『神託により祝福されたはずの婚姻は、悪夢と同じ結末を迎えました』

文字の大きさ
35 / 46

覚えてない、でも

しおりを挟む


 熱い。
 苦しい。
 
 ずっと出口のない暗闇を走っているよう。

 どこまで行けば。
 どれだけ走れば。

 苦しい。怖い。寂しい。

 ◇◇◇

 何かが肌に触れている。
 柔らかくてふんわりした感触。
 
 くすぐったくて気持ちよくて、わたくしはそっと目を開ける。

 ぼんやりした視界。
 よく知った天井。
 なのに不思議と、ずいぶん懐かしいような気がする景色。

「…………お目覚め……ですか……お嬢……様……」

 嗄れた声が鼓膜を震わせる。

「――――!」

 わたくしはその声の主に、身を竦ませた。

 彼は。
 柔らかなハンカチで、わたくしの汗を拭っていたよう。
 ハンカチの端に色褪せた花の刺繍がちらりと見えて。

 似合わないわね、と思う。

「……ば、ばぁやはどこ」

 わたくしの声は震えていたかもしれない。
 目の前の男は、ゴトッと杖を付き、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
 酷くやつれて、髪の色はすっかり抜け落ちてパサパサで。

「――ジーナさんなら……」
「まぁ……! お嬢様……! お目覚めになられたんですねぇ……!!」

 ちょうどばぁやが扉を開けて寝室に入って来る。その手には冷たい水を張った桶と、清潔な新しいタオルがあった。
 わたくしの看病のために一時的に席を離れていたのね。

 ばぁやの元気そうな姿に、わたくしの胸がぎゅっと熱くなる。
 目元も。
 鼻がツンとして、溢れてくる涙を堪えることができなくて。

「あらあらあらまぁお嬢様! どうなさったんです、フェルダー先生、お嬢様は……」
「――熱は……すっかり……落ち着いたようです……な。……しばらく、高熱の後遺症で……おかしなことを言うかも……しれませんが……特別な薬湯を処方致します……それを、しっかり飲んで頂くよう……」

 フェルダーが、途切れ途切れに言う。
 ばぁやに涙を拭かれ、抱きしめられながらそれを聞いて……。

 薬湯……。

 わたくしの中に、染み出すような気持ち。

 この男を……信用してはいけない……という予感。

 フェルダーの視線は、ばぁやの胸に伏せたわたくしの顔にじっと注がれているような気がする。

「フェルダー先生……お嬢様のお召し替えを致しますので……」
「あぁ……そうです……な……では……私はこれで失礼を。また……何かあれば……いつでも……」

 フェルダーの杖の音が床を打つ、ゴトッゴトッという音。
 足を引き摺るような音。
 それらが遠ざかり、扉がパタンと閉じる。

 わたくしはゆっくり息を吐き出した。

「お嬢様……?」

 ばぁやの心配そうな声に顔を上げる。
 微笑む。

「大丈夫よ、ばぁや。…………なんだか、すごく……嫌な……怖い夢を見ていた気がするの。……でも、やっぱり夢だったんだわ。……ねぇ、ばぁや」
「はい……お嬢様……?」
「フェルダーは……いつから……あんな、みすぼらしい姿になって?」
「お、お嬢様……! 失礼でございますよ、フェルダー先生に。……いつからも何も、フェルダー先生はずっとあぁじゃございませんか」
「……そう、……そう、なのね……」

 どうして。
 わたくしの記憶の中のフェルダーは。
 もっと黒くて、もっと不遜で、もっと……。

「お嬢様、薬湯をお作りしますね。フェルダー先生の言う通り、少し記憶が混乱しているんですよ」

 ばぁやはわたくしの着替えを手伝ったあと、薬湯を用意して。
 スープを作ってきますねと部屋を出て行った。

 わたくしは薬湯を見つめて。

「………………覚えていない、でも……知ってるわ、わたくし。……知ってるわ…………」

 ベッドから降りると、わたくしは薬湯を洗面所で流して捨てた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】モブ令嬢のわたしが、なぜか公爵閣下に目をつけられています

きゅちゃん
ファンタジー
男爵家の三女エリーゼは、前世の記憶を持つ元社畜OL。社交界デビューの夜、壁際でひとりジュースを飲んでいたところを、王国随一の権力者・ヴァルナ公爵カイルにスカウトされる。魔法省の研究員として採用されたエリーゼは、三年間誰も気づかなかった計算の誤りを着任三日で発見。着々と存在感を示していく。一方、公爵の婚約候補と噂されるクロード侯爵令嬢セラフィーヌは、エリーゼを目障りに思い妨害を仕掛けてくるが...

