契約メイドは女子高生

白川嘘一郎

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「編集者からの無理難題」

編集者からの無理難題(1)

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 小学生でも、洗濯物を干したり、皿洗いや風呂掃除ぐらいはやったことがあるだろう。
 そういった“お手伝い”と“家事”との違いは、家計を管理しているかどうかだと思う。

 ……だからメイドは“お手伝いさん”なんだろうな。
 家計簿をつけながら、わたしはそんなことを考える。
 もちろん、うちの家計簿だ。メイドは主人の財政事情にまで立ち入ったりしない。

「――あの有名なドラマの家政婦さんとか、先生としてはどうなんですか?」

 軽い冗談のつもりで、ちょっとした空き時間にそう聞いてみたことがある。
 返ってきた先生の答えはちょっと予想と違った。

「あぁ、彼女か。主人の秘密に首を突っ込もうとしすぎるところは感心しないがね。だが、近年の形だけの軽薄なメイド文化に比べれば、よほどメイドらしいと言えるだろう。彼女はただ給金のためだけに働く家政婦ではなく、“好奇心”という彼女なりの確固たる芯を持っている」

「芯……ですか」

「メイドとは、ただ言いなりの奴隷やロボットではないのだよ。心の内に己の芯を秘めながら、それを律して表には出さず、静かに勤めに励む姿が美しいのだ。自ら望んでメイドになりたくてたまらないという者がいたら、それはただのマゾヒストだろう」

 そう熱く語る先生だったが、私にはその意味も半分もわからなかった。たぶん、わからないほうが正常だ。

 しかし財政はともかく健康事情には首を突っ込まないわけにはいかない。
 六堂りくどう先生にちゃんとした栄養のある料理を作って、食べてもらいたい。
 それはファンとして、メイドとして、当然の気持ちだと思う。

 でもわたしは、昼間は学校があるし、家で何か作ってから持っていくというのはなかなか難しい。焼き菓子程度ならともかく。
 お屋敷の台所を借りて、まとめておかずを作らせてもらって、先生のぶんを取り分けた残りを家に持ち帰るのが、コストと手間からいってもいちばん助かるのだけど……。
 さすがにそれは公私混同しすぎな気がする。

 ――このあいだは、あのおかしな部屋の状況のせいでわたしの中の“乙女スイッチ”的なものが入ってしまったけど、普段のわたしならこれぐらいの分別ふんべつは付く。
 今のわたしは冷静だ。だいじょうぶ。

 数字を見ていると冷静にならざるを得ない。
 
 これまでは、叔父さんから毎月振り込まれる生活費の範囲でそつなくやれていた。
 母のやっていたとおりを真似ればおおむね問題なかったし、違うのはふたりぶんの食費が減ったことぐらい。
 家計を預かるようになって初めてわたしは、月々の電気代が思っていたよりずっと高いことを知った。そんなことさえ、わたしは知らずに生きてきた。
 そしてその金額は、家族が減ってもそれほどは変わらなかった。『家庭』という入れ物を維持するためのお金だったんだなと、明細を見ているとなぜだか少し悲しくなる。


 しばらく前から、兄の拓人たくとはめったに家に寄り付かなくなった。
 友達の家に転がり込んで、深夜バイトをしているとか言ってたけど、その結果が先日のバイトテロのやらかしだ。
 なんとか分割して支払うことで許してもらっているけれど、兄が稼いでくるお金が滞ればそれもどうなるかわからない。そもそもちゃんとした次のバイト、見つかったのかな。
 たまに帰ってきても、シャワーを浴びて部屋で寝ているだけ。食事を作っておくといつの間にかなくなっているけど、まともに話をする機会もない。

(……気まずくて顔を合わせられないんだろうけどね)

 兄のそういう性格は、手に取るようにわかる。
 3人しかいない家族なんだもの。――もう、たった3人しか。

 六堂先生のところのメイド仕事は、わたしたち家族にとっても重要な収入源だ。
 まだ中学生の結伊ゆいをひとりにする時間はなるべく増やしたくないんだけど、こればかりは仕方ない。

 わたしは家計簿をぱたんと閉じて、明かりのスイッチを消し、ベッドにもぐりこむ。
 朝食と結伊のお弁当のおかずは、夜のうちにすでに仕込み終わっている。
 だいじょうぶ、そのへんは適度に手を抜いてやってるから。心配しないで、お母さん。

 六堂先生のお屋敷は、何もかもが非日常的で、うっかり自分の立場を忘れてしまいそうになるけど……。
 自室のベッドでこうして目を閉じると、すっかり馴染んでしまった現実が、足元から静かにわたしの肌を覆っていく。

 わたしは寝ころんだまま手を伸ばし、枕元の棚に並べてある『ガランドーア軍国記』の背表紙をそっと指先でなぞった。
 明日も、“乙女スイッチ”は切ったままにしておかなくちゃ。
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