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黒の帳 『一つ目の帳』

片桐編 ナイショ話

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わいわいと騒がしい本校舎。

体育館の裏でその騒ぎを聞きながら、俺は、こそこそと周りを見渡していた。

…よし、目的の人物はいない。


「っしゃあ!逃げ切ってやったぜ…」


体力テストを受けろと追いかけてきた体育教師。俺はソイツとの鬼ごっこに勝利したのだ。
あえて体育館の近くに逃げ込むことで、教師の目を欺く…完璧だ!

しかし、アイツに追いかけられたせいで鈴から離れてしまった。

早く鈴のところに戻らないと。
今や、鈴を狙う不良は日に日に増えつつある。主な原因は、紅陵先輩だ。紅陵先輩が鈴に入れ込んでいるという噂が出てきて、紅陵先輩の取り巻きが事ある毎に鈴に突っかかろうとしている。


今頃は、天野と一緒にいるのかな。
俺はアイツが嫌いだ。アイツ、クリミツのこと悪く言いやがって。鈴とクリミツの仲があんまり良くないのは分かってるけど、関わるのは止めとけってどういうことだよ。確かに、クリミツに送ったMINEはずーっと既読がつかないし、最近会えていないけど、それにしたってあの発言はないだろう。

アイツが鈴のことを好きってのは、別にいい。鈴はめっちゃ可愛いし、めっちゃ良い子だから、好きになるのは当然だ。

優しい鈴は今朝だって、落ち込む俺を励ましてくれた。俺を、一番の親友だと言って。

本当は恋人になりたいのだけど、鈴は俺のことを距離の近い唯一無二の親友か弟か兄くらいに見ている。恋愛対象になるのは、一体いつになるのだろうか。

鈴は、すっごく寂しがり屋だから、誰かが傍にいてやらなきゃなんない。
その大きな隙間を埋めるのは、隣にいるのは、俺がいい。俺だけが、いい。

ずっと傍で、小さい頃から見てきたから。





クリミツにいじめられて泣いていた鈴、俺に助けられて喜んでいた鈴、幼稚園児の頃から、俺は見てきたから。
鈴と一緒に、育ってきたから。


クリミツと鈴はきっと覚えていない。

クリミツが鈴をいじめて、止めようとした俺がクリミツをぶっ叩いたこと。クリミツは俺にぶん殴られて泣いて、友達がいなくなって、内気なみぃくんになったこと。そんなみぃくんを見ていられなかった俺が話しかけて友達になって、今の三人になったこと。

アイツ、また鈴のこといじめたりしてないよな。幼稚園児と一緒にする気は無いが、どうにも不安が拭えない。
今、鈴とクリミツの仲はあまり良くない。

もしかして、もしかして。

いじめを疑いたくはない。だって、二人とも大事な友達だから。いじめだって、幼稚園児の頃の話だ。



…でも、ここ数日のクリミツの態度で、俺は少し覚悟が出来てきた。俺のことをずっと無視するってことは、なにかやましいことがあるに違いない。クリミツがいないと安心する鈴の態度も変だ。

「……で……が……」
「んだと………」

早く鈴の所へ行こうと歩き出した俺は、何やら話し声を聞きつけた。体育倉庫で誰かが話してるみたいだ。
いつもの俺なら通り過ぎるけれど、今回は、違った。

聞こえてきたのが、クリミツの声だったから。

アイツ、俺のこと無視して逃げ回って誰と話してんだ。

「……ああ、それで頼みます」
「…おう。じゃあ三日後な」

相手の声も聞き覚えがある。確か、渡来じゃなかったっけ。
クリミツと渡来が、体育倉庫で何話してんだ? しかも、クリミツは渡来に敬語を使ってる。クリミツ…渡来のこと先輩として扱ってるんだな。喧嘩したくせに。

一体何の話だろう。盗み聞きは良くないのは分かっているけど、俺はこっそり壁に張り付いてしまった。

「んにしても、お前こじらせてんなぁ…」
「ははは、十何年は伊達じゃないっすよ」
「だとしても、フツー好きな奴を襲わせたりするか?」

好きな、奴?

クリミツって、好きな人いたんだ。前にも聞いたけど、あの時はうやむやにされたんだっけ。
でも、そうだとしたらその後の会話がすごく変じゃないか?
襲わせるって、どういうことだよ。好きなんじゃないのか?

