裸足の人魚

やわら碧水

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第四部

第四章・一年の計は元旦にあり(その9)

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 そこで紫は、あらためてみんなの顔を見回しながら言った。

「で、みんなの今年の目標や抱負は何かしら。そろそろ受験や卒業してからの進路のことも考えなきゃいけない時期になるけど、来年になったらほんとに受験で手一杯になるから、やりたいことやれるのは今のうちよ」

 そこで一番に口を開いたのは光瑠だった。

「私は生徒会の体育委員として今年の体育祭を成功させることかな。バスケ部も悔いが残らないように今年のうちにちゃんとやっておきたいし、去年の夏に沖縄の海に潜ってみたけどそれもまたやりたいんだ」

 光瑠が元気そうに話すのを聞いて、紫は光瑠に尋ねた。

「光瑠はやっぱり特進コースに行くの?」

「ああ。できたらそうしたいけど」

 潮音は光瑠までもが特進コースに進むという話を聞きながら、自分にもせめて光瑠にも負けないくらいの明るさやポジティブさがあればと感じていた。

 光瑠に続いたのは琴絵だった。

「私は文芸部でもっと会誌を出すのと、今ネットで書いてる小説をなんとか完結させることかな。そろそろ受験のことも考えなきゃいけなくなるけど」

 潮音は琴絵が「受験」という言葉を口にしたとき、少し顔を伏せて口ごもるような様子をしたことを見逃さなかったが、潮音のそのようなささやかな疑念を吹き飛ばすかのように、紫が興味深そうな面持ちで身を乗り出してきた。

「琴絵の書いてる小説、読んでみたいわね」

「そんな大した小説じゃないよ」

 琴音が気恥ずかしそうな顔をしていると、そこで恭子が笑みを浮べながら、あらためて琴絵の顔を向き直した。

「寺島さんって中等部のときまではいつも一人で本とか読んでることが多くて、なんかつき合いにくいところがあったけど、高等部になってからだいぶ明るうなったな。去年の前期にクラスの副委員長になったときはしぶしぶ引き受けたような感じやったけど、後期は自分から積極的に委員長に立候補したし」

 その恭子の言葉には、琴絵も意表をつかれたような顔をした。

「そうかな。でもたしかに文化祭の劇の脚本や演出を引き受けたときは大変だったけど、その分やりがいもあったわ。もしかしたらあれが転機になったのかもしれないね。でもそれも、みんなが劇の演技や役割をちゃんとやってくれたからよ」

 琴絵は特に光瑠と潮音の方に目を向けていたので、二人はいささか気恥ずかしい気分になった。そこで恭子がさらに言葉を継いだ。

「今年の文化祭も、また琴絵の脚本で劇やるん?」

「まだわかんないよ。そもそも去年と同じことやったってしょうがないでしょ」

 そう答えたときの琴絵の顔は、少しむっとしていた。それに続いて恭子が話す番になった。

「あたしの成績じゃ、特進コースはちょっと厳しいかな。あたしはもっと世界に出て働くような仕事したいから、もっと英語を頑張らなあかんと思っとるんやけど」

 その恭子の話を聞いて、キャサリンも口を開いた。

「私も高校を卒業したら、イギリスに日本のことを紹介したり、逆に日本にイギリスのことをもっと紹介したりできるような仕事をしたい、そうすることで日本のイギリスの架け橋になりたいです。そのためには勉強しなきゃいけないことがいっぱいあるので、もっと頑張らなきゃと思っています」

 そこで潮音はキャサリンに尋ねた。

「キャサリンってやっぱり、高校卒業したらイギリスに帰るの?」

 キャサリンはやや口ごもりながら答えた。

「やはりそうなると思います。でも大丈夫ですよ。そうなったってみんなと会える機会はありますから」

 そこでようやく潮音が話す番になったが、潮音は話すこと自体に気後れを感じずにはいられなかった。今までに話したみんながきちんとした今後の目標や展望を持っているのに比べたら、潮音は自分がそのようなことを漫然としか考えてこなかったことにあらためて気づかされて、穴があったら入りたいような気分になった。それでも何も言わないわけにはいかないので、潮音は遠慮気味に話し始めた。

