18 / 30
「編集者からの無理難題」
編集者からの無理難題(1)
しおりを挟む
小学生でも、洗濯物を干したり、皿洗いや風呂掃除ぐらいはやったことがあるだろう。
そういった“お手伝い”と“家事”との違いは、家計を管理しているかどうかだと思う。
……だからメイドは“お手伝いさん”なんだろうな。
家計簿をつけながら、わたしはそんなことを考える。
もちろん、うちの家計簿だ。メイドは主人の財政事情にまで立ち入ったりしない。
「――あの有名なドラマの家政婦さんとか、先生としてはどうなんですか?」
軽い冗談のつもりで、ちょっとした空き時間にそう聞いてみたことがある。
返ってきた先生の答えはちょっと予想と違った。
「あぁ、彼女か。主人の秘密に首を突っ込もうとしすぎるところは感心しないがね。だが、近年の形だけの軽薄なメイド文化に比べれば、よほどメイドらしいと言えるだろう。彼女はただ給金のためだけに働く家政婦ではなく、“好奇心”という彼女なりの確固たる芯を持っている」
「芯……ですか」
「メイドとは、ただ言いなりの奴隷やロボットではないのだよ。心の内に己の芯を秘めながら、それを律して表には出さず、静かに勤めに励む姿が美しいのだ。自ら望んでメイドになりたくてたまらないという者がいたら、それはただのマゾヒストだろう」
そう熱く語る先生だったが、私にはその意味も半分もわからなかった。たぶん、わからないほうが正常だ。
しかし財政はともかく健康事情には首を突っ込まないわけにはいかない。
六堂先生にちゃんとした栄養のある料理を作って、食べてもらいたい。
それはファンとして、メイドとして、当然の気持ちだと思う。
でもわたしは、昼間は学校があるし、家で何か作ってから持っていくというのはなかなか難しい。焼き菓子程度ならともかく。
お屋敷の台所を借りて、まとめておかずを作らせてもらって、先生のぶんを取り分けた残りを家に持ち帰るのが、コストと手間からいってもいちばん助かるのだけど……。
さすがにそれは公私混同しすぎな気がする。
――このあいだは、あのおかしな部屋の状況のせいでわたしの中の“乙女スイッチ”的なものが入ってしまったけど、普段のわたしならこれぐらいの分別は付く。
今のわたしは冷静だ。だいじょうぶ。
数字を見ていると冷静にならざるを得ない。
これまでは、叔父さんから毎月振り込まれる生活費の範囲でそつなくやれていた。
母のやっていたとおりを真似ればおおむね問題なかったし、違うのはふたりぶんの食費が減ったことぐらい。
家計を預かるようになって初めてわたしは、月々の電気代が思っていたよりずっと高いことを知った。そんなことさえ、わたしは知らずに生きてきた。
そしてその金額は、家族が減ってもそれほどは変わらなかった。『家庭』という入れ物を維持するためのお金だったんだなと、明細を見ているとなぜだか少し悲しくなる。
しばらく前から、兄の拓人はめったに家に寄り付かなくなった。
友達の家に転がり込んで、深夜バイトをしているとか言ってたけど、その結果が先日のバイトテロのやらかしだ。
なんとか分割して支払うことで許してもらっているけれど、兄が稼いでくるお金が滞ればそれもどうなるかわからない。そもそもちゃんとした次のバイト、見つかったのかな。
たまに帰ってきても、シャワーを浴びて部屋で寝ているだけ。食事を作っておくといつの間にかなくなっているけど、まともに話をする機会もない。
(……気まずくて顔を合わせられないんだろうけどね)
兄のそういう性格は、手に取るようにわかる。
3人しかいない家族なんだもの。――もう、たった3人しか。
六堂先生のところのメイド仕事は、わたしたち家族にとっても重要な収入源だ。
まだ中学生の結伊をひとりにする時間はなるべく増やしたくないんだけど、こればかりは仕方ない。
わたしは家計簿をぱたんと閉じて、明かりのスイッチを消し、ベッドにもぐりこむ。
朝食と結伊のお弁当のおかずは、夜のうちにすでに仕込み終わっている。
だいじょうぶ、そのへんは適度に手を抜いてやってるから。心配しないで、お母さん。
六堂先生のお屋敷は、何もかもが非日常的で、うっかり自分の立場を忘れてしまいそうになるけど……。
自室のベッドでこうして目を閉じると、すっかり馴染んでしまった現実が、足元から静かにわたしの肌を覆っていく。
わたしは寝ころんだまま手を伸ばし、枕元の棚に並べてある『ガランドーア軍国記』の背表紙をそっと指先でなぞった。