「こうでもしなきゃ実らない、って思いません?」
「だからその考え方が拗らせてんだって…」

クリミツと渡来は何を企んでるんだ。
三日後って、クリミツの好きな人って、襲わせる、って…。

「とにかく三日後な。じゃあ」
「えっ」

考え込んでいた俺は、目の前の倉庫の扉に気付かなかった。がちゃりと目の前の扉が開き、そこから渡来が出てきた。
目がバッチリ合ってしまい、俺の頭にはしまったの四文字が浮かんだ。

「…あ"?」
「……あ」
「テメェ、まさか」
「俺は何も聞いてないからな!!!」

俺は大声で叫び、走り出した。やべ、やべやべやべ、あれって聞かれちゃマズイってやつだよな。

だけど、走りながらちらりと後ろを見ると、渡来は頭の後ろをかいて俺を眺めているだけだった。その後ろから、クリミツが出てきた。

クリミツは、俺のことを見つけると、目を見開いていた。どうして龍牙がいるんだ、そう、言いたげに。すっごくびっくりしてたから、やっぱりあれは俺が聞いちゃダメな話だったんだ。


ところで、後ろを見て走っていたら、どうなるだろうか。当然、前が見えない。ということは、前の人や物とぶつかる。

俺が前を見た時には、もう、間に合わなかった。

「うおっ!!!」
「わあっ!!!」

誰かにぶつかってしまい、俺は勢いよく転けた。運動場の砂が結構制服に付いたみたいだ。ちょっとムカついたけど、前を見ていなかった俺が悪い。ぶつかった奴は大丈夫だろうか。



「…りゅ、龍牙?」
「鈴?」

聞き覚えしかない声に弾かれたように顔を上げると、俺と同じように倒れていたのは、鈴だった。俺、鈴とぶつかったのか。鈴はなんでこんなところにいるんだ?

先程の会話を聞いてからすぐに鈴を見たからか、俺の頭には、クリミツの放った一言が過った。

『十何年は伊達じゃないっすよ』

十何年、好きな人。
それって、もしかして。



「龍牙っ、助けて…っ!」

続けようとした思考は、鈴の必死な声で霧散した。俺の制服に縋り付く鈴の様子は、何やらただごとではない。どうしたんだと問いかけようとしたが、すぐさま答えが聞こえてきた。

「紫川ァ、鬼ごっこは楽しいか?」
「ははははっ!“熊”の代わりに嬲ってやるよ」
「ほーらほらどこ行ったぁ?逃げないと捕まえちまうぞ~」

「ひっ……その、私、今、追いかけられてて…」
「任せろ」

怯えた鈴の様子。聞こえてくる下卑た笑い声。

また、鈴はどっかのクソ野郎共に追いかけられてるんだ。

俺はすぐさま立ち上がり、鈴に手を差し伸べた。鈴が俺の手を取り立ち上がったのを見て、俺は自分の背中に鈴を隠した。


少しして、校舎の影から見覚えのある三人組が出てきた。名前は覚えてないけど、木曜日に鈴に絡んだサイテーな奴らだ。

「あー?あのロン毛確か、先輩が狙ってる…」
「そうそう。アレには手ぇ出すなよ。上手いこと紫川だけ連れ込め」
「紫川~こっち来いよ」
「おい、鈴に触んな」
「どけよ雑魚」
「なんだと!!!」

今、聞き捨てならないことを言われた。誰が雑魚だって!?
目の前の三人組は弱そうだし、一対三なら前に勝ったことがある。雑魚と言わせたままにしておくのはかなり、かなりむかつく。それに、俺の後ろにいる鈴を守らなくちゃならない。

へらへらと笑っている目の前の三人は、完全に俺のことを舐めている。もうやることは一つだ。

「そうやって笑ってんのも今の内だからな」

俺がそう言って構えた途端、目の前の奴らの顔付きが変わった。何かに怯えるような、そんな顔付き。なぜだろうか。ついさっきまで俺のことを嘲笑っていたというのに、どういう気持ちの変化だ?



