ユニコーン令嬢は彼しか愛せない【R18】

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ユニコーン令嬢は彼しか愛せない

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 小さなニコラシカは、ひとけのない真っ暗な見知らぬ道をひたすらに走っていた。

 その目元には涙が滲んでいる。不安、恐怖、そうした感情が少女の体を支配していた。

 ニコラシカは妖精界に住むコーン族の令嬢であった。
 コーン族とは、ツノを持つことが最大の特徴である。
 とはいえ、まだ小さなニコラシカにはそれもなく、見た目は人間の少女とほとんど変わることがない。

 彼女は、妖精界に暮らす多くの子供たちが皆そうするように、決して潜ってはならぬとされた禁断の門と人間界への興味が堪えきれず、大人達の目を盗んでこっそりと門を抜けた。

 門の先は、薄靄のかかる、右も左も天も地もわからない道だった。否、道であるのかさえもわからなかった。

 ニコラシカはすぐに怯えパニックになり、そうして言いつけを破ったことを心から悔いた。

 しかし戻ろうにも来た道もわからず、ただただ恐怖と後悔のままにタカタカとしゃにむに走るしかできなかった。

(パパっ、ママっ……ばぁや、誰か……!) 

 ふいに靄が晴れ、ポンッと飛び出た先はひとけのない港だった。
 ニコラシカにとっては初めて見る景色。

 彼女の住むところは綺麗な森と花々に囲まれていつも爽やかな風が吹き、優しい香りに包まれていた。
 今目の前に広がる景色は、コンテナばかりの素っ気ないもの。風は冷たく湿ってベタベタし、香りは嗅いだこともない奇妙な匂い。 

 ニコラシカは小さな自身の身をぎゅっと抱きしめて、不安のままにコンテナの並ぶその道をとぼとぼと歩いた。
 しかし歩けど歩けどずっと似たような風景でどこに居るのか、向かっているのかもわからない。

(どうしよう、どうしよう。帰れなかったらどうしよう!?) 

 心の中はひたすらに焦りで埋め尽くされ、はらはらと大きな瞳から大粒の涙が流れて落ちる。ニコラシカはしくしくと泣きながら、帰り道を探し歩いた。

 そうしてコンテナの並ぶ角を曲がったとき。

 おーいおーい、と彼女を呼び止めるような人の声と足音が聞こえた。

「だぁれ、ばぁや⁉」

 自分を探しに来てくれたばぁやを期待して、ニコラシカはぱっと顔をあげる。
 ぱっと輝きを宿した瞳はしかしすぐに曇ることになった。目の前に現れたのは、ばぁやとは似ても似つかぬ強面の男の二人組だったのだ。

「へっへっへ、どうしたんだいお嬢ちゃん、こんな時間にこんなとこでよぉ。ひとりかな?」
「迷子かねぇ、おじさんたちが助けてやろうか」
「助けて……?」

 男達は風体こそ怪しかったが、ニコラシカにはほかに縋れるものがない。
 彼らのその言葉には期待が募った。
 が。
 ピリピリ、とニコラシカの額が痺れるような熱と痛みを持つ。

「‼」

 ニコラシカは思わず手で頭を押さえながら、男達から後じさった。

「へっへ、ツイてんなぁ。どうせどっかのコンテナから逃げ出してきた逃亡奴隷だろ。連れ帰りゃ報酬たんまりだぜ」
「おう、そりゃいい!」

 二人組は、ひとりは大柄で逞しく、もうひとりは小柄でひょろい。ニコラシカには彼らの話していることの意味の全てはわからなかった。

 しかし彼らが近付いてきた時から、額がピリピリと熱と痛みを持ち始めたのは確かで、それは二人組を警戒するのには十分すぎる理由になった。

 コーン族は不浄と邪を嫌うという種族的特徴がある。 彼らのツノは人の不浄や邪心を敏感に感じ取ることができた。

 古来より、コーン族のツノは人間たちに狙われてきた。そのため邪な人間をすぐに判別できるよう研ぎ澄まされたのだろう、と言われている。

 小さなニコラシカにはまだコーン族の最も特徴的であるツノは生えてはいなかった。それでも、いずれツノが生えてくるはずのそこは、いつもなにか悪い予感がするとピリピリと痛むのだった。

 警戒するニコラシカを見ながら男たちがニタニタと笑う。そして小さなニコラシカに大きな手を伸ばしてくる。

「さぁおいでお嬢ちゃん」
「なぁに、悪ぃようにゃしねえ」

 そう言ってニコラシカの細く華奢な腕を掴む。

「ひっ、や、ゃだ……だれか……ばぁや、パパ、ママ……!」

 ニコラシカはその腕に怯え立ち竦んで、助けを呼ぶための声もか細いものだった。
 大男の太い指がギリギリと、細いニコラシカの腕に食い込んでいく。小さなニコラシカには、これを振り払える力などなく。

「い、いやぁ……!」

 ただ怯え、涙を流して悲鳴を上げるしかできなかった。

 ガツン! ゴンッ!

