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第六部
第五章・青春のきらめき(その5)
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体育祭が終ると、松風女子学園の生徒たちの話題は、中等部は九州、高等部は北海道に行く修学旅行のことで持ちきりになる。しかし潮音にとっては、いよいよ目前に迫ったバレエの発表会のことが気がかりだった。
実際に発表会の当日が近づくにつれて、森末バレエ教室の中は緊張感だけでなく、いよいよ本番の舞台が近づいていると楽しみにする気持ちがレッスンルーム全体に満ちあふれるようになっていった。教室内では衣裳合わせも行われていたが、舞台に参加する生徒たちが可憐な衣裳を身にまとうたびに、周囲から歓声が上がった。紫の双子の妹の萌葱と浅葱も、自分達が着るかわいらしい衣裳を見て嬉しそうにしたことは言う間でもない。
潮音は人魚姫の姉の役で舞台に出演することになっていたが、自らが着るフリルで飾られた、優美でカラフルな衣裳を手渡されたときには、やはり緊張のあまり胸がどきりと高鳴るのを感じていた。そして実際に衣裳を身につけ終ると、潮音は両目から涙があふれるのを抑えることができなかった。
潮音は高校に入学してあらためてバレエの教室に入門したとき、教室を主宰している森末聡子に勧められてチュチュの衣裳を身にまとってみたことや、そのとき紫にこのように声をかけられたことをあらためて思い出していた。
――バレエやってる女の子たちはみんな、舞台の上でこの衣裳を着るために一生懸命練習してるんだからね。
それは潮音が女になってからまだ半年もたっておらず、今よりももっと自我が不安定だった時期のことだった。潮音はあのときの気恥ずかしい思いを、今さらのように思い出さずにはいられなかった。しかしそれから二年の歳月が経って、自分自身も女性としての生活に慣れてきたという思いがあるにもかかわらず、今の潮音は感情の高まりを抑えることができなかった。
潮音が目に涙をためていると、そばにいた紫が怪訝そうに声をかけた。
「潮音…泣いてるの?」
そこで潮音は、軽く首を振って紫に返事をした。
「いや…高校でまたバレエを始めて、とうとう自分もここまで来たのかって思ったから…」
そこで紫もはっきりと潮音を諭すように言った。
「そうよね。潮音はよく頑張ったよ」
その紫の言葉を聞いたとき、潮音は心の中にため込んでいた想いが堰を切ったようにあふれ出すのを感じていた。
潮音はあらためて、男として生れた自分がどうしてこのような衣裳を身にまとって舞台の上に立つはめになったのだろうと、今さらのように自問していた。自分が女になって右も左もわからない中で、紫に導かれるようにして始めたバレエだったが、もしあのとき自分が鏡を手にしたりせずにずっと男のままだったら、自身がこのようなきらびやかな衣裳を身にまとって舞台に上がることなど絶対になかったに違いないと思うと、自分がこの森末バレエ教室でレッスンに取り組んできた二年余りの歳月は何だったのだろうかとあらためて考えこまずにはいられなかった。
しかしそこで潮音は、今はこのようなことばかりクヨクヨ考えていたって仕方がないと思い立って、心の中に漂っている靄を吹き飛ばそうとした。これから自分が演じようとしている役は、たしかにわき役かもしれない。でも、紫と一緒にバレエの舞台に立つというかねてからの目標が現実になる以上悔いはない。自分が二年余りの間、この森末バレエ教室で積み重ねてきたものを全てこの舞台の上で出し切るしかない。潮音はここまで来たら、もう後に退くことは許されないと感じていた。
それ以外にも潮音は、この舞台を誰が見に来るのかという点も気になっていた。昇には先日帰宅する途中で一緒になったときに自分が発表会に出ることを伝えていたとはいえ、もし昇が舞台を身に来たら、それこそ恥ずかしい演技はできないぞと思って今さらのように緊張せずにはいられなかった。さらに潮音は暁子や優菜、漣にも発表会の当日には来てほしかったが、暁子や漣は塾に通っていて忙しいし、それはちょっと無理かもしれないと思いながらも、いつも引っ込み思案な漣がこの舞台を見て元気になってくれたらと願っていた。
