裸足の人魚

やわら碧水

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第五部

第七章・TOKYO(その6)

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 その翌日も外は晴れて暑かった。この日は潮音たちは鎌倉と江の島を訪れる予定にしていたが、潮音は少し考えた後にTシャツと軽やかな素地のキャミワンピースを合わせて行くことにした。そこで真由美が、江の島はけっこう急な坂や階段を歩くことになるから、サンダルやミュールではなく歩きやすい靴をはいた方がいいと忠告した。

 しかしそれよりも、潮音は真由美が自分に会ってほしいと話していた友達のことが気になっていた。潮音は真由美にその友達とはどのような子なのか尋ねても、中学からの友達だということ以外、詳しくは実際に会ってから自分の目で見て話してほしいと言うだけで、多くを話そうとはしなかった。

 潮音が暁子や優菜、真由美と一緒に駅に向かう間も、暁子や優菜はいろいろなドラマやアニメの舞台になってきた鎌倉や江の島を訪ねることを楽しみにしていた。しかし潮音は、どうして真由美が自分を友達に会わせようとしているのか気がかりでならなかった。

 やがて潮音たちが駅に着くと、真由美は駅前で待合せていた一人の少女に声をかけた。しかしその少女はショートカットの髪に野球帽をかぶり、服もストリートカジュアル系の装いをしていて、見た目には男の子のように見えた。その少女は真由美の姿を認めると、手を上げて軽く挨拶をした。

 しかし潮音はその少女の姿を見るなり、どこか気づまりなものを感じていた。潮音はこの男の子のように装った少女の姿を見て、男から女に変って戸惑っていた頃の自分自身とどこか似たものを感じていたからだった。そのような潮音の懸念をよそに、真由美が潮音たちにその少女を紹介した。

「紹介するね。この子はあたしの中学のときからの友達で、鴫沢しぎさわみなもっていうんだ。この通り見た目は男の子みたいだけど、元気で明るくていい子だよ」

 次いで真由美がみなもに潮音を自分のいとこだと紹介すると、潮音もみなもに対して軽くお辞儀をした。そこで暁子と優菜もみなもに対して自己紹介を行うと、潮音たち三人が神戸から来たという話を聞いて、みなもも興味深そうな顔をした。そこでさっそく暁子が真由美に尋ねた。

「この鴫沢さんって子、真由美と一緒の高校なの?」

 その質問にみなもが少し口ごもると、真由美があわてて場を取りつくろった。

「いや、みなもはあたしと同じ中学だったけど、今は通信制の高校で勉強しててね。みなもは学校といろいろ合わないところがあったし、ダンスが得意で本格的にダンスをやりたいって言ってたから…」

 その真由美の答えを聞いて、暁子はすまなさそうな顔をした。

「ごめん…ちょっとデリカシーのないこと言っちゃったかな」

「い、いや、そんなことないよ。そんなこと全然気にしてないから」

 みなもは必死に暁子をなだめようとしていたが、潮音はみなものいでたちを見て、どうして真由美がみなもを自分に会わせたいと思ったのかがおぼろげながらわかったような気がした。それでも潮音は、この場はそれを口に出さずに心の中にしまっておくことにした。

 潮音たちがみんなで江の島方面に向かう電車に乗り込んでから、暁子と優菜はみなもとさっそく打ち解けていろいろなことを話していた。みなもはもともと明るく快活な様子で、初対面の暁子や優菜に対しても全く人見知りすることがないようだった。

 しかし潮音はその三人と少し離れたところに真由美と一緒に行くと、ひそひそ声で真由美に言った。

「あの鴫沢みなもって子…やっぱり何か事情があるの。それで私に会ってほしいって頼んだってことかな」

「ああ、あの子は中学のときからボーイッシュな性格で、自分のこといつも『ぼく』って言ってたし、制服でスカートはくのいやだっていつも言ってたからね。学校で周りと衝突することもしょっちゅうだったし。高校で通信制を選んだのは、それだけが理由じゃないと思うけど…」

 そう話す真由美の表情にも、当惑の色がありありと浮んでいた。そこで潮音はもっと声をひそめて真由美に耳打ちした。

「もしかして真由美って、あの子に私が以前は男だったってこと話したわけ」

「いや…話してないけど。もしかしてそのことを打ち明ける気なの」

 真由美はますます当惑した表情をした。

「いや…そこまでは決めてないけど。ともかくせっかくみんなで遊びに行くんだから、あまり辛気臭い話はここでは止した方がいいよ。ここはみんなで楽しまなきゃ。…そうした方があの子だって話しやすいと思うし」

 潮音に言われて、真由美も黙ってうなづいたが、潮音は内心でみなもに対しては気をつけて接しなければならないと気をもんでいた。そうしているうちに、電車はいつしか多摩川を渡って住宅地の連なる丘陵地帯にさしかかっていた。


 電車が江の島の最寄駅に着くと、駅から江の島まで続く道はすでに多くの観光客たちでごった返していた。潮音が江の島が目前に見える海岸に着くと、つんと鼻をつく海の香りや海鳥の鳴き声とともに、青い海の波頭で乱反射する夏の強い日差しに思わず目を細めていた。砂浜は多くの海水浴客やサーファーたちがたむろしていたが、それを見てみなもがふと口から言葉を漏らしていた。

