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第四部
第七章・スイート・バレンタイン(その7)
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バレンタインデーの日が暮れて、生徒たちが下校を済ませてからも、潮音たちが在籍する一年桜組の担任である吉野美咲は、職員室で授業の後始末や小テストの採点に追われていた。ちょうどそのとき、楓組の担任の山代紗智がくたびれたように伸びをしながら美咲に声をかけた。
「今日はなんか疲れたよね。バレンタインデーってどうしていつも浮足立ってる生徒がいるんだろう。おかげでいつも以上に気を使ったわ」
「そういうさっちんこそ、学校行ってた頃は後輩の何人かに告白されてたじゃない。あのころのあんたは、生物部に入っていてクールな性格で通っていたもんね」
美咲が笑みを浮べながら言うと、紗智はいやそうな顔をした。
「よしてよ、そんな昔の話するのは」
「でも牧園先生も丸くなったよね。私らが学校行ってた頃は校内にチョコを持ち込んだりしたら没収されて放課後まで返してもらえなかったけど。さっちんこそ、昔のままの性格だったらもっと厳しく生徒に接してたと思うけど。昔のあんたは真面目だったからね」
美咲に言われて、紗智は少し口ごもった。そのような紗智の様子を見て、美咲は声をかけた。
「私ももうちょっとしたら仕事終るから、一緒に夕ご飯でも食べに行かない? せっかくのバレンタインデーだし」
その美咲の誘いに、紗智も同意した。しばらくして美咲と紗智が業務を切り上げて帰り支度を済ませ、職員室を後にしたときには、外はもう真っ暗になっていて職員室の明かりだけが煌々とともっていた。
美咲と紗智は寒い風の吹く暗い街路を少し歩いた後で、おしゃれな感じのするレストランに入った。ディナータイムに入った店内には、バレンタインデーを共に過ごす若いカップルの姿もちらほら見られた。
美咲と紗智はテーブルに向かい合って腰を下ろし、注文を済ませるとまずは最初に届いたワインをグラスにあけて、軽く乾杯した。その後で紗智は美咲に軽くお礼を言った。
「すまないわね。こんなきれいなレストランまで紹介してもらって」
「気にしないでよ。さすがにおごりはなしだけどね」
「いいよ。自分の分くらい自分で払うから」
料理が届くと美咲は、その料理を口にしながら紗智にさっそく話しかけた。
「さっちんもだいぶ先生の仕事に慣れてきたじゃない。今年度になって初めてクラスの担任を任されたけど、ちゃんとやってるし」
「よしてよ。あんな難しい年頃の子ばっかり何十人も毎日相手してて、毎日ヘトヘトよ」
「教師の仕事なんてそんなもんよ。でもさっちんも、仕事に手ごたえ感じてるようで良かったわ。もともとあんたは私なんかより、ずっと真面目でしっかりしてるもの」
「それもあのとき、美咲がうちの学校の教員の空きがあるから来てみないかと誘ってくれたおかげよ。あれがなかったら私なんか今ごろどうなっていたかわかんないからね」
「私も驚いたよ。あんなにまじめな優等生だったあんたが仕事でつまづいてニートになっちゃうなんて」
その美咲の言葉に対して、紗智は露骨に不快そうな顔をした。
「しょうがないでしょ。私が最初に就職した会社は毎晩夜中まで残業でパワハラもあったし、これで本当に心身がボロボロになって会社を辞めたんだ。その後しばらくは何もする気が起きずに家でブラブラしてたけど、その間親は毎日泣いてたよ」
紗智の話を黙って聞いていた美咲は、そこで紗智をねぎらうように言った。
「でもあんたはそうやってつらい経験だってしたからこそ、今つまづいたり悩んだりしている生徒にも、優しく親身に接することができてるんじゃないかな。それ考えたらあんたの過去の挫折だって、決してムダにはなってないと思うよ」
