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第五部
第一章・ニュー・ジェネレーション(その1)
しおりを挟む藤坂潮音が朝早くに目を覚ますと、窓のカーテンの隙間からはすでに春の澄みわたった光が射し込んでいた。今日は松風女子学園高等部の入学式だ。
潮音は普段の登校時間よりだいぶ早い時間だったにもかかわらず、ベッドから起き上がると軽く伸びをして大きく息を吸い込み、眠気を飛ばした。潮音はこの春に高等部の二年生に進級したが、生徒会の一員として入学式の準備を行うために、早めに登校することになっていたのだった。
潮音がちょうど一年前、新入生として松風女子学園に入学する番だったときは、たしかに高校入試の直前まで男の子だった自分が女子として高校に通うことに対して不安もあった。しかし潮音も一年間の高校生活に無我夢中で取り組むことを経て、高校の一員として活動することに自信が得られるようになっていた。
潮音はパジャマを脱いで純白のブラウスに着替え、ロイヤルブルーを基調にタータンチェックの模様が入ったプリーツスカートを身にまとい、濃紺のハイソックスをはいてブラウスの襟元にストライプの模様が入ったリボンを留めると鏡に向かって髪のセットを始めた。潮音は一年前と比べてもこれらの一連の動作を自然にできるようになっていて、長く伸びた黒髪をゴムでまとめるとその姿は普通の女子高生と変りがなかった。
潮音がそのまま食堂に下りると、食卓の上にはすでに朝食の用意が整っていた。潮音が食卓について朝食をかきこむ様子を見て、潮音の母親の則子も、微笑みを浮かべて潮音に声をかけた。
「潮音も今日から二年生だけど、ずいぶん頑張っているわね。高校生活も充実しているようで何よりだわ。…一年前は潮音がちゃんと高校でやっていけるか心配で、ここまでうまくいくなんて思ってもいなかったけど」
潮音は則子の話を聞きながら、それは高校で紫や暁子をはじめとする仲間たちの手助けがあったからではないかと思っていた。しかし潮音の父親の雄一は、相変わらず無口なまま、どこか複雑そうな表情で潮音の姿を見ながら朝食を口へと運んでいた。
潮音は朝食を終えると、濃紺のブレザーの上着を着て身支度を整えた。そのような様子を見て、潮音の姉の綾乃も声をかけた。
「こうして見ると、潮音も前からずっと女の子だったみたい」
綾乃に言われて、潮音は少しいやそうな顔をした。潮音はただ自分のやりたいようにやっているだけなのに、それに男も女もないだろと思っていた。
「でも今日は早く登校することになってるんでしょ。急がないと遅刻しちゃうよ」
綾乃に急かされて、潮音は自宅を後にした。潮音が駅までの坂道を下りて電車に乗り込むと、車窓に流れる波穏やかな瀬戸内海は明るく澄みきった春の陽光を浴びて波頭がキラキラと輝いていた。
潮音は車窓からこのうららかな春の海の景色を眺めているうちに、もし自分があの日に古い土蔵の中で鏡を手にしていなかったら女になることもなく、男子として高校に通っていたのだろうかとふと考えていた。しかしここで、潮音は首を振ってそのような思いを打消した。自分は今の学校で多くの友人たちに恵まれて、それなりに充実した生活を送っている。そのような現実の前では、そのようなことなど考えても仕方のないことだと潮音は思っていた。大切なのは、男だろうと女だろうと関係なく、自分の目前にある現実をしっかりと生きること。そう思い直すと、潮音はあらためて車窓を流れる海の景色を見つめ直していた。
やがて電車が海辺を離れて、神戸市の中心を抜けて松風女子学園の最寄り駅に着くと、潮音は電車を下りて通学路を歩き出した。潮音が校内にさしかかると、校門から続く桜並木もすでに満開になっており、坂道にはらりはらりと薄紅色の花びらが舞っていた。潮音は桜並木を歩きながら、一年前に不安を胸に学校に向かう途中で、キャサリンや光瑠に出会ったことを思い出していた。
入学式を控えた講堂は、椅子が整然と並んでしんと静まり返っていた。潮音が講堂の控室に向かうと、すでに峰山紫をはじめとする生徒会の主要なメンバーたちが集まっていた。潮音がそこで入学式の段取りについて紫たちと話し合ったり、式の準備を手伝ったりしているうちに、式の開場の時間が迫ってきて、在校生や教師たちが講堂に集まってきた。潮音も席につくと続けて新入生の保護者たちが入場して、会場の雰囲気が一段落する間もなく、真新しい制服に身を包んで胸にリボンをつけた新入生たちが拍手に迎えられて列を作りながら入場してきた。
松風女子学園は元来、高等部から入学する生徒よりも中等部から進学する生徒の数の方が多いため、中等部から松風女子学園に在籍している生徒たちはいずれも気心の知れたような表情をしていた。それに対して高校から入学した生徒たちがいささか緊張気味な表情をしているのを見て、潮音は自分自身もちょうど一年前にこの学校に入学したときはそうだったと今さらのように思い出していた。潮音は今年外部から高等部に入学した生徒たちも、早く高校になじめたらいいのにと思うと同時に、今は自分も生徒会の一員としてそれを助ける立場なのだからしっかりしなければと意を新たにしていた。