「ぼくもいっぺんサーフィンをやってみたいな…」

 それに対して真由美は笑顔で応えた。

「みなもは運動神経いいから、サーフィン始めたらきっとすぐに上達するよ」

 それから潮音たちが江の島へと架かる橋を渡る間も、潮音はみなもに対してどのような言葉をかけるべきか戸惑っていた。そのような潮音の様子を気にしたのか、暁子が潮音にそっと声をかけた。

「どうしたの? せっかくみなもって子と一緒になったんだから、潮音ももっと話せばいいのに。話してみたらいろいろ気さくに話題に乗ってくるし、なかなかいい子だよ」

 そこで潮音は、暁子にこっそり耳打ちした。

「いや、あの子見てるとどっか自分が女だということを受け入れられずに悩んでいた頃のことを思い出すから…」

 潮音が気がかりな表情をするのを見て、暁子は潮音をなだめるようにそっと声をかけた。

「潮音もちょっと考えすぎじゃないの? 女の子だってファッションも性格も男の子みたいな子なんかいくらでもいるじゃない」

 そこで潮音は、暁子も以前のやんちゃだった頃はそういうところがあったと思いながらも、心の底では疑念が完全に拭い去ることはなかった。

 そうしている間に潮音たちは橋を渡り終えて、江島えのしま神社の参道の坂道へとさしかかっていた。参道の両側に連なる土産物店の店頭に並ぶ、色とりどりの土産物の数々にも潮音たちは目を奪われていたが、参道を抜けてから階段を登ると、やがて潮音たちの前にどっしりとした江島神社の社殿が姿を現した。潮音たちはこれまで夏の暑さが少しこたえていただけに、鬱蒼とした森が背後に迫る神社のおごそかな空気を感じて少しほっと息をつけたような気がした。そこで優菜がふと口を開いた。

「この江の島ってなんか不思議なとこやな。ファンタジーの異世界に迷い込んだような感じがするわ」

「ともかくここは縁結びのパワースポットとも言われているから、ちゃんとお参りしとかないとね」

 その真由美の言葉には、その場に居合わせたみんながニヤリとした。

 社殿でお参りをしてから潮音たちはさらに階段を登ったが、階段を登りつめて高台に着いたときにはいささか疲れ気味になっていた。しかしそれでも、そこからさらに島の先端の方に向かうと、断崖の下に波が寄せる風景や、そこに吹き寄せる海風が潮音の心を深くとらえた。しばらく歩を進めると、「龍恋りゅうれんの鐘」と呼ばれるデートスポットとして有名な鐘があり、そこにカップルたちがかけた南京錠が連なっていたのには、暁子や真由美も照れくさそうにしていた。

 そこからさらに潮音たちが島の先端に近づくと、海の景色を一望できる料理店も目につくようになった。さらに西の海の方に目を向けると、彼方に富士山が一望できたことも潮音の心をとらえた。

 そこから急な階段を降りると、そこは稚児ちごふちと呼ばれる岩場になっていた。そしてその岩場には足元まで波が打ち寄せて岩場の上には潮だまりができ、辺り一面に波の音が響き渡っていた。さらにその彼方には真っ青な海が彼方まで広がり、水平線の上には真っ青な大空に夏雲が浮んでいた。

 潮音はみなもと並んで水平線の彼方を見つめると、海から吹き寄せる風で少しヘアスタイルが乱れるのが気になった。さらにワンビースの生地が風にはためくのも、潮音の心にかすかに波風を立てた。

 そこで潮音の隣で海を眺めていたみなもが、潮音に声をかけた。

「ぼくもここの海にはよく来るんだ。いやなことがあったときや、気持ちがくさくさしたときなんかはここで海を眺めていると、そんなことでクヨクヨ悩んでいるのがバカらしくなってくるからね。時には学校をサボってここに来たこともあったっけ。その後は先生にみっちり叱られたけど」

 潮音はみなもの横顔にちらりと目を向けると、みなもは表向きは明るく話そうとしているものの、その表情にどこか寂しげなものを感じずにはいられなかった。そのようなみなもの顔を見ていると、潮音はもはや感情を抑えることはできなくなっていた。

「あの…鴫沢さんっていったっけ」

 そこでみなもも、潮音の方を振り向いた。

「そんなにかしこまらなくても、『みなも』でいいよ」

「じゃあ私のことも『潮音』でいいから。…私だってみなもの気持ちはよくわかるよ。私だって海の近くで育って、いやなことがあったときなんかはよく海を見に行ったからね。私だって一時期学校に行けなかったことがあったけど、そのときなんかは特にそう思ったよ」

 みなもが潮音の言葉に軽くうなづくと、潮音はさらに言葉を継いだ。

「みなもって何となく、心の中に悩みや気になることを抱えているような気がするんだ。もしよかったらでいいんだけど、ほんとに気になることがあるんだったら、それを私にはっきり話してくれないかな。もちろんいやだったら話さなくてもいいけど」

 潮音がいきなり親しげな態度で話しかけたのに対して、みなもは最初戸惑いの色を浮べていたが、やがておもむろに口を開いた。

「やっぱり…自分のこと『ぼく』と言ったり、男の子みたいな恰好したりしてるのが気になるわけ。学校になじめずに通信制の高校に行ってるし」

「だからいやなら話さなくてもいいって言ってるじゃん。それに…学校が合わなくたって気にすることなんかないよ。今はそういう子のためにこそ、通信制の高校という道だってあるわけだし…私だってそうなっていたかもしれないから」

 ここでみなもは一呼吸おくと、青い水平線の彼方に目をやった。みなもも潮音に対して、ようやく自分自身のことを打ち明ける覚悟ができたようだった。
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