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勤め

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「んまぁ、司祭様……! 今日はまた、いつにも増して顔色がお悪いこと!」
 
 毎日のように教会に顔を出す敬虔な信徒であるゴードン夫人が、クローヴェルの顔を見るなり目を丸くして高い声を出した。

「よ、よく、おいでくださり……ましたね、……はっ、ぁ、……ふ、……ゴ、……ドン、夫人……」
 
 定位置の説教台の裏に立ったままのクローヴェルは、額に玉の汗を浮かべ常以上に眉間の皺をきつく刻みつけた厳めしい顔で彼女を迎えた。その声は、常ならず途切れ途切れで荒々しい吐息の漏れる、掠れたもの。
 
 夫人の顔はいかにも心配そうにくしゃっと歪んだ。

「司祭様ったら……! 毎日働き過ぎなのよ、お風邪かしらねぇ。いやだわ、今日はもう早仕舞いにしてお休みになったら? あ、あたしみんなに言って精のつくもの作ってきてあげましょうか!」
 
 なんて名案と言わんばかりにぱちんとふくよかな手を叩き合わせて言う夫人に、教壇に手を置いてさりげなく体を支えながらクローヴェルは首を振った。

「い、いえ……ゴードン夫人……お、お心遣いはッ……ンッ……! ふ、ぅ……あ、有難く、……で、ですが……だ、大事な、勤めを……ぁん……ふ……はぁ……途中で、放り出す、わけには……」
 
 クローヴェルはがくりと両手を教壇に突き、震え力の入らない足を無理矢理支えながらなんとか立っている状態を保っている。
 
 ぽた、ぽた、とやつれた頬から顎に伝い落ちる汗が、教壇の上に開かれた教典に染みを作った。その尋常ならざる司祭の姿を見て、気にするなというのも難しいことではあるのだろう、なおも夫人は言い募る。

「でも……! 司祭様はもうずっとお一人でこの街と近くの村も受け持っておいででしょう。休む暇もなく。ねぇほら、こないだから助祭様が来てくださったんですもの、たまには助祭様に任せてお休みさないよ」
「はっ……な、ならぬ! あ、あのよう、な……者に……っ」
「まぁま、司祭様ったら。助祭様にそんな辛辣な……確かにちょっとお寝坊さんのようですけれど、とっても優しくて良い方じゃないですか。街のみんなもね、なんせハンサムでしょう? 助祭様。すっかりメロメロなのよ~。今までちっとも教会に行く気のなかった娘もね、助祭様がいるからって、時間ある日は行ってもいいかもなぁんて。おっほ!」
 
 クローヴェルの渋面が、ますますきつく険しくなった。
 ギレールという名を名乗り、助祭として入り込んだあの悪魔は、いつの間にかすっかり街の者を虜にしている。

(そ、そうか……最近、教会に顔を出す若い娘が多くなったのは……)
 
 街の人々の信仰心が高まった訳ではなく、甘い顔立ちの助祭目当ての婦女子たち。クローヴェルはギリと歯を噛み締めた。
 
 己の不甲斐なさが、おめおめと悪魔を教会に引き入れたばかりか、知らぬ間に街の無辜の人々の心にまで入り込ませている。唾棄すべきことであった。

「と、とにかく……あれは、あのような者の甘言に、惑わされぬよう、ゆめゆめ……」
 
 助祭への期待を口にする夫人に、苦々しく言葉を紡ぐそれは。

「おやおや! これはこれはゴードン夫人! 相変わらず足繁くよくお通いですねェ」
 
 奥からやってきた助祭服に身を包む悪魔の登場によって途切れた。

「まぁま、助祭様! ちょうどいま助祭様のお話をしていたところでしたのよ。ねぇ、助祭様からも言ってやってくださいな、司祭様ったらもうとんでもなく具合がお悪そうなのに、大事なお勤めを休むわけにいかんのだとか助祭様には任せておけないとか、ほんとに頑固なんですから!」
 
 夫人が早口にまくし立てる。助祭服に身を包んだ悪魔は、甘いマスクをにこやかに取り繕ったまま、ほほうだのははぁだのと相槌を打って。

「確かに、司祭様はいつにも増してお顔の色が優れぬご様子。体調がお悪いのではありませんか? ここは夫人の仰るとおり、今日は私に任せて司祭様はお休みになられては?」 

 教壇の台越しにクローヴェルの顔を覗き込み、助祭姿の悪魔はさも心配だというような声音で言う。その手が、台に置かれたクローヴェルの手をするりと撫でた。

「き、貴様ッ……んぅっ、ふ、ぁ……!」

 ぞわりと悍ましさに総毛立つ心地でクローヴェルは助祭の顔を睨み付ける。それもまた、不意に内側から走り抜ける感覚で上擦った声と共に逸れた。

 今朝からずっと、クローヴェルの中を悪魔の入れた蛭が蠢き続けている。ぬちゅ、もぞ、ぬちゅり、と蛭が身動ぐたびにぬめる粘液と体表に内側を擦られてクローヴェルは望まぬ悦楽を与えられ続けていた。

