裸足の人魚

やわら碧水

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第六部

第四章・門出の季節(その2)

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 松風女子学園高等部の卒業式が行われる三月一日は、まだ風は冷たいとはいえ空は晴れわたって、のどかな早春の光が校内一面に降り注いでいた。校内も装飾がなされている中で、早咲きの可憐な梅の花がひときわ彩りを放っていた。

 潮音たち二年生は先に講堂に入り、制服のブレザーにリボンをつけた卒業生たちの入場を拍手で出迎えた。理事長がはなむけのあいさつを述べた後で、卒業証書の授与が始まると、潮音は卒業生たちが壇上で一人一人卒業証書を授与される中で、特に松崎千晶や椿絵里香の姿が気になっていた。この二人は潮音が高校に入学した当時の生徒会長と副生徒会長であり、潮音もあらゆるところで世話になっただけに、潮音はこの二人の卒業を格別の想いで見送りたいと思っていた。

 潮音は千晶が卒業証書を授与される番になると、高校に入学して以来の千晶のことをいろいろと思い出していた。剣道部の練習をしている千晶や、剣道の大会で格上の相手を前にしても後に退かずに奮戦する千晶の姿を見たときは、剣道に真剣に打ち込むだけでなく、部員たちをしっかり統率し信頼を得ている姿に潮音も深く感じるものがあった。

 一方で潮音は、絵里香も普段は優しくおっとりしているものの、しっかりと一本筋の通った性格であることをよく知っていた。潮音は絵里香には学校生活のあらゆる面でだいぶかわいがってもらった一方で、絵里香の華道部での無駄のない落ち着いた動作を見ただけで、ぞくりとするものを感じずにはいられなかった。

 卒業証書の授与が終ると、生徒会長をつとめる紫が在校生を代表して送辞を読み上げる番が来た。紫は卒業生たちを前にしてもなんら臆することなく、背筋をぴんと伸ばして講堂内に響き渡るようなはっきりとした口調で、先輩たちへの感謝の念を込めて堂々と送辞を述べてみせた。紫が送辞を読み終えて拍手が鳴り止まない中で、潮音はやはり紫についてきたのは間違いではなかったと感じていた。

 紫の送辞に応えて、卒業生を代表して答辞を述べたのは千晶だった。壇上に立った千晶の、紫にも負けないような凛とした姿勢を見ると、剣道部の主将や生徒会長として活躍してきた威厳がはっきりと感じられた。

 そのまま千晶は入学以来の思い出や先生たちへの感謝の念の後で、緑豊かな松風女子学園で過ごしたかけがえのない経験を今後の人生に活かしたいと述べて答辞を締めくくった。千晶が答辞を読み上げた後でうやうやしく一礼をすると、生徒たちだけでなく保護者たちの間からも拍手が鳴り止まなかった。

 その後で校歌を歌って卒業式が一段落すると、潮音たちは拍手で講堂から退場する卒業生たちを見送った。やがて式の余韻も落ち着いた頃になると、潮音は講堂の席を立って水泳部の江中さゆりの姿を探した。水泳部は部員も少ないとはいえ、潮音も籍を置いている以上さゆりにあいさつをしておきたかった。

 潮音がさゆりの姿を見つけると、さゆりは同じ水泳部員の優菜と話をしていた。そこで潮音は、さゆりにすまなさそうに頭を下げた。

「すみません。水泳部にいるのにあまりまじめに練習しないで…」

 そこでさゆりは優菜と一緒に潮音をなだめた。

「いいのよ。藤坂さんは峰山さんと一緒にバレエをやっていて大変だってことはわかっていたから。塩原さんとも仲いいみたいだし」

「その通りやで。潮音もプールで泳いで楽しかったやろ? 潮音はうちの水泳部で、タイムを縮めるとかライバルに勝つとかそういうことより、泳ぐことの楽しさに気がついたんとちゃうかな」 

