
「…なんで?」
「知らない?」

 先輩は溜め息をついて浦賀先輩を見据えたが、少しだけ優しい目をしたように思えた。

「今謹慎中なんだよ、俺」
「…どしたの」
「皮肉にも無実の罪を被せられてな。俺が苛めというか…カツアゲしたってさ」
「えっ…?一喜が?」
「ああ、俺が」
「…やってないんでしょ?」
「そんなこと、するわけねーだろ」

 先輩は不機嫌そうにふいっと顔を反らし、浦賀先輩へ背を向ける。

「一喜、それ、誰が言ってんの?」
「え?」

 だけど驚いたように先輩は再び浦賀先輩を見る。
 浦賀先輩はわりと真剣なようだ。

「…歩?」
「どうして、そうなったの?」

 先輩と浦賀先輩の間には沈黙が流れた。

「…お前にはかんけーねーだろ、歩」
「…まぁ、そうだけど」
「今更優しくしないでくれ。俺、どうしていいかわかんないんだから」
「…まぁ、そうだね…。
 悪かったな。じゃぁ、小日向さん、放課後」
「はい…」

 そう言うと浦賀先輩はふらっと、図書室から去って行く。

「あーあ…」
「先輩?」
「結局俺はいつだって、あんなことしか言えねぇな」
「…思ったことじゃなかったんですか?」
「いや、そうじゃない。
 ただ、選択肢の中で、楽なやつを選んじゃったというか…。傷付けることしか言わないな」

 なんだか落ち込んでいる。
 それからふらふらっと本棚へ向かう背中が寂しい。

「あ、そうだ。
 昨日の読み終わったよ」
「えっ!」

 早い。マジか。
 まぁ確かに、この人一日中暇だもんなぁ…。

「ちょっと刺激足んなかったな。まぁ、昔の人にしちゃ面白いんだろうね。発想は豊かだよね海外書物ってさ。猫が絞首刑って。でも猫だからまだよかったな。本当に怖いのは人間だからね」
「あぁ、はぁ…。実は…。
 私あれ、読んだことないんです。私、『怪人二十面相』を薦めようとしてたんですけど間違えて取ってたんです。『怪人二十面相』も、読みやすそうなのを選ぼうと思ったんで…」
「なるほど、やっぱり」

 先輩はそう言うとにっこり笑った。

「ちょっとそんな気がしたんだよね。お薦め、ある?」
「すみません…。
 お薦めかぁ…私、それほど本は詳しくないんです。江戸川乱歩も、昨日薦めようと思ったけど、実はあんまり読んだことないし…」
「じゃぁ江戸川乱歩は俺が読むわ。明日感想聞かしてやるよ。じゃぁさ、小日向さん?だっけ?は、そうだなぁ…」

 と言って先輩は棚を見上げた。

「あ、そうだ。
 外人と日本人、どっちが好き?」
「断然日本人です」
「あ、わかるー!
 俺もさ、幼馴染みにさ、外人の本ばっか読んでる変態みたいなやつがいるんだけどさ。そいつに薦められて読むのはいいんだけどさ、まず登場人物からして全然入ってこねぇの」

 もしかして、岸本先輩かな。

「もしかして、岸本先輩ですか?」
「あ、知り合い?
 そうそう!あいつさー、ホントよく読めるよね。あいつ俺らに薦めるときは日本語訳のヤツなんだけど、またそれが不服らしくてさ。なんだっつーの。まぁいいんだけどね。
 俺あいつのおかげで英語得意だもん。
でもね、一冊だけ、気に入ったのがあったんだ」
「へぇ…どんなのですか?」
「でもねぇ、ここにないなぁ。
 あのメモ帳に書いてあったな。お兄さん?」
「あのメモ帳、お兄さんと、岸本先輩と、あと…浦賀先輩が書いてます」
「あぁ…だからか…。
 もし届いたら、読んでみてね。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』。
 じゃぁ、最後の一文を書いたのは、お兄さんじゃないんだね」
「え?」
「メモ帳、見てない?」
「はい、あんまり。さっき、書いてたんで…」
「そっか…。
 じゃぁ、今日は日本人を薦めるよ。うーん」

