裸足の人魚

やわら碧水

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第四部

第五章・百人一首大会(その5)

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 潮音たちが大会の行われている和室に戻ると、勝負は予選のトーナメントの決勝まで進んでいた。潮音のクラスの寺島琴絵も順調に勝ち上がっていたが、そこでの琴絵の対戦相手は榎並愛里紗だった。潮音は愛里紗もなかなかやるじゃないかと思ったが、それでもさすがにこの場は琴絵の方が有利に試合を進めていた。

 一回戦で潮音を一蹴した柚木芽実が対戦していたのは、高等部の生徒会長をつとめている二年生の松崎千晶だった。香澄も姉が奮戦している様子に思わず見入っていたが、別のトーナメントでは紫が二年生の椿絵里香と対戦していた。紫も決勝まで勝ち上がるくらいだから、琴絵や芽実ほどではないにしても百人一首の心得はあるようだったが、それでも昨年高等部で優勝している絵里香の前には苦戦しているらしく、いつになく思いつめたような表情をして息をはずませていた。潮音は紫がバレエを踊っているときにも、このような表情をしているところは今まで見たことがないと思っていた。

 やがて勝負はついた。琴絵は愛里紗に快勝したが、愛里紗は負けたとはいえその態度はさばさばしていた。潮音はプライドの高い愛里紗も、琴絵の実力は認めているのだなと思った。

 芽実も勝ったとはいえ、剣道部で体力や精神力を鍛えてきた千晶の前にはなかなか苦戦したようで、息がはずんでいた。一礼を終えた芽実を、同じ楓組の愛里紗がねぎらうような様子を見せていたが、その一方で潮音は隣にいた香澄に声をかけた。

「すごいね…。あの柚木さんって子、香澄のお姉ちゃんに勝つんだから」

 それに対して、香澄は落ち着いた口調で答えた。

「藤坂先輩、うちの百人一首大会には先輩も後輩もありませんよ。お姉ちゃんも椿先輩にはかなわないけれども、これまでずっといいとこまで行ってきましたからね」

 その一方で紫は、絵里香の前には歯が立たなかった。絵里香は一礼を終えるとにこやかな顔で紫と握手をしたが、そのとき絵里香は紫に対して、これからの生徒会活動は紫たちの学年に任せたと視線でメッセージを送っているかのようだった。

 四人目の決勝進出者は、一年すみれ組の国岡真桜くにおかまおという生徒だった。潮音はその「国岡真桜」という名前を聞いて、文化祭の美術部展に見事な絵を出していた子だとすぐにわかったものの、その真桜の姿を見るなり、どこか不思議な雰囲気を漂わせた少女だと直感的に感じていた。その一見のん気でぼんやりとした様子は、とても激しい百人一首大会のトーナメントを勝ち上がってきたとは思えなかった。

 潮音が果たしてこの真桜という生徒が琴絵や芽実に太刀打ちできるのかなと心配する間もなく、決勝戦の対戦相手を決定するためのくじ引きは始まっていた。そしてその結果、準決勝で琴絵と絵里香、芽実と真桜がそれぞれ対戦し、その敗者同士が三位決定戦、勝者同士で決勝戦を行う運びになった。

 準決勝が始まると、琴絵と絵里香も熱戦を繰り広げていたが、潮音はなぜか同じクラスの琴絵よりも、芽実と真桜の対戦同士の方が気になっていた。芽実は自分が一回戦で対戦した相手ということもあるが、それとともに潮音は真桜のかもし出す不思議なムードからも目が離せなくなっていた。

 真桜は札を着実に取っていき、芽実とも好勝負を演じていた。潮音は一見おっとりした真桜のどこにそのような実力があるのかといぶかしんだが、その間にも琴絵は絵里香との勝負を制して決勝進出を決めていた。

 生徒たちの視線は、芽実と真桜の勝負に向けられていた。芽実も真桜もそれぞれの持ち札は数枚にまで減っており、もはや勝負はどちらに転んでもおかしくない状況になっていた。それよりも芽実だけでなく普段はぼんやりした真桜までもが真剣な眼差しをしており、その二人の勝負にかける思いがひしひしと伝わってきた。