 しかしそこで潮音が声のする方に目を向けると、千晶が剣道部をはじめとする後輩たちに取り囲まれていた。後輩たちの中には千晶をはじめとする卒業生との別れを惜しんで、涙を流している者もいた。それを見てさゆりも口を開いた。

「さすがに千晶は後輩たちの注目度が違うわね。でも藤坂さんだって生徒会とかで千晶にはだいぶ世話になったんでしょ? 千晶にもあいさつをすればいいじゃない」

 千晶も潮音の姿に気がつくと、笑顔で潮音を手招きした。潮音が千晶が自分の相手をしてくれるなんてと思って戸惑い気味の表情をしていると、千晶は潮音の顔を見てはっきりと口を開いた。

「藤坂さん、あなたは高等部から入ってきたけど、峰山さんたちもあなたのことをだいぶ信用してたみたいね。それに藤坂さんは、香澄のことをずいぶんかわいがってくれたじゃない。どうもありがとう」

 千晶にはっきりと感謝の意を述べられると、潮音はそれだけで気恥ずかしさのあまり赤面してしまった。それだけでなく千晶を取り囲んでいる後輩たちが、明らかに嫉妬に似た感情を潮音に向けているのを感じて、潮音はますます気恥ずかしさのあまり身が縮こまるような思いがした。

 ちょうどそこで、千晶を呼びとめる声がした。

「お姉ちゃん」

 香澄の声だった。香澄はそのまま千晶のもとに駆け寄ると、そのまま千晶に抱きついてその胸元で泣きじゃくっていた。剣道部の後輩たちも、その香澄の姿を呆気に取られながら眺めていた。

 そこで千晶は、香澄の肩を優しくぽんと叩いてやった。

「香澄、ちょっと落ち着きなさい。あまり人前でわんわん泣くものじゃないわ」

 しかし香澄はそこでも泣き止もうとしなかった。

「ごめんなさい…ごめんなさい、お姉ちゃん。あたしは松風に来てから、ずっとお姉ちゃんに迷惑をかけてばかりいて」

 そう言って肩を震わせる香澄に、千晶はそっと諭すように声をかけた。

「それは違うわ。香澄だってこの学校でずいぶん頑張ってきたじゃない。これからは自分の力でしっかりやりなさい」

 千晶に諭されて、ようやく香澄も多少は落着きを取戻したようだった。ちょうどそこに香澄の同級生で仲が良い新島清子と芹川杏李が現れて、香澄をそっとなだめてやった。潮音はその様子を見やりながら、お姉ちゃん子で甘えん坊なところがある香澄を、これから清子や杏李をはじめとする同学年の友達たちが支えてくれたらと思っていた。

 そこに椿絵里香も姿を現した。同級生たちになだめられながらべそをかいている香澄の姿を見て、絵里香はやれやれとでも言いたげにため息をつきながら声をかけた。

「ほんとに香澄ちゃんはお姉ちゃん子よね。これじゃあ私たちが卒業してから後が心配だわ」

 そこで千晶はきっぱりとした表情で絵里香に言った。

「絵里香、心配も何もこれから香澄はこの学校で私の助けなしにやって行かなきゃいけないのよ。あまりあの子を甘やかすわけにはいかないわ。それにああ見えてあの子はけっこう気が強いところがあるから大丈夫よ」

 香澄に対してもシビアな目を向ける千晶を見て、潮音は綾乃のことを少し思い出していた。そこで潮音は、思い切って千晶と絵里香に尋ねてみた。

「あの…千晶さんと椿さんは、大学はどこに行くのですか」

 その質問にまず答えたのは千晶だった。

「私は東京の大学に行くことになったの。これから下宿も探して引越しの準備だってしなきゃいけないから、いろいろ大変よ」

 そこで潮音が聞いた千晶の進学先の大学は、東京の私立大学の中でも名門と呼ばれていて知名度も高い大学だった。潮音は千晶はやはり勉強ができるんだなと感心すると同時に、千晶が家を離れることになるので香澄が寂しがるのも無理はないと思った。