明日も、“乙女スイッチ”は切ったままにしておかなくちゃ。
そういった“お手伝い”と“家事”との違いは、家計を管理しているかどうかだと思う。
……だからメイドは“お手伝いさん”なんだろうな。
家計簿をつけながら、わたしはそんなことを考える。
もちろん、うちの家計簿だ。メイドは主人の財政事情にまで立ち入ったりしない。
「――あの有名なドラマの家政婦さんとか、先生としてはどうなんですか?」
軽い冗談のつもりで、ちょっとした空き時間にそう聞いてみたことがある。
返ってきた先生の答えはちょっと予想と違った。
「あぁ、彼女か。主人の秘密に首を突っ込もうとしすぎるところは感心しないがね。だが、近年の形だけの軽薄なメイド文化に比べれば、よほどメイドらしいと言えるだろう。彼女はただ給金のためだけに働く家政婦ではなく、“好奇心”という彼女なりの確固たる芯を持っている」
「芯……ですか」
「メイドとは、ただ言いなりの奴隷やロボットではないのだよ。心の内に己の芯を秘めながら、それを律して表には出さず、静かに勤めに励む姿が美しいのだ。自ら望んでメイドになりたくてたまらないという者がいたら、それはただのマゾヒストだろう」
そう熱く語る先生だったが、私にはその意味も半分もわからなかった。たぶん、わからないほうが正常だ。
しかし財政はともかく健康事情には首を突っ込まないわけにはいかない。
六堂先生にちゃんとした栄養のある料理を作って、食べてもらいたい。
それはファンとして、メイドとして、当然の気持ちだと思う。
でもわたしは、昼間は学校があるし、家で何か作ってから持っていくというのはなかなか難しい。焼き菓子程度ならともかく。
お屋敷の台所を借りて、まとめておかずを作らせてもらって、先生のぶんを取り分けた残りを家に持ち帰るのが、コストと手間からいってもいちばん助かるのだけど……。
さすがにそれは公私混同しすぎな気がする。
――このあいだは、あのおかしな部屋の状況のせいでわたしの中の“乙女スイッチ”的なものが入ってしまったけど、普段のわたしならこれぐらいの分別は付く。
今のわたしは冷静だ。だいじょうぶ。
数字を見ていると冷静にならざるを得ない。
これまでは、叔父さんから毎月振り込まれる生活費の範囲でそつなくやれていた。
母のやっていたとおりを真似ればおおむね問題なかったし、違うのはふたりぶんの食費が減ったことぐらい。
家計を預かるようになって初めてわたしは、月々の電気代が思っていたよりずっと高いことを知った。そんなことさえ、わたしは知らずに生きてきた。
そしてその金額は、家族が減ってもそれほどは変わらなかった。『家庭』という入れ物を維持するためのお金だったんだなと、明細を見ているとなぜだか少し悲しくなる。
しばらく前から、兄の拓人はめったに家に寄り付かなくなった。
友達の家に転がり込んで、深夜バイトをしているとか言ってたけど、その結果が先日のバイトテロのやらかしだ。
なんとか分割して支払うことで許してもらっているけれど、兄が稼いでくるお金が滞ればそれもどうなるかわからない。そもそもちゃんとした次のバイト、見つかったのかな。
たまに帰ってきても、シャワーを浴びて部屋で寝ているだけ。食事を作っておくといつの間にかなくなっているけど、まともに話をする機会もない。
(……気まずくて顔を合わせられないんだろうけどね)
兄のそういう性格は、手に取るようにわかる。
3人しかいない家族なんだもの。――もう、たった3人しか。
六堂先生のところのメイド仕事は、わたしたち家族にとっても重要な収入源だ。
まだ中学生の結伊をひとりにする時間はなるべく増やしたくないんだけど、こればかりは仕方ない。
わたしは家計簿をぱたんと閉じて、明かりのスイッチを消し、ベッドにもぐりこむ。
朝食と結伊のお弁当のおかずは、夜のうちにすでに仕込み終わっている。
だいじょうぶ、そのへんは適度に手を抜いてやってるから。心配しないで、お母さん。
六堂先生のお屋敷は、何もかもが非日常的で、うっかり自分の立場を忘れてしまいそうになるけど……。
自室のベッドでこうして目を閉じると、すっかり馴染んでしまった現実が、足元から静かにわたしの肌を覆っていく。
わたしは寝ころんだまま手を伸ばし、枕元の棚に並べてある『ガランドーア軍国記』の背表紙をそっと指先でなぞった。
明日も、“乙女スイッチ”は切ったままにしておかなくちゃ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる