裸足の人魚

やわら碧水

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第一部

第五章・卒業式(その7)

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 夕食が一段落すると、暁子は台所に行って湯を沸かし、お茶やお菓子の準備にとりかかった。

「このクッキー、暁子が焼いたんだ。暁子って料理うまいよね」

「潮音、ここでつまみ食いしないでよ」

 暁子は困った顔をした。

「あたし、お母さんの帰りが遅いときには、栄介の分まで自分でごはん作ることもあるんだ」

「これで受験勉強もやるんだから、暁子ってすごいよね」

「慣れたら大したことないよ。それ言ったら、お母さんはもっと仕事で忙しいんだから」

「でもやはり…オレも女になったからには、料理の一つくらいできた方がいいのかな」

「それ言ったら、レストランのコックさんはほとんどが男でしょ。男は料理ができなくてもいいとか、女だから料理ができなきゃいけないなんて、そんなこといったい誰が決めたのよ。栄介にも簡単でいいから料理くらいできるようになれって言ってるんだけど、全然聞きやしないし」

 暁子がため息交じりに話すと、潮音は今までの自分自身を振り返り少々気恥ずかしい思いがした。

「そんなに気にしなくてもいいよ。でも潮音、もしあんたに好きな男の子ができて、彼のために手料理の一つでも作ってやりたいとかいうんだったら、いつでも言いに来な。あたしが料理の作り方教えてあげるから」

「暁子がそういう男作るほうが先だろ」

 潮音に言われて、暁子も少々恥ずかしそうな顔をした。そのような暁子の表情を見て、潮音はさらに追い討ちをかけた。

「でもこうしてみると暁子って案外、結婚したらいいお嫁さん、そして子どもが生れたらいいお母さんになりそうだよね。もう少しその性格のがさつなとこ何とかして、かわいいかっこしたら、彼氏なんかすぐできると思うけど」

「何言ってるのよ。そもそも『案外』ってどういう意味よ」

 暁子は少々ふて腐れた様子をしながらも、次の瞬間には一転して表情を明るくさせた。

「でも今あんたとこうやっていろいろ話できるのは、やはり同じ制服着てるからかな」

 暁子にそう言われて、潮音はぎくりとしながら自分の姿を見回した。 

 暁子はお茶とお菓子の準備を終えると、潮音と優菜をあらためて自分の部屋へと案内した。

 潮音は暁子の部屋に入ると、辺りをきょろきょろ見回した。部屋の中は小ぎれいにかたづいていて、家具やカーペットも柔らかい色調でまとめられ、あちこちに人形やマスコットが飾られているのが目についた。

「気がついてみたら、オレが暁子の部屋に入るのなんて久しぶりだよね。でも暁子の部屋って、思ったより女の子っぽいじゃん」

「『思ったより』ってどういう意味よ。だったらあんたの部屋はどうなのよ」

 潮音は暁子の机の上に、少年マンガ誌に載っている人気マンガがあるのを見つけた。

「暁子、このマンガ読んでるの」 

「いや、もともと栄介が好きだからあたしも読み出してはまったんだ。あんたこそ男だったときから、綾乃お姉ちゃんの持ってる少女マンガ読んでたくせに」

 そばにいた優菜は、暁子からその少女マンガの題名を告げられると顔をほころばせた。

「そのマンガ、私も好きやけど潮音も読んどったとは意外やわ」

 優菜と潮音がしばらくその少女マンガの話題で盛り上がるのを、暁子は呆気にとられながら聞いていた。そこで暁子は、物置からトランプを取り出した。

「これでもして遊ばない?」

「ええな」

 優菜もすっかり乗り気になっていた。

 潮音がさっそくカーペットの上に足を広げて坐ると、暁子は顔を赤らめてスカートの方を指さした。潮音が暁子の方をあらためて向き直すと、暁子は両足をそろえてきちんと坐っていて、カーペットの上には紺色のプリーツスカートがふんわりと広がっている。これを見て潮音は、暁子も多少乱暴で強情なところはあっても、こういうところはやはり女の子なんだなと思った。
 
 しかしいざトランプのゲームが始まると、潮音はあらためて気詰りなものを感じずにはいられなかった。暁子や優菜が制服姿のまま、何の屈託もなくトランプに興じている中に一人だけまぎれこむと、潮音はこれまで感じたことがないような女の子独特の雰囲気を感じ取っていた。

 そのとき潮音は、松風女子学園に入試を受けに行ったときに感じた、どこか胸の奥が甘酸っぱくなるような空気を思い出していた。潮音は女子校に入学することを決めたとはいえ、この女の子独特の雰囲気に溶け込むことができるのだろうかと戸惑うのと同時に、自分が何か後ろめたいことをしているかのような気持ちにとらわれていた。

 潮音はこれまで学校や通学路で、この制服を着た女子の姿などいつも目にしてきたにもかかわらず、ここまで女子と深くつきあったことなどなかったし、女子のことなど何も知らなかったと今さらのように感じていた。とりわけ潮音は、ここまで暁子を身近に感じたことも、暁子がここまで自分の前で屈託なく自然にふるまっていることも、特に中学に入学して以来見たことがなかったことにあらためて気がついていた。潮音は小学校のころまでは暁子ともいつも一緒に遊んでいたのに、いつの間に二人の間にそんなに溝ができてしまったのだろうと考えていた。

 こうなると暁子がカードを引こうとして身を乗り出すたびに、セーラー服の開いた胸元が迫って来るのや、時折足を組みかえたりスカートの裾を直したりするのでさえ、潮音の胸をどぎまぎさせた。そのときに暁子の指先が潮音の手に触れたときなどは、一瞬胸の高鳴りを覚えた。潮音はもし今の自分が男のままだったとしても、暁子に対して今のような感情を抱くことなどないに違いないと思うと同時に、自分が暁子との距離の取り方に戸惑っているのも、やはりこのセーラー服のせいだろうかと内心で戸惑いを覚えずにはいられなかった。

──オレはもしかして、本当は心の奥底では、今のようにセーラー服を着て女子の輪の中に混じりたいと思っていたのだろうか。…でももしそうなら、どうしてそうしなかったんだろう。

 潮音は指先でこそトランプのカードをめくりながらも、心の底では疑念ばかりが深まっていった。


 トランプが一段落してからも、暁子と優菜はすっかりリラックスした面持ちで、お菓子を口にしながらカーペットに足を投げ出して坐っている。潮音は暁子や優菜がセーラー服のままこのようなそぶりを見せているところなど今まで見たことがなかっただけに、胸の高鳴りを抑えることができなかった。暁子と優菜がさまざまな噂話などに花を咲かせても、潮音はその輪の中にいまいち入りがたく感じていた。 

「こうやってあたしの部屋にたむろってるだけならまだしも、セーラー服っていうのがなんかいいよね」

「ほんまに三人だけの修学旅行みたいやね」

 暁子と優菜が楽しげに話しても、潮音は膝を抱えて坐ったまま、よそよそしい面持ちでぼそりと答えた。

「男は学ラン着てこんなことしないぞ」

「じゃあせっかくの機会だから、あんたも女の子の楽しみを味わってみればいいじゃん」

「暁子がそんなこと言うかよ。小学校のころはいつもズボンばかりで、中学入る前には制服でスカートはくのいやだったとか言ってたくせに。それに暁子ったら、小学校のころはクラスの女子の悪口言った男子に食ってかかったこともあったっけ」

 潮音が話すと、暁子はますます困ったような表情をした。

「もう…そんな昔の話しないでよ。そりゃあのときは、陰でこそこそ悪口言うやつが許せなかったけど。でも潮音は、少なくともあんなことはしなかったよね」

「アッコも気にすることないやん。アッコはそうやっていつもクラスを盛り上げてきとったし。そりゃ私だって小学校のときから、アッコはもう少し女の子っぽいかっこしてもかわいいのになと思うたこともあったけど」

 優菜に言われて、暁子はますます立つ瀬がなくなった。そのような暁子の気恥ずかしそうな様子を、優菜はどこかはにかみ気味な面持ちで眺めていた。

「でもやっぱり潮音とアッコって仲ええよね。潮音が男の子のままやったとしても、けっこうええとこまでいっとったんやないかな。あたしも…潮音のこと好きになり始めたのは中学で一緒に水泳部入ってからやったけど、やはりアッコにはかなわへんとずっと思っとったんや」

 優菜が気恥ずかしそうに口を開くと、暁子は居心地が悪そうな表情をした。

「だから、あたしと潮音とはちっちゃなころからずっと隣同士で、そういう関係じゃないってば」

「そうだよ。だいたい誰がこんな色気のない女と。第一今のオレの方がプロポーションいいもんね」

 そこで暁子は、潮音をクッションでひっぱたいた。優菜はそのような二人の様子を、やれやれとでも言いたげな表情で見守っていた。

「でも私も中学の制服着るのいややったという、アッコの気持ちはようわかるよ。私はもともと私立中学に行きたくて、小学校も五年生からは遊ぶのやテレビ見るのも我慢して、ずっと塾に行って勉強しとったんよ。でもその入試に落ちてもて、中学入ってしばらくの間はなかなか学校になじめへんかったんや。そのころは私だって、こんなセーラー服なんかダサいと思って、着るのいやでしゃあなかったし…でも今では、この夕凪中学行った三年間かて決してムダやなかったと思っとるよ。だから潮音も、これまでのことは絶対ムダにならんはずやと思うよ」

 優菜は「潮音」と言うとき、少々照れくさそうにしていた。

「たしかにあたしも、はじめは制服着るのいやだったはずなのに、中学卒業してこのセーラー服ももう着ないのかと思うとちょっと寂しいな」

「オレなんかこのセーラー服着たのは入試と合格発表見に行くときくらいで、このかっこで中学行ったことすらないけどな」

「でも女の子になってからも、ずっと学ラン着て学校通っとった潮音もけっこうかっこええなと、女子みんなで話しとったんよ」

 優菜に言われると、また潮音はいやそうな表情をした。
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