「なあお前ら、どうしたんだ?」
「よう、鈴、龍牙」

聞き覚えのある声に後ろを振り向けば、でかい図体に学ランが見えた。そのまま目線を上げると、特徴的なもふもふの茶色の天然パーマが目に入った。

「クリミツ!?」

状況と俺たちの関係を考えれば、クリミツが俺たちを助けに来てくれたのかな、なんて思える。

でも、これはまずいんじゃないか。だって俺は、聞いちゃダメそうな会話を聞いちゃったんだ。

俺は不安でクリミツを見上げたけれど、クリミツは見たこともない恐ろしい形相で三人組を睨み、三人組に向かってつかつかと歩き出した。今のは、見ず知らずの人間に向けるにしてはかなり敵対心の強い表情だ。

三人組はそんなクリミツを見てか、分かりやすく狼狽えて口々に喋りだした。多分、さっきの怯えた表情もクリミツを見たせいだろう。


クリミツと目の前の三人組は知り合いなのだろうか。


「あっ……、あ、ああ、くm…り、た……、く、栗田じゃん」
「よ、よぉ、久しぶり、いや、その…、色々あんじゃん、そんな顔すんなって、な?な?」
「あ、そうだ!イライラしてんなら、ほら、そこにちょうどいいサンドバッグがッ」

俺を指さして、三人組の一人がサンドバッグと言い放った。どこまでもムカつく奴だ。

だけど、俺が何か言う前に、クリミツが手を上げた。ソイツは咄嗟に腕で顔面を守ったらしいが、クリミツの拳は顔ではなく鳩尾に入った。殴られた奴が音も無く倒れたのを見て、残りの二人の表情が固まっている。

「見逃してくれよ。俺ら暇すぎてさ、遊び相手・・・・が欲しいわけじゃん?その…ほらっ、金髪はアレだけど、紫川なら」
「お前らが暇とか知るかよ。こいつらに手ェ出すな」