そのようにして潮音はいろいろと考えていると、レッスンに対しても以前にもまして身が入るようになった。しかし紫はそのようにしてレッスンに打ち込む潮音の姿をじっと見守りながら、少し練習に熱が入りすぎているのではないかと気になっていた。
「潮音、一生懸命レッスン頑張るのはいいけど、あまり無理しすぎて当日実力が出せなかったら何にもならないよ。ちゃんと考えて調整しなさい」
潮音は紫から諭されると、それにおとなしく従うしかなかったが、それでも発表会の当日が近づくにつれて、ますます気持ちが高まるのを抑えることはできなかった。
そしてついに、発表会の当日の日曜日が来た。この日はすでに梅雨入りが宣言されていて、すっきりしない空模様の蒸し暑い日だったが、街のあちこちではあじさいの花が色づき始めていた。
潮音が自宅を後にしたのは舞台が始まるだいぶ前だったが、則子や綾乃は潮音の晴姿を見ようとやる気満々だった。父親の雄一はそれをどこかよそよそしい目で見ていて、則子から発表会を見に行くから出かける準備をするように言われても、いまいち乗り気ではないようだった。潮音はそのような家族の反応を、やれやれと思いながら眺めていた。
演技が始まる時間のだいぶ前に、潮音や紫をはじめとする森末バレエ教室の生徒たちは会場となっているホールに集まって、舞台を行うにあたってのミーティングを済ませた。それからみんなは楽屋で準備やレッスンに余念がなかったが、潮音が衣裳に着替えるときにはやはり胸の奥から緊張感をぬぐうことができなかった。
潮音が衣裳に着替え終って、髪型を整えてメイクを施されるときには、やはり心の奥の琴線をくすぐられるような心地がした。潮音がなんとかして気持ちを落ち着けようと思って楽屋の中で深呼吸をしていると、背後から紫の声がした。
「潮音…、やっぱり緊張してるの?」
しかし潮音が声のした方を振り向くと、主演の人魚姫を演じる紫の衣裳の華やかさやきらびやかさに、息を飲まずにはいられなかった。その姿は、楽屋の中に控えているバレエ教室の生徒たちの中でもひときわ群を抜いていた。
潮音はたしかに高校で紫と再会して以来、ずっと紫に憧れる気持ちをかすかなともし火のように心の中に灯らせていた。しかし今潮音の目の前にいる、人魚姫の華麗な衣裳で装った紫の姿は、日ごろ学校で見慣れている紫の姿と比べても、ひときわ気品と威厳に満ちているように見えた。潮音は紫とはいつも親しく接しているにもかかわらず、今の紫の姿に安易に近寄りがたいものを感じていた。
それはバレエ教室に通っている子どもたちも同様であるようで、皆紫に対して憧れの眼差しを向けていた。そしてそれは、紫の二人の妹の萌葱と浅葱も同様だった。紫はそのような子どもの一人一人に声をかけ、助言を与えていた。潮音はそれを見ながら、この二年間にバレエだけでなくいろいろな点で紫のことをずっと追いかけてきたにもかかわらず、紫はやはり自分の手の届かない高みにいると気後れを感じずにはいられなかった。
潮音がそのように思っている間もなく、王子の衣裳を身にまとった栗沢渉が楽屋に入ってきた。渉がそのまま演技のことについて紫と話し合いを始めると、潮音はやはり心の中にざわつきを覚えずにはいられなかった。
潮音は学校では生徒会長もつとめて生徒たちの信望を集めているだけでなく、バレエ教室の中では誰よりも上手にバレエを演じ、教室の子どもたちからも厚い信頼を集めている紫の姿を見るにつけて、自分の心の中で紫がいかに大きな存在になっていたかをあらためて感じずにはいられなかった。そこで潮音は、自分はそのような紫と共に舞台に立てるだけでも、十分それを誇りにすることができるとあらためて感じずにはいられなかった。
――この舞台には、自分が紫と一緒に過ごしてきた二年余りの全てをぶつけるしかない。…そして、自分が以前は男だったことも、そこから自分が女になってそれになじもうといろいろ努力してきたことも全部含めて。