 教壇の盤面に手を置いていなければすぐにでも腰が砕けそうなほど、足はガクガクと震えていたし、昂ぶり続ける前が衣服と擦れて張り詰め痛い。じわじわと溢れる汁が染み出し続け、下着はとっくに濡れてますます張り付いた。

 そのような状態で、信徒を迎え、求めに応じて祈りや相談事、ただの雑談に乗らねばならない。

 油断すれば漏れ出る浅ましくいやらしい声を抑え込むため、常に歯を食い縛りいつも以上に顔は強張って汗だくだった。

 夫人が心配するのも無理からぬことで、そして助祭に頼れというのもまた当然であった。 

 クローヴェルは遅まきながらに悪魔の言葉の真意を悟った。
 無事に勤めを果たす、ということの恐るべき難しさ。今朝持ちかけられた取引は、遊興と悦楽を求める悪魔の、勝ちを確信しているが故の提案だったのだろう。

「じ……冗談、では……ない……貴様の、思惑、の……通り、には……は、ぁっ」

 ならぬ、となおもクローヴェルは強情を貫いた。
 悪魔は軽く肩を竦めると、にこやかな表情を取り繕って夫人に振り返る。

「強情な司祭様で困ったものです」
「ほんとにねぇ……真面目なのはいいけれど、それでお体を壊さなければいいんだけど……あ、そうだわ、私ったらすっかり話し込んじゃって! 今日は行くところがあるんだわ、お祈りだけさせてくださいましね」

 夫人は溜息を吐いて、それから用事を思い出したと慌ててお祈りを済ませると教会を後にする。あとで精のつくものお持ちしますね、と言い残して。

「……はっ、ぁっ……!」

 ゴードン夫人が出て行くと、クローヴェルは堪えかねたようにがくりと膝をつき崩れ落ちた。ふぅふぅと荒々しく熱い息を吐き出しながら、必死に拷問にも似た快感を逃がそうとしている。

「……おやおや司祭様。やっぱり具合がお悪いんじゃありませんか? 夫人の言ったように、今日は休まれては、どうです……」

 膝を突き教壇の下で背を丸めるクローヴェルの、その背中をつつぅと指でなぞりながら助祭姿の悪魔が耳元に囁いた。

「んっ……ぁあッ……!」
 
 びくんっと跳ね、びくびくと痙攣するようにクローヴェルの体が震える。

「ふ……。どうしました、司祭様。さっきから、どうにも様子がおかしい……ふふ、いったいどうしたことです? 大事なお勤めの最中に、どうしてココをこんなにしておられるんです」

 背後から伸びた悪魔の……助祭の腕が、クローヴェルの司祭服越しにもそれとわかるほど屹立したモノをぎゅむっと掴む。

「っあ……はぁっ、ぁ……!」

 ビリリッと強く電流でも流されたように、一層痙攣したクローヴェルの体は、次の瞬間にはがくりと脱力した。じわりと溢れ出た熱いものが、ズボン越しにも伝わったのか、助祭の低い笑い声が落ちる。

「司祭様……はしたない……お勤めの最中にこんなにして、その上漏らすなんて……いったい、どうしたことです。そのようないやらしいお気持ちでは、女神様もお嘆きですよ」
「っ……ぁ、……ふ、ぅ……ぅ、う……」

 助祭の言葉は、クローヴェルの信仰に捧げた心を的確に切りつける。悍ましい蛭めいた生き物に尻の穴をほじくられて感じ、昂ぶりを握られただけで堪えきれずに果てた。その事実がクローヴェルの司祭としての自尊心を強かに切り裂く。

 それでもなお。 
 一度果ててもなお。

 そそり立つ昂ぶりは萎えることなく熱を持つ。相変わらず内側をぐちゅぐちゅと蛭に蠢かれ、無理矢理に中から刺激されて、逃れることのできない快楽に身を貫かれ続けていた。 

 一日は長く、正規の勤めの時間が終わ
る日没まではまだ随分とある。

「……司祭様、ほら、もう観念しましょうよ。楽になればいい。お認めになればいい。貴方はすっかり悦楽の虜。この快感に溺れきって、私に身を任せれば良い。……気持ち良くして差し上げますよ、司祭様」

 脱力し崩れ落ちたクローヴェルの体を優しく抱きしめ、耳元に囁く助祭の声は柔らかく甘い。

「……は、……そ、その……手に、乗るか……悪魔め……!」

 後ろから抱きしめる助祭の腕をバシッ
と振り解き、クローヴェルは顰めた顔で睨み付けながら言った。

 ふらりと身を起こし、乱れる呼吸を整えるように深呼吸して目を閉じる。祈りを捧げるように深く、頭を垂れて。

「貴様の……思い通りに、など……なら、ない……。は、ぁ……私、は……神に、仕える……司祭、なのだから」

 夜明けの空のような瞳を、助祭姿の悪魔に向けると、クローヴェルは熱くこもる吐息を吐き出して一度奥へと引っ込む。それから新しい司祭服に着替えて戻って来るのだった。
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