心が折れた日に神の声を聞く

木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。 どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。 何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。 絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。 没ネタ供養、第二弾の短編です。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

初恋の兄嫁を優先する私の旦那様へ。惨めな思いをあとどのくらい我慢したらいいですか。

梅雨の人
恋愛
ハーゲンシュタイン公爵の娘ローズは王命で第二王子サミュエルの婚約者となった。 王命でなければ誰もサミュエルの婚約者になろうとする高位貴族の令嬢が現れなかったからだ。 第一王子ウィリアムの婚約者となったブリアナに一目ぼれしてしまったサミュエルは、駄目だと分かっていても次第に互いの距離を近くしていったためだった。 常識のある周囲の冷ややかな視線にも気が付かない愚鈍なサミュエルと義姉ブリアナ。 ローズへの必要最低限の役目はかろうじて行っていたサミュエルだったが、常にその視線の先にはブリアナがいた。 みじめな婚約者時代を経てサミュエルと結婚し、さらに思いがけず王妃になってしまったローズはただひたすらその不遇の境遇を耐えた。 そんな中でもサミュエルが時折見せる優しさに、ローズは胸を高鳴らせてしまうのだった。 しかし、サミュエルとブリアナの愚かな言動がローズを深く傷つけ続け、遂にサミュエルは己の行動を深く後悔することになる―――。

『皇族を名乗った伯爵家は、帝国に処理されました』 ―天然メイドは、今日も失敗する―

ふわふわ
恋愛
婚約破棄を経て、静かに屋敷を去った令嬢。 その後に残された伯爵家は、焦燥と虚勢を抱えたまま立て直しを図ろうとする。 だが、思惑はことごとく空回りする。 社交界での小さな失態。 資金繰りの綻び。 信用の揺らぎ。 そして、屋敷の中で起こる“ちょっとした”騒動の数々。 決して大事件ではない。 けれど積み重なれば、笑えない。 一方、帝国では新たな時代が静かに始まろうとしている。 血筋とは何か。 名乗るとは何か。 国家が守るものとは何か。 これは、派手な復讐劇ではない。 怒号も陰謀もない。 ただ―― 立場を取り違えた家が、ゆっくりと現実に追いつかれていく物語。 そして今日も、屋敷では誰かが小さな失敗をする。 世界は静かに、しかし確実に動いている。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛

タマ マコト
ファンタジー
【大好評につき21〜40話執筆決定!!】 田舎娘ミントは、王都の名門ローズ家で地味な使用人薬師として働いていたが、令嬢ローズマリーの嫉妬により濡れ衣を着せられ、理不尽に追放されてしまう。雨の中ひとり王都を去ったミントは、亡き祖母が残した田舎の小屋に戻り、そこで薬草店を開くことを決意。森で倒れていた謎の青年サフランを救ったことで、彼女の薬の“異常な効き目”が静かに広まりはじめ、村の小さな店《グリーンノート》へ、変化の風が吹き込み始める――。

王女殿下のモラトリアム

あとさん♪
恋愛
「君は彼の気持ちを弄んで、どういうつもりなんだ?!この悪女が!」 突然、怒鳴られたの。 見知らぬ男子生徒から。 それが余りにも突然で反応できなかったの。 この方、まさかと思うけど、わたくしに言ってるの? わたくし、アンネローゼ・フォン・ローリンゲン。花も恥じらう16歳。この国の王女よ。 先日、学園内で突然無礼者に絡まれたの。 お義姉様が仰るに、学園には色んな人が来るから、何が起こるか分からないんですって! 婚約者も居ない、この先どうなるのか未定の王女などつまらないと思っていたけれど、それ以来、俄然楽しみが増したわ♪ お義姉様が仰るにはピンクブロンドのライバルが現れるそうなのだけど。 え? 違うの? ライバルって縦ロールなの? 世間というものは、なかなか複雑で一筋縄ではいかない物なのですね。 わたくしの婚約者も学園で捕まえる事が出来るかしら? この話は、自分は平凡な人間だと思っている王女が、自分のしたい事や好きな人を見つける迄のお話。 ※設定はゆるんゆるん ※ざまぁは無いけど、水戸○門的なモノはある。 ※明るいラブコメが書きたくて。 ※シャティエル王国シリーズ3作目! ※過去拙作『相互理解は難しい(略)』の12年後、 『王宮勤めにも色々ありまして』の10年後の話になります。 上記未読でも話は分かるとは思いますが、お読みいただくともっと面白いかも。 ※ちょいちょい修正が入ると思います。誤字撲滅! ※小説家になろうにも投稿しました。

処理中です...