そう考えると潮音の覚悟は決まった。いよいよ開演の時間が近づいて、潮音が他の生徒たちと一緒に舞台袖に移動すると、すでに舞台の道具などの準備は完了し、舞台の床を照らす照明の光のきらびやかさが潮音の目をとらえていた。潮音はこの舞台を誰が見に来ているのかも少し気になっていたが、いずれにせよ舞台が始まったらそんなことを気にする余裕などなくなると思って、気持ちを集中させようとした。
そしてとうとうブザーが鳴って幕が上がり、舞台が始まった。それと同時に、ホールの中は割れんばかりの拍手で包まれた。序盤は人魚姫が海底の宮殿で姉たちと一緒に遊びに興じている場面が展開されたが、そこで潮音も人魚姫の姉のひとりとして出演することになっていた。潮音は覚悟を決めて、舞台の真ん中へと躍り出た。
そこで潮音は紫と一緒に踊る場面があった。潮音が紫と共に軽やかな音楽の調べに乗せてスポットライトに照らされながらステップを踏み、時に手をつないだり、連れだって踊ったりしている間は、潮音はずっと紫のことを意識せずにはいられなかった。そして潮音は、この紫と一緒にいられる夢のような時間こそがいつまでも続いてくれたらと願わずにはいられなかった。
やがて舞台の場面が変り、潮音が舞台袖に引き上げてからも、潮音の心の中からは紫と一緒に踊ったときの余韻がなかなか消えなかった。潮音が自らの手のひらを眺めるだけで、舞台の上で紫と手をつないだときの紫の手のぬくもりが伝わってくるような気がした。
潮音が舞台袖から眺めていると、紫は王子の役を演じる栗沢渉と一緒にパ・ド・ドゥを演じていた。潮音は紫が渉と一緒にいる場面を見たときには少しもやもやするものを感じはしたものの、それよりも紫の優美で華麗な演技を眺めているうちに、潮音は高校に入ってから紫と共に過ごした日々のことを一つ一つ思い出していた。
そうしているうちに、潮音は紫と一緒に学校でもバレエの場でも一緒に過ごし、バレエだけでなく日々の勉強でも学校の行事でも、あらゆる場面で紫を目標として高みを目指したことこそ、自分にとってかけがえのない青春の宝物であり、誇りにできるものだとはっきり確信していた。そして潮音の心の中に、一つの強い思いが確かに芽生えていた。
――私はやっぱり紫と一緒にいたい。
潮音はその強い思いを心の奥に封じ込めたまま、舞台の中心で踊る紫の姿をじっと眺めていた。
実際に発表会の当日が近づくにつれて、森末バレエ教室の中は緊張感だけでなく、いよいよ本番の舞台が近づいていると楽しみにする気持ちがレッスンルーム全体に満ちあふれるようになっていった。教室内では衣裳合わせも行われていたが、舞台に参加する生徒たちが可憐な衣裳を身にまとうたびに、周囲から歓声が上がった。紫の双子の妹の萌葱と浅葱も、自分達が着るかわいらしい衣裳を見て嬉しそうにしたことは言う間でもない。
潮音は人魚姫の姉の役で舞台に出演することになっていたが、自らが着るフリルで飾られた、優美でカラフルな衣裳を手渡されたときには、やはり緊張のあまり胸がどきりと高鳴るのを感じていた。そして実際に衣裳を身につけ終ると、潮音は両目から涙があふれるのを抑えることができなかった。
潮音は高校に入学してあらためてバレエの教室に入門したとき、教室を主宰している森末聡子に勧められてチュチュの衣裳を身にまとってみたことや、そのとき紫にこのように声をかけられたことをあらためて思い出していた。
――バレエやってる女の子たちはみんな、舞台の上でこの衣裳を着るために一生懸命練習してるんだからね。
それは潮音が女になってからまだ半年もたっておらず、今よりももっと自我が不安定だった時期のことだった。潮音はあのときの気恥ずかしい思いを、今さらのように思い出さずにはいられなかった。しかしそれから二年の歳月が経って、自分自身も女性としての生活に慣れてきたという思いがあるにもかかわらず、今の潮音は感情の高まりを抑えることができなかった。
潮音が目に涙をためていると、そばにいた紫が怪訝そうに声をかけた。
「潮音…泣いてるの?」
そこで潮音は、軽く首を振って紫に返事をした。
「いや…高校でまたバレエを始めて、とうとう自分もここまで来たのかって思ったから…」
そこで紫もはっきりと潮音を諭すように言った。