 結局芽実と真桜の対戦は、終盤に芽実が立て続けに札を取ったことで、芽実の勝ちで終った。一礼を終えた後の真桜は多少にこりとはしたものの、芽実に対してただ「ありがとう」と言ったのみだった。潮音は真桜は、口数も少なくあまり感情を表にしないタイプなのかなと思っていた。

 程なくして始まった絵里香と真桜の三位決定戦は、絵里香の勝利で終った。絵里香は勝負の場を離れると、その場に現れた千晶とハイタッチを交わした。そのときの絵里香は、自分にとっての最後の大会で全力を出し切ったのだからもはや悔いはないとでも言いたげな、すがすがしい表情をしていた。千晶の妹の香澄も、その二人の様子を黙ったまま感慨深そうに眺めていたが、千晶はそのような香澄を中等部に戻るようにたしなめた。軽く舌を出してその場を立ち去る香澄を、千晶と絵里香はため息交じりで見送った。

 残るはいよいよ、琴絵と芽実の間で行われる決勝戦のみとなった。潮音が同じ桜組の紫や光瑠と一緒にその勝負を観戦しようとすると、芽実の所属する楓組のリーダー格である愛里紗が、芽実は琴絵には負けないとでも言いたげな不敵な笑みを浮べながら紫の方に視線を送っていた。潮音は内心で、愛里紗はこんなところで意地を張らなくてもいいのにと思っていたが、愛里紗の傍らにいた楓組の優菜も潮音に同感のようで、少し困ったような顔をしていた。

 琴絵と芽実の対戦は、決勝戦の名に恥じない白熱した勝負になった。潮音は琴絵が、体育祭のときにはクラス全体の盛り上りに乗り切れないようなそぶりをしていたのを思い出していたが、その琴絵がかるたの取り札を前にして真剣な眼差しで熱くなっている様子には意外に思わずにはいられなかった。潮音はいつしか、電光石火の早業で勢いよく札を取り合う琴絵と芽実の勝負を、固唾を飲みながら見守っていた。

 潮音が気がつくと、桜組と楓組の担任である美咲と紗智も、生徒たちに混じって決勝戦の勝負の行方を見守っていた。潮音も松風女子学園の在学当時から交流がある、この二人の先生の仲は相変らずだなと感じていた。

 結局決勝戦を制したのは琴絵だった。琴絵は一礼を済ませると、自分を取り囲んだ紫や潮音をはじめとする桜組の生徒たちに笑顔で応えた。その一方で芽実はどこか悔しそうな表情をしていたが、愛里紗がそれをなんとかなだめて落ち着かせようとしていた。やがて大会を締めくくる表彰式が始まると、三位までの入賞者には賞状が手渡され、古文を担当している石野先生が出場者たちの健闘をたたえるコメントを述べた。

 表彰式が一段落して会場の後片付けも終ると、桜組の生徒たちはさっそく琴絵を取り囲んで歓声をあげ、口々にお祝いの言葉をあげた。そこで桜組の担任の美咲も琴絵を出迎えてねぎらいの声をかけた。

「おめでとう。寺島さんもよく頑張ったわね」

 そして潮音は、先ほどまで一緒に決勝戦を見ていた紗智に対しても、胸を張ってどうだとでも言わんばかりの表情を向けた。美咲のそのような態度に対して、紗智は困ったような表情をした。

「こんなときにまで変に意地張らないでよ。生徒もみんな見てるじゃない」

 美咲の大人気ない態度には、琴絵を取り囲んでいた生徒たちまでもが、やれやれとでも言わんばかりの困ったような顔をした。その一方で、自らもそれぞれ桜組と楓組の代表として出場した紫と愛里紗がそれぞれの健闘をたたえ合う様子をしていたのには、潮音もほっとした気分にさせられていた。