「そうかもね…だからこそ子どもたちはだれもが一人ひとり違う事情を抱えているから、自分の考えを押しつけたりせずに、親身になって話を聞かなきゃいけないって思うようになったんだ。でもそういう美咲だって、自分は理事長の娘だからちやほやされてると思われたくないからこそ、変に無理して気張ってたところもあるんじゃないの」
「ああ。私は大学出てすぐ英語の先生になるのは不安で、もっとスキルを磨きたいと思ったからこそ、大学を出てからアメリカに留学したんだ。でもここで、自分の英語力なんてまだまだだ、自分なんて井の中の蛙だったって気づかされたよ。このときは本当に、自分は英語の先生になれるのかと悩んだことだってたった。でもここでくじけるわけにいかない、母みたいな学校の先生になりたいという夢をあきらめるわけにはいかないと思ったからこそ、なんとかがんばってきたんだ」
「あんたがただのお嬢ちゃんじゃないなんてことくらい、私だってわかってるよ。でも…あんたのクラスの峰山紫って子も、ちょっとそういうとこあるよね。周囲からは何でもできるお嬢様みたいに見られているようなところがあるけど、そういう子はたいていどっか無理してるようなところがあるからね。私のクラスの榎並さんだって、家庭環境が複雑だからより頑張ってるけど、無理して燃え尽きたりしないか心配だわ」
「峰山さんは高等部から入ってきた藤坂さんと仲いいけど、どこか気が合うところがあるのかしら」
「藤坂さん…ああ、あの子ね」
紗智は潮音の表情を思い出して、深くうなづいた。そこで美咲が話を継いだ。
「あの藤坂さんはたしかに高校入ってすぐの頃は周囲に対してとんがっていたようなところがあるけれども、一年近くたって少しは丸くなったようなところがあるわね。でもそうなるまでには、あの子もだいぶ壁にもぶつかったはずよ。そこに峰山さんも引きつけられるものがあったのかもね」
「いずれにしてもあの藤坂さんのことは、これからも注意しておく必要がありそうね」
そのようにして美咲と優菜が食事をしながら話を続けている間に、食器も空になりつつあった。デザートが運ばれる頃になって、美咲は急に口ごもりながら恥ずかしそうに、紗智に小さな声で話しかけた。
「今日は私の誘いに乗ってくれてありがとう。でもこの機会だからはっきり言うね。実は私…ある人との間で話が進んでいて、七月の夏休みくらいには式を挙げられそうなんだ」
美咲のその告白に、紗智は思わず驚きの色を浮べた。そこで紗智が美咲の手をあらためて見ると、指にリングが光っていた。
「あんた…婚活してたって話は聞いてたけどいつの間に」
「何人か会ってみたけどね…この人ならいいかって思ったわけ」
そう言って美咲は、婚約者の写真を紗智に見せると、紗智も興味深そうにその写真を眺めていた。
「なかなか優しそうな人じゃない。でも生徒に知られたら、思いっきり冷やかされるよ」
「そんなのわかってるよ。でもそんなこと言ってたら何もできないじゃん」
美咲の顔を見て、紗智は軽く息をついた。
「…やっぱりあんたは偉いよ。これからも美咲とその人とで一緒に幸せになれたらいいのにね」
「どうもありがとう」
そう言って美咲と紗智は、あらためてワインのグラスで乾杯した。
バレンタインデーから一夜が明けると、校内も落ち着きを取り戻してくる。生徒の話題も、新年度からのコースの振分けや生徒会の選挙のことに移りつつあった。
しかし潮音は、バレンタインデーの当日に紫から言われた言葉が気になって、紫に気やすく話しかけることもできなかった。
潮音のそのような様子は紫にも伝わってきたようだった。バレンタインデーから何日かが経ったある日の放課後に、紫が潮音に声をかけた。
「潮音、私の両親にあなたの話をしたら、ぜひあなたと話がしたいと言ったの。だから今度の週末、私の家に来てくれない?」
その紫の言葉を聞いて、潮音はどきりとした。紫の父親は神戸でも有数の大企業の役員であるということをかねてから聞いていたし、紫の母親もすでに家を訪れたときに何回か会って品の良さそうな人だと感じていただけに、紫の両親に会ってどのような話をすればいいかと戸惑わずにはいられなかった。
「今日はなんか疲れたよね。バレンタインデーってどうしていつも浮足立ってる生徒がいるんだろう。おかげでいつも以上に気を使ったわ」
「そういうさっちんこそ、学校行ってた頃は後輩の何人かに告白されてたじゃない。あのころのあんたは、生物部に入っていてクールな性格で通っていたもんね」
美咲が笑みを浮べながら言うと、紗智はいやそうな顔をした。
「よしてよ、そんな昔の話するのは」
「でも牧園先生も丸くなったよね。私らが学校行ってた頃は校内にチョコを持ち込んだりしたら没収されて放課後まで返してもらえなかったけど。さっちんこそ、昔のままの性格だったらもっと厳しく生徒に接してたと思うけど。昔のあんたは真面目だったからね」
美咲に言われて、紗智は少し口ごもった。そのような紗智の様子を見て、美咲は声をかけた。
「私ももうちょっとしたら仕事終るから、一緒に夕ご飯でも食べに行かない? せっかくのバレンタインデーだし」
その美咲の誘いに、紗智も同意した。しばらくして美咲と紗智が業務を切り上げて帰り支度を済ませ、職員室を後にしたときには、外はもう真っ暗になっていて職員室の明かりだけが煌々とともっていた。
美咲と紗智は寒い風の吹く暗い街路を少し歩いた後で、おしゃれな感じのするレストランに入った。ディナータイムに入った店内には、バレンタインデーを共に過ごす若いカップルの姿もちらほら見られた。
美咲と紗智はテーブルに向かい合って腰を下ろし、注文を済ませるとまずは最初に届いたワインをグラスにあけて、軽く乾杯した。その後で紗智は美咲に軽くお礼を言った。
「すまないわね。こんなきれいなレストランまで紹介してもらって」
「気にしないでよ。さすがにおごりはなしだけどね」
「いいよ。自分の分くらい自分で払うから」
料理が届くと美咲は、その料理を口にしながら紗智にさっそく話しかけた。
「さっちんもだいぶ先生の仕事に慣れてきたじゃない。今年度になって初めてクラスの担任を任されたけど、ちゃんとやってるし」
「よしてよ。あんな難しい年頃の子ばっかり何十人も毎日相手してて、毎日ヘトヘトよ」
「教師の仕事なんてそんなもんよ。でもさっちんも、仕事に手ごたえ感じてるようで良かったわ。もともとあんたは私なんかより、ずっと真面目でしっかりしてるもの」
「それもあのとき、美咲がうちの学校の教員の空きがあるから来てみないかと誘ってくれたおかげよ。あれがなかったら私なんか今ごろどうなっていたかわかんないからね」
「私も驚いたよ。あんなにまじめな優等生だったあんたが仕事でつまづいてニートになっちゃうなんて」
その美咲の言葉に対して、紗智は露骨に不快そうな顔をした。
「しょうがないでしょ。私が最初に就職した会社は毎晩夜中まで残業でパワハラもあったし、これで本当に心身がボロボロになって会社を辞めたんだ。その後しばらくは何もする気が起きずに家でブラブラしてたけど、その間親は毎日泣いてたよ」
紗智の話を黙って聞いていた美咲は、そこで紗智をねぎらうように言った。
「でもあんたはそうやってつらい経験だってしたからこそ、今つまづいたり悩んだりしている生徒にも、優しく親身に接することができてるんじゃないかな。それ考えたらあんたの過去の挫折だって、決してムダにはなってないと思うよ」
「そうかもね…だからこそ子どもたちはだれもが一人ひとり違う事情を抱えているから、自分の考えを押しつけたりせずに、親身になって話を聞かなきゃいけないって思うようになったんだ。でもそういう美咲だって、自分は理事長の娘だからちやほやされてると思われたくないからこそ、変に無理して気張ってたところもあるんじゃないの」