「そうよね。潮音はよく頑張ったよ」
その紫の言葉を聞いたとき、潮音は心の中にため込んでいた想いが堰を切ったようにあふれ出すのを感じていた。
潮音はあらためて、男として生れた自分がどうしてこのような衣裳を身にまとって舞台の上に立つはめになったのだろうと、今さらのように自問していた。自分が女になって右も左もわからない中で、紫に導かれるようにして始めたバレエだったが、もしあのとき自分が鏡を手にしたりせずにずっと男のままだったら、自身がこのようなきらびやかな衣裳を身にまとって舞台に上がることなど絶対になかったに違いないと思うと、自分がこの森末バレエ教室でレッスンに取り組んできた二年余りの歳月は何だったのだろうかとあらためて考えこまずにはいられなかった。
しかしそこで潮音は、今はこのようなことばかりクヨクヨ考えていたって仕方がないと思い立って、心の中に漂っている靄を吹き飛ばそうとした。これから自分が演じようとしている役は、たしかにわき役かもしれない。でも、紫と一緒にバレエの舞台に立つというかねてからの目標が現実になる以上悔いはない。自分が二年余りの間、この森末バレエ教室で積み重ねてきたものを全てこの舞台の上で出し切るしかない。潮音はここまで来たら、もう後に退くことは許されないと感じていた。
それ以外にも潮音は、この舞台を誰が見に来るのかという点も気になっていた。昇には先日帰宅する途中で一緒になったときに自分が発表会に出ることを伝えていたとはいえ、もし昇が舞台を身に来たら、それこそ恥ずかしい演技はできないぞと思って今さらのように緊張せずにはいられなかった。さらに潮音は暁子や優菜、漣にも発表会の当日には来てほしかったが、暁子や漣は塾に通っていて忙しいし、それはちょっと無理かもしれないと思いながらも、いつも引っ込み思案な漣がこの舞台を見て元気になってくれたらと願っていた。
そのようにして潮音はいろいろと考えていると、レッスンに対しても以前にもまして身が入るようになった。しかし紫はそのようにしてレッスンに打ち込む潮音の姿をじっと見守りながら、少し練習に熱が入りすぎているのではないかと気になっていた。
「潮音、一生懸命レッスン頑張るのはいいけど、あまり無理しすぎて当日実力が出せなかったら何にもならないよ。ちゃんと考えて調整しなさい」
潮音は紫から諭されると、それにおとなしく従うしかなかったが、それでも発表会の当日が近づくにつれて、ますます気持ちが高まるのを抑えることはできなかった。
そしてついに、発表会の当日の日曜日が来た。この日はすでに梅雨入りが宣言されていて、すっきりしない空模様の蒸し暑い日だったが、街のあちこちではあじさいの花が色づき始めていた。
潮音が自宅を後にしたのは舞台が始まるだいぶ前だったが、則子や綾乃は潮音の晴姿を見ようとやる気満々だった。父親の雄一はそれをどこかよそよそしい目で見ていて、則子から発表会を見に行くから出かける準備をするように言われても、いまいち乗り気ではないようだった。潮音はそのような家族の反応を、やれやれと思いながら眺めていた。
演技が始まる時間のだいぶ前に、潮音や紫をはじめとする森末バレエ教室の生徒たちは会場となっているホールに集まって、舞台を行うにあたってのミーティングを済ませた。それからみんなは楽屋で準備やレッスンに余念がなかったが、潮音が衣裳に着替えるときにはやはり胸の奥から緊張感をぬぐうことができなかった。
潮音が衣裳に着替え終って、髪型を整えてメイクを施されるときには、やはり心の奥の琴線をくすぐられるような心地がした。潮音がなんとかして気持ちを落ち着けようと思って楽屋の中で深呼吸をしていると、背後から紫の声がした。
「潮音…、やっぱり緊張してるの?」
しかし潮音が声のした方を振り向くと、主演の人魚姫を演じる紫の衣裳の華やかさやきらびやかさに、息を飲まずにはいられなかった。その姿は、楽屋の中に控えているバレエ教室の生徒たちの中でもひときわ群を抜いていた。