やがて紫が在校生を代表して、新入生たちを迎える挨拶を読み上げる番になった。紫は春休みの間も、文学に詳しい寺島琴絵や柚木芽実らの相談も受けながらその挨拶の内容を練り上げ、スピーチの練習も重ねていたが、数多くの来場者たちを前にしても緊張する様子もなく、講堂全体に届くようなよどみないはっきりとした口調で、堂々と挨拶を読み上げるところはさすが紫だと潮音も感心していた。新入生たちもそのような紫の姿に皆目を引きつけられていて、紫が挨拶を読み終えたときには会場全体から盛大な拍手が上がった。
続いて新入生の代表が、入学にあたっての挨拶を読み上げる番が来た。新入生代表の挨拶は高等部からの入学者が担当するのが習わしだったが、そこで壇上に現れた新入生代表は明るくて活発そうな少女だった。その少女は挨拶を読み上げる声もはっきりしていて動作も落ち着いており、彼女なら生徒会の業務も担当できそうだと潮音は直感していた。挨拶の最後で、その少女は自らの名前を「樋沢遥子」と名乗った。潮音は挨拶が終ってからも、しばらくの間はその「樋沢遥子」という名前が印象に残っていた。
入学式が終ると、生徒たちはクラス毎に行われるホームルームに出るためにそれぞれの教室に向かった。二年生に進級すると、潮音は難関大学への進学を目指す特進コースに進む紫や愛里紗、光瑠や琴絵とは別のクラスになったが、そのかわり暁子や優菜、美鈴と同じ梅組に進むことになった。潮音は暁子や優菜と同じクラスになれただけでなく、担任も一年生のときと同じ吉野美咲になったことにひとまずは安堵した。潮音は美咲ならば一年生のときの担任で気心も知れているし、美咲ならば自分のことも理解してくれるという信頼感があった。
潮音が二年梅組の教室に入ると、同じクラスになれたことを喜び合う生徒たちの中に、暁子や優菜の姿もあった。
「今年はアッコや潮音と一緒のクラスになれて良かったわあ」
その傍らには暁子の姿もあった。暁子も優菜も、潮音と三人で同じクラスになれたことが嬉しいようだった。さらに一年生のときに潮音や暁子と仲良くなった天野美鈴も、潮音たちに親しげに挨拶をした。
「今年もよろしゅうな。でもキャサリンが菫組、恭子が萩組になってしもたんは残念やな」
しかし潮音は、教室の片隅に国岡真桜の姿があったことを見逃さなかった。彼女は相変らず、他の生徒と言葉を交わすこともあまりないままぼんやりしているのを見て、潮音は何か気づまりなものを感じずにはいられなかった。
ホームルームが終って解散になると、潮音は生徒会の集まりに出るために生徒会室に向かった。そこでの用事を済ませて、潮音が紫と一緒に生徒会室を出たところで、紫に対して明るく元気な声をかけてくる者があった。
「先輩が生徒会長ですね。入学式のときの挨拶には感動しました」
その声の主は、先ほどの入学式で新入生を代表して挨拶を行った樋沢遥子だった。その満面に笑顔を浮べて、はきはきとした声を上げるバイタリティ溢れる様子には、紫も少し驚きの色を見せていた。
「あなたの名前は、たしか樋沢遥子といったかしら。あなたの挨拶も元気で声も明るいし、なかなか良かったわよ」
紫が答えると、遥子はたちまち嬉しそうな顔をした。
「私の名前を覚えてくれていて光栄です。これからもよろしくお願いします」
遥子の傍らには、彼女と一緒に高等部に入学した二人の生徒の姿があった。この三人は、入学式やその後のホームルームですぐに意気投合して仲良くなったようだった。潮音や紫がその二人に目を向けると、彼女たちも自己紹介を始めた。
「私は壬生小春といいます。松風には中等部からいて峰山先輩にもずっとお世話になっていましたが、これからもよろしくお願いします」
小春がぺこりと頭を下げると、その隣の軽妙でどちらかといえばギャルっぽい少女も口を開いた。
「私は妻崎すぴかと言います。『すぴか』って珍しい名前だけど、平仮名だからすぐに覚えてもらえるのがいいです。松風には樋沢さんと同じように高等部から入ったけど、学校のこと何でも教えて下さい」
どちらかと言えばもの静かな小春に比べて、すぴかは高等部からの入学組という点だけでなく、その明るくてポジティブな性格が遥子と合ったようだった。紫は遥子たちを見回しながら声をかけた。
「『すぴか』という名前もなかなかかわいいじゃない。今度の新入生はみんな元気そうな子ばかりで、これから学校を盛り上げてくれそうで楽しみだわ。ともかく高校生活でわからないことや何か困ったことがあったら、いつでも私たちのところに相談に来るといいよ。明日はオリエンテーション合宿でしょ? それで早くみんなと仲良くなれるといいね」
その紫の言葉に、遥子たち三人は一斉に顔をほころばせた。三人が足取りも軽く潮音たちの前から立ち去ると、潮音は笑顔で紫の方を向き直した。
「なんか今度の新入生たちも元気そうで、学校もにぎやかになりそうだね。高校から入った子は勉強についていくのが大変なところもあるけど、頑張ってくれたらいいな」
「うちの学校も高校から生徒募集するのやめて完全な中高一貫校にしようかという話もあるみたいだけど、こういうとこ見てると高校から入ってきた子は学校を元気にしてくれると思うわ。私たちの学年だって、潮音や天野さんが盛り上げてくれたからね」
紫に言われて、潮音は気恥ずかしそうな顔をした。
「ともかく潮音も先輩になるんだからしっかりしなきゃ」
「うちの学校は中等部の子もいるから、今さら『先輩』なんて言われてもあまりイメージわかないけどな」
潮音が戸惑い気味な表情をするのを、紫は笑顔で眺めていた。
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