 しかし四位に終って惜しくも入賞を逃した真桜は声をあげることもなく、場の雰囲気に乗り切れないように見えた。潮音は真桜に声をかけようとしたが、そう思っているうちに生徒たちはぞろぞろと教室や更衣室に戻って帰り支度を始めていた。


 潮音は更衣室で、大会の衣裳の着物と袴から制服へと着替えるときに、琴絵に声をかけてみた。

「寺島さんと決勝で対戦した柚木さんってどんな子なの。私はあの子と一回戦で当たったけど、全然歯が立たなかったよ」

「芽実って百人一首大会では私のライバルみたいに言われてるけど、根はいい子だよ。私とは日ごろは仲良しで、一緒に百人一首の好きな歌について話をすることもあるからね」

 琴絵の屈託のない物言いを聞いて、潮音はほっとした気分になった。潮音は琴絵と芽実の間に感情的なしこりがないか気になっていたのだった。そこで潮音は、また琴絵に尋ねてみた。

「あと決勝に、菫組の国岡真桜という子が出てたじゃない。あの子について何か知ってることないの?」

 そこで琴絵は首を傾げた。

「あの子は百人一首もけっこう強いし、美術部に入っていてすごく絵も上手だけど、どうもよくわかんないね。中等部で一緒のクラスになったこともあるけど、何かぽわぽわしてていつもぼーっとしてるし、休み時間はたいてい一人でいるし、あまり積極的に学校の行事に参加したりするようなタイプには見えないけど。でもどうしてそんなこと尋ねるわけ?」

「私…なんかあの子のことが気になるんだ。あの子は絵だってあんなにうまいけど、学校の中でみんなとちゃんとやっていけてるのか、ちょっと気になったから…」

 そこで琴絵はにこりとしながら潮音を向き直した。

「だったら潮音が国岡さんと友達になってあげたらいいじゃない。あなたはそういう学校の中で困ったり浮いたりしている子を見ると、ほっておけないタイプだしね。でもあなたがそうなのは、やっぱりあなた自身が男の子から女の子になったから、そういう子の気持ちがわかるせいじゃないの?」

「ああ…そうかもしれないな」

 潮音が遠くの方を見上げると、琴絵はあらためて潮音に言った。

「潮音はもっと自分に自信持った方がいいよ。でも私も今日はいいかげん疲れたから、ゆっくり休ませてくれない?」

 潮音は今日一日の琴絵の奮闘ぶりを見ていて、琴絵が疲れているのにも納得したので、その場にいたキャサリンと一緒に早めに更衣室を立ち去ることにした。しかし潮音が更衣室を出たところで、帰り支度を済ませていた芽実にばったり出会った。

「藤坂さんって百人一首は初心者みたいだけど、それでよく挑戦したじゃない。これを機に百人一首についてもっと勉強してみたらどう? 私たちが百人一首大会に出るのは来年が最後になるけど、そのときまでにはもっと上達できるといいね」

 芽実の言葉に、潮音は息をつきながら答えた。

「そのときはお手柔らかに頼むよと言いたいけど、どうせ柚木さんのことだから手を抜いたりはしないだろ」

「よくわかってるじゃない。でもうちの百人一首大会は勝ち負けだけが目的じゃないからね。そうやって百人一首に興味を持ってくれる人が増えてくれるだけでも嬉しいよ」

「柚木さんとは二年になったら一緒のクラスになるかどうかわかんないけど、これからはもっと仲良くなれそうじゃない」

 その様子をそばで見ていたキャサリンも、すっかりご機嫌そうだった。

「藤坂さんと柚木さんはもうすっかり仲良しですね。私もこれを機に、もっと百人一首について調べてみたいと思います」

 そのキャサリンの言葉には、潮音だけでなく芽実までもが嬉しそうな顔をしていた。

 しかしここで、潮音は先ほどの琴絵の言葉を思い出していた。

――だったら潮音が国岡さんと友達になってあげたらいいじゃない。

 潮音は真桜の持っている、どこか不思議なムードが脳裏から離れなかった。潮音は真桜が心の中に何かを抱えていそうな気がしたので、何とかして真桜と話すきっかけがつかめたらと思っていた。
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