「私の成績じゃ特進コースなんかとても行けそうにないし、それどころか高校に入ってからはずっと勉強についていくだけで必死だったけど…それでもみんなに負けないようにがんばんなきゃと思うんだ」

 潮音が自信のなさそうな様子をしているのを見て、紫がそっとなだめるように声をかけた。

「潮音はそんなに気後れする必要なんかないよ。もうちょっと落ち着いて考えたら、自分のやりたいことや進みたい道も自然と見えてくるんじゃないかな」

 そこで潮音は、自分の男として生まれ、一年余り前にそこから女になってしまったという体験こそが、自分のこれから進む道を考える上でのヒントになるのではないかとうすうす気づいていた。しかしそこから具体的に何を目指すべきか、そのために何をするべきかと問われると、それにきちんと答えられる自信はなかった。

 潮音が答えあぐねていると、紫は話題を変えた。

「勉強とかの難しい話じゃなくてもいいから、潮音は今年やってみたいとか思うことはないの?」

 そこで潮音は遠慮気味に口を開いた。

「私…来年は受験で大変になると思うから、今年は紫と一緒にやっているバレエを頑張りたいと思ってるんだ。…できればわき役でもいいから舞台に立てたらと思っているんだけど」

 その潮音の話を聞いて、恭子が驚いたような顔で潮音を向き直した。

「ほんまにええの? 紫にめっちゃしごかれるで。覚悟しといた方がええよ」

 紫はその恭子の言葉にいやそうな顔をしたが、潮音の態度は落着きはらっていた。

「ああ。今の自分の実力じゃ、舞台に立つのは並大抵の努力じゃすまないことくらいはわかってる。でもそれでもいいから、自分は何かをやってみたいんだ」

 その潮音の言葉には、紫も何か感じるものがあったようだった。

「潮音のそうやって頑張ろうとするところはえらいと思うよ。でもそれだったら、生徒会の活動も手伝ってくれたら助かるけどな。今年は私たちの学年が活動の中心になるし、それに今年は修学旅行もあるから」

 紫の口から「修学旅行」という言葉が出て、みんなは表情をほころばせた。この六月に予定されている修学旅行を、みんな楽しみにしているようだった。しかしそこで、紫は最後に言葉をつけ足すことを忘れなかった。

「でも潮音の場合は、バレエや生徒会を頑張るのもいいけど、勉強もしっかり頑張らなきゃダメよ」

 その紫の言葉に、潮音は痛いところを突かれたような顔をして思わずため息をついた。そこで潮音は紫に尋ねてみた。

「紫の目標はやっぱりバレエだろ。あと紫はやっぱり、四月からの上期の生徒会長に立候補するの?」

 潮音の言葉に、紫は深くうなづいた。

「ああ。受験が大変になる前に、悔いが残らないようにバレエにもしっかり打ち込んでおきたいし、生徒会長もできることならやってみたい」

 そこで恭子が横から口を入れた。

「でも生徒会長選挙では、榎並さんが紫のライバルになりそうやな」

「私はあの子といがみ合う気はないけどね。あの子とももっといろんなところで協力できたらいいのに」

 潮音はその紫の言葉を聞きながら、榎並愛里紗の家を訪れたときのことを思い浮べていた。家計が裕福ではない愛里紗は、この正月も浮れることなく勉強しているのだろうかと潮音は気がかりだった。

 そうやっておしゃべりに花を咲かせているうちに、冬の日も早くも傾きかけて外は寒い風が吹き始めたので、潮音たちは喫茶店を後にして帰途につくことにした。そこで紫がはっきりと声をあげて、この場を締めくくった。