「ああ。私は大学出てすぐ英語の先生になるのは不安で、もっとスキルを磨きたいと思ったからこそ、大学を出てからアメリカに留学したんだ。でもここで、自分の英語力なんてまだまだだ、自分なんて井の中の蛙だったって気づかされたよ。このときは本当に、自分は英語の先生になれるのかと悩んだことだってたった。でもここでくじけるわけにいかない、母みたいな学校の先生になりたいという夢をあきらめるわけにはいかないと思ったからこそ、なんとかがんばってきたんだ」
「あんたがただのお嬢ちゃんじゃないなんてことくらい、私だってわかってるよ。でも…あんたのクラスの峰山紫って子も、ちょっとそういうとこあるよね。周囲からは何でもできるお嬢様みたいに見られているようなところがあるけど、そういう子はたいていどっか無理してるようなところがあるからね。私のクラスの榎並さんだって、家庭環境が複雑だからより頑張ってるけど、無理して燃え尽きたりしないか心配だわ」
「峰山さんは高等部から入ってきた藤坂さんと仲いいけど、どこか気が合うところがあるのかしら」
「藤坂さん…ああ、あの子ね」
紗智は潮音の表情を思い出して、深くうなづいた。そこで美咲が話を継いだ。
「あの藤坂さんはたしかに高校入ってすぐの頃は周囲に対してとんがっていたようなところがあるけれども、一年近くたって少しは丸くなったようなところがあるわね。でもそうなるまでには、あの子もだいぶ壁にもぶつかったはずよ。そこに峰山さんも引きつけられるものがあったのかもね」
「いずれにしてもあの藤坂さんのことは、これからも注意しておく必要がありそうね」
そのようにして美咲と優菜が食事をしながら話を続けている間に、食器も空になりつつあった。デザートが運ばれる頃になって、美咲は急に口ごもりながら恥ずかしそうに、紗智に小さな声で話しかけた。
「今日は私の誘いに乗ってくれてありがとう。でもこの機会だからはっきり言うね。実は私…ある人との間で話が進んでいて、七月の夏休みくらいには式を挙げられそうなんだ」
美咲のその告白に、紗智は思わず驚きの色を浮べた。そこで紗智が美咲の手をあらためて見ると、指にリングが光っていた。
「あんた…婚活してたって話は聞いてたけどいつの間に」
「何人か会ってみたけどね…この人ならいいかって思ったわけ」
そう言って美咲は、婚約者の写真を紗智に見せると、紗智も興味深そうにその写真を眺めていた。
「なかなか優しそうな人じゃない。でも生徒に知られたら、思いっきり冷やかされるよ」
「そんなのわかってるよ。でもそんなこと言ってたら何もできないじゃん」
美咲の顔を見て、紗智は軽く息をついた。
「…やっぱりあんたは偉いよ。これからも美咲とその人とで一緒に幸せになれたらいいのにね」
「どうもありがとう」
そう言って美咲と紗智は、あらためてワインのグラスで乾杯した。
バレンタインデーから一夜が明けると、校内も落ち着きを取り戻してくる。生徒の話題も、新年度からのコースの振分けや生徒会の選挙のことに移りつつあった。
しかし潮音は、バレンタインデーの当日に紫から言われた言葉が気になって、紫に気やすく話しかけることもできなかった。
潮音のそのような様子は紫にも伝わってきたようだった。バレンタインデーから何日かが経ったある日の放課後に、紫が潮音に声をかけた。
「潮音、私の両親にあなたの話をしたら、ぜひあなたと話がしたいと言ったの。だから今度の週末、私の家に来てくれない?」
その紫の言葉を聞いて、潮音はどきりとした。紫の父親は神戸でも有数の大企業の役員であるということをかねてから聞いていたし、紫の母親もすでに家を訪れたときに何回か会って品の良さそうな人だと感じていただけに、紫の両親に会ってどのような話をすればいいかと戸惑わずにはいられなかった。
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