やっぱり、知り合いみたいだ。話の内容はよく分からないけど、あまり良いものじゃなさそうだ。

クリミツは少し屈むと、残りの二人に何やら囁いた。二人も小声になってぼそぼそと返し、内緒話を始めた。
その様子を見ていたら、俺の袖がくいっと引かれた。

「…ん、鈴?」
「もっ、もう行こうよ、クリミツなら大丈夫だろうし、ね?」

鈴が俺の袖を引いて話している。その手は少し震えている。

鈴が、怖がっていた。



きっと、あの三人組が怖いんだろう。
散々追いかけられたらしい。

鈴は、いつも大変な目に遭っている。俺が鈴のそばから離れなきゃいいんだ。俺は天野より弱いけど、それでも、鈴を守りたい。

今日はもう離れないからな。

「そうだな、…もう行くか」
「あ、龍牙待て」
「何?」

まだ午前だし、昼までまだ一時間くらいある。教室で天野と三人で時間を潰そうか。

そんなことを考えていたが、クリミツに呼び止められた。


「鈴は置いてけよ。俺、鈴と話あるからさ」


そう、クリミツが言った。別に内容はなんてことない。鈴と話がしたい、それだけだ。

でも、クリミツがそう言うと、鈴の腕の力が強くなった。俺から離れたくない、というよりは、クリミツのところに行きたくない、と言っているみたいだった。

「鈴、お前も何か話あるだろ? コイツらも話があるからさ」
「鈴、大丈夫か。…なあクリミツ、それどうしてもしなきゃいけない話か? 俺も一緒にいたいんだけど」

鈴はあの三人組が苦手なんだ。それに、クリミツとも微妙な空気が流れている。

ここで鈴を一人にしたくない。
鈴が怯えているのもそうだが、何だか、嫌な予感がする。


「いや、龍牙はいなくても大丈夫、俺がいるから。なあ鈴、俺たちと話しようぜ。中学生ん時と一緒だろ、俺たち、よくこうやって喋ってたよな?」

ほら、来いよ。

クリミツは俺たちの方を見て、口角を少しだけ上げた。クリミツはあまり笑わない。だから、今の笑顔はどこか恐ろしかった。

「龍牙、私、行きたく」
「もしかして中学のことか? あのことは悪かったよ、俺、謝ったよな。鈴も許してくれた、違うか?」
「……そう、だけど、でも」
「龍牙」

矢継ぎ早に話すクリミツに、言い淀む鈴。

やっぱり、嫌な予感がする。この二人の関係は、俺が思っているより複雑なのだろう。

俺の袖を握る力が段々と強くなっている。それだけ、怖いんだ。クリミツは暫し考えた後に、俺たちの方へ足を進めてきた。


「大丈夫だから、早くこっちに」
「っ……」


クリミツが腕を伸ばしてきたその時、

俺は、直感で鈴を後ろに隠した。

庇うように、クリミツが触れないように、俺の背に鈴を隠した。

その行動で、クリミツがどう思うかなんて考えてなかった。


クリミツは、酷く驚いていた。俺が、こんなことをすると思っていなかったんだろうか。


「…な、に。なんだよ、それ。俺はコイツらと一緒なのか? 鈴のこと傷つけようとするコイツらと、一緒なのかよ」


そっか、そうか。俺の行動は、クリミツを敵と見倣したように見えたのか。

クリミツの傷ついた表情に、俺は冷や汗が出た。
違う、俺はこんなことしたくない。クリミツを傷つけたくなんかないし、傷つけるつもりなんかなかった。

ただ、鈴を守りたかっただけだ。

「違うっ、鈴が怖がってるから、だから」
「何も違わないだろ、……ああ、そうかよ、お前まで俺の事拒否するんだな」

傷ついたクリミツを見て、俺の心がぎちぎちと苦しくなったけど、それと同じくらい、俺の心を動かすものがあった。

俺の袖を握っている強い力、震えている腕。

クリミツが一方的な被害者なわけがない。
もしそうなら、なんで、なんで、

「じゃあなんで鈴が怖がってんだよ! 俺に何か隠してんじゃねえのか!?何か言ってみろよ!!」
「そっ、そのことは謝ったんだって!! 謝ったんだから良いだろ!?」
「…そのことって何だよ。さっきも中学のことって言ってたよな。やっぱり俺がいない間に何かあったんだな?」
「や、その、それは…大したことないっていうか、えーっと」
「鈴が怖がるようなことが大したことじゃないんだな?あ"?」
「う……」

さっきの鈴のように、クリミツが言い淀んだ。

ああ、後ろめたいことがあるんだ。

こうなったらとことん問い詰めてやる。俺に隠し事なんて、良い度胸だな。

何で鈴がこんなに怖がってるのか、
何でクリミツと微妙な空気なのか、

それを問い詰めて



「止めて」

「鈴………?」

「龍牙、もう止めて」


鈴がまた怖がっている。でも、さっきより怖がっている。

何かに、酷く怯えている。


「でも、クリミツが」
「お願い」


俺の言葉を遮ってまで、鈴が訴えてきた。有無を言わさないその様子に、俺は口を閉じるしかなかった。
俺たちが話している間、横目にクリミツの背が見えた。こそこそと、三人組と一緒に立ち去ろうとする姿。


「おい」


呼びかけると、びくっとその大きな背が揺れた。

俺がいない間に、とっても伸びたあの背丈。俺の後を泣きながら着いてきた、あの可愛いみぃくんはもういないのかな。今のクリミツは強くてかっこいいけど、どこか、怖い。

その怖さを、鈴は味わったのかもしれない。だからこんなに怯えているのかもしれない。

もし、鈴が、自分の体で・・・・・味わったのだとしたら。

もしそうなら、俺は、どうしたら、いいんだろうか。


今は分からない。
だから、俺は、クリミツとの心の距離がこれ以上大きくならないように、ぼそぼそと喋ることしか出来なかった。


「ここ最近、見なかったけどさ」
「………」
「体調不良じゃなかったんだよな? その…腹壊してたとか、そういう…」
「…おう」
「なら良いや、またな」
「……………」


俺が別れを告げると、クリミツは振り返らずに去っていった。

クリミツと鈴が俺に隠してることは、あんまり良くないことみたいだけど、クリミツのことは普通に心配だったし、大事な友達で、幼馴染みだ。

鈴たちの、隠し事。
もし、二人のどちらかから無理やり聞き出したとして、それは俺の満足いく結果になるのだろうか。


もう少しだけ、先延ばしにしてしまおうか。


でも、先延ばしにしてしまうとなると、今俺の袖を握る、この震える腕はどうすれば良いのだろうか。


「…鈴」
「……なあに」
「大丈夫、もうアイツらいなくなったぞ」
「………そっ、か」

震える、声は、

「鈴」
「なあに」

震えていた、肩は、

「お前、大丈夫か」


「うん、大丈夫!」


屈託の無い、この偽りの笑顔は、

花も恥じる、世にも美しいこの美青年の笑顔は、

どう、すればいいんだろう。



馬鹿な俺には、分からなかった。
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