「ぎゃっ!」
「ぉんっ⁉」

 その時。
 鈍い衝撃音が二つ。
 そして二人組の男たちから呻き声がしたかと思うと、ニコラシカの腕を掴む力が緩んだ。
 二人組の男達がぐらりと体を傾かせドサドサッと倒れていく。 

 ニコラシカはぱちぱちと瞬いた。何が起きたとのか、すぐにはわからなかった。

「チッ、クズどもが。……ヒトんちのシマで人攫いとは、舐めたことしてくれんじゃねーか」

 それは、若い男の声だった。
 並ぶコンテナの隙間から、月明かりが差し込んでちょうどその男を照らし出す。

 鉄パイプを肩に担いだ、細身で長身の青年だった。青錆色の髪をラフに後ろに流した切れ長の目。

 彼は倒れ伏す二人組に舌打ちと共に冷めた視線を向けていたが、やがて興味を失ったように逸らして肩を竦めた。
 その倒れた男達の向こうで、驚きに目を丸くし言葉を失っていたニコラシカを見る。

 青年の、酷薄に細められ嫌悪感に歪んでいた表情は一変し、ニコラシカに向けられたのは優しげに微笑む顔だった。

「怖かったな、お嬢ちゃん。もう大丈夫、悪い奴らはお兄さんが倒してやったからね。……それにしてもひとりで夜の港なんてどうした。パパ達とはぐれたかい?」

 青年が膝を曲げニコラシカに目線の高さを合わせる。月明かりが逆光になって、その顔はいまいち判然とはしなかったが。

 優しげな声と助けてもらったという安堵感でニコラシカは微笑もうとした。
 しかしニコラシカの額がジワジワと強く熱を持ってまたもやピリピリと疼き出す。
 
 それは今までに無いほどに強い痛みだった。

「あっ、ぅう! あぁっっ⁉」

 どうして? 助けてもらったはずなのに。ニコラシカは痛む頭を押さえながらそう思った。
 青年は小さなニコラシカを救い、優しく声を掛けてくれているのに、ニコラシカを襲う不快感と痛みは強烈で二人組を遙かに凌ぐものだった。

 突然頭を押さえて苦しみ出したニコラシカに、青年はギョッとして慌て出す。

「な、なんだなんだ⁉ ど、どうした……おい、おい……、……クソ、医者のとこに連れてくか」

 面倒だが、と口中で低く呟きを漏らした青年は、苦しむニコラシカにその手を伸ばそうとして。

 はたと気付いたように息を呑み、その手が止まる。

「ま、まさか……お前……」

 苦しむニコラシカの何もなかったはずの頭に、ほんの小さな小さなツノの先端が突き出していた。

 コーン族の最大の特徴であるツノが。
 青年はそれを見て、ゴクリと唾を呑んだ。

「お、お嬢ちゃん……頭が痛いのか、随分と辛そうだな。さぁ、お医者さんとこに行こうか。連れてってあげるよ」

 青年の声は急に、ひどく緊張したように掠れた。
 警戒させないようにか、猫なで声で言って再び青年がニコラシカに手を伸ばす。

 ニコラシカは猛烈な痛みに顔色まで悪くしながら、どうにか縋るように伸ばされる手に小さな手を重ねようとした。

「あっ……⁉」

 指先が触れたか触れないか、というその時だった。

 びゅおっ‼

 突如吹き付けた強い風。

「⁉」

 コンテナの間を吹き抜ける鋭く痛いほどの突風に呑まれて、青年は叩き付けられるようによろけてコンテナに肩を打ち付けた。

「ぃぐっ……な、なんだ急、に……?」
「きゃっ……ぁ!」

 次の瞬間、全てが靄に包まれる。
 ニコラシカは渦巻く風に呑み込まれ小さな悲鳴を上げた。

 吹き付けた風と靄に包まれて、ニコラシカの視界から港の景色とあの青錆色の青年の姿が掻き消えていった。


 パチ、とニコラシカが目を開く。
 周囲で彼女を覗き込んでいた妖精族たちが、それを見てわぁっと喜びの声を上げた。

「ニコ、ニコラ!よかったわ、無事で!」
「マ、マ……?」

 ニコラシカの母が感激とともに小さなニコラシカを抱きしめる。
 その後ろではばぁやが安堵の涙を流していた。

「おまえが禁断の門を潜ったと聞いて心配していたわ!人間界では妖精族を攫って売る恐ろしい者たちが居るのよ」
「すぐに女王様にお願いして探し出してもらったんだが、本当に無事で良かったよニコラ。間一髪だったそうじゃないか」
「え……?」

両親たちが言うには、ニコラシカは危うく人間の男に捕まるところだったという。
 それを妖精の女王様の起こした突風で吹き飛ばし、すんでのところでニコラシカを救って妖精界に連れ戻したのだ、と。

 ニコラシカはパチパチと瞬きした。
 妙にスッキリしない、モヤモヤとしたものが心にわだかまっていた。
 しかし起こった出来事を詳しく思い出そうとすると、額がズキリと痛む。

「い、た……!」
「あら! まぁ、ニコラ、貴女、ツノが生えてきたのね⁉」
「おぉ、なんと。とうとうツノが……」
「まぁまぁ、これでお嬢様も立派なコーン族ですわねぇ」

 小さなツノの先端がうっすらと生えてきたニコラシカの額を見て、彼女を囲む大人たちは、その成長をただ純粋に喜んだ。

 しかし、とうのニコラシカはちっとも気が晴れなかった。

 ズキズキと鋭く頭が痛むのはツノの生えかかりのせいなのか。
 ニコラシカの人間界での記憶は不思議と靄がかかり朧げだった。

 あのひとけのない港で、恐ろしい目に遭ったのは微かにだがたしかに覚えている。

 けれど。
 月明かりに、青錆色。

「ぁ……!」

 ズキン! 
 もう一度良く思い出そうとすると特に酷い痛みに襲われて。

「あっ、ぁあ……!」

 ニコラシカはふっと意識を失ってしまった。 

 それでもなおぼんやりと霞がかる記憶の中に、青錆色だけがいつまでも引っ掻き傷のように後に残った……。
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