 絵里香も千晶に反応して答えた。

「やっぱり千晶は頭いいわね。私は阪大の入試を受けてまだ結果待ちなの。滑り止めで私立の大学にも受かってるけど」

「絵里香だったら阪大も大丈夫よ」

 絵里香が合格した私立の大学は、関西の私立大学の中では名門校として知られている学校だった。絵里香も阪大に落ちたとしてもこれだけの名がある大学に行けるのだから、やはり勉強したのだなと潮音は思っていた。

 するとそこに、紫が生徒会の副会長をつとめた吹屋光瑠と榎並愛里紗と一緒に姿を現した。紫たちは千晶と絵里香の姿を見るなり、三人そろって礼儀正しくお辞儀をしながら声をかけた。

「松崎さん、椿さん、卒業おめでとうございます。今まで私たちのことをいろいろ面倒見て下さりありがとうございました」

 絵里香は紫の姿を見るなり笑顔で声をかけた。

「峰山さんたちもそこまでかしこまることはないわ。峰山さんの送辞、なかなか良かったじゃない」

 絵里香に送辞のことを褒められると、紫は恥ずかしさのあまり赤面していた。潮音は紫がこれまで人前でこのような表情を見せたことなどなかったなと思って意外そうな顔をしたが、中等部から松風女子学園に在籍している紫たちはやはり先輩に対する思い入れも違うのだろうかと思っていた。

「そ、そんな…。松崎さんの答辞の方がずっと上手だったです」

 照れくさそうにしている紫に、千晶はきっぱりと声をかけた。

「峰山さんこそこの一年、生徒会長の仕事をしっかりやってきたじゃない。二年のみんなだって、峰山さんたちのことをちゃんと支えて頑張ってきたし。だからそのことには自信を持ちなさい。あとこれから一年間、学校のことをしっかり頼んだわよ。受験を控えて大切な一年になるから、勉強もしっかり頑張ってね」

 千晶にきっぱりと声をかけられると、紫はすっかりかしこまって返事をした。

「は、はい」

 いつも冷静で落ち着いている紫がいつになくかしこまっているのが、潮音にとってはちょっとおかしかった。そしてそのまま千晶は香澄を連れてその場を後にし、式に出ていた母親のもとに向かった。香澄は母親からもあまり人前で泣くものではないとたしなめられていたが、潮音は千晶と香澄の母親は、やっぱりこの二人を育てただけあってどこか厳しそうで芯の通った人だなと感じていた。

 そこで絵里香も立ち去ると、潮音はさっそく紫に声をかけた。

「紫の送辞、なかなか良かったじゃない。千晶さんの言う通り、紫はもっと自分に自信持った方がいいよ」

 その潮音の言葉には、そばにいた光瑠も同意したようだった。

「藤坂さんの言う通りよ。紫は生徒会長として、あれだけしっかり送辞を述べられるのだから大したものよ。紫がいなかったら、うちの学年はこんなにまとまることもなかったんじゃないかな」

 そこで愛里紗が、少し口をすぼめながら遠慮気味に紫に声をかけた。

「あの…私は峰山さんに対して変に意地を張っていたこともあったけど、今日峰山さんが先輩たちを前にして送辞を堂々と述べるのを聞いてて、やっぱり峰山さんはすごいって思ったよ」

 愛里紗がすまなさそうな顔をして紫に対して頭を下げたのには、紫の方が戸惑っていた。潮音は学校の中で変に肩肘張っていた愛里紗が、こうやって紫に素直に自分の気持ちを述べられるようになっただけでも、愛里紗は前に比べて変ったと感じていた。

「そんな…。榎並さんこそそんなの気にすることないじゃない」

「いや、私は峰山さんから嫌われても仕方ないような態度ばかり取ってたけど、それでも峰山さんはいやな顔もせずに私のことを受け入れてくれた。それを見てて、私もちょっと恥ずかしくなったんだ」

 そう言って愛里紗は紫と手を取り合った。潮音は一時対立していた紫と愛里紗が、お互いに相手のことを認め合えるような関係になれたのを見て、まずはよかったと胸をなで下していた。
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