「いずれにせよ今年はみんなにとって大切な一年になりそうだから、しっかりがんばらないとね」

 潮音はこの紫の言葉を聞いて、身が引き締まるような思いがした。

 みんなで喫茶店から駅までの道を戻る途中で、光瑠が琴絵の顔を見ながらご機嫌そうに言った。

「学校が始まるとすぐに百人一首大会があるけど、うちの桜組は琴絵がいるからバッチリだよね」

「ほんまやな。よろしゅう頼んだよ」

 恭子も琴絵のことをあてにしているのを見て、潮音は自分は百人一首など全然わからないのにどうしようと思っていた。しかしそれでも琴絵は、少し困った顔をしていた。

「そんなに私に期待しないでよ。ほかの組にだってうまい子はいるし」

 潮音は琴絵の当惑した様子を見て、百人一首大会は一筋縄ではいかないだろうなと思っていた。

 駅前で解散し、帰る方向が同じ潮音と紫がそろって電車に乗りこむと、潮音はあらためて紫に言った。

「今年も紫には迷惑ばかりかけることになりそうだけど、そのときはどうかよろしくな」

 潮音がすまなさそうな顔をするのを見て、紫は潮音を励ますように言った。

「そんな、迷惑だなんて言わないでよ。潮音が何に対しても体当たりでぶつかってきたおかげで、クラスの雰囲気もだいぶ変ったと思うよ。私だって潮音からはずいぶん元気をもらえたし、潮音のそういうところは、これからも大切にしてほしいと思うな」

 紫にそこまで褒められたことが、潮音にはむしろ信じられなかった。

「ほんとにそう思うの? 私なんて勉強でも学校の活動でもバレエでも、何をやっても紫にはかなわないのに」

 そこで紫は、口ごもる潮音に対してはっきりと首を横に振った。

「人と自分を比べたって仕方ないことだわ。あなたはあれだけのことがありながら、ちゃんと高校に入ってここまでやってくることができた、それだけで十分立派よ」

 その紫の言葉に、潮音はますます赤面せずにはいられなかった。

 そこで電車が自宅の最寄駅に着いたので、潮音と紫は「今年もよろしくね」と挨拶を交わして駅前で別れた。潮音は紫の後姿を見送りながら、自分は今年こそ少しは紫の手をわずらわせないように頑張らなければならないと意を新たにしていた。

 潮音は暮れなずむ街を自宅に戻る途中も、心の中から疑念が消えなかった。先ほど友達と話したときも、しばしば受験の話が出たが、自分はどのような大学や学部に進み、そこで何を勉強すればいいのかと問われると、潮音の心には迷いしかなかった。

 そこで潮音は、昇のことを思い出していた。すでに弁護士になるという目標を定め、そのために一流大学への進学を目指しているのに比べたら、自分ははるかに遅れを取っていることを認めざるを得なかった。自分はどうすれば少しでも昇に近づけるのか、自分が目指すべき目標は何か…それを考えるだけで潮音は足取りも重くなっていた。


 その翌日の日が暮れて、三が日もそろそろ終りという頃になって、潮音の家のインターホンが鳴った。暁子の一家が帰省から帰ってきたのだった。

「あけましておめでとう、潮音」

 玄関のドアを開けるなり明るく元気な声をあげる暁子の姿を見て、潮音も自然に笑顔になっていた。

 暁子は居間に招かれると、潮音の家族に島の名産品のみかんと菓子折を手渡した。潮音がさっそくそのみかんを口にすると、その甘味が口の中にしみわたるような思いがした。

「暁子、このみかん甘くてすごくおいしいじゃん」

 潮音の嬉しそうな顔を、暁子もご機嫌そうに眺めていた。

 それから暁子は、スマホを操作して帰省中に撮った写真を何枚か見せた。そこからは暁子が、家族や親戚と一緒に正月を楽しんだ様子がしっかりと伝わってきた。特に潮音が智也の顔をスマホの写真で見ると、智也と一緒に釣りやキャッチボールを行ったことを思い出して顔がほころんでいた。

 しかしそこで暁子は潮音に対して、心をずしりと重くさせるような言葉を口にした。

「潮音、お正月もいいけど冬休みの宿題はちゃんとやってるの?」

 潮音がぎくりとしているのを見て、暁子は図星だとでも言いたげな顔をしながら潮音をなだめた。

「だったら明日一緒に宿題やろうよ。それが一段落したらゲームでもしない?」

 暁子もこの正月はまだ遊び足りないようだったが、潮音はそのような暁子の様子を見ながら、ふと息をついて今年もにぎやかな一年になりそうだなと感じていた。
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