裸足の人魚

やわら碧水

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第五部

第七章・TOKYO(その9)

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 潮音たちは渋谷駅でりんかい線に直通している埼京線の電車に乗り込み、お台場の中心にある東京テレポート駅に向かった。お台場に着くと潮音たちは、さっそくたこ焼きミュージアムに行って、さまざまな種類のたこ焼きを味わった。

「たこ焼きはむしろ関西の方が本場なんでしょ?」

 真由美に尋ねられて、潮音はご機嫌そうにしていた。

「うちの近所の明石は、だしをつけて食べる明石焼きの本場だからね。地元じゃ『玉子焼き』って言ってるんだけど。真由美やみなもが関西に来たら案内してあげるよ」

「それでもここのたこ焼きも、それはそれでええやん」

 優菜も腹ごしらえができたことに満足したようだった。

 たこ焼きミュージアムの周りには、昭和の時代のレトロな商店街を模したような店が集まっていた。そのような商業施設を散策した後で、潮音たちはお台場の海浜公園を見下ろすテラスへと出た。そこでストリートダンスが得意なみなもは、木製の床の上で軽くステップを踏んでみせた。それには思わず、潮音たちも目を向けた。

 そのテラスから歩道橋を渡って海浜公園に降り立つと、辺りには夏の強い日差しとともに、潮の香りが漂っていた。木々の植え込みからは、セミの鳴き声が鳴り響いていた。そして潮音たちの目の前には、白い砂浜が広がってそこにかかすかにさざ波が打ち寄せており、海水に素足を浸している人たちも多く見られた。さらに遠くに目をやると、石垣の上に松の木が植えられた台場や、お台場と都心を結ぶレインボーブリッジの彼方に、東京のビル街も一望できた。

「あそこの松が植えてある台場は、もともと幕末に江戸の街を守るために造られた砲台だったみたいよ」

 暁子と優菜も、真由美の説明を聞きながら海の向こうに広がる東京の街の風景を眺めて、感慨深そうにしていた。

「やっぱりここは眺めがいいじゃない」

「特に夕方や夜なんか最高やろな」

 しかしそこで、みなもが海の彼方のビル街を眺めながら隣に立っていた潮音にそっと話しかけた。

「あの…潮音と会えただけでも良かったよ」

 潮音にとっては、遠慮がちながらもみなもが自分に対してこのように話してくれたことが嬉しかった。

「私だってみなもに会えただけでも、東京に来た甲斐があったよ」

 そこで潮音は、さらにみなもに尋ねてみた。

「通信制の高校って、友達とかどうやって作るの?」

「チャットツールがあるから、それでいろいろ話するね。全日制の学校みたいに毎日顔合わせて遊びに行くなんてことはできないかもしれないけど、それでも日本中のいろんな子たちと交流できるのは楽しいよ。通信制高校の子同士が集まる行事だってあるし、そこで仲良くなった子だっているんだ」

 しかしそこで、みなもは少し声のトーンを落した。

「でもチャットツールで話してると、やっぱりトランスジェンダーで学校に通えなくて困ったので、通信制に来てるって子が何人かいるんだ。トランスジェンダーといっても人それぞれで、体は男だけど性自認は女って子もいるけど、悩んでいるのは自分だけじゃない、むしろぼくよりもっと悩んでる人なんかいくらでもいるってわかったから…」

「…そんなの珍しくないよ。男だってスポーツとかやるより人形で遊ぶ方が好きなんて子はざらにいるけど、そういう子がみんなトランスジェンダーなんてこともないし。私だって今はこうして女として学校に行ってるけど、果たしてこれが正しい選択だったかはわかんない。もし通信制の高校があるってあのとき知っていたら、みなもみたいにそっちに行ってたかもしれないな」

 潮音は海の向こうのビル街の風景が、夏の陽炎のなかでゆらめいているのをじっと眺めながら、やや自信なさげな口調で話した。しかしみなもは、それを打消すようにきっぱりと口を開いた。

「それは違うよ。潮音とぼくとはたしかに進もうとしている道は違うかもしれないけど、潮音はこうしてちゃんと学校行ってて友達だっているんだから、十分えらいと思うよ。…ぼくは全日制の学校に通っている子に対して引け目を感じているみたいな、そういう見方をされるのはいやだけど」

「みなもは決して、学校が合わなかったから逃げたんじゃないと思うよ。現にみなもは自分の生き方を見つけようと頑張ってるからすごいと思うな」

 そこでみなもは、気恥ずかしそうな顔をしながら首を振った。

「よしてよ。ぼくはただ自分のやりたいようにやってるだけだってば」

「その『自分のやりたいようにやる』のが一番難しいんだよ。…私は自分が女になってしまって悩んでたとき、ある人からこう言われたんだ。『ありのままの自分』であるってこと、そして『自分らしく生きる』ってことこそがね、本当は一番つらくて厳しい道なんだよってね」

 そのようにして潮音が口にした、潮音がかつて姉の綾乃から聞いた言葉は、みなもの心にも重く響くものがあったようだった。みなもがそのまま黙っていると、潮音はみなもの顔をまじまじと見つめ直した。

「みなもって女らしさを押しつけられるのがいやだと言ってるけど、自分の性自認は男だとか、そういうわけじゃないんでしょ?」

 その潮音の問いかけに対して、みなもは自信がなさそうに口をすぼめながら答えるしかなかった。

「…わかんないんだ。たしかにぼくは中学生のときに実際にトランスジェンダーとして手術を受けて、男性として暮らしている人の書いた本を読んだときには、自分だってそうかもしれないと思ったことがある。でも今の自分は、手術を受けて男になりたいとか、男として暮らしたいとか、そんなんじゃないんだ。…あの頃のぼくは、ただ生理が来たり胸が大きくなったりするのに戸惑っていただけかもしれないけど。でもぼくはただぼくとして生きていたい、それだけなのに」

 みなもが夏の強い光を浴びてキラキラと輝く海面や、その向こうに見えるビル街を見つめながら思いつめたような顔をしているのを見て、潮音は声をかけた。

「だったらだまされたと思って、いっぺんスカートはいてみたら?」

 潮音のこの言葉にみなもは一瞬呆気に取られたような顔をしたが、次の瞬間顔を赤らめて声を荒げた。

「冗談言うのはよしてよ。ぼくは中学のときは制服でスカートはくのもいやで、だから高校も通信制に行ったのに」

「もちろんみなもの気持ちだってわかるよ。だからどうしてもいやだって言うなら、決して無理強いはしないから。でもそれ言うんだったら、男だった私だってこうしてスカートはいてるんだよ」

 潮音に言われても、みなもの表情からは戸惑いの色が抜けなかった。そこでさらに潮音はみなもに言った。

「私だって女になってすぐの頃は、スカートなんか死んでもはくもんかって思ったけどね。でも『自分なんか』っていう思い込みを捨ててみたら、何かが変るかもしれないよ」

 みなもがはぐらかされたような表情をしていると、潮音の背後に真由美が立っていた。真由美は先ほどから、潮音とみなもの話を立ち聞きしていたのだった。

「潮音もあんまりみなもに無理言わないでよ。この子にはこの子の好みや考えがあるんだから。そりゃ私だって、みなもは変に依怙地になっていないで、スカートはいたってかわいいんじゃないかと思うことはあるけど…」

「だから、ぼくがひらひらしたスカートなんかはいたって似合うわけないじゃん」

「スカートといったって花柄のかわいいものばっかりじゃなくて、ボーイッシュなトップスに似合うものだってあるってば」

 みなもがますます赤面していると、優菜が潮音のそばに来て声をかけた。

「何やら取り込み中みたいやけど、もう少しで新幹線の出る時間になるから、そろそろ東京駅に行った方がええんとちゃう?」

 潮音が時間を確認すると、潮音たちの乗る新幹線が発車するまであと一時間ほどになっていた。それには潮音も少し慌てていた。

「やばいな。そろそろ東京駅に行かないと新幹線の時間に遅れちゃうよ」

 そこで真由美も潮音に声をかけた。

「だったらあたしとみなもも、東京駅まで潮音たちを送っていくよ」

 そこで潮音たちは、お台場の海浜公園を後にしてゆりかもめに乗り、東京駅に向かうことにした。
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