 先輩は棚を眺め、一冊本を取り出して渡してきた。
 夏目漱石の『夢十夜』。その他も入った短編集だった。

「読んだことあったらごめん」
「これ、次読もうかなって思ってました」
「丁度いいや。俺、わりと漱石好きなんだ」
「私もです!ちょっと堅いから、分かりにくいとこもあるけど…いま、『こゝろ』読んでて…」
「あー!あれ読んだよ!おもしれーよな、いまどこ!?」
「2章の、恋話を打ち明けられたところです」
「うわー、いいところだね。一番はらはらするところだ」
「先生はいい人なのか、とにかくいい友情なのかな…ただこれは少し今のところ切ないです」
「うん、そうだろうなー。あー、話したい話したい、早く読み終わるといいね」

 なんだか、楽しい。

「頑張ります!」
「あ、そうだ」

 先輩はふと、照れ臭そうに後ろ髪を左手でくしゃっと掴んだ。

椎名しいな一喜かずき。よろしくね」
「椎名…先輩」
「それちょっとなんか…気持ち悪いな。一喜でいいや」
「じゃぁ…かずき先輩。どんな字ですか?」
「一つの喜び」
「いい名前ですね」

 そういうと凄く照れ臭そうに、「そうかなぁ…?」と言った。

「でも少し…嬉しいかも。俺、自分の名前あんまり好きじゃないからさ」
「なんでですか!私、好きですよ」

 そう素直に言ったのに、一喜先輩はふと笑い始めた。

「スゴいな、小日向さん、純粋でいいわ。恥ずかしげもなくよくそんな人を褒められるね」
「え?恥ずかしいものですか?」
「照れ臭いよ。でも、気持ちいいや」

 なんかわからないけど、気分がいいならそれでいいや。

「歩が小日向さんのこと気に入ったの、わかるかもしれない」
「え?」
「あれ、俺なんか勘違いしてる?」
「…ん?」
「彼女じゃないの?」

 思わず息が詰まってしまった。一喜先輩が、「え、大丈夫?」とか言って背中を擦ってくれる。

「全然違いますよ。ランチ仲間です」
「え?そうなの?」
「まぁ、ひょんなことで助けられぱなっしですけど」

 そう言うと一喜先輩から急に笑顔から消えた。

「へぇ、あいつがね」

 と、凄くつまらなそうに言ってから一人、テーブルについた。

「気を付けな。あいつはあんまり人に優しくないから」
「そう…ですか」

 それから少し気まずくなってしまったのでお互いに本を読んで時間を潰した。

 チャイムが鳴ると栗田先生が、笑顔でメモ帳を返してきた。

「発注しといたよ。お兄さんに伝えておいてね。
 はい、これ。交換日記みたいね」
「え?」

 栗田先生はそれだけ言ってまた司書室に戻ってしまった。

「交換日記か…」

 寂しそうに一喜先輩が真後ろで呟いた。真後ろにいつの間にかいたことに気が付いてビックリした。

「お、ごめん。
 じゃぁ、また明日」
「はい、また明日」

 図書室を去った。私はそれから一時間、理科の授業を受け、放課後、佳世子ちゃんと共に下駄箱に向かった。浦賀先輩が下駄箱に凭れ、手にはいかにもな紙袋を持って待っていた。

「あっ、」
「あら、この前はごめんね」

 ダルそうに浦賀先輩が言うと、佳世子ちゃんは少し俯いて、「いえ、大丈夫です」と返した。

「じゃぁね、小夜ちゃん。また明日」
「あ、うん。またねー」
「気を付けてねー」

 浦賀先輩がそう声を掛けると少し会釈をして、そそくさと佳世子ちゃんは帰ってしまった。

 緩く手を振り見送る浦賀先輩は、佳世子ちゃんが遠退くと、「俺、あの子に嫌われてるみたいだね」と、ぼそりと言った。

「うーん。嫌われてる、と言うより警戒されてますかね」
「はっきり言うね」
「まぁ、はい」
「まぁそこが君の良いとこだよね。さて、案内よろしくお願いします」
「はい、かしこまりました」

 そして二人で歩き始める。
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