潮音はたしかに高校で紫と再会して以来、ずっと紫に憧れる気持ちをかすかなともし火のように心の中に灯らせていた。しかし今潮音の目の前にいる、人魚姫の華麗な衣裳で装った紫の姿は、日ごろ学校で見慣れている紫の姿と比べても、ひときわ気品と威厳に満ちているように見えた。潮音は紫とはいつも親しく接しているにもかかわらず、今の紫の姿に安易に近寄りがたいものを感じていた。
それはバレエ教室に通っている子どもたちも同様であるようで、皆紫に対して憧れの眼差しを向けていた。そしてそれは、紫の二人の妹の萌葱と浅葱も同様だった。紫はそのような子どもの一人一人に声をかけ、助言を与えていた。潮音はそれを見ながら、この二年間にバレエだけでなくいろいろな点で紫のことをずっと追いかけてきたにもかかわらず、紫はやはり自分の手の届かない高みにいると気後れを感じずにはいられなかった。
潮音がそのように思っている間もなく、王子の衣裳を身にまとった栗沢渉が楽屋に入ってきた。渉がそのまま演技のことについて紫と話し合いを始めると、潮音はやはり心の中にざわつきを覚えずにはいられなかった。
潮音は学校では生徒会長もつとめて生徒たちの信望を集めているだけでなく、バレエ教室の中では誰よりも上手にバレエを演じ、教室の子どもたちからも厚い信頼を集めている紫の姿を見るにつけて、自分の心の中で紫がいかに大きな存在になっていたかをあらためて感じずにはいられなかった。そこで潮音は、自分はそのような紫と共に舞台に立てるだけでも、十分それを誇りにすることができるとあらためて感じずにはいられなかった。
――この舞台には、自分が紫と一緒に過ごしてきた二年余りの全てをぶつけるしかない。…そして、自分が以前は男だったことも、そこから自分が女になってそれになじもうといろいろ努力してきたことも全部含めて。
そう考えると潮音の覚悟は決まった。いよいよ開演の時間が近づいて、潮音が他の生徒たちと一緒に舞台袖に移動すると、すでに舞台の道具などの準備は完了し、舞台の床を照らす照明の光のきらびやかさが潮音の目をとらえていた。潮音はこの舞台を誰が見に来ているのかも少し気になっていたが、いずれにせよ舞台が始まったらそんなことを気にする余裕などなくなると思って、気持ちを集中させようとした。
そしてとうとうブザーが鳴って幕が上がり、舞台が始まった。それと同時に、ホールの中は割れんばかりの拍手で包まれた。序盤は人魚姫が海底の宮殿で姉たちと一緒に遊びに興じている場面が展開されたが、そこで潮音も人魚姫の姉のひとりとして出演することになっていた。潮音は覚悟を決めて、舞台の真ん中へと躍り出た。
そこで潮音は紫と一緒に踊る場面があった。潮音が紫と共に軽やかな音楽の調べに乗せてスポットライトに照らされながらステップを踏み、時に手をつないだり、連れだって踊ったりしている間は、潮音はずっと紫のことを意識せずにはいられなかった。そして潮音は、この紫と一緒にいられる夢のような時間こそがいつまでも続いてくれたらと願わずにはいられなかった。
やがて舞台の場面が変り、潮音が舞台袖に引き上げてからも、潮音の心の中からは紫と一緒に踊ったときの余韻がなかなか消えなかった。潮音が自らの手のひらを眺めるだけで、舞台の上で紫と手をつないだときの紫の手のぬくもりが伝わってくるような気がした。
潮音が舞台袖から眺めていると、紫は王子の役を演じる栗沢渉と一緒にパ・ド・ドゥを演じていた。潮音は紫が渉と一緒にいる場面を見たときには少しもやもやするものを感じはしたものの、それよりも紫の優美で華麗な演技を眺めているうちに、潮音は高校に入ってから紫と共に過ごした日々のことを一つ一つ思い出していた。
そうしているうちに、潮音は紫と一緒に学校でもバレエの場でも一緒に過ごし、バレエだけでなく日々の勉強でも学校の行事でも、あらゆる場面で紫を目標として高みを目指したことこそ、自分にとってかけがえのない青春の宝物であり、誇りにできるものだとはっきり確信していた。そして潮音の心の中に、一つの強い思いが確かに芽生えていた。
――私はやっぱり紫と一緒にいたい。
潮音はその強い思いを心の奥に封じ込めたまま、舞台の中心で踊る紫の姿をじっと眺めていた。
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