裸足の人魚

やわら碧水

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第三部

第五章・秋祭り(その5)

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 秋の日もすっかり暮れて辺りが宵闇に包まれ、明石海峡大橋の装飾の照明が瞬き出すころになって、潮音たちはそれぞれの家に戻ることにした。キャサリンはさっそくスマホで祖父母に帰宅することを伝えていたが、そこで流風が漣に声をかけた。

「若宮さんはこれから電車に乗って、今住んでる伯母さんの家に帰るんでしょ? もしよかったらだけど、明日も連休で休みだし、せっかくだから私の家に今晩泊まっていかない? 若宮さんとはもうちょっと話したいことがあるの」

 そこで漣が今住んでいる伯母の家にスマホで連絡を取ったところ、漣の伯母も流風の家に一晩泊まっていくことに同意したようだった。潮音は自分が幼い頃からよく行っていた敦義の屋敷に漣が泊まるとに、どこか意外さを感じていた。


 皆が神社の鳥居の前で解散したとき、昇は潮音に声をかけた。

「暗くなったから、藤坂さんと友達を一緒に家の近くまで送っていくよ」

 昇のやさしげな口調には、暁子と優菜までもが気恥ずかしそうな表情をして口をつぐんだ。潮音はそこでふと、もし自分が男の子のままだったら、自分自身が昇に守ってもらったりせずに、暁子や優菜を家まで送り届けなければならないのになと思っていた。

 潮音が昇や暁子、優菜と一緒に、秋祭りの喧騒も去ってすっかり静まり返った夜道を歩き出しても、潮音と昇が連れ立って歩くのを、暁子と優菜はどこか気づまりそうな顔つきで眺めていた。潮音もそのような暁子と優菜の視線を気にしながらも、昇にぼそりと話しかけた。

「どうだった、神社の秋祭りは?」

 昇はそれに対して、満足そうな表情で答えた。

「楽しかったよ。僕はこの街に引っ越して来たばかりだけど、ずいぶんにぎやかなお祭りなんだね」

 そこで暁子が、昇に話しかけた。

「湯川君も楽しんでくれて良かったよ。…でも湯川君は浴衣着たって似合うじゃん。この前尚洋の文化祭に行ったとき、湯川君がメイド服着てたのには驚いたけど」

 昇はそのことはあまり言わないでくれとでも言わんばかりの、少々気まずそうな表情をした。そこで優菜も口を開いた。

「あたしも尚洋の文化祭は初めて行ったけど、男子校の文化祭だって楽しかったよ。うちらの学校では、文化祭は十月の終りにあるけどね」

 しかしそこで昇は、少し気づまりそうな口調で言った。

「僕がメイド服を着て女装したのは文化祭の行事だからでいいけど、藤坂さんはずっとあのときの僕のような気持で過ごしてきたんだよね」

 その昇の言葉を聞いて、暁子と優菜は二人とも息を飲んだ。昇がすでに、潮音の秘密を知っていることに気がついたからだった。

「湯川君…もしかして潮音から話は聞いたんだ」

「ああ。藤坂さんから話を聞いたときはちょっとショック受けたけど、藤坂さんもよく勇気を持って僕に打ち明けてくれたよね」

 そこで潮音は、きっぱりと昇に言った。

「湯川君…自分が男から女になったからといって、あまり変に気を使ったり同情したりするのはやめてよ。もし本当に女のかっこするのがいやだったら、毎日スカートはいて女子校通ったり、それに今日だってこんな浴衣なんか着てないよ」

「…藤坂さんって強いんだね」

「湯川君にまでそんなこと言われるほど、大したことしてるつもりなんかないけどね。私はただ、自分のやりたいようにやってるだけだよ。…それに私の問題は、学校にズボンはいて行ったくらいで解決するようなものじゃないんだ。私は湯川君には、自分のことを変に特別扱いしたりしないで、もっと自然につき合ってほしいだけなんだ」

 そこで暁子が、昇に対して語調を強めながら言った。

「湯川君…この子は口でこそこんなに強がってるけど、あたしは今まで潮音がどれだけ悩んだか、そして傷ついたかずっと見てきたよ。だから湯川君は、この子のことをしっかり見守っていてほしいの。私は今までの小学校や中学校でも、湯川君みたいなクールで落ち着いた、頭良さそうな男の子何か見たことなかったし」

「…わかったよ。困ったことや悩んでることがあったら、何でも僕に話せばいいよ。どれだけ力になってあげられるかはわからないけど」

「…湯川君こそ変に気にしなくていいよ。そう言ってくれるだけでも嬉しいから」

 暁子と優菜は、潮音と昇がいつの間にかいいムードになっているのを見て、互いの顔を見ながらほくそ笑んでいた。


 そうこうしているうちに、潮音たちは家の前まで着いていた。潮音はそれぞれの家の前で別れて自宅に戻ると、漣のことが気になっていた。

 潮音が自宅の玄関の扉を開けると、綾乃が玄関口で潮音を出迎えた。綾乃はさっそく、ニコニコしながら潮音と昇の間に何かあったのかと尋ねたが、潮音は冷淡な表情で何もなかったと言い放った。

「なんか一日草履履いてたら、足痛くなっちゃったよ」

 潮音が草履を脱いで家に上がると、則子が風呂が沸いているから入るように言った。そこで潮音は浴衣の帯を解いて、入浴することにした。

 潮音は体を洗い終えて湯舟に浸かると、湯の中で足を動かしてこわばりをほぐした。湯の中で温まっているうちに、ようやく潮音は心身ともにリラックスできたような気がしたが、そのうちに潮音は今日一日の漣の表情を思い出していた。潮音は漣も今日の祭りを楽しんでいたように見えた点には安堵したが、そうなると漣がこの晩流風の住む敦義の屋敷に泊まって大丈夫なのだろうかということが気になり始めていた。

 潮音は幼い頃から、流風の住んでいる敦義の屋敷に泊まることは何度もあっただけに、敦義の古びた屋敷のことは隅々までよく知っているつもりだった。しかしそれだけに漣が敦義の屋敷に泊まってどうするかが気がかりだったが、そこは流風やモニカがちゃんとフォローをしてくれるだろうと思い直すと、湯舟の中で伸びをした。

 潮音は風呂から上がってパジャマを身につけ、髪の毛を軽く手入れすると、洗面所の鏡に自らの姿を映してみた。

──オレだって自分のこの姿を、なかなか受け入れることはできなかった。やはり漣だってそうだった、いや今でも十分に今の自分自身を受け入れることができないのだろうか。

 そう考えると、潮音も漣に対してどのように接するべきなのか、なかなか考えがまとまらなかった。潮音は自分自身だって漣と同じような経験をしているはずなのに、なかなか漣の力になれないことに対して、もどかしさを覚えずにはいられなかった。


 ちょうどそのころ、敦義の屋敷の中の流風の部屋では、夕食と入浴を済ませた漣が、流風から借りた部屋着代わりのスウェットスーツを着て、流風を前に落ち着きのない様子をしていた。夕食を取ったときは豪放な性格の敦義と陽気なモニカも漣を歓迎したが、それがますます漣に気後れを感じさせたようだった。
 漣はきょろきょろと辺りを見回して、流風の部屋のいかにも女の子の部屋といった感じの内装に気まずさを感じている様子がありありと見てとれた。自身もパジャマに着替えていた流風が、せっかくだからゲームやトランプで遊ぼうと誘ってみても、漣は今一つ乗り気ではないようだった。

 漣のそのような様子は、流風にとっても気がかりなようだった。

「どうしたの? やはり女の子の部屋に入るのは緊張するの?」

 そこで流風は、漣に窓の外の景色を見せた。そこから見える通りは、電柱にぽつりぽつりと街灯が灯っているだけで、先ほどまでの祭りの喧騒がウソのようにしんと暗く静まり返っていた。

 漣は宵闇をじっと見つめながら、心の中で何かを考えているようだった。そのような漣の横顔を見つめながら、流風はそっと話しかけた。

「お祭りの後の空気ってなんか不思議だよね。お祭りがにぎやかだっただけに、より外が暗くてしんと静かで、寂しい感じがする」

 しばらくの間漣は黙ったままだったが、やがてその重苦しい空気を打ち破るかのように、流風に向けて声をかけた。

「あの…流風先輩の親戚の潮音さんって、やはり男の子から女の子になっちゃったのに、どうしてあんなに友達と一緒に明るくしていられるのですか」

 そこで流風は、漣にそっと話しかけた。

「あの子は今でこそああだけど、あの子だって自分が女だということを受け入れるまでにはだいぶ大変だったんだ。…私はあの子がどれだけ悩んだかをずっと見てきて知ってるよ。だから若宮さんには自分に合った生き方を見つけて、幸せになってほしいの」

 流風に言われて、漣はますます当惑の色を浮べた。

「そんなこと言ったって…自分は潮音さんみたいにあんなに明るく元気にはなれません。僕は小学五年生のときに女の子になる前からずっと、男の子のグループの中に入っても、自分がいる場所はここじゃないかのような感じがして、なかなか友達と仲よくすることができなかったのです」

「若宮さんは女の子になる前から、ずっと心の中でつらい気持ちを抱えながら生きてきたのね…。でも若宮さんは潮音ちゃんみたいになる必要なんかないよ。潮音ちゃんは潮音ちゃんで、若宮さんは若宮さんなんだから」

「その『自分』って何かがわからないから、こんなに悩んでいるのに」

 そういう漣は、目尻にうっすらと涙を浮べてすらいた。流風は漣に対して、柔らかい調子でそっと話しかけた。

「そんなこと無理に考えたって何にもならないよ。焦らずじっくり考えていくしかないわね。…あのね、さっき若宮さんが夕ご飯を食べていたとき、お祭りの法被を着た元気そうなおじいちゃんがいたでしょ。実はあのおじいちゃんが、私の本当の父なんだ。そして私の母は父とは親子ほども歳の離れたフィリピン人なんだ」

 その流風の告白を聞いて、漣は驚きながら流風の顔を見た。

「私だってちっちゃな頃は、学校の行事なんかで両親が学校に来るのがいやだったことだってあったよ。でも私は今では、父も母も、そのどちらが欠けても私はいなかったとはっきり思ってるんだ。だから漣ちゃんだって、自分のことが好きになれる日がいつかきっと来るよ」

 そう言って流風は、ハンカチで漣の涙をぬぐってやった。

「ともかく今日は若宮さんもお祭りで疲れてるだろうからもう寝ようか。若宮さんはいつも私が使っているベッドで寝ればいいよ。私は床に布団を敷いて寝るから」

 流風の心遣いに漣はいささか後ろめたそうな顔をしていたが、漣は流風のベッドにもぐりこむとそのまますぐに寝てしまった。流風も漣の寝顔を見守って、ふと息